一度目の捜索
「温室に、灯りが見えました」
夜が明けきる前に、私は廊下のジルベールを呼んだ。
彼は一言も聞き返さず、窓辺まで来て庭を見下ろした。
硝子の屋根は、もう暗いままだ。
朝靄が、庭の木々の間を白く漂っている。
「いつだ」
「ほんの少し前です。灯りが一つ、消えるのを見ました」
「ルネ、二人連れて温室へ。中に誰かいれば、身柄を押さえろ。何にも触れるな」
廊下で、慌ただしく足音が遠ざかっていく。
私は窓枠を握りしめたまま、庭を見ていた。
もし、そこに犯人がいたら。
一日目の夜明けに、すべてが終わるかもしれない。
そんな甘い期待は、半刻もしないうちに消えた。
*
「誰もいなかった」
戻ってきたルネの報告を、ジルベールは戸口で受けた。
私にも聞こえるように、わざと扉の内側に立っている。
「扉には鍵がかかっていました。中は荒らされていません。ただ」
「ただ」
「入口の棚のランプが、まだ温かかったです。それと、奥の薬草の畝の土が、掘り返されていました。何株か、根ごと抜かれたようで」
ルネは自分の手帳を見ながら、言葉を選ぶように続けた。
「札には、眠り草と書いてありました」
部屋の空気が、ぴんと張りつめる。
ジルベールの横顔は動かない。ただ、指先だけが手帳の角を軽く叩いた。
そのとき、廊下の奥から別の足音が近づいてきた。
「レティ、もう起きてるの?」
クロードだった。
上着の袖をまくり、手には土のついた革手袋を持っている。眼鏡が少し曇っていた。
「サン=ロラン殿。こんな時刻に、どちらへ」
「温室です」
ジルベールの問いに、クロードはあっさりと答えた。
「眠り草は、日の出前に根を掘らないと薬効が落ちるんです。ベルナール先生から、レティの薬湯用に新しい根を頼まれていたので。鍵は、伯父上から預かっているものを使いました」
彼は手袋を軽く振ってみせた。
袖口には、湿った黒い土がこびりついている。
「ランプは」
「消してきましたけど……何か、まずかったですか。封鎖中でも薬草の世話は認める、と騎士団長の許可状をいただいています」
クロードは懐から折りたたんだ紙を取り出し、ジルベールに差し出した。
ジルベールはそれを開き、しばらく読んでから返した。
「確かに」
「よかった。レティ、驚かせたならごめん」
クロードは私に向かって、困ったように笑った。
私は、うなずくことしかできなかった。
説明は、どこにも穴がない。
侍医が温室から薬草を分けてもらっていることは、数刻前、ベルナール医師自身が話していた。
日の出前に根を掘る理由も、許可状も、手袋の土も揃っている。
――なのに、どうしてこんなに喉が渇くのだろう。
「兄様。その根、私の薬湯に使うのよね」
「そうだよ。先生に届けて、粗く挽いてもらう」
「……新しい薬湯は、しばらく要らない。眠れなくても大丈夫だから」
クロードは一瞬、目を丸くした。
それから、ふっと表情を和らげる。
「そうだね。あんなことがあったばかりだもの。怖いよね」
彼は私の頭に手を伸ばしかけ、戸口のジルベールの視線に気づいて、その手を引っこめた。
「また昼に来るよ。何か食べたいものがあったら、言って」
足音が遠ざかっていく。
私は、自分の指先が冷たくなっていることに気づいた。
疑いたいわけではない。
ただ、今の私には、誰かの説明を「筋が通っているから」という理由だけで信じる余裕がないのだ。
*
朝食の盆が下げられたあと、私はジルベールを部屋に呼んだ。
「ロシュ卿。毒の瓶のことを、教えてください」
一日目に確かめられたのは、縄の件だけだ。
王女殿下の事件そのものは、まだ何も動いていない。
処刑を止めるには、私が王女殿下を毒殺していないことを証明しなければならない。
「原作」の記憶をたどる。
レティシアの部屋から毒の瓶が見つかった。化粧台の、隠し引き出しの中から。
覚えているのは、それだけだ。誰が見つけたのか、いつだったのか。そこまで細かく書かれていた気もするし、読み飛ばした気もする。
「瓶は、どこで見つかったんですか」
「化粧台の隠し引き出しだ。法務院の記録にもある」
「それは、いつ」
「五月三日。茶会の二日後に行われた、二度目の捜索で」
二度目。
その言葉が、耳に引っかかった。
「二度目ということは、一度目もあったんですね」
「茶会の夜に。王女殿下が亡くなった直後だ」
「そのとき、瓶は見つからなかった?」
ジルベールは答えない。
沈黙が、答えの代わりだった。
私は寝台を降り、壁際の化粧台の前に立った。
白い木に、百合の彫刻がいくつも施された、華奢な台だ。レティシアが十歳の誕生日に、母から贈られたもの。
「隠し引き出しは、どこにあるんですか」
「知らないのか」
「……覚えていないんです。レティシアの記憶の中に、そんな引き出しはない」
言ってから、しまったと思った。
レティシアの記憶、などと他人事のように言う令嬢が、どこにいるだろう。
けれどジルベールは、その言い回しには触れなかった。代わりに化粧台の横に回り、側面の彫刻の一つを指で示す。
「三つ目の百合の花芯を押す。それから、天板の下の飾り板を手前に引く」
言われたとおりにすると、かちりと小さな音がした。
飾り板の裏から、指二本分ほどの浅い引き出しが滑り出てくる。中は空だった。
自分の化粧台に、こんな仕掛けがあったなんて。
毎日使っていたはずのレティシアが、知らなかったのだろうか。それとも、私がその記憶を受け継げなかっただけなのか。
「どうして、一度目では見つからなかったんですか」
「隠し引き出しを見落としたからだ。法務院はそう結論している」
「誰が見落としたんですか」
私は、彼の灰色の目を見上げる。
彼は、目をそらさなかった。けれど、手帳を握る指に、わずかに力が入ったのがわかった。
「……五月一日の夜、この部屋の捜索を指揮したのは、私だ」
低く、押し殺した声。
「化粧台は、私がこの手で調べた。引き出しを全部抜き、裏板まで叩いた。それでも、法務院の記録には『一度目の捜索で隠し引き出しを見落とした』と書かれている」
彼は、そこで一度言葉を切った。
「その見落としの責任を取って、私はこの屋敷の監視に回された」
平民出身の騎士が、王女殿下の事件で失態を犯した。
それがどれほどの意味を持つのか、私にもぼんやりとわかる。
この人は、私が犯人であろうとなかろうと、あの夜の捜索ひとつで、騎士としての居場所を失いかけていたのだ。
「ロシュ卿。あなたは、本当に見落としたと思っているんですか」
ジルベールは、浅い引き出しを見下ろした。
三つ目の百合。天板の下の飾り板。彼の指は、その手順を迷いなくたどっていた。
「あの夜、私はこの仕掛けを知っていた。侍女頭から聞いて、真っ先に開けた」
灰色の目が、ゆっくりと私に戻る。
「中には、何もなかった」




