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転生したら処刑7日前の悪役令嬢でした。逃げるにはもう遅いので、犯人を探します  作者: ローナ


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名前を呼ぶ朝

翌朝は、目覚めの前から、晴れていた。


窓の外で、小鳥が鳴いている。カーテンの隙間から、細い光の筋が、寝台の上に伸びていた。

私は、しばらく天井を見つめて、それから、勢いよく起き上がる。


「マルト。今日の服は、どれがいいと思う」

「まあ。お嬢様が、ご自分から、服の相談を」

「茶会ではないの。ただの、朝のお茶です」

「はい、はい。ただの、朝のお茶ですね」


マルトは、口元に手を当てて、肩を揺らしながら、薄い水色のドレスを取り出した。

袖口に、小さな銀糸の刺繍が入った、控えめな一着だ。


「これなら、堅苦しくなくて、でも、きちんと見えます」

「……それにするわ」


鏡の前で、指輪を、そっと、右手にはめ直す。昨夜よりも、少しだけ、指に馴染んでいる気がした。


庭に面した、小さな談話室に、茶の席が整えられていた。

ガスパールが、朝から焼いたという、バターの香りのする菓子が、白い皿に並んでいる。母の温室から、摘んできた白い小花も、卓の中央に添えてあった。


約束の時刻の、五分前。

扉が、控えめに、叩かれる。


「ロシュ様が、お見えです」


ガスパールの声が、いつもより、半拍ほど、弾んでいた。

入ってきたジルベールは、昨日の外套ではなく、略式の騎士服を着ていた。腰に、剣はない。その代わり、片手に、小さな包みを提げている。


「おはよう」

「おはようございます。……ずいぶん、早いですね」

「遅れるよりは、いい」


彼は、真顔で、そう答えた。

きっと、約束の三十分前から、門の前で、時計を見ていたのだろう。昨日のガスパールの話を思い出して、口もとが、ゆるみそうになる。


「それは?」

「手土産だ。何を持てばいいか分からず、ガスパール殿に、相談した」

「ガスパールに」

「温室を持つ家には、花より、茶葉が喜ばれる、と教わった」


差し出された包みを、開いてみる。

中には、淡い緑色の、乾いた茶葉が入っていた。鼻を近づけると、青い草原のような、香りがする。


「……いい匂い」

「北の領地の、茶だ。私の、母の郷里で、つくられている」

「ジルベール様の、お母様の」

「亡くなって、久しいが」


彼は、それだけ言って、椅子に腰を下ろした。

その横顔に、触れてはいけない何かがあるのが分かって、私は、それ以上は聞かなかった。代わりに、湯を沸かさせて、その茶を、ふたりで淹れる。


湯気が、ふわりと、立ちのぼった。

カップを持つ指が、大きくて、少しだけ、ぎこちない。


「飲んでみてください」

「ああ」


ジルベールは、慎重に、ひと口、含んだ。

そして、短く、目を見開く。


「……母の淹れた味に、近い」

「それは、よかった」

「おまえ……いや、あなたが淹れたのに、不思議なものだ」


彼は、言い直した。

私は、首を傾げる。


「呼び方、変えなくても、いいですよ」

「何の話だ」

「さっき、言いかけて、言い直したでしょう。『おまえ』と」


ジルベールの耳が、はっきりと、赤くなった。


「……失礼した。心の中では、そう呼んでいた時期が、ないとは言わない」

「ふふ」

「笑うな」

「笑っていません」


笑っていた。

それでも、不思議と、嫌な気持ちには、ならなかった。監視役として出会った頃の、あの冷たい目と、今、目の前で、耳を赤くしている人が、同じ人だとは、なかなか思えない。


「昨日の墓参りの話を、聞いてくださいますか」

「聞きたい」


私は、白い碑のことを、話した。リュシーが、自分で選んだ丘のこと。茶会の前の晩に、青いリボンを、何度も結び直していた、という話。それから、イザベルが、深く頭を下げて、友人になってくれたことも。

ジルベールは、一度も、口を挟まなかった。ただ、時々、小さく頷いて、最後に、ひとこと、言った。


「あなたが、行けて、よかった」

「はい」

「私は、あの子の死を、数字と記録でしか、見てこなかった。いつか、私も、花を持って、行きたい」

「ご一緒に、行きましょう」


自然に、そう言っていた。

彼は、少し驚いたように、まばたきをする。それから、静かに、頷いてくれた。


   *


菓子を、ひとつ、食べ終えたところで、彼は、居住まいを正す。庭の若葉が、日差しに、きらきらと光っていた。


「辞令が、今朝、届いた」

「早いですね」

「法務院からだ。調査官としての、配属になる」


胸が、小さく、跳ねた。


「配属先は」

「王都の、法務院。つまり、この屋敷から、馬で、二十分ほどの、場所だ」

「それなら、これからも」

「ああ。会おうと思えば、いつでも、会える距離だ」


一拍、置いて、彼は、続けた。


「もっとも、断られれば、会うことはできない」

「断りません」


思いのほか、はっきりした声が、出た。

自分で、驚いて、慌てて、カップに口をつける。けれど、遅かった。ジルベールは、ほんの少しだけ、目を細めて、こちらを、見ていた。


「……そうか」


それだけ、言った。

けれど、その声は、昨日、門の前で聞いたものよりも、ずっと、やわらかかった。


「もうひとつ、報告がある」


彼は、ふたたび、真顔に戻る。


「クロードの件だ。審理の日取りが、決まった」

「いつですか」

「来月の、第二週。法務院の、公開法廷で行われる。嘆願書は、すでに、三通、提出されている。侯爵閣下のものと、アルベール殿下のもの。それから、ミレイユ嬢の連名で、イザベル嬢のもの」

「イザベル様の」

「昨夜のうちに、届いた。あの墓参りの、あとだったそうだ」


私は、思わず、胸を、押さえた。

昨日、手を取り合った人が、その夜のうちに、動いてくれていた。


「ありがとう、と、伝えなければ。お礼の手紙を、今日中に、書きます」

「それは、あなたが、直接、伝えるといい。きっと、喜ぶ」

「はい」


窓の外で、風が、鳴った。

庭の若葉が、さらさらと、揺れている。


   *


しばらく、ふたりで、黙って、茶を、飲んだ。

気詰まりな沈黙ではなかった。温かい湯気と、遠くの小鳥の声と、卓の上の白い花が、静かに時間を満たしていく。


やがて、ジルベールが、カップを、置いた。


「ひとつ、頼んでもいいだろうか」

「何でしょう」

「名前で、呼んでほしい」


意味が、すぐには、分からなかった。


「名前、ですか。ジルベール様、と」

「『様』は、いらない」


彼は、こちらを見ない。視線は、卓の上の、白い花に、向けられていた。


「私が、あなたを、名前で呼ぶ許可も、欲しい。レティシア、と」


心臓が、大きく、一度、鳴った。

昨日の夕暮れに、思い浮かべた顔が、目の前に、いる。手の届く距離に、いる。


「……どうぞ」

「いいのか」

「許可を取る人が、いるでしょうか。あなたは、いつだって、約束を、守るのに」

「それは、褒めているのか」

「たぶん」


ジルベールは、短く、息を、吐いた。

それから、ゆっくりと、こちらを向く。


「レティシア」


たった、四文字。

それだけで、自分の名前が、まるで、初めて聞く言葉のように、響いた。


「……はい」

「呼んでみたかった。それだけだ」

「次は、私の番ですね」


息を、吸う。

舌が、少し、もつれそうになる。それでも、言った。


「ジルベール」


彼の肩が、かすかに、揺れた。

それから、顔を、片手で覆って、低く、笑う。


「まいった」

「え?」

「想像していたより、ずっと、効く」


私も、吹き出してしまった。

ふたりの笑い声が、小さな談話室に、重なる。ガスパールが、扉の外で、咳払いをしたのが、聞こえた。たぶん、全部、聞こえているのだろう。


笑い終えたあとで、彼は、少しだけ、真剣な顔になった。


「十八番目の、話は、また、今度にさせてほしい」

「今度、ですか」

「全部が、片付いてから。クロードの審理が、終わって、あなたの身の回りが、落ち着いてから、きちんと、言う」


その言葉が、何を意味するのか。

分からないふりをするには、あまりに、はっきりしていた。


「……待っています」


私は、そう答えた。

指輪が、朝の光を、淡く、反射した。


   *


ジルベールが、帰ったあと。

私は、書き物机に向かって、二通の手紙を、書いた。


イザベルには、嘆願書への、お礼を。ミレイユには、近いうちに、お茶に来てほしい、という誘いを。

便箋の上で、ペンが、思ったよりも、軽やかに、走っていく。昨日までは、誰かに手紙を書くたびに、疑いの目で読まれることを、考えていた。今日は、そんな心配を、しなくていい。


封をしようとしたところで、ガスパールが、顔を出した。


「お嬢様。ロシュ様は、お茶を、三杯、召し上がりました」

「数えていたの?」

「執事の、仕事です」

「そんな仕事は、ありません」

「では、趣味ということで」


彼は、しれっと、答えて、茶器を下げていった。

私は、手紙の封蝋に、指輪の紋章を、押し当てる。


赤い蝋の上に、ヴァルモン家の印が、くっきりと、浮かび上がった。

これが、侯爵家の跡取りとして出す、最初の手紙になる。そう思うと、背筋が、すっと伸びた。庭の向こうの空は、どこまでも、澄んでいた。

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