↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生したら処刑7日前の悪役令嬢でした。逃げるにはもう遅いので、犯人を探します  作者: ローナ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
39/41

別れの茶

「受けます」


私は、判事長に向かって、はっきりと、告げた。


「別れの茶を、いただきます。ただし、条件があります」

「申せ」

「茶葉も、湯も、茶碗も、すべて、騎士団の方に、用意していただきたいのです。クロード兄様は、淹れてくださるだけ。それでも、よろしいでしょうか」


クロードは、すぐに、頷いた。


「もちろんだよ、レティ。むしろ、そうしてほしい。君を、疑わせたまま、終わりたくないから」


天幕の中が、小さく、ざわめいた。

父が、何か言いかけて、やめる。デュボワ卿は、私の顔を、まじまじと、見つめていた。


ルクレール卿は、しばらく、考えるように、目を、細める。


天幕の外では、群衆の、ざわめきが、いつのまにか、低くなっていた。何が、行われているのか、誰も、わからないのだろう。ただ、時を告げる、鐘楼の、影だけが、確実に、石畳の上を、動いていた。


「……よかろう。ただし、時間は、限られている。正午の鐘が、鳴りはじめる前に、済ませること」


そう言って、書記官に、短く、合図を送る。


ジルベールが、すぐに、動いた。

外に控えていた騎士のひとりに、何かを、告げる。やがて、卓の上に、手際よく、器具が、並べられていった。


小さな、素焼きの茶壺。

銀の盆に載った、白い茶碗が、ふたつ。

湯気の立つ、鉄の薬缶。


茶葉の入った、紙の袋は、ジルベール自身が、封を切って、ひとつまみ、掌に、乗せてみせた。


「見てくれ。ありふれた、野の茶だ。団の、炊事場にある、ものを、持ってきた」


誰に、見せるでもなく、彼は、掌の茶葉を、天幕の中に、ゆっくりと、巡らせる。

疑いようのない、乾いた、茶色の葉。


クロードは、静かに、椅子から、立ち上がった。

見張りの騎士たちが、半歩、前に、出る。


「大丈夫ですよ。逃げも、暴れも、しません。それに」


彼は、両手を、広げて、にこりと、笑った。


「あの、白い手袋は、もう、ありませんから」


その冗談とも、自嘲ともつかない、言葉に、ジルベールだけが、眉をぴくりと動かした。


   *


湯が、注がれる。

茶葉が、ゆっくりと、ほどけていく。


天幕の中に、素朴な、草の香りが、立ちのぼった。

それは、私の知っている、どの、お茶会の香りとも、違っていた。社交の席で出される、花と蜜の香りではない。もっと、ありふれた、生活の匂い。庭の、片隅で、母が、摘んでいた、野草のお茶に、どこか、似ている。


「覚えているかい。叔母上が、よく、こんな香りの、お茶を、淹れてくれた」


クロードが、茶壺を、傾けながら、言った。


「叔母上……君の、お母上は、私にも、同じ茶碗で、同じお茶を、出してくれたんだ。客用の、立派な、カップじゃなくて。家族と、同じ、素朴な、陶器で」


私は、息を、のんだ。

母の、記憶。私が、まだ、小さかった頃の、こと。


「ある日、叔母上が、私に、こう言った。『クロード。あなたは、お客さまじゃ、ないのよ。うちの子ですからね』と」


クロードの手が、ほんの少し、止まる。


「……嬉しかった。本当に、嬉しかったんだ。だから、あの人が、亡くなったとき、私は、泣けなかった。泣いたら、居場所が、本当に、なくなる気がして」

「兄様」

「あの人が、亡くなる、前の晩。私の手を、取って、『レティを、頼みます』と、言ったんだ。……守る、つもりだった。本当に」


茶碗に、金色の、お茶が、満ちていく。

その、澄んだ色が、涙のにじんだ、視界で、ゆらゆらと、揺れた。


「……約束を、破ったのは、私だ」


クロードは、ふたつの茶碗を、卓の上に、並べた。


「どうぞ、レティ」


その手を、ジルベールが、遮った。


「待て」


彼は、私の前の茶碗を、手に取る。

一同の視線の中で、ためらいもなく、口に、運んだ。


ひとくち。ふたくち。

喉が、ゆっくりと、動く。


私は、膝の上で、拳を、固く、固く、握りしめた。

三つ、数えた。ひとつ、ふたつ、みっつ、と、心の中で、唱える。


ジルベールは、茶碗を、卓に、戻した。


「……毒は、ない」


その一言に、天幕の中の、全員が、そっと、息を、吐いた。

彼は、残っていた、お茶を、すべて、飲み干してから、もう一度、茶壺から、注ぎ直した。


「どうぞ」

「……ありがとう、ございます」


私の手は、少しだけ、震えていた。

彼の、指先が、ほんの一瞬、私の指に、触れていく。熱い、と、思った。温かい、ではなく、熱い。


見上げると、ジルベールは、すっと、視線を、逸らしていた。

その耳の先が、わずかに、赤い。


   *


ふたりで、茶碗を、掲げる。

古い習わしの、乾杯のかたち。


「レティ。……君に、会えて、よかった」


クロードは、そう言って、茶碗を、口に、運んだ。

私も、静かに、ひとくち、含む。


素朴な、草の味。

ほのかな、甘み。喉を、すべり落ちていく、あたたかさ。


涙が、ぽろり、と、頬を、つたった。

泣くつもりは、なかったのに。


「おいしいです」

「そう。それは、よかった」


クロードは、目を、細めた。


「叔母上の、淹れかたを、思い出しながら、淹れたんだ。ずっと、練習していた。……いつか、君に、飲んでもらう日が、来たら、と」

「兄様」

「ごめんね、レティ。本当に」


彼の手から、茶碗が、すべり落ちた。


からん、と、乾いた音が、天幕に、響いた。

割れた茶碗の、破片の中に、金色の、お茶が、広がっていく。


「……クロード?」


彼の、体が、ぐらり、と、傾いだ。

見張りの騎士が、慌てて、支える。クロードの、顔から、血の気が、引いていた。唇が、薄く、青い。


「ロベール先生!」


傍聴席で、椅子が、倒れる音が、した。

アルベールだった。彼は、顔色を、失ったまま、通路に、飛び出してくる。


「殿下は、……いや、医者を! 水を、持ってきてくれ!」


声は、裏返っている。それでも、誰よりも、早く、動いたのは、彼だった。彼は、愚かでは、なかった。ただ、遅かった、だけなのだ。


私は、もう一度、叫んでいた。

医師が、薬箱を、抱えて、駆け寄る。


「脈が、弱い。……何か、口に、した。茶の、前に」


ロベール医師は、クロードの、口を、無理に、開かせる。

奥歯の、あたりに、小さな、破れた、紙片が、挟まっていた。


「薬包です。……毒を、仕込んでいた」


ジルベールが、低く、唸った。


「……最初から、自分で」

「兄様!」


私は、床に、膝をつく。

クロードは、焦点の合わない目で、私を、見上げていた。そして、かすかに、唇を、動かした。


「……だい、じょうぶ。罪は、……ちゃんと」


言葉は、そこで、途切れた。


「死なせるな」


ルクレール卿の声が、天幕を、貫いた。


「その男は、裁きを、受けねば、ならぬ。命を、絶つことで、罪から、逃れることなど、許さぬ。医師、何としても、持ちこたえさせよ」

「……承知、いたしました」


ジルベールが、奥歯を、噛みしめる音が、聞こえた。

「捜索は、した。外套も、袖も、靴も。……歯の奥までは、見ていなかった」

低い、悔しさの、にじむ声だった。私は、振り返って、首を、横に、振る。あなたの、せいじゃない、と、伝えたくて。彼は、ほんの少し、目を、伏せた。


ロベール医師は、額に、汗を、浮かべながら、薬箱を、探る。


「月下草と、眠り草の、混合なら、解毒の薬が、ある。ただし、飲み込む力が、残っていれば、の話だ」

「どのくらい、猶予が」

「……十分も、あれば、御の字です。急がねば」


医師の、短い、答えに、背筋が、凍る。それでも、彼の手は、一度も、止まらなかった。小さな、薬瓶の栓を、抜き、白い粉を、匙に、移していく。

ジルベールが、クロードの体を、支え、床に、横たえた。デュボワ卿が、上着を、脱いで、枕に、あてがう。誰もが、ひとつの目的のために、動いている。その輪の外で、ミレイユが、水差しを、抱えて、走ってくる。イザベルが、濡らした布を、差し出した。


私は、クロードの手を、そっと、握る。

冷たかった。さっきまで、茶碗を、包んでいた、手なのに。


許さない、と、言ったばかりだった。

それなのに、いま、私は、この人を、死なせたくないと、必死に、願っている。矛盾している、と、わかっている。わかっていて、それでも、手を、離せなかった。


肩に、大きな手が、置かれる。ジルベールだった。何も、言わない。けれど、その手の重みが、崩れかけた私を、支えてくれた。


「兄様。死んでは、だめです」


声が、かすかに、震えた。


「生きて、罪を、償ってください。……お願い、です」


父が、膝を、折って、クロードの傍らに、崩れ落ちる。


「クロード。クロード……!」


絞り出すような声が、天幕の中に、響いた。


天幕の外で、群衆が、どよめく。毒を、あおった、という声が、人づてに、広場へ、流れ出したのだろう。ざわめきが、波のように、広がっていく。


四半刻を告げる、鐘楼の鐘が、一度、重く、鳴った。

正午まで、あと、十五分。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。