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転生したら処刑7日前の悪役令嬢でした。逃げるにはもう遅いので、犯人を探します  作者: ローナ


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仮定の話

息を、三つ、数えた。ひとつ、ふたつ、みっつ。


「……信じません」


私は、格子の向こうの顔を、まっすぐ、見た。


「あなたは、嘘をつくとき、右手の親指を、人差し指の側面に、押しつけます。昔から。小さいころ、私に、『僕は、食べていない』と言いながら、飴の袋を隠していたときも」


クロードの右手が、ぴたりと、止まる。

格子を握っていた左手とは、反対側の手だった。親指が、人差し指の腹に、確かに、食い込んでいた。


「……参ったな」


彼は、その手を、ゆっくりと、開いて、笑った。


「そんなことまで、見ているんだね」

「十年、見てきましたから」

「そうだったね」


声に、わずかな、疲れが、滲んでいた。

昨夜までの、完璧な微笑みでは、なかった。


「じゃあ、言い方を、変えよう」


クロードは、寝台に、腰を下ろし直した。

膝の上で、両手を組む。


「仮の話を、しようか。レティ。ただの、仮定の話だ」

「仮定」

「もし、僕が、あの杯に、毒を入れたとして。それは、誰のためだったと、思う?」


息が、浅くなった。

この人は、聞かれることを、承知で、話している。けれど、あくまで、「仮定」の形を、崩さない。あとで、すべてを、翻せるように。


扉の外で、ジルベールが、微かに、身じろぎする気配がした。


「……殿下の、ためでは、ない」

「そうだね。殿下は、何の関わりも、ない人だ」

「では」

「君のためだ」


穏やかな、声だった。


「君が、あの夜の、お茶会で、杯を、口にする。眠るように、静かに、意識を失う。そこに、君の筆跡の、遺書がある。君は、自分の意思で、命を絶った。そう、見える形で」


胸の奥が、冷たく、凍っていく。

私の、筆跡の、遺書。


「……五月十二日の、夜、縄の前に、あなたが、いたのは」

「同じ、理由だよ。二度目の、機会だった」


その答えは、あまりにも、淡々としていた。


「けれど、君は、二度とも、生き延びてしまう。一度目は、殿下が、君の杯を、取ってしまった。二度目は、朝になって、君が、目を覚ました」

「……」

「不思議だったよ。ただの、偶然とは、思えなかった。まるで、誰かが、君を、守っているようで」


クロードの、視線が、ふいに、遠くなった。


「だから、さっき、聞いたんだ。『君は誰だい』って。……君は、本当は、何者なんだい、レティ」


私は、答えなかった。

答えられなかった、というほうが、正しい。


自分が、何者なのか。

この世界の外から来た、という事実は、あまりにも、遠くて、あまりにも、重かった。


「あなたが、ここまで、私を、殺したがった理由を、教えてください」

「殺したがった、わけじゃない」


クロードは、静かに、首を横に振った。


「君が、いなくなればいい、と思っただけだ。……君の名前が」

「名前?」

「ヴァルモンの、嫡女、レティシア。その名前が、あの家から、消えれば、それで、よかった」


声は、ひどく、穏やかだった。

けれど、その穏やかさが、かえって、背筋を、ぞくりと、させた。


「そうすれば、僕は、堂々と、伯父上の跡を継げる。君を、どこか、遠くへ、連れていける。……ひとつも、傷つけず、ひとつも、失わず。それが、いちばん、美しい形だと、信じていたんだ」


「あなたは、誰かを、傷つけました」

「ああ」


彼は、あっさり、認めた。


「殿下は、気の毒だった。……だから、もう、これ以上、犠牲を、増やしたくない。それが、さっきの、取引だ。君が、頷けば、すべて、丸く収まる」


「美しい形、ですか」


声が、少し、掠れる。


「殿下は、もう、戻りません。ルネの妹さんは、薬を盾に、脅されている。お父様は、眠らされて、指輪を、奪われました。それでも、あなたは、傷つけずに済んだと、おっしゃるのですか」

「……」

「あなたが言う『ひとつも失わない』の中に、あなた以外の、人間は、入っていないのではありませんか」


クロードは、すぐには、答えなかった。

窓の光が、ほんのわずか、傾いた。


「……そうかもしれない」


低い声だった。


「僕は、ずっと、自分の、手の届く範囲の人間しか、見ていなかった。それが、いちばん、確かなことだと、思っていたから」

「その範囲に、私も、入っていましたか」

「いちばん、真ん中にね」


迷いのない、答えだった。

それが、いちばん、恐ろしい。


私は、立ち上がった。

椅子が、石の床を、擦って、鳴る。


「兄様。私は、頷きません」

「どうして」

「私の名前を、あなたに、預けるつもりは、ありません。私が、私として、生きたいからです。誰かに、都合のいい形で、生かされるのでは、なく」


クロードの目が、ほんの少し、見開かれた。

そして、苦く、笑った。


「やっぱり、昔の君じゃ、ないんだね」

「はい」

「寂しいな」


その呟きは、嘘では、なかった。

私にも、わかる。それが、また、胸を、締めつけた。


「私も、寂しいです。昔の兄様のことは、ずっと、好きでしたから」

「……過去形、なんだね」

「はい。そうしなければ、私は、前へ、進めないので」


   *


そのとき、懐の中の、小さな硝子玉が、ころりと、転がり出た。


内ポケットから、ふいに、落ちたのだ。

石の床の上で、からん、と、澄んだ音を、立てる。青い、小さな、丸い玉。


「あ」


私が、拾おうとした、そのとき。


「それは」


クロードの声が、変わった。


格子の向こうで、彼が、身を乗り出していた。

顔から、血の気が、引いている。目が、玉に、釘付けになっていた。


「どこで、それを」

「……母の、お守りです。ガスパールが、今朝、渡してくれて」

「叔母上の」


彼の唇が、わなないた。


「……残して、いたのか。あの人は」

「兄様?」

「なぜ、ガスパールが。……いや。まさか」


呟きは、途切れた。

そして、クロードは、ふいに、口をつぐんだ。

次の瞬間には、もう、いつもの微笑みを、顔に、貼りつけていた。


「何でもない。……綺麗な、玉だね。レティに、よく似合う」


けれど、私は、見てしまった。

一瞬、彼の目の奥に、浮かんだもの。

それは、怯えだった。


扉の外で、剣の柄が、ことり、と、鳴る。

十分が、終わった、合図だった。


「時間のようだね」


クロードは、寝台に、深く、腰を下ろした。


「行きなさい、レティ。……また、正午に」

「兄様」

「その玉は、大事に、持っておくといい。……僕のものでは、ないけれど」


最後の言葉の意味が、わからなかった。

けれど、私は、玉を、拾い上げて、強く、握りしめた。


扉が、開く。

外の、冷たい空気が、流れ込んでくる。


   *


廊下に出ると、ジルベールが、そこに、立っていた。

剣の柄から、手を離さず、全身を、板のように、固くしている。


「……大丈夫か」

「はい。大丈夫、です」


答えたとたん、膝が、がくん、と、折れた。

彼の腕が、すかさず、私の肩を、支える。


「無理を、した」

「少し」


支えられたまま、深く、息を、吐く。


ジルベールは、何も言わずに、私の肩を、支え続けていた。

その手の力は、強くも、弱くもなく、ただ、そこに、あった。


「息は」

「三つ、数えました」

「よく、耐えた」


昨夜も、聞いた言葉だった。

けれど、今朝の、その短い声は、昨夜よりも、ずっと、近くで、響いたのだ。


廊下の隅の、小さな机には、ヴェルニエ卿の書記官が、座っていた。

私が頭を下げると、書記官は、慌てて、立ち上がろうとした。

「いえ、そのまま。ありがとうございます」

「……手が、止まりませんでした。あんな話を、聞いたのは、初めてで」

ペンを持つ手が、まだ、震えている。机の上に、びっしりと、書きつけられた、紙の束があった。


「全部、聞いた」


ジルベールが、低く、言った。


「あの男が、仮定の形で、認めたことも。五月十二日の、夜のことも。……記録は、残った」

「でも、『仮定』と、言いました」

「わかっている。証拠としては、弱い。だが」


彼は、私の手の中の、青い玉に、視線を落とした。


「あの男が、初めて、動揺した。これは、記録に、ない」

「……この玉に」

「そうだ。何か、ある」


私は、手のひらの玉を、見つめた。

青い、透きとおった玉。冷たくて、丸くて、小さい。


ふと、思い出した。

母の杯の、底に、描かれていた、小さな、青い百合。

あの青と、この玉の青は、同じ色だった。


「ロシュ卿」

「何だ」

「杯を、見せてもらえますか。……いますぐ」


そこへ、階段を、駆け下りてきた足音があった。

ヴェルニエ卿だった。


「ロシュ。いま、書記官の記録を、読んだ。……杯の件か」

「はい。証拠保管庫に」

「上の階だ。案内する」


ヴェルニエ卿は、歩きながら、私の顔を、ちらりと見た。


「ヴァルモン嬢。あなたの目は、事件が終わったら、騎士団で、雇いたいくらいだ」

「ご冗談を」

「半分は、本気だ」


「もっとも、先に、あなたの再審を、通してからだが」


その、わずかに、和らいだ口調に、肩の力が、少しだけ、抜けた。

階段を、上がる足音が、石壁に、よく響く。時間は、もう、あまり、残っていない。

それでも、足は、不思議と、軽かった。


処刑まで、あと一時間半。

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