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転生したら処刑7日前の悪役令嬢でした。逃げるにはもう遅いので、犯人を探します  作者: ローナ


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公証人の使い

目を覚ますと、部屋は、まだ暗かった。


燭台の火は、小さく絞られている。

雨音は、眠っているあいだに、細くなっていた。毛布の端が、肩まで引き上げられている。


寝台の脇の椅子に、ジルベールが座っていた。

膝の上に、薄い手帳を広げ、指で行をなぞっている。眠っていないのは、横顔の硬さでわかった。


「……一刻、のはずでは」

「三刻、経った」


彼は、手帳から目を上げずに答えた。


「起こすなと、デュボワ卿が言った。起こす理由もなかった」

「ロシュ卿は、休まなかったのですか」

「私は、慣れている」


そっけない声だった。

私は、毛布の中で、少しだけ笑った。


「何を、書いているんですか」

「あなたの供述と、これまでの証拠の、突き合わせだ。一行ずつ、嘘がないか、もう一度、確かめている」

「まだ、疑っていますか」


聞いてから、悔やんだ。

けれど、ジルベールは、少しも迷わない。


「疑うことが、私の仕事だった。五日前の私なら、この手帳を、あなたを有罪にする材料で埋めていた」

「今は」

「今は、あなたが無実である根拠を、数えている。……十七、まで数えた」


その数字が、胸の奥に、ことりと落ちた。

信じてもらえた、とは、少し違う。もっと、確かなものだった。見て、測って、数えて、それでも残った答え。


「十八番目は、何ですか」

「まだ、ない。これから、探す」


彼は、手帳を閉じた。

窓の外が、ほんのわずかに、白みかけている。夜明けには、まだ遠い。


   *


扉が、控えめに叩かれた。


「ロシュ卿。失礼します」


ボーダン卿だった。濡れた外套から、雫が落ちている。


「裏門に、客が。若い男が、一人。『公証人ティシエの使いだ』と」

「公証人?」


ジルベールが、立ち上がった。

私も、思わず、上体を起こす。


「夜更けに、何の用だ」

「『ヴァルモン侯爵に、直接、お渡ししたいものがある。どうしても、夜明けまでに』と。顔は、濡れて真っ青で、馬も、潰れる寸前でした」

「窓の外を横切った影は」と、私は、思わず口にした。

「この男だったようです。表門を探して、裏庭を迷っていたと」

「ガスパール殿を、呼べ。顔を、確かめさせる」

「すでに、門にお連れしています。『確かに、ティシエ殿の書生、マルセルだ』と」


ジルベールが、私を振り返った。


「あなたは、ここにいろ。デュボワ卿に、通す」

「私も、聞いて、いいですか」

「……当事者だ。控えの間から、戸を開けて聞け」


灰色の目が、わずかに、和らいだ。


   *


控えの間の戸の隙間から、燭台の明かりが漏れていた。


中央の卓の前に、デュボワ卿と、客間から呼び起こされた父が、並んで座っている。

その向かいに、びしょ濡れの青年が立っていた。二十歳そこそこ。細い肩。両腕で、油布の包みを、抱きしめている。


「公証人ティシエの書生、マルセルと申します」


声が、震えている。寒さのせいだけでは、ない。


「先生から、これを預かって参りました。『侯爵閣下がお戻りと聞いた。直接お渡しせよ。サン=ロラン殿の目に触れる前に』との仰せです」

「ティシエ殿が、そう言ったのか」


父が、眉を寄せる。


「あの男は、実直な人間だが、口数の少ない男だ。何があった」

「五月の三日のことでございます」


マルセルは、油布を解く。

中から現れたのは、折り目のついた、一枚の羊皮紙だった。


「サン=ロラン様が、事務所へ、お見えになりました。この委任状に、侯爵閣下のご署名と、指輪印があるから、登記してほしい、と」


私は、息を、のんだ。

下書きのまま、小書庫の引き出しにあったはずの、委任状。あれは、仕上がったものが、別に、あったのだ。


「先生は、書面を見て、首をかしげました。侯爵閣下は、当時、別邸に引きこもっておられるはず。登記には、本人の出頭か、委任の証人が、二人要ります」

「それで」

「サン=ロラン様は、『伯父は、病で動けない。証人は、後日揃える』と。先生は、お断りになりました。ただ」


マルセルは、羊皮紙の端を、指で示した。


「規則で、断った書面でも、写しを、一部、事務所に残す決まりです。先生は、写しの隅に、小さく、気づいたことを書き残しておられます」


デュボワ卿が、身を乗り出す。

羊皮紙の写しの隅に、細い字で、こう記されていた。


『署名、筆致に違和感あり。指輪印、本物と認む。印の左縁に、擦れあり』


「本物と、認む」


父が、低く繰り返した。


父は、その一行を、長いあいだ見つめていた。


「左縁の擦れ。……それは、私の指輪の、傷だ」

「傷、ですか」

「十年前、馬から落ちたとき、石に当てた。以来、あの紋章の左の縁だけが、欠けている。知っているのは、家の者のうち、ごく僅かだ」


ジルベールが、すかさず、確かめる。


「その傷を、クロードは、知っていますか」

「知っている。あれが、手当てをしてくれたのだ。……皮肉なことだ」


父は、苦く笑った。


「そうだ。指輪印は、本物なのだ。あの印を押せるのは、指輪を持つ者だけ。そして五月三日の時点で、指輪は、私の指には、なかった」


父の手が、卓の上で、固く握られる。


「クロードは、言っていたな。私の指輪の行方は、わからないと。置き忘れたのではないかと。……嘘だ。あの男は、五月三日に、あの指輪を、手に持っていた」


その言葉が、部屋に落ちた。

ジルベールが、静かに言う。


「侯爵の証言と、公証人の書き込み。この二つで、クロードの『わからない』が、嘘だと証明される。署名の練習と、あの委任状を、突き合わせれば、偽造の筋も、通る」


デュボワ卿が、写しを、慎重に、油布に包み直した。


「マルセル君。ティシエ殿は、法廷で、証言してくれるか」

「はい。そのために、先生は、私を、走らせたのです」


青年は、そこで、ふっと、肩の力を抜いた。

そして、足が、がくりと折れかけた。ボーダン卿が、慌てて、その腕を支える。


「すまない、君は、一晩じゅう、馬で」

「だい、じょうぶ、です。……あと、先生から、もうひとつ、言伝を」


マルセルは、必死に、顔を上げた。


「サン=ロラン様は、明朝九刻、事務所へ、参られます」


部屋が、静かになった。


「『ご自身の拘束が、解かれたら、すぐに』と。そう、昨日の昼、予約を入れていかれたそうです。……別の、書面を、持って」


デュボワ卿の目が、細くなる。


「別の書面?」

「内容は、わかりません。ただ、先生は、こう言っておられました。『あの男は、今度こそ、本物の証人を、連れてくるつもりだ』と」


私は、戸の陰で、拳を握った。

九刻。

処刑の、三時間前。


あの人は、本物の証人を揃えて、完全な偽の委任状を、完成させるつもりなのだ。

そして、再審の申請そのものを、潰すために。


「……ロシュ」

「はい」

「ヴェルニエ殿に、使いを。取調べを、夜明けまで、引き延ばせ。九刻までに、あの男を、ここから出すな」

「承知しました」


デュボワ卿は、立ち上がった。


「いや、違うな。出さないのでは、足りん。あの男が、九刻に、ティシエ殿の事務所へ現れたい理由を、利用する」

「利用、とは」

「現れさせるのだ。ただし、わたしたちの、仕掛けた場所で」


灰色の目が、父を、見る。

父は、静かに、うなずく。


   *


マルセルは、ボーダン卿に抱えられるようにして、控えの間の長椅子へ移される。

濡れた上着を脱がされ、毛布をかけられ、熱い茶を握らされても、まだ、指先の震えが、止まらないようだった。


私は、戸を開けて、その前に膝をついた。


「マルセルさん」

「は、はい。……あの、お嬢様」


彼は、飛び上がらんばかりに、背筋を伸ばした。


「ありがとうございます。夜通し、走ってくださって」

「いえ。そんな。わたしは、書生ですから。ただ、先生が」


そこで、言葉が、途切れた。

目の縁が、赤くなる。


「先生は、お嬢様が捕まったと聞いたときから、ずっと、おっしゃっていました。『あの方の筆跡を、わたしは、十年、見てきた。あれは、人を殺せる字ではない』と」


私は、胸の奥が、ぎゅっと縮むのを感じた。

昔、母の遺言を預かってくれた、あの公証人。幼いころ、事務所で飴をもらった。眼鏡の奥の目が、いつも、静かだった。


「ティシエ先生に、伝えてください。ずっと、見ていてくださって、ありがとう、と」

「必ず」


青年は、何度も、うなずいた。


立ち上がると、背後に、ジルベールが立っていた。

いつから、そこにいたのか。


「……今のは、証言ではない」

「はい?」

「ただの、礼だ。記録は、しない」


彼は、私から目を逸らして、言った。


「あなたは、人に礼を言うのが、早い」

「そう、でしょうか」

「見張りの者にまで、毎日、頭を下げる。囚われの身で、そんな人間は、見たことがなかった」

「……変、でしたか」

「最初は、変な人間だと思った」


私は、思わず、笑ってしまった。


「いまは?」

「いまは」


ジルベールは、しばらく、黙った。

窓の外の薄明かりが、彼の横顔の輪郭を、ゆっくりと、浮かび上がらせていく。


「変だとは、思わなくなった」


その、ぎこちない答えが、夜明け前の空気に、小さく溶けた。


「行くぞ。デュボワ卿が、作戦を、組み直す」

「はい」


歩きだした背中を、私は、少し遅れて、追いかけた。

追いかけながら、胸の中で、数えていた。

十八。

そう、彼の手帳に、まだ書かれていない、十八番目を。


雨は、止みかけていた。

窓の向こうが、薄い鉛色に、変わっていく。


処刑まで、あと九時間。

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