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転生したら処刑7日前の悪役令嬢でした。逃げるにはもう遅いので、犯人を探します  作者: ローナ


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20/41

十八の誕生日

朝の光が、カーテンの隙間から細く差しこんでいた。


椅子に座ったまま、ジルベールは、うとうとしていた。

腕を組み、顎を少し引いて、背筋はいつものようにまっすぐ。それでも、まぶたが降りている。眠っている彼を見るのは、これが初めてだった。


起こしてはいけない。

私は、寝台の上で息を殺して、その横顔を眺めていた。

灰色の目が閉じていると、思っていたよりずっと若い。二十代の半ばだろう。眉の間の皺も、今は浅い。


けれど、廊下の足音がひとつ近づいた途端、彼の目は、ぱっと開いた。


「……何刻だ」

「まだ、一刻も眠っていません」

「眠っていない」

「眠っていました」


言い合っているうちに、扉が叩かれて、朝食の盆が運ばれてきた。

運んできたのは、マルトだ。盆を置いた彼女は、昨夜の涙の跡を隠すように、深く頭を下げて、足早に出ていく。


麦粥の湯気が、薄く立ちのぼる。

匙を取りながら、私は、ふと、ひとつのことに気づいた。


「ロシュ卿。今日は、何日ですか」

「五月十九日だ」

「……明日が、二十日」


匙が、止まった。


「どうした」

「明日は、私の誕生日です」


ジルベールの手が、パンの端を掴んだまま止まった。


「十八になります。レティシアは、五月二十日の生まれです」


自分で口にして、背筋が冷えた。

五月二十日。処刑の日。法務院は、その日を意図して選んだのだろうか。いや、そんなはずはない。そんな偶然を、悪役令嬢の物語は、いくらでも用意してみせる。


「十八。成年か」

「はい。この国では、十八歳で、親の許しなく、自分の名で財産を持てます。それで、お母様の……」


そこで、言葉が途切れた。

母の遺言。

ずっと、頭の片隅に、引っかかっていたものだった。


   *


「ガスパールを呼んでください。お母様の遺言書のことで、聞きたいんです」


執事は、半刻のち、革の書類入れを小脇に抱えて現れた。

老いた顔は、いつもより青白い。呼ばれる理由を、すでに知っているかのような表情だった。


「お嬢様の、お誕生日の件でございますな」

「……ご存じなのですか」

「五月二十日。奥方様のご遺言書の、期日でございます」


ガスパールは、書類入れから、一枚の羊皮紙を取り出した。

公証人の印が、すみに押されている。


「奥方様が、お亡くなりになる三月前に、公証人のボネ殿の立会いで作られたものです。写しは、わたくしが預かっております」

「読み上げてください」

「……では」


老執事は、羊皮紙を広げ、一語ずつ、確かめるように声に出した。


「『わが娘レティシアが十八の誕生日を迎えたとき、ヴェルナ銀山の採掘権および、それに付随する一切の権利は、レティシア自身に帰属する。ただし、レティシアが十八の誕生日を迎える前に死亡した場合、その権利は、わが兄ラザール・ド・サン=ロラン、またはその嫡子に帰属する』」


部屋の空気が、ぴたりと止まった。


ラザール・ド・サン=ロラン。

クロードの、父親。

そして、その嫡子とは。


「ガスパール」


声が、かすれた。


「この遺言のことを、知っている人は」

「旦那様と、公証人ボネ殿と、わたくし。それに……」


老人は、そこで言葉を濁した。


「それに」

「十年前、サン=ロラン領から、ラザール様とご子息が、お屋敷へ見えられたとき。奥方様は、お兄君のお顔を立てて、ご遺言の内容を、お話しになったと聞いております。ご子息は、そのとき、側で聞いておられたと」


ジルベールの手帳の上で、ペンが、ゆっくりと動いた。

何も、言わない。けれど、その一筆一筆が、重たかった。


「銀山の価値は、どれほどですか」

「……王国の、半分の貴族家が、持ちたがるほどでございます」


私は、立ち上がろうとして、膝に力が入らず、そのまま、寝台の端に座りこんだ。


「わたくしが」


ガスパールが、絞り出すように言った。


「わたくしが、あの方を、お屋敷に入れたのでございます。書記として、家庭教師として。旦那様が、甥御様をお引き取りになると仰ったとき、わたくしは、何の疑いも持たず、お部屋を整えました」

「あなたの責任ではありません」

「……ありがとうございます、お嬢様」


老人は、深々と腰を折る。


母は、兄のラザールを、生前、よく褒めていた。優しい兄なのよ、と、笑って話していた。その声まで、今は、思い出せてしまう。


「ガスパール殿。その写しは、証拠として預かる」


ジルベールが、手を差し出した。


「公証人ボネ殿の役場にも、原本の照会を出す。今日のうちに、返事が届くよう手配する」

「承知いたしました。……お嬢様を、どうか」

「全力を尽くす」


短いやりとりだったのに、老執事の背中が、ほんの少し、まっすぐに伸びる。


   *


ガスパールが下がったあと、ジルベールは、卓の上に指で簡単な図を描いた。

紙ではなく、卓の木目に、指先で。


「整理する。ヴェルナ銀山は、五月二十日の零時に、あなたのものになる」

「はい」

「その前に、あなたが死ねば、権利はサン=ロラン家に移る。その後なら、あなたの財産だ」

「……処刑は、明日の正午。零時のあとです」

「そうだ。つまり、あなたは、十八の誕生日を迎えてから、死ぬ。そして、罪人として処刑された場合、その全財産は、国に没収される。サン=ロラン家には、一枚の銀貨も入らない」


声を落として、彼は続けた。


「処刑まで待っていては、あの男は、一文も受け取れない。だから、急いだ。十二日の夜、あなたを自殺に見せかけて殺そうとしたのも。毒の杯を、今夜、返そうとしているのも」

「……明日の零時までに、私を殺す」

「そうだ。今夜が、最後の機会になる」


息が、うまく吸えなかった。


あの人は、お金のために、私を殺そうとしている。

字の練習をしたあの午後。頭に載せられた、温かい掌。蜂蜜の飴の、とろりとした甘さ。

全部、この数字のための、優しさだったのだろうか。


「……信じたくありません」

「わかっている」

「でも、信じなければならないと、頭では、わかっているんです」


声が、震えた。

ジルベールは、何も言わない。ただ、立ったまま、私の言葉が尽きるのを待ってくれていた。


やがて、彼は、静かに言った。


「あなたが信じたくないのは、あの男が悪人だという事実ではない。あの男に、優しくされた、あなた自身の時間だ」


はっとして、顔を上げた。


「それは、嘘ではない。あの男の優しさが、あなたを騙すための偽物だったとしても、あなたが受け取った温かさは、あなたのものだ。奪われはしない」


胸の奥の固まりが、ゆっくりと、ほどけていく。

涙は出なかった。ただ、深く、息を吐く。


「……ありがとうございます、ロシュ卿」

「事実を言っただけだ」


また、いつもの言葉だ。

けれど、今度は、その声が少しだけ、優しかった。


   *


正午近く、廊下に、軽やかな足音が響いた。


ボーダン卿の声が、扉の向こうで、低く挨拶を交わす。

続いて、聞き慣れた、朗らかな声。


「レティ。入ってもいいかな」


ジルベールの視線が、私に向く。

大丈夫か、と問うているのが、わかった。

私は、膝の上で、手を強く握ってから、小さくうなずく。


「どうぞ」


扉が開いて、クロードが、入ってきた。

いつもの穏やかな笑顔。両腕には、白い布に包まれた、小さな箱を抱えている。


「おはよう。ジルベール卿、ご苦労さまです」

「サン=ロラン殿」


ジルベールは、いつもどおりの、感情のない声で応じた。


「今日は、レティに、渡したいものがあってね」


クロードは、卓の上に、そっと箱を置いた。

白い布を、ゆっくりと開く。


そこに現れたのは、金の縁取りのある、白い杯だった。

内側の底に、小さな青い百合。縁の金が、持ち手の反対側で、わずかに擦れて薄くなっている。


息が止まった。

この人は、自分から、消えた証拠を、私たちの前に置いたのだ。


「お母様の杯だよ。探して、やっと見つけたんだ。法務院で鑑定に回されたまま、ずっと戻ってこなかったでしょう。僕が、あちこちに頭を下げて、取り戻してきた」

「……ありがとう、兄様」

「最期の夜には、これで水を飲んでほしい。お母様が、きっと、そばにいてくれるから」


最期の夜。

その言葉が、あまりに優しい声で出されて、背中に、冷たいものが落ちた。


「ジルベール卿、許可をいただけますか。今夜、見張りの交代のあとで、僕が、この杯に水を汲んで、お持ちしたいんです」


ジルベールは、杯を見つめたまま、すぐには答えなかった。

やがて、静かに、口を開いた。


「承知した」

「ありがとう。……ごめんね、レティ。こんなことくらいしか、できなくて」


その瞬間、全身が、凍りついた。


『ごめんね』


低くも高くもない、泣きそうな声。

縄の前、眠りの底で聞いた囁きと、一音も違わなかった。


私は、微笑んで、クロードを見上げる。

膝の上で、握った指の爪が、掌に深く食いこんでいた。


処刑まで、あと二十四時間。

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