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転生したら処刑7日前の悪役令嬢でした。逃げるにはもう遅いので、犯人を探します  作者: ローナ


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19/39

処刑前夜の贈り物

封書を握りしめたまま、ジルベールはしばらく動かなかった。


第三隊。

それは、彼自身が籍を置く隊の名前だった。持ち出しの署名の欄に書かれた『第三隊・使い』という五文字が、卓の上の燭台の光の中で、重く沈んで見える。


「ロシュ卿」

「……問題ない」


答えは、いつもより少し遅かった。


「五月四日の第三隊の勤務表を、持ってこさせる。ボーダン殿、詰所までお願いできますか」

「承知した」


ボーダン卿の足音が遠ざかったあと、部屋には、私とジルベールだけが残った。

蝋の溶ける小さな音がする。


「私は、第三隊の隊長ではない。だが、隊の者の動きは、おおよそ把握している」

「……ルネ、ですか」


名前を先に口にしたのは、私だった。

彼は、ゆっくりとこちらを見た。


「なぜ、そう思う」

「昨日、廊下の角で振り返ったからです。今朝は、他の持ち場に回された。ロシュ卿が、理由を言わなかったから」


灰色の目が、わずかに揺れた。


「見ていたのか」

「見ていました。見たことを、見たままに、考えているだけです」


ミレイユの言葉を借りてそう答えると、彼は、小さく息を吐いた。


「……五月四日、ルネは昼番だった。証拠庫のある法務院の外塀まで、使いに出た記録が残っている」

「ロシュ卿は、彼を疑っているんですね」

「疑っている。だが、決めつけてはいない。本人に、直接聞く」


そう言い残して、彼は扉へ向かう。


   *


ルネは、半刻ほどのち、ボーダン卿に伴われて現れた。

いつもの愛想のいい笑顔は、そこになかった。灰色の外套の裾を握りしめ、視線を床に落としている。


「ロシュ卿。お呼びと伺いました」

「ルネ。座れ」


ジルベールは、椅子を一つ、卓の前に引き出した。

ルネは、少し迷ってから、浅く腰を下ろした。


「五月四日、昼過ぎ。法務院の証拠庫から、金縁の白い杯を持ち出したのは、お前か」

「…………」

「署名の欄には、第三隊の使い、とある」


沈黙が、長く続いた。

膝の上で、ルネの手が、小刻みに震えている。


「はい」


声が、かすれた。


「わたくしです。……わたくしが、持ち出しました」


息を詰めていた自分に気づく。

ジルベールの手帳の上で、ペンが走った。


「誰の指示だ」

「サン=ロラン様です」


その名前を聞いた瞬間、体の芯が、すっと冷えた。

予想していたはずなのに、実際に聞くと、まるで足元の床が抜けたような気がした。


「サン=ロラン殿が、お前に直接、頼んだのか」

「はい。五月三日の夜、屋敷の裏門で。『侯爵様から、あの杯をもう一度、侍医に鑑定してもらうように頼まれている。法務院の許可は、後から取るから、先に持ち出してくれないか』と」

「そのとき、委任状は見たか」


ルネは、はっとして顔を上げた。


「……見ました。一瞬だけ。侯爵様の指輪印が押された紙を、サン=ロラン様が、ちらりと私に見せて」

「内容は」

「読めませんでした。ただ、赤い封蝋の印は、確かに、侯爵家のものでした」


指輪印。

父の指輪を、誰かが使った。その二つが、頭の中で、勝手につながってしまう。


「杯は、どこへ渡した」

「五月四日の夕刻、屋敷の裏門で。サン=ロラン様に、そのまま」

「受け取りの署名は」

「ありません。『急ぎだから、あとで正式に』と」

「そのときの、彼の様子は」

「いつもと、変わりませんでした。笑って、『助かるよ、ありがとう』と。ただ、杯を布に包むとき、割れていないか、縁も底も、何度も指で確かめておられました。それが、少し、不思議で」

「壊さずに、返したいと言っていたか」

「はい。『大事な形見だから、傷をつけたくない』と」


ジルベールは、無言でうなずいた。

壊すつもりの者は、そんな確かめ方をしない。あの杯は、傷一つないまま、もう一度、使われるのだ。


彼は、そこで、手帳を閉じた。

閉じる音が、いつもより大きく響いた。


   *


「なぜ、断らなかった」


声は、少しも荒れていない。

けれど、その低さが、いっそう怖かった。


ルネは、唇を震わせた。


「……妹が」


絞り出すような声だった。


「妹のコレットが、胸を病んでおります。薬が、高くて。サン=ロラン様が、侯爵家の侍医に口を利いてくださって、薬代を、立て替えてくださっていたのです」

「それで」

「だから、断れませんでした。杯を持ち出すだけだと、思ったのです。何かの鑑定のためだと。まさか、証拠が消えるなんて」

「お前は、それが法務院の証拠だと知っていたはずだ」

「……はい」


ルネは、顔を覆った。


「申し訳、ありません」


私は、膝の上で、手をほどけずにいた。

昨日、廊下で振り返った彼の目が、ずっと頭に残っている。あれは、止めたかったのだ。何かを、言いたかったのだ。


「ルネ」


思わず、口を開いた。


「廊下の角で、昨日の夕方、私のほうを見ましたね。あのとき、何か言おうとしていましたか」


ルネの肩が、びくりと跳ねた。

指の隙間から、赤く腫れた目が見える。


「……はい。お嬢様の顔を見たら、言わなければならないと思って。でも、足が、動きませんでした」


彼は、顔から手を離し、私をまっすぐに見た。


「お嬢様は、いつも、わたくしに『ありがとう』と言ってくださいました。罪人と呼ばれる人が、盆を運ぶ見張りに、毎日。……わたくしは、その人の杯を、盗んだのです」


涙が、ぼろぼろとこぼれた。

私は、何も言えなかった。怒りも、悲しみも、どちらも本当で、どちらも、うまく形にならない。


「ルネ」


ジルベールが、静かに言った。


「感情で話すな。事実を、順に書け」

「はい」

「五月三日の夜、五月四日の夕刻。サン=ロラン殿とのやりとりの、すべてを。時刻と、場所と、言葉を、できる限り正確に」

「……書きます」

「そして、今夜から、お前は別室で待機だ。第二隊の者を一人、つける。逃げるな。逃げれば、妹の薬代の件も、別の目で見られることになる」


ルネは、うなずいた。

ボーダン卿が、その肩に手を置く。連れ出される背中が、とても小さく見えた。


扉の前で、ルネは足を止めた。


「ロシュ卿。一つだけ、お伝えしなければならないことが」

「何だ」

「サン=ロラン様は、昨夜、おっしゃいました」


ルネの声が、ひどく震えている。


「『処刑の前夜、お嬢様に、お母様の杯をお返ししたい。最期くらい、形見で水を飲ませてあげたいんだ。許可は、僕が取っておくから、見張りの交代の時間に、門を通してほしい』と」


部屋の空気が、凍りついた。


「それは、いつだ」

「明日の夜です。十九日の、夜」


ジルベールの手が、卓の端を、強く握った。

ルネが連れ出され、扉が閉まる。


   *


「……私に、杯を返す、と」


声が、自分のものではないように聞こえた。


「最期の夜に、お母様の形見で水を飲ませる。誰が聞いても、美しい話です」

「だが、その杯の内側に、毒が塗られていたとしたら」


ジルベールが、後を継いだ。


「あなたは、処刑の前の晩に、自ら毒を呷って死ぬ。遺書は、すでにある。『罪の重さに耐えられません』。……あの遺書が、今度こそ、本物になる」


寒気が、足の先から背中まで、這い上がってきた。

縄でも、眠り草でもない。

今度は、母の形見そのもので、私は殺される。


「処刑の前に死ねば、どうなりますか」

「何も変わらない。あなたは、罪人として死ぬ。法務院は、自殺を、罪の自白として扱う。再審の余地は、なくなる」


そこで、彼は、言葉を切った。


「だが、あの男は、急いでいる。処刑まで待たずに、あなたを殺したい理由が、何かある」


その理由が何なのか、まだ、私にはわからない。

けれど、確かに、あの人は、焦っている。ごめんね、と囁きながら、ずっと。


ジルベールは、手帳を懐にしまい、燭台の火を見つめた。


「杯を、返させる」

「え」

「受け取るのは、あなたではない。私だ。……そして、杯に何が入っているのか、明日の夜、確かめる」


灰色の目が、揺るがずに、私を捉えた。


「あなたを死なせはしない。そのために、私はここにいる」


その言葉が、胸の真ん中に落ちて、ゆっくりと広がっていく。


「……ロシュ卿。少しだけ、座ってください」

「必要ない」

「あなたの隊の人が、自分の隊の仕事で、私の証拠を盗んだ。それを、全部ひとりで、引き受ける顔をしています」


彼は、返事をしなかった。

ただ、卓の脇の椅子に、静かに腰を下ろす。


「ルネの罪は、隊の責任だ。私が、見抜けなかった」

「見抜けなかったのは、私も同じです。私は、あの子の笑顔に、何度も救われていました」

「……そうか」


短い沈黙が、二人のあいだに落ちた。

責めも、慰めもない。ただ、同じ重さを、別々の肩で支えている。そんな沈黙だった。


そのとき、窓の外の空が、白みはじめていることに、私は気づいた。


夜が、明けようとしている。

長かった夜の終わりに、私は、この世界に来て初めて、朝を待ち遠しいと思った。隣に、座っている人がいるからだ。

処刑まで、あと一日。

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