第三話 十二時ではない正午
七月二十四日、わたしたちは天文科学館の前の広場に集まった。美月さんが用意してくれた木の棒を前に、わたしは首をかしげた。
「影の長さを測る、って言われても……何を測ればいいの」
わたしが聞くと、ソラは棒を一本、地面にまっすぐ立てた。
「これだけでええよ。あとは、影の長さを記録していくだけ」
標識の裏に刻まれていた文字を、わたしはもう一度思い出した。
時計が十二時を示すとき、太陽は本当に真ん中にいるか。
「十二時に、影が一番短くなるんでしょ。当たり前じゃない」
「ほんまにそう思う?」
ソラの聞き方には、どこか面白がっているような響きがあった。わたしはむっとしながらも、頭の中で考えた。太陽は朝、東から昇って、夕方、西へ沈む。一番高い位置に来るのは、当然、昼の十二時のはずだ。
わたしたちは木の棒を地面に垂直に立て、十分おきに影の長さを測っていくことにした。
わたしはノートに、時刻と影の長さを几帳面に書き込んだ。
ソラは巻尺を持つ係、ナナは写真係、テンはわたしの肩の上から、興味なさそうに欠伸をしていた。
「十一時四十分、影の長さ、四十二センチ」
わたしは、ソラが読み上げた数字をノートに書き込んだ。
十分後、もう一度巻尺を確かめる。
「十一時五十分、四十センチ」
数字が小さくなっていく。やっぱり、十二時に向かって短くなっている。わたしは少し得意な気分になった。
「ほら、やっぱり十二時が一番短く――」
十二時ちょうど。
影の長さは、三十八センチだった。
わたしは念のため、もう一度測り直した。三十八センチ。変わらない。
十二時五分。
影は、さらに少し短くなっていた。
「……おかしい」
わたしはノートを見返した。十二時を過ぎても、影が短くなり続けている。
「測り方、間違えたかな」
「ちゃうちゃう、合うてるで」
ソラが平然と言う。
「合ってるわけない。十二時が一番短いはずなのに」
「それが、ずれたんやろ。ずれたことが、答えなんちゃう」
わたしは納得できなかった。間違った数字を「答え」と呼ばれても、気持ち悪いだけだ。わたしはもう一度、棒を立て直そうとした。地面が斜めだったかもしれない。棒が曲がっていたかもしれない。何かしら、わたしのミスがあるはずだった。
「ひよりさん、何度もやり直すより、まずは結果を見てみたら?」
美月さんが、わたしの手を止めた。
「予想と違う結果が出たときこそ、調べる価値があるのよ」
わたしは渋々、ノートを見返した。影が一番短くなったのは、十二時五分から十二時十分のあたりだった。十二時ちょうどではない。
わたしはノートに、考えられる理由を書き出した。
一、棒がまっすぐ立っていなかった。
二、時計の十二時と、太陽が一番高くなる時刻が違う。
二つ目を書いてから、わたしは自分で首をかしげた。そんなことがあるとは、思えなかった。
「どっちが合ってるか、どうやって確かめる?」
ナナが聞いた。
「棒が曲がってるかどうかは、別の棒でも測れば分かる」
わたしは言った。
「地面が傾いてるかもしれへんで」
ソラが、棒の根元をのぞき込んだ。
「じゃあ、場所を少し変えて、もう一回測る?」
わたしたちは、広場の別の場所にもう一本の棒を立てた。時刻をそろえて影の長さを測ったけれど、やはり十二時を過ぎてからのほうが短かった。
「棒のせいじゃない」
わたしは、ノートの一つ目の仮説に線を引いた。
「ほんなら、二つ目なんちゃう?」
ソラが言った。
「時計の十二時と、太陽が一番高くなる時刻が、ほんまに違うとか」
わたしは、まだ信じきれないまま、もう一度影を見た。
「でも、どうして違うの?」
「その前に、もう一つ確かめてみる?」
美月さんが、天文科学館の裏手を指さした。
「すぐ近くに、日時計があるの」
「日時計?」
「太陽の影で時刻を見る道具よ。私たちが立てた棒と、基本的な考え方は同じね」
わたしたちは荷物を持って、天文科学館の裏へ回った。石段の先には、木々に囲まれた神社が見えた。その境内の前に、数字の刻まれた日時計が立っている。
「ここが、柿本人麻呂がまつられてるっていう、柿本神社かぁ」
学校の授業で習った場所に、わたしは初めて訪れた。
柿本神社は「人丸さん」とも呼ばれていて、地名の人丸も、柿本人麻呂から来ていると先生は言っていた。
教科書で見た大昔の歌人の名前が、神社や今の町の地名として残っている。
少し不思議な感じがした。
日時計のそばまで行くと、斜めに立った棒から、細長い影が伸びていた。わたしはスマートフォンの時計と、日時計の目盛りを見比べた。
「同じ時刻じゃない」
「日時計が示すのは、太陽の動きをもとにした時刻だからね」
美月さんが言った。
「でも、スマートフォンの時計が示しているのは、日本中で共通して使うために決められた標準時。二つは、いつでもぴったり重なるわけではないの」
天文科学館の塔時計は、決められた時刻を示している。
神社の前の日時計は、今この場所に落ちている太陽の影を示している。
どちらも時間を表しているのに、同じ数字にはならない。
「時計のほうが間違ってるわけじゃないんですよね」
「日時計が間違ってるわけでもないわ」
美月さんはうなずいた。
「見ている時間の基準が違うの」
わたしはノートの二つ目の仮説を見つめた。
二、時計の十二時と、太陽が一番高くなる時刻が違う。
さっきまで、ありえないと思っていた。
けれど、目の前の二つの時計が、それを示していた。
「どうして、こんなずれが起きるんですか」
わたしが尋ねると、美月さんは日時計に伸びた影を見た。
「いい質問ね。時計の十二時って、何だと思う?」
わたしは少し考えて、答えた。
「太陽が真上に来る時刻……じゃないんですか」
「それは、太陽時って呼ばれる考え方。でも、私たちが普段使っている時計の十二時は、それとは別のもの。日本中で時計を合わせるために決められた、標準時の十二時なの」
わたしは、頭の中で、自分が当たり前だと思っていたことが、少しずつほどけていくのを感じた。
太陽が一番高くなる時刻――南中というらしい――は、場所によって違う。明石と東京でも、わずかに違う。それなのに、時計の十二時は、日本中どこでも同じ時刻を指している。
「つまり、時計の十二時は、空が決めてるんじゃなくて、人が決めてるってこと?」
「正確には、太陽の動きをもとに、みんなが使いやすいように人が決めた基準、かしらね」
わたしは、その説明を、ノートの隅に書き留めた。十二時という数字を、これまでずっと、絶対に動かない正しいものだと思っていた。でも、それは誰かが「これにしよう」と決めた基準にすぎないのかもしれない。
「水野、なんか悔しそうな顔してるで」
「悔しくない」
悔しかった。予想が外れたことよりも、自分が「当たり前」だと思い込んでいたことのほうが、悔しかった。
観測を続けるうちに、ナナが連続で撮っていた写真を見返していたとき、声を上げた。
「あれ、これ変じゃない?」
ナナが見せてくれた写真は、十一時五十八分から十二時のあいだに撮ったものだった。前後の写真と比べると、その一枚だけ、影の向きが少しおかしい。まるで、別の時刻に撮られたもののように、影が逆方向にぶれている。
「カメラの設定がおかしかったのかな」
わたしが聞くと、ナナは首をひねった。
「分かんない。連続で撮ってたのに、これだけ違う」
わたしたちは、もう一度、その時刻の前後の写真を並べて確認した。けれど、原因は分からなかった。一分間だけ、何かが記録とつながらない。
テンが、その写真をじっと見ていた。
「テン、何か知ってるの」
「……我は、何も知らぬ」
その言い方は、いつもの偉そうな口ぶりとは、どこか違っていた。何かを知っていて、言わないでいるような間があった。
「絶対、何か知ってるよね」
「知らぬと言うたら、知らぬのじゃ」
それ以上、聞いても無駄だった。テンは羽繕いをするふりをして、わたしから視線をそらした。
夕方、観測を終えて荷物をまとめていると、ノートのページがひとりでにめくれたように、新しい一文が見えた。
海の向こうでも、同じ十二時か。
わたしは、その言葉を見て、また分からないことが増えたと思った。けれど、不思議と、それを嫌だとは思わなかった。
予想が外れることは、失敗ではないのかもしれない。
ソラの「ずれたことが答えなんや」という言葉を、わたしは帰り道、何度も思い出していた。
まだ完全には納得できていない。それでも、少しだけ、その言葉の意味が分かるような気がしていた。
空を見上げると、太陽はもう、西のほうへ傾き始めていた。
あの太陽が一番高くなる瞬間と、時計の十二時のあいだに、目には見えない、小さなずれがある。
わたしは、そのずれのことを、もう少し知りたいと思った。




