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明石・星空時計の十日間  作者: 明石竜


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第二話 地面に引かれた見えない線

 翌朝、七月二十三日。

 わたしは古いノートを抱えて、もう一度天文科学館へ向かった。

 昨日のことが、夢ではなかったと確かめたかったのもある。手のひら二つ分のフクロウが「我は標準時の番人である」と言い、テンと名乗ったことも、塔の鐘がほんの一瞬遅れて聞こえたことも、一晩寝たくらいでは現実味が戻ってこなかった。

 受付で声をかけると、奥から出てきたのは、星座のピンバッジをつけた、やわらかな目をした女の人だった。学芸員の天本美月さんだという。

「これ、倉庫にあったんですけど……」

 わたしがノートを差し出すと、美月さんは丁寧にページをめくった。

「ずいぶん古い資料ね。紙の質からすると、何十年も前のものだと思う。でも、誰が書いたかまでは、こちらにも記録が残ってないわ」

「持ち主、分からないんですか」

「展示品じゃないものだから。倉庫には、まだ整理しきれていない資料がたくさんあるの」

 美月さんは、最後のページの「七月三十一日。明石の時間が、一分なくなる。」という文字をじっと見つめた。

「ひよりさんは、どう思う?」 

「予言とか、そういうことですか」

「さあ。それを決めつける前に、まず確かめてみたら?」

 答えをくれない言い方に、わたしは少し戸惑った。けれど、ノートをもう一度めくっていくと、最初のほうのページに、短い一文ずつが書き込まれていることに気づいた。一日につき、ひとつの観測。日付らしき数字も、ところどころに残っている。

 最初のページに、こう書かれていた。


 線の上に立て。

 だが、その線を信じすぎるな。


「子午線のこと、ですよね」

「たぶんね」

 昨日見たばかりの、あの白い線が頭に浮かんだ。

「もう見ましたけど。天文科学館の前に、線、引いてありました」

「そう。じゃあ、確かめにいってみる?」

 美月さんは、それ以上のことは教えてくれなかった。


 その日の午後、天文科学館の前に集まると、ソラがわたしを見て言った。

「そういや、昨日は名前聞いてへんかった」

「水野ひより」

「うちは三宅ナナ。ひよりと同じクラスやで」

 こうして、わたしはソラと、ナナと、そして文字盤の奥から出てきたテンと一緒に、子午線を探して町を歩くことになった。

 ナナはスマートフォンを構えて、ずっと写真を撮っている。

「これも、自由研究の記録になるかもしれへんし」


 わたしは前日、館の前で見た子午線の線を、はっきり覚えていた。だから、すぐに見つかるだろうと思っていた。

 ところが、人丸前駅のホームを横切る白い線のほかにも、郵便局の前や交番のそばなどに、子午線を示す標識があった。

 しかも、その位置が、少しずつ違う。

「……どれが本当の線?」 

 わたしは混乱した。地図を見ても、子午線はまっすぐ一本の線として描かれている。それなのに、町を歩いてみると、表示の場所がぴったり重ならない。

「一本しかないはずなのに」

「そら水野、地面に引いた線と、地図の上の線は、ちょっとちゃうからな」

 ソラが、当たり前のような顔で言った。

「ちゃうって、どういうこと」

「昔の測り方と、今の測り方で、ちょっとずれるんやって。ばあちゃんが言うてた」

 わたしは納得できなかった。経度百三十五度という数字は、ひとつに決まっているはずだ。それなのに、その数字が示す地面の位置が、いくつもあるなんて。

「いちばん新しそうな表示が、本当の子午線なんじゃない?」

 わたしは、天文科学館の前で見た白い線を指さした。表示板も新しく、経度の数字もはっきり書かれている。古びた石の標識より、こちらのほうが正確に決まっているはずだ。

「じゃあ、ほかの線は昔の間違いってこと?」

 ナナが聞いた。

「たぶん。測り直して、正しい場所が分かったから、新しい線を引いたんだと思う」

 わたしはノートに、〈現在の子午線が正しい。古い表示は測量の誤差〉と書いた。

「ほんまに、そう言い切ってええんかな」

 ソラが言った。

「新しい測り方のほうが正確なんでしょ」

「正確なんと、昔の線に意味がないんは、別の話やろ」

わたしには、その違いが分からなかった。

「じゃあ、何が違うか見てみようよ」

ナナが、二つの表示を撮った写真を並べた。

新しい表示には、経度の数字が細かく書かれている。古い石の標識には、数字よりも、建てられた年と測量した人の名前が目立っていた。

「古いほうは、場所を示すだけやなくて、昔ここを子午線やと思ってた記録なんちゃう?」

ソラが言った。

「でも、今の位置とは違う」

「違うから、昔の人がどう測ってたか分かるんやろ」

ナナがスマートフォンの地図を開いた。

「二つの表示、そんなに離れてへんで。どっちも適当に置いたわけやなさそう」

わたしは、ノートに書いた〈昔の間違い〉という言葉を見つめた。

間違いというだけでは、説明できない何かがある気がした。

 美月さんが追いついてきて、説明してくれた。

「経度は、目に見える線じゃなくて、地図の上の考え方なの。実際に地面の位置を測る技術は、昔と今で進歩している。だから、昔の測量で示された場所と、今の測量で示された場所が、少しだけ違うことがあるのよ」

「じゃあ、どっちかが間違ってるんですか」

「間違っているというより、それぞれの時代で、できる限り正確に測った結果なの。今の数字だけを見れば、新しい測量のほうが正確よ。でも、古い標識は、その時代の人がどうやって場所を測り、町に線を示そうとしたかを残している。正確さが更新されても、前の記録の意味まで消えるわけではないの」

 わたしはそれでも、すっきりしなかった。正しい答えはひとつのはずなのに、ふたつあると言われているような気がした。

「絶対に正しい一本の線があるわけやないんやって」

 ソラがあっさりと言う。

「そんなの、調べる意味ある?」

「あるやろ。どこがどうずれてるか、自分で確かめたら」

 その横で、テンはわたしのショルダーバッグの肩ひもにとまり、小声で言った。

「正しい線を当てようとするから、迷うのじゃ。そなたらの目で、自分たちの線を見つけよ」 

「適当なこと言わないで」

「適当ではない。我は、答えを教えぬだけじゃ」

 言い方は偉そうだったが、テンの言葉には、たしかに一理あった気がした。

 四人で、地図と方位磁針と、町の表示をひとつずつ照らし合わせていく。わたしはノートに、見つけた表示の場所と、地図上の数字を書き留めた。ソラは何も書かず、ただ表示を見て回るだけだった。

「黒田くん、記録、取らないの」

「だいたい覚えてるから、大丈夫」

「『だいたい』じゃ困るんだけど」

 わたしの言葉に、ソラは少し肩をすくめただけだった。記録を残さない人と組んでいることが、わたしにはどうにも落ち着かなかった。決めたことを最後までやり遂げるには、まず正確な記録が必要だ。それなのに、ソラは平気な顔をしている。

 商店街を抜けたところで、ナナが声を上げた。

「これ、なんか古そうやで」

 路地の奥に、苔むした石の標識があった。表面には小さく、星のような印が刻まれている。それは、ノートに描かれていた印と、形がよく似ていた。

「ひより、ノートの印、見せて」

 わたしがページを開くと、たしかに同じ形の星印があった。

 美月さんが標識をのぞき込む。

「これは、かなり古い子午線標識ね。現在の表示とは、場所が少し違うけれど……」

「ここが、ノートの示してる場所、ってこと?」

 わたしがそう言ったとき、ソラが標識の裏側に回り込んだ。

「水野、こっち見て」

 苔をめくると、標識の裏に、小さく文字が刻まれているのが見えた。


 時計が十二時を示すとき、太陽は本当に真ん中にいるか。


 わたしは、思わず自分のスマートフォンの時計を見た。

 十二時。

 当たり前のように、太陽は空の真ん中にあるものだと思っていた。けれど、ノートに書かれたその一文を見た瞬間、なぜかその「当たり前」に、小さなひびが入った気がした。

「次は、太陽?」

「みたいやな」

 ソラは、嬉しそうに空を見上げた。わたしはまだ、記録を取らないソラにいら立ちが残っていたけれど、その横顔だけは、少しだけ気になった。


 夕方、家に帰る道で、わたしはノートの最初のページの言葉を、もう一度読み返した。

 線の上に立て。

 だが、その線を信じすぎるな。

 地面の上に、はっきり正しい一本の線があるわけじゃない。

 それは、わたしがこれまで考えてきた「正しさ」とは、少し違う考え方だった。

 たぶん、この夏休みは、わたしが思っていたよりずっと長く、ずっとややこしいものになる。

 それでも、なぜか嫌な気はしなかった。

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