第7話 一時間の宝石パフェ
ランチタイムのピークを過ぎた午後二時。ジルは一つのことに気づいた。イザークの顔面効果でめちゃくちゃ女の子が来店してくることに。まさかまさか、この男のいけすかない美貌に集客効果があったなんて。ジルにも十分の一くらいでいいから分けてはくれないものか。やはり、この世は理不尽にできている。
イザークは依然として外から内装が窺えるガラスの大窓のそばの一等席に座っている。アイスバインを食べ終えた後は読書にいそしんでいるようだ。読んでいる本のタイトルは……、『盆栽の極意』。渋すぎるタイトルにジルは面食らった。
チャラいのだから、『メロい男♡の髪型』とか、『必ず堕とす ~口説きテク百選~』とか、『パリピの教科書』みたいなチャラついたタイトルを読んでいそうなのに。
客席のテーブルの上に置かれている他の本も、『スパイスから作る本格カレー大全』とか、『蕎麦打ちのススメ』とか、『燻製を科学する』とか。ふざけているのか。カレー蕎麦の燻製でも錬成するつもりなのか。
それはさておき、お嬢さん方が外の石畳通りを歩いていて、イザークの姿を一目認めると、なんと〈団栗亭〉に吸い寄せられるのだ。
その効果というか、弊害というか、なんというか。
ストロベリーパフェの注文が今日はやたらと入る。時間はおやつタイム午後三時の少し手前。肉類を控えたい女の子たちが頼むにはもってこいのメニューだ。ここは労働者向けの肉料理レストランだが、パフェを注文してちょっとおしゃべり、みたいなカフェじみた扱いになってきた。確かに店主ブルーノ氏がやたら内装を可愛くしているし、今からお洒落路線に転向すべきだろうか?
「──ああっ!」
冷蔵庫を開けたブルーノ氏が突然、狼狽の声をあげる。
「どうなさいました、ブルーノさん」
「パフェに使うイチゴがなくなっちまった! 買いに行かないともうねえや!」
「それはまずいですね……」
「頼む、ジル。追加のイチゴを買いに行ってくれないか? ついでに、あの客寄せパンダみたいなあんちゃんも一回外に連れ出してくれ! 店が回らん!」
「わ、分かりました……!」
──というわけである。
ジルは窓際で黙々と読書していたイザークに声をかけた。今度読んでいるのは、『めくるめくシルク絨毯の世界』だ。くっそ、上流階級みたいなもんを読みやがって。きっとこういう裏ビジネスで稼いでいるのだろう。
「イザークさん、いったん外に出ましょう」
「なんだい、休憩かい?」
イザークが本に落としていた視線をジルに投げかけた。
「おかげさまで休憩する暇がありませんよ。僕まで駆り出されて、硬いアイスを削り取る掬い器を持つ手がパンパンです。別にあなたの顔面を削り取って大穴を開けてやってもいいんですよ」
「おかげさまってどういうこと?」
イザークが怪訝に眉をひそめる。
「周り、見てみてください」
それまで本に集中していたからか、イザークは店内の異様な喧噪に気づいていなかったらしい。辺りを見回し、男性労働者ではなく女の子たちの顔がずらりと並んでいる様子を見て、顎に手をやると何やら考え込む。
「これは、いつものお店の様子なのかい?」
「そう見えますか?」
イザークはぶんぶんと首を横に振った。
「いいや?」
「ちょっと外に出ますよ、客寄せパンダ」
「ふむ、目立ちすぎたか……」
──本当にディッシャーで穴開けたろか。
「あらあら? お兄さんが席を立ったわ?」
「え、彼を見に来たのに、もういなくなっちゃうの?」
「そんなぁ、美味しそうなイケメンがいると思ったのにぃ!」
彼女らが嬉しそうな悲鳴をあげると、これ見よがしにイザークが破廉恥なウィンクを飛ばす。
「フロイラインたち、ちょっと待っててね☆」
「「「きゃーっ!!」」」
ジルはイザークを連行した。女の子たちの黄色いアンサンブルを背に浴びて、いったん〈団栗亭〉を出る。仕事着ではなく、私服に着替えて買いに行く。仕事着は万が一にも汚せない。石畳通りを三ブロック越えた先に、イチゴが売っている青果店がある。そこへと一路走る。
突然、子供のように石を蹴つまずいてすっころんでしまった。顔まで打たないよう、とっさに手をついて軽く受け身は取ったものの、手にはざらりと冷たい石の感触。次に、膝に熱い痛み。イザークの前で転んだ恥ずかしさのあまり、顔から火が出そうになった。それに最悪だ。ズボンに穴が開いた。
「大丈夫かい、ジルくんっ」
砂埃を手で払っていると、イザークの慌てる声が背後から追ってきた。そこでようやく、イザークよりずっと先を走っていたのだと気づく。
「もう、イザークさんのせいですからねっ」
羞恥心を隠すようにイザークを睨みつければ、イザークは逞しい長身をすくめた。
「ご、ごめん……、調子に乗りすぎたみたいだ」
「嘘です。転んだのはどう考えても僕のしくじりですから、気にしないで」
「そうか」
イザークは、ふいにこう言い出した。
「きみは先に店へ戻っていなさい。代わりに俺が買ってくるから」
なんだかそれは、普段のチャラつきを感じさせない真面目くさった声だった。教師か父親か、そんなどことなく威厳のある声で言ったのだ。何かがおかしいのだが、ジルはそれをはっきりと言語化ができない。
「店名義で領収書を切るの、忘れないでくださいよ!」
結局、負け惜しみみたいに返すことしかできなくて。
「りょーかい、りょーかいっ」
イザークが後ろ手をひらひらと振って道の先を進んでいく姿を、ジルはただ見送ることしかできなかった。
♢
何はともあれ、イザークは無事イチゴを買いおおせた。ブルーノ氏からは盛大なる感謝の声。ジルは膝を擦りむいてしまったことはブルーノ氏に黙っておくことにした。お店が賑わったせいで怪我したなんて知られたら、なんだか申し訳ない。
バックヤードでイザークが何か言いたげな顔をしている。釈然としていない顔だ。
「ジルくん、今日はもう無茶するべきじゃない」
「お店の都合っていう不可侵条約があるんですよ」
「それはその通りだが、その膝で給仕できるのかい?」
「だから──痛っ」
布と傷が擦れて、びりっと痛んだ。手洗い蛇口で傷をすすぐ。冷たい水が傷に沁みて、また痛い。
「はあ……」
つい溜め息が出た。濡れた膝から水が滴って、石床に黒々とした染みを描く。カバンの中を探り、絆創膏を取り出した。
「ジルくん、絆創膏、貼るよ」
「いいです、自分でできますから」
「いいから」
ジルは諦めて膝をイザークに向けた。
「痛いの、痛いの、飛んでけ☆」
余計に具合の悪くなりそうな呪文と共に、意外と丁寧な手つきで絆創膏が貼られた。
「ブルーノさん、『店の奢りにするからパフェ食ってけ』って。『怪我させた詫びだ』って。……よかったね、ジルくん」
「ブルーノさん、気づいて……、いや、言ったな、あんた」
「気づかれたか」
ジルはイザークのあっけらかんとした顔を睨みかけたが、それをやめて、また溜め息をついた。
「アイスクリームがあなたの腹立つ顔の代わりに削られてくれるそうです。パフェに感謝しな」
さて、バックヤードで食べるストロベリーパフェは絶品だった。
大きなイチゴが、カスタードクリームのキャラメリゼの上で、カラット数のすごい紅玉みたいに輝いている。ここの店員だというのに、パフェを食べたのは初めてだった。だって、値段は一コルンもする。ジルの時給そのまんまなのだ。これを食べたら人生の一時間が無駄になる……そんな気がして、一度も手を出していなかった代物だ。
細長いパフェスプーンで、表面のキャラメリゼを慎重に割る。ぱき、と小さな音がして飴色の蓋が割れる。すると、ひんやりとしたパフェグラスの中で幾重にも地層のようになっていたアイスクリームとイチゴスライスとストロベリーソースとナッツとクラッシュクッキーが姿を現す。その紅い鉱脈が埋まった脆い地層を崩さないように、上からパフェスプーンで丁寧に掘削していく。
ストロベリーシャーベットを掘り当て、そろそろと掬って口に運ぶ。氷の冷たさの後に、甘酸っぱさが弾けた。シャリっとした歯ごたえ。果肉も入っている。ざくざくしたナッツとクッキーの歯触りが、ときどき変奏を加える。
ブリュレ部分を口にする。カスタードクリームのミルクと卵のこっくりとしたコク。そこでまた、すっきり感のあるシャーベットを含む。シャリシャリ、とろり。二つの味わいが混じりあって、複雑な物語が生まれる。
最後に、大切に取っておいたてっぺんのイチゴを口に放り込む。途端、口いっぱいに弾ける華やかな香りと果汁。芳醇だ。
──これはきっと、宝石を食べている。
自分の一時間という宝石。たまには労働を捧げたっていいんじゃないかと思える、そんな宝石。
バックヤードから店内をこっそり見てみると、また人だかりができている。またイチゴがなくなってしまうのは、時間の問題だけかもしれない。




