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第6話 永久機関アイスバイン

 タンポポ(レーヴェンツァーン)市街区画の石畳通りに面した、二階建ての小さなレストラン。


 外壁は瀟洒な煉瓦と漆喰の造り。クリーム色とビリジアンの縞模様の(ひさし)(ぬの)が春の麗らかな陽光を受けて、いっそう色鮮やかだ。


 高級感あるクルミ材の一枚板の木扉には、真鍮のプレートが下がっている。そこには、レタリングで〈団栗亭(アイヒェルン)〉と彫られ、ドングリを抱えたリスのレリーフ付きだ。


 入り口の黒板立てには、店主による白チョークの達筆で、本日のランチメニューが。


──豚スネ肉煮込み(アイスバイン)


 開店は午前十一時から。それより早い朝九時に出勤したジル。給仕とはいえ、キッチンの仕込みの手伝いや、掃除、開店前の準備などがあるのだ。


 そして、頼んでもいないのに、イザークは勝手についてきた。もちろん、屋敷にいたときの貴公子然としたシルクの装いではなく、シンプルな木綿のシャツとスラックスだ。相変わらず、胸元は第二ボタンまで開襟されているものの。


 とにかく、店内に入ろう。従業員専用の裏口の飾り気のない扉を押し開ける。


「おはようございます、ブルーノさん」


「おはようさん、ジル。今日もよろしくな!」


 がはは、と豪快に笑うようにして気のいい挨拶を返してくれるのは、この〈団栗亭(アイヒェルン)〉店主のブルーノ氏だ。


 髪に白いものが混じった中年のいかつい男性だが、実は、可愛いもの好きで、お店の愛らしい装飾は、全て彼の趣味である。


 そのブルーノ氏の視線が、ジルの顔から逸れた。背後に立っているイザークの長身を認めるなり、目をぱちくりとさせたのである。


「なあ、ジル。その、あんちゃんは?」


「ああ、あの……、その。なんと言いますか……」


 マフィアの……と正直に言うことは口が裂けてもできなかったし、マフィアだと人前で言わないことも約束だったし。


「なんだ、手伝ってくれるとでも言うんか?」


「そういうわけでもないみたいです。……たぶん冷やかし?」


「応援、と訂正してもらおうか、ジルくん」


 やや文句ありげなイザークの声が背後から飛んできた。


「イザークさんは黙っててくださいっ」


 ジルは素早く振り向いてイザークを一喝する。


「へえ、イザークってのか。それにしても、でっけえな、あんた」


 イザークの体格に感心したようにブルーノ氏が身を乗り出すと、イザークは分厚い胸を反らして得意げにほざく。


「ふふっ、ありがとう。ジルくんにお似合いの、いい男でしょう。……あと、いつもジルくんがお世話になってます」


 おまえは一体何様だよ、まだ二日の付き合いだよ、とジルには物申したいことの一つや二つもあったのだが、この裏口で油を売っているのもなんだかな、と、すぐさま本題に入った。


「ブルーノさん、お願いがあるのですが」


「おう、なんだ、ジル。……まあ、あらかた予想はつくがな」


「イザークさんをお店に置いてもいいですか。端っこの端っこでいいので」


「まあ、それは構わんがなあ」


 すると、ブルーノ氏はジルに耳打ちしてきた。


「あのあんちゃん、体格からして、相当いいもん食ってるだろ。もしかして、お貴族様のボンボンとかか?」


 ジルは慌ててブルーノ氏に囁き返した。


「まさか! ちょっと裕福みたいですがね」


「ならいいんだがね、無礼があったら困るからよう……」


 ブルーノ氏は、そこで耳打ちをやめて、ジルから顔を離した。


「お二人、相談は終わったかい?」


 密談が終わったのを見計らって声をかけてきたイザークに、ジルはぴしゃりと言った。


「イザークさんは、バックヤードの隅っこでおとなしくしていてくださいっ」


「おい、ジル」


 そこに、ブルーノ氏の声が差し挟まれた。


「なんでしょう、ブルーノさん」


「あんちゃんを窓際の席に案内してやんな。やたら顔がいいから、窓際にいれば宣伝になんだろ」


「えっ、なんで……!?」


 ジルが反論を作ろうとすると、イザークはジルの肩をぽんと軽く叩いて言った。


「いい店主どのじゃないか、ジルくん」


 ジルは思いきりイザークの顔を睨みつけた。


 ♢


 イザークはプラチナのペン先の高級万年筆を走らせ、報告書をしたためていた。


 店内は明るく、見通しがいい。南向きの大きなガラス窓。イザークは窓に面した一番いい席と言っても過言ではない場所に案内された。


 テーブルごとにクロスがひかれ、一輪挿しにはちょうど今が見頃のチューリップの花が活けられていて、店内に華やかな彩りを与えている。


 付け合わせ(ガロニ)で使うブロッコリーが茹でられているのか、キッチンからは青い匂いがしていた。


────────────────────


 任務二日目。現在朝九時半。


 前日の夕食に、殿下と私はビーフシチューの残りをいただいた。


 朝五時半、殿下起床。


 深夜、殿下の就寝状態を確認した内では、ノンレム睡眠を確認。不眠症状は認められず。


 朝六時、朝食。


 まだ殿下の栄養状態が充分でないと私が判断したため、今後も肉類供給を欠かさない。一品でもタンパク源を増やし、殿下の健康改善に寄与できればと考慮する。


 朝九時、殿下がレストラン〈団栗亭(アイヒェルン)〉に出勤。


 私も職場に同行して万が一の逃走経路や、殿下の交友関係、店の客層などを確認するよう努めるもの。


────────────────────


 さて、王子が仕事着にドレスアップする。白シャツにチャコールのベスト。腰には臙脂の前掛け。後ろで一つに結った漆黒の髪。屋敷ではくたびれた青年だったのが、今は水を与えられた野菜のようにしゃきりとしている。


「ジルくん、かっこいいよ、イケメン!」


 イザークの没個性な賛辞を浴びせられて、げえ、という表情を隠しもしない王子。ついに開店時間となり、完璧な営業スマイルになったジルは、「いらっしゃいませ」と来店した客たちに礼儀正しくお辞儀してみせた。


「もう一度聞きますけど、なんで来たんですか」


 ジルが小声で文句を呟く。


「せっかくだから、同居人の職場は気になるじゃん? 可愛い女の子にも会えるかもだし? あれ、迷惑だった?」


 イザークが軽口を叩くと、ジルは苦虫を百匹まとめて噛み潰したような顔になった。


「迷惑ではないですが、でも、お客さんにナンパしたら僕があなたを殺します」


「りょーかいっ」


 ジルは短く溜め息をついた。


「招かれざるお客様、ご注文はいかがなさいますか」


 メモを手に注文を取るジルへ、イザークはすでに決めていたメニューを答えていく。


「本日のランチのアイスバインを」


 アイスバインが四コルン。先ほど、ここの求人チラシを見た。時給一コルンぴったりだった。王子の四時間の労働が、このアイスバインになる。


「付け合わせのザワークラウトは十フェイで大盛りにできますが、どうなさいますか」


 百フェイが一コルンである。すなわち、ザワークラウト計算なら、六分の労働で大盛りにできるということ。可愛らしいような、物悲しいような。


「大盛りで。それと、黒ビールも」


「ジョッキのサイズはいかがなさいますか」


「大ジョッキが一コルンか……、じゃあ大で」


「かしこまりました」


 まずは、ジル自らがカウンターのサーバーで黒ビールを大きなガラスジョッキに注ぎ、テーブルに運んできた。


「お先に、黒ビール大ジョッキでございます」


「ありがとう」


 イザークは短く礼を言った。


 適温に冷やされたガラスジョッキになみなみと注がれた黒ビール。まだ少し寒い春でも、暖炉の灯されたあたたかい店内で飲めば、それはもう甘露だ。


 昼から近衛騎士団長が酒を飲むなんて、不真面目なのか、贅沢なのか。


 きめ細やかなクリーム色の泡の下には、黒琥珀が満ちている。イザークはさっそく一口あおってみた。途端、冷たいほろ苦さが喉を通り抜けていく。ローストモルトの春風が、山に芽吹きを運んできたような味わいだ。カカオのように芳醇なコクと香りが後を追う。


 ほどなくして、ジルが料理を運んできた。


「お待たせいたしました、本日のランチ、アイスバインでございます」


 まずは、目で味わう。白磁の大皿に載せられた大きな肉の塊。表面が飴色になるまで長時間煮込まれ、中は品のいい桜色をしている。添えられた淡金色のザワークラウトはこんもりと山を成して、飾りのクレソンの鮮やかな緑色が目に眩しい。


 ひとたび肉にナイフを差し込めば、すっと抵抗なくナイフを受け入れる。口に運べば、舌の上で塩味と旨味がまろやかに調和する絶品だった。


 ザワークラウトもつまむ。乳酸発酵由来の爽やかな酸味が口を駆け抜け、言うまでもなく肉と合う。まるで、二つは赤い糸で結ばれた運命の恋人のような味わいだ。


 そこに黒ビールを追いかけるように流し込めば、ますますのシャングリラがイザークを出迎えてくれる。


 食べる。ひたすらに食べる。食べることに没頭する。食べるために生きている。いや、食べるから生きているのか……。


 そんな哲学的なことを考えたくなるくらいには、肉、キャベツ、酒、肉、キャベツ、酒……と、次の一口がいちいち新鮮に美味い。味が切り替わるたび、イザークも生まれ直すような錯覚に陥る。


 止まらない。


 これはそう、永久機関なのだ。


「──お会計は五コルン十フェイのはずですが」


「六コルンだ、受け取ってくれ」


 会計のとき、イザークが多めに渡すと。


「失礼ながら、当店ではチップは受け取っておりません」


 ジルは断固として受け取らなかった。店もそうだが、ジル自身がそういう人間なのだろう。


「美味しかったよ、ごちそうさま、ジルくん」


 代わりに、精一杯の笑顔で感謝を述べたら、ジルは複雑そうな表情になっていた。

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