囚われた光、視えた未来
叡智の女神ヘイデルの学堂
光が降り注ぐ学堂の窓辺。
アステリアは書物を開いていた。
けれど、視線は文字の上を滑るばかりで、内容はまるで頭に入らない。
そっと、向かいに座る人物を見上げる。
ファリオン――
陽光を受けた白金の髪が、さらさらと揺れていた。
銀糸のように繊細で、光の粒を纏うその髪は、風が吹くたびにきらきらと輝く。
長い睫毛の奥に透ける瞳。
淡い金とオレンジが、朝焼けの空のようにゆっくりと溶け合い、柔らかく瞬く。
彼がページをめくるたび、指先までもが光をまとい、すべての仕草が絵のように綺麗だった。
この学堂で、彼の名を知らない者はいない。
戦場に降り立てば、彼の剣が魔を払う。
学堂に戻れば、どの神よりも多くの書を読み、叡智を蓄える。
そして何より――その容姿。
彼をひと目見たいと、学堂を訪れる女神も少なくない。
誰もが、ただ彼のそばにいるだけで息をのむ。
けれど、アステリアだけは知っている。
彼の光は、どこまでも鋭くなった。
だが、それは決して、あの頃と同じ輝きではないことを。
かつて、私たちはただの幼い神だった。
剣を握る手も頼りなく、読める書も限られていた。
星を見上げながら、未来の話をした夜が懐かしい。
けれど、今――
ファリオンは戦場を駆ける神となり、私は未来を視る神となった。
いつの間にか、大人になっていたのだ。
それなのに、彼を見ていると――不思議と、あの頃と同じ気持ちになる。
戦場に身を投じ、ひたすら魔を討つ日々。
神剣カリスを振るい、彼の放つ光は誰よりも眩しく、誰よりも冷たい。
まるで、自らの身を削るように。
彼の光は、決して消えない。
けれど、それが本当に彼自身のものなのか、アステリアにはわからなかった。
「……アステリア?」
低く、澄んだ声。
ファリオンが書物から顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
(……っ!)
心臓が跳ねる。
――見惚れていたのが、ばれた!?
「な、何でもないわ!」
慌てて書物に視線を落とす。
頬が熱い。
ちらりと目をやると、ファリオンは小さく首を傾げたあと、何も言わずに本へと戻っていた。
本当に気づいていないらしい。
(……あなたは、私の気持ちにまったく気づいていないのね)
けれど、それも仕方のないことだった。
彼の心は、過去に囚われている。
イグニスを守れなかったこと。
それが、彼を変えてしまった。
(どれほど悔しかったのだろう……)
そっと拳を握る。
もし、あの時、私にもっと力があれば――。
だが、それを望むことは、許されない。
星を詠む者は、未来を視ることができる。
けれど、それを直接変えることは、禁忌。
未来とは、あくまで導くためにある。
選ぶのは、視る者ではない。
運命の道を歩む者自身なのだから。
だからこそ、ファリオンが選ぶ未来を信じたい。
ふと、ファリオンが口を開く。
「……アステリア?」
「え?」
「最近、学堂が静かすぎる気がする」
意外な言葉に、アステリアは瞬きをする。
「静かすぎる……?」
「以前は、もっと議論が活発だった」
ファリオンは、ゆっくりと視線を巡らせた。
「書の解釈をめぐって討論する声や、知識を交わす熱があった。今は……少し寂しいな」
彼の言葉に、アステリアはふと気づく。
――変わったのは、学堂ではなく、彼自身なのではないか。
彼が魔族討伐軍に入り、学堂に戻る日が減ってから。
かつてのように、誰かと熱く知を語ることが少なくなってから。
それでも彼の学びは止まらない。
学堂にいる時も、彼は膨大な書を読み漁り、知識を深め続けている。
まるで、何かを探すように。
「……あなたが、議論をしなくなったからじゃない?」
思わず、そう口にしていた。
ファリオンは少し驚いたように瞬き、そしてふっと微笑した。
「……かもしれないな」
窓から差し込む光が、彼の微笑みを淡く照らす。
胸が痛んだ。
それは、ほんの一瞬の寂しげな微笑だったから。
そよ風が木々を揺らす。
星々の囁きに耳を澄ませながら、アステリアはそっと未来を見据えた。
そして――
その未来の中で、彼女は確かに見た。
天界から落ちていく、彼の姿を。
彼の指から砕け散る指輪。
その瞬間、ファリオンの力は消え去り、光は影へと沈んでいく。
風が彼の名を呼んだ。
だが、その声は彼には届かない。
ただ――
暗い闇の中で、燃えるような深紅の髪がゆらめいた。
(……誰?)
アステリアは目を見開く。
彼を救う者がいる。
けれど、それが誰なのかは、まだ見えなかった。
(ファリオン……あなたは……)
彼はすべてを失うのか。
それとも――。
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