霧の扉(フォグ・リフト)、開かずの扉と迫る影
今回のエピソードでは、イグニスとリリスが追われる中で、“閉ざされた扉”へと向かいます。
それは逃れるための道なのか、それとも……?
静寂を切り裂く羽音とともに、運命が動き出します。
暖炉の炎が、静かに揺れていた。
琥珀色の瞳に映る炎は穏やかに燃えている。
だが、その奥には、深い思案の影が落ちていた。
イグニスは黙ったまま、炎を見つめている。
リリスは、その横顔をじっと見つめた。
(……こんな顔のイグニス、久しく見ていない)
寡黙な彼が、こうして沈黙しているとき——
それは、最悪の事態を考えているときだ。
「……裁きの神オルドが動いている」
リリスはそっと口を開いた。
その名を口にするだけで、喉の奥がひりついた。
市場で耳にした会話が、何度も脳裏をよぎる。
(イグニスは、人間に火を与えた……
それが、罪に問われる……)
足元が崩れ落ちるような感覚に襲われた。
イグニスは目を伏せ、静かに息を吐く。
「……分かっていたことだ」
「イグニス……」
リリスの声は震えていた。
「人間に火を与えた時から、いつかこうなることは分かっていた」
そう言いながら、イグニスの指がゆっくりと拳を握る。
「それでも——俺は後悔していない」
炎がふっと揺れる。
「そして、君をそばに置いたことも」
その声はどこまでも穏やかだった。
だが、それが余計に、リリスの胸を締めつける。
「……何があっても、君だけは……」
リリスは息を呑んだ。
(それって……)
まるで、自分が裁かれることなどどうでもいいと言っているようで——
「……そんなの……!」
声が震える。
彼がどれほどの覚悟を背負っているのか、痛いほど分かったから。
だけど、それでも。
「私のせいで……イグニスが罰せられるなんて、そんなの……!」
リリスは、ぎゅっと拳を握った。
「君のせいじゃない」
イグニスは、静かに微笑んだ。
「これは、俺が選んだことだ」
その瞳には、何の迷いもなかった。
だけど——
オルドは、決してリリスを見逃さない。
掟を破った神だけではない。
禁忌の存在となった人間にも、容赦なく裁きを下す。
イグニスは、リリスを見つめながら低く呟く。
「オルドの裁きが下れば——俺だけじゃなく、君も巻き込まれる」
その声には、滲み出る焦燥があった。
「それだけは……許さない」
琥珀色の瞳が揺らめく炎を映し、イグニスの拳が、ぎゅっと握りしめられる。
(何か方法は……)
思考が巡る中、一つの可能性が脳裏に浮かんだ。
《霧の扉》フォグ・リフト。
天界の門の一つ。
その存在を知る神はごくわずか。
開けることができるのは、特別な力を持つ者のみ——
「……まだ、希望はあるかもしれない」
そう思った瞬間——
ーーズン……!
何かが、森の結界を破った。
まるで巨大な波が押し寄せるような、膨大な力の気配。
空間が揺らぎ、遠くの森がざわめく。
枝葉がざわざわと揺れる。
だが、それは風ではない。
「これは……」
リリスの肌が、粟立つ。
この感覚は、決して間違えようがなかった。
市場で噂を聞いたときから、どこかで感じていた。
天使たちが来る。
「イグニス……!」
リリスは震える手で彼の袖を掴む。
彼の温もりを感じた瞬間、張り詰めていた胸が少しだけ緩んだ。
イグニスは、そんなリリスを見つめ——静かに微笑む。
「大丈夫だ」
穏やかな声。
「何があっても、君は俺が守る」
その言葉に、リリスの瞳から一筋の涙がこぼれ落ちた。
炎は静かに燃え続ける。
だが、その静寂は唐突に破られた。
ーーバサッ……バサバサッ……!
羽音。
最初は遠く。
木々の向こうでわずかに揺れるような気配。
だが、その数は、急速に増えていく。
夜の闇の中、複数の影がうごめいていた。
まだ姿は見えない。
だが、その存在は確かに感じられる。
リリスの胸が強く打った。
(来る……!)
森を包む空気が、じわりと重くなる。
冷たい圧が、微細な振動となって広がる。
イグニスは静かに息を吐き、リリスを傍らへ引き寄せた。
「行くぞ」
炎が揺れる。
次の瞬間——
イグニスが鋭く手を振る。
紅蓮の炎が、一瞬にして二人を包み込む。
閃光のように燃え上がり、空気が弾ける。
そして——
炎が消えた瞬間、二人の姿も掻き消えた。
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