再起動8:【破滅】
イメージソング:空飛ぶモンティ・パイソン サウンドトラック
https://youtu.be/7QfqJwkuCTw?si=M-JXc71pn9_X374q
「飽きましたわ。」
フウカ・ヴェリタスは、突然、信じがたいことを口走った。
世界を、すべて、元通りにするというのだ。
それは、独り言のような、あまりにもあっけない、軽い口調だった。
その声は魔導の波に乗って、生き残っている全人類の脳髄に直接響き渡った。
気まぐれな虚言ではない。
フウカの瞳には、絶対的な「本気」の光が宿っていた。
それは誰の目にも明らかだった。
神のごとき力を持つ彼女が「戻す」と言えば、すべてが巻き戻る。
現在、この壊れきった世界を元に戻すことができる魔導士は、宇宙広しといえどもフウカただ一人しかいないのだから。
なぜ、彼女がそんなことを言い出したのか。
それを紐解くには、フウカ・ヴェリタスという存在の成り立ちを知る必要がある。
フウカの肉体のルーツ。
それは今から100年前、人間たちとエルフたちによって裏切られ、根絶やしにされた「サメ獣人」の生き残りである。
彼女は、親しい友を、愛する家族を、時の政府によって凄惨な方法で殺され、種族全体を絶滅の淵へと追いやられた。
その血塗られた歴史と怨念の器に、世界の果てから飛来した「究極生命体・飛龍」が憑依した姿。
それが、今のフウカ・ヴェリタスなのだ。
サメ獣人の消えない絶望と、飛龍の絶対的な力が融合した存在。
そんな彼女が「世界を戻す」と宣言した裏には、ひとつの明確な条件があった。
暗黙の、しかし、絶対に越えなければならないハードル。
それは、人類からの「謝罪」である。
決して、「反省」ではない。
100年前の迫害、サメ獣人を絶滅させたという歴史的事実を認め、彼女の前に額を擦りつけ、まあ……なんか……適当に、テキトーに、謝罪の意思を示すこと。
もう、嘘でいいのだ。
ただ、それだけでよかったのだ。
フウカは、人間が心の底から反省し、心を入れ替えて改善する生き物だ……などとは、微塵も思っていなかった。
彼らの本質が、「馬鹿だから騙せると思った」などと、ありとあらゆる対象に対して見下すだけの、誠意のない、底なしの利己主義であることなど、とうの昔に理解している。
だからこそ、彼女が求めたのは「形上の謝罪」でよかった。
見え透いた嘘でも、薄っぺらな土下座でも構わなかった。
形式的にでも、かつての非を認め、彼女の足元にひれ伏すという「ポーズ」すらあれば、この地獄をリセットしてやるつもりだったのだ。
ところがである。
ここからが、人類という種族の、真骨頂であった。
地下深くの核シェルターに逃げ込み、ホログラム通信で繋がった各国の首脳たちは、フウカの宣言を受けて緊急会議を開いていた。
彼らの足もまた、モルモットに破壊されて血まみれであった。
だが、彼らの脳内を支配していたのは、世界の復興でも人類の存続でもモルモットでもなく、自身の「プライド」と「メンツ」であった。
「謝罪だと?冗談ではない!」
ある大国の大統領が、車椅子の上で机を叩いた。
「今更100年前のサメ獣人迫害の事実など、認められるわけがないだろう!我々がエルフと共に彼らを虐殺したなどという不名誉な歴史を認めるなど、国家の品格に関わる!支持率が暴落するぞ!」
「そうですともよ!」
別の国の首相が同調した。
「あの迫害は我々がやったことではないのだぜ!100年前の政治家どもの失態だ!なぜね、現在の我々が、過去の連中の尻拭いをして頭を下げねばならんのだ!そう、謝る義理など一切、ない!」
「当時の『魔導規制局』の単独の陰謀だったということにできないのか?我々人間は魔導規制局に騙されていた被害者なのだ!我々に非はない!」
彼らは、狂っていた。
世界が文字通り崩壊し、人類が絶滅の危機に瀕しているというのに、彼らは「歴史認識」と「責任逃れ」の議論に熱中していたのだ。
自分たち人間がサメ獣人を絶滅させたなど、絶対に認めたくない。
認めるにしても、過去の政治家のせいにしたい。
なんなら、陰謀論を作り上げて、自分たちも被害者だったと主張したい。
「我々は、人類の誇りを守らねばならない!」
一人の老婆の首脳が、ヒステリックに叫んだ。
「ここでフウカ・ヴェリタスに屈して謝罪すれば、我々は永遠にあの化け物の奴隷として歴史に名を残すことになる! それだけは絶対に避けねばならない!謝罪など言語道断!断固たる、断固たる、反省しない姿勢を貫くべきだ!」
「異議なし!!」
「人類の尊厳を死守せよ!!」
満場一致であった。
彼らは、全世界に向けて堂々たる「声明」を発表した。
『我々人類は、過去のいかなる歴史の捏造にも屈しない。歴史上、サメ獣人という種族は存在しない。我々は誇り高き種族である。テロリスト、フウカ・ヴェリタスに対する謝罪および賠償の意思は一切ない。我々は不屈の精神性で、この国難、いや、世界的な困難を、団結して、結束して、乗り越える所存である!』
王都の廃墟で、その放送を聞いていたフウカは、口を開けた。
フウカの思考が、数秒間、完全に停止した。
彼女は、人間が反省などしないことなど百も承知だった。
形だけの謝罪、嘘泣きでの土下座、それすらも渋るだろうとは予想していた。
だが、まさか。
この、手足をもぎとられ、臓物をくいちらかされ、世界がついに破滅した、この、究極の絶対的絶望の状況下において。
たった一言、「ごめんなさい」と言うだけで世界が元に戻るという、天から垂らされた蜘蛛の糸を前にして。
「誇りを守るために、屈しない」……だと?
「誇り」って……一体、なんの?
サメ獣人に、面白半分でホロコーストをした、生粋の殺人鬼に、守るべき誇りなど、あるの?
馬鹿?……いや、こいつら、本当に、正真正銘の、救いようのない、馬鹿、です、の……?
この瞬間が、人類にとっての「運命の分かれ道」であった。
フウカは、心の底からの、純粋な呆れを感じた。
怒りはなかった。
ただ、圧倒的なまでの「徒労感」が彼女の魂を覆い尽くした。
こんなものたちのために、自分が世界を戻してやる意味があるのか?
いや、そもそも、こいつらと同じ空気を吸っていること自体が、宇宙に対する、自分に対する、冒涜なのではないか?
「……そうねえ」
フウカは、静かな声で呟いた。
そして、自分の右手を、持ち上げた。
指先を、自分自身のこめかみに当てる。
躊躇いは、存在しなかった。
閃光。
フウカの指先から放たれた極大の「魔導ビーム」が、彼女自身の頭部を、右の側頭部から左の側頭部へと、完璧に、綺麗に、一切の抵抗なく貫通した。
フウカ・ヴェリタスの首から上は、跡形もなく蒸発していた。
首のないフウカの肉体が、瓦礫の上に崩れ落ちた。
フウカは、本当に、死んだ。
現時点で世界を戻せる唯一の魔導士は、人間のあまりの愚かさに呆れ果て、自らの手で命を絶った。
人間は、壊れた世界をやりなおすための「唯一の鍵」を、自らの、つまらないプライドのせいで永久に失ったのである。
その映像をカメラ越しに見ていた各国の首脳たちは、一瞬、何が起きたのか理解できず、画面の前で硬直した。
「わ!勝った!勝ったよ!?」
「勝ったけど、いや、これは、自爆……?」
彼らの顔に、じわりじわりと「さては、取り返しのつかないことをしたかも」という恐怖が広がり始めた。
だが、その時である。
首のないフウカの死体から、目も眩むような黄金の光が立ち上った。
光は空中で渦を巻き、やがて巨大な、神々しい「飛龍」の姿をとった。フウカの肉体を器にしていた究極生命体、飛龍の霊体が、肉体の束縛を離れてついに飛翔したのだ。
その美しさ、その荘厳さは、見る者すべての魂をひれ伏させるほどの圧倒的な神性を帯びていた。
飛龍は静かに宙に浮き、人類たちを、感情のない、底知れぬ黄金の瞳で見下ろした。
この時。
この瞬間こそが、正真正銘の「最後のチャンス」であった。
飛龍には善悪がない。
ただ、事象の理を司るのみ。
もしこの瞬間、人類の代表たちが即座にカメラの前に土下座し、血を吐くような誠意を見せていれば。
飛龍はその力を用いて、フウカの意思を継ぎ、世界を元に戻す奇跡を起こしたはずだった。
しかし。
どこまでも、いつまでも、人間という生き物は甘かった。
彼らは飛龍の神々しい姿を見た瞬間、恐怖や後悔よりも先に、特有の「都合のいい解釈」を脳内で爆発させたのだ。
(おおっ……!神だ! 神が現れたぞ!)
(我々が誇りを守り抜いたから、神が我々を救済しに来てくれたのだ!)
(どうせあの飛龍が、何も言わなくても自動的に世界を元通りにして、我々を助けてくれるに違いない!)
(神は寛容だ!ならば、我々が謝る必要などない!座して待てば、すべて解決する!)
(ナメられて、たまるか!)
(神をナメかえして、我々のホコリと、キズナと、タマシーを守るんだ!)
首脳たちは、車椅子の上で、あるいはベッドの上で、満足げにふんぞり返り、飛龍が奇跡を起こすのをニヤニヤニヤニヤと嘲笑いながら待ち構えた。
「早く直せよ」……とでも言わんばかりの、傲慢極まりない態度で。
飛龍は、その瞳で、地上に蠢く人間たちの甘さを、一瞬にして見切った。
飛龍は、羽ばたくことすらしなかった。
空を舞う優雅な姿を、人間どもに見せることすら惜しいとでも言うように。
飛龍の巨大な黄金の霊体は、空間に溶けるように、一瞬にして何の痕跡も残さずに消滅した。
別の時代へ飛んだのか、あるいは別の次元へと旅立ったのか。
それは誰にも分からない。
確かなことは、三つ。
魔導規制局の予測通り、飛龍が、絶望をもたらす存在であったこと。
フウカの予想通り、飛龍が、希望をもたらす存在であったこと。
そして、飛龍が、二度とこの世界に姿を現すことはないということ。
それだけだった。
「…………え?」
首脳たちの画面に映るのは、飛龍が消え去った後の、ただの殺風景な灰色の空と、瓦礫の山、そして首のないフウカの肉塊だけであった。
「あ、あれ……?飛龍は……?」
「どこへ行った?まだ世界が直っていないぞ!」
「早く戻ってきて直せ!我々は客だぞ!」
いくら叫んでも、空は沈黙を返すのみ。
絶望は去った。
希望は去った。
数分の沈黙の後。
核シェルターの通信モニター越しに、見苦しい、あまりにも見苦しい怒号が飛び交い始めた。
「お、お前のせいだぞ!お前が『謝罪など言語道断だ』などと偉そうなことを言うから、フウカが死んで飛龍が愛想を尽かしたのだろう!」
「何を!元はと言えばお前が『魔導規制局の陰謀にしよう』などとセコい歴史修正を提案したからだろうが!」
「私は最初から謝罪すべきだと思っていた!お前たちが同調圧力をかけたのだ!」
「嘘つけ!お前、おまえ……あの時一番『支持率が下がる』と騒いでいたろう!」
「知らないが?いいから!いいからお前、責任を取れ!」
「はあ?お前が責任を取れ!」
「じゃあ、100年前の政治家が悪い!」
「ゼランティアが爆発したときに喜んでいた国民が悪い!」
「終わりにしろ!不毛な喧嘩はやめろ!もうおしまい!もうおちまい!おちまい!あ、いーこと考えた!喧嘩両成敗!……ほら、ぼく仲裁したから!偉い?ねえ、偉いでしょ!じゃあ、飛龍!早くしろ!」
「仲裁?お前が悪いんだよーっ!ぼく悪くないもん!」
「ぼくの方がもっと悪くないもん!」
「ぼくの方がもーーっと悪くないもん!」
「ぼくの方がもーーーーーーーーっと悪くないもん!」
「バーカ!」
「バカって言うほうがバカなんだよ!バーカ!」
「バカバカバカバカ!」
「はあ?もっとぼく言えるし!バカバカバカバカバカババババババババババババババババババババババババババババばばばばばばばばばばばばデュデュデュデュデュデュズズズズズぶぶぶぶ!!!!!!!!……ほらもっと言えた!だからお前のほうがバカだよ!」
足のない老人たちが、モニター越しに唾を飛ばし合い、顔を真っ赤にして、精神年齢を限界まで下げて、自分以外の誰かに責任をなすりつけ合う…………。
誰一人として、「過去の自分が愚かだった」と認める者はいない。
誰一人として、「現在と未来をどう生き抜くか」を語る者はいない。
人類の歴史がどのようなパラメーターを持とうとも、行き着く果てはあらかじめ決定されていたのだ。
残された人類に待っていたのは、反省でも復興でもなく、極めて論理的で必然的な「自滅」へのプロセスであった。
文明の基盤は、瓦解していた。
そして、指導者たちは、やっと、ようやく、最も手っ取り早く、最も「正しい」解決策に手を伸ばした。
さあ、みなさんお待ちかねの、たのしいたのしい核戦争の始まりである!
ミサイルが、次々に空に向かって気持ちよく上昇していく。
それは、かつて飛龍が天に昇った時の神々しさとは対極にある、人間の悪意と絶望が凝縮された鉄の塊であった。
ゼランティアの荒野に、王都の廃墟に、そして地下深くに隠れ潜むシェルターの直上に、死の輝きが次々と咲き誇った。
音すらかき消すほどの絶対的な熱量と爆風が、大気そのものを蒸発させ、地殻を抉り取った。
魔法の防壁も、古き神々への祈りも、飛び交う放射線と数百万度の熱線の前では何の意味も持たなかった。
フウカの「すべての命に価値などない」という哲学を、人類自らが核の炎を用いて完璧に証明して見せたのだ。
そして、核の冬が、訪れた。
空は分厚い灰に覆われ、太陽の光は二度と地表に届かなくなった。
凍てつくような寒さと、降り注ぐ死の灰。
この過酷な環境下において、かつて世界を彩っていた「魔法」という力は、完全にその痕跡を消し去った。
数十年が経過し、核の冬が底を打ち、灰色の雲の隙間から毒々しい赤茶けた太陽が再び顔を覗かせるようになった頃。
世界は、見事なまでに絵に描いたような荒野と化していた。
法律などとうの昔に消滅し、紙幣はただの紙クズに成り下がった。
そう。
完全なる「世紀末」。
人々は廃材やタイヤのゴムを繋ぎ合わせた粗末な鎧を身に纏い、トゲの生えた肩当てで身を護った。
放射能で汚染された土漠を、ガソリンの代わりに精製した粗悪な燃料で走る改造バギーが砂煙を上げて疾走する。
そこに広がるのは、ひたすらに重く、冷たく、ただ黙々と他者を殺して資源を奪うだけの、極限まで乾燥した「殺伐」であった。
ただ「生きる」という本能の奴隷となった、感情を失った二足歩行の動物「人間」が、広大な砂漠で無意味な殺し合いを反復しているだけだった。
そこにはドラマも、英雄も、救済も存在しない。
ただ、物理的な暴力と、圧倒的な飢えと渇きがあるだけ。
一滴の希望すら見出せない、完璧に死に絶えた世界。
そして、時は流れ、新暦174年。
かつての文明の暦法である「西暦」に換算するならば、2199年。
人類が奇跡を拒絶し、自らを焼き尽くしてから長い年月が経過した時代。
赤茶けた大地には、もはや都市の痕跡すらほとんど残っていなかった。
錆びた鉄骨の残骸が、巨大な墓標のように風に吹かれている。
汚染された泥水を啜り、変異した殺人ネズミの生肉を食らい、ただ、無言で殺し合う人類の末裔たち。
彼らの脳髄からは、「知性」という概念が完全に欠落しつつあった。
数千年かけて築き上げてきた文化、芸術、科学、そして魔法の歴史は、完全に無に帰した。
だが、ここで、ひとつの戦慄すべき、そして宇宙的な皮肉とも言える「事実」が浮かび上がる。
我々が生きる現実の歴史。
サメ獣人も存在せず、エルフも魔導規制局も飛龍も存在しなかった、純粋な物理法則だけが支配する「魔法がなかった我々の歴史」。
その我々の世界線における「西暦2199年」の光景を、宇宙の俯瞰的な視点から覗き込んでみよう。
そこにあるのは、全く同じ、赤茶けた荒野であった。
魔法の存在しなかった我々の歴史においても、人類は自らの愚かさを克服することはできなかった。
政治的対立、宗教戦争、資源の枯渇、環境破壊、そして最終兵器の起動。
魔法という超常現象に頼らずとも、我々の歴史の人類は、やっぱり自らの手で核のボタンを押し、やっぱり大地を焼き払い、やっぱり空を灰で覆い尽くした。
過程は、違った。
あちらの世界では、フウカ・ヴェリタスという一個の絶対者が引き金となり、魔法と超常の力の果てに核戦争へと至った。
こちらの世界では、経済の対立が複雑に絡み合い、科学技術の果てに核戦争へと至った。
しかし、2199年という特定の時間軸において、二つの平行世界は、完全に重なり合った。
結果は、同じだった。
大地の荒廃具合、大気中の放射線量、生存している人類の数、彼らの着ている廃材の鎧の形状、そして、彼らの目に宿る絶望的なまでの虚無の光。
そのすべてが、寸分の狂いもなく、完璧に一致していたのだ。
これは、何を意味するのか。
「魔法」という、常識を根底から覆すほどの巨大な力。
神のごとき究極生命体、奇跡を起こす大魔導士。
それほどのイレギュラーが存在し、世界のあり方を捻じ曲げた歴史であったとしても。
人類が内包する「愚かさ」という絶対的な真実の最終定理の前には、魔法の有無など、ただの些細な誤差に過ぎなかったのだ。
人間は、結局は自らの手で首を絞め、同じ荒野へとたどり着く。
行き着く先は決まっていた。
人間の本質は、どこまでいっても利己的で、傲慢で、自滅をプログラムされた……すなわち……強姦魔の集まりに過ぎなかった。
2199年の赤茶けた空の下。
魔法があった世界線の荒野でも、魔法がなかった世界線の荒野でも。
名もなき者が、風に吹かれ、錆びたナイフを他者の首に突き立てる。
血が飛び散り、砂に染み込む。
空には、灰が静かに降り積もっていく。
この宇宙において、人類が辿り着く結末は、最初から、ひとつしか用意されていなかったのだ……!




