再起動6:【自認の違いの暗喩】
イメージソング:戦え!イクサー1 サウンドトラック
https://youtu.be/7AGFAQ-mJOE?si=sT4K84dUa8qr74em
いかなる「質」の高い狂気も、物理的な「量」の狂気の連続の前には、ごくわずかな綻びを生じさせる。
絶望の女王の顔にも、数万、数十万という人間の肉と骨を処理し続けるうちに、目に見えない疲労の影が落ち始めていた。
王都の中央広場、もはやアスファルトの地面など一寸も見えず、見渡す限り赤黒い肉片と内臓の海と化したその中心で、フウカは、ドレスの裾を揺らした。
彼女の息が、わずかに荒い。
吐き出す呼気には、高熱を帯びた魔力が白い煙となって混じっていた。
その日、フウカは暗殺者をいつものように生きたままミンチにしようとした。だが、彼女の指先がほんのコンマ一秒だけ遅れた。鎖の先端がフウカの白い頬を掠め、そこに、赤い一本の細い線……つまり、擦り傷が刻まれたのだ。
フウカの頬から、たった一滴、血が、流れ落ちた!
新暦1年に死に、現代に蘇った絶対無敵のバグ、物理法則の破壊者であるフウカ・ヴェリタスが、傷を負った!
血を流した!
世界中のお茶の間で、一般市民たちが歓喜の声を上げた。
各国の首脳陣も、王都の地下に隠れていた政府高官たちも、互いに抱き合い、ついに訪れた希望の光に涙を流して喜んだ。
しかし。
その同じ中継映像を見ていた「暗殺者たち」の反応は、一般市民のそれとは完全に正反対の大パニックであった。
暗殺者たちにとって、フウカが劣勢になるということは、世界の平和が訪れることではない。
「フウカ・ヴェリタスを殺すという、人類史上最高にして究極の栄誉を、自分以外の見ず知らずの三流殺人鬼に奪われるかもしれない」という、暗殺者としての絶対的な「危機」であり「恥」であったのだ。
かくして、王都の狂乱は新たな、そして最悪のフェーズへと移行した。
「フウカ・ヴェリタス争奪戦」の幕開けである。
フウカは凄まじい戦闘の果てに、かつてないほどの疲労を感じていた。
押し寄せる暗殺者の波に向かって、サメの顎を展開して丸呑みにし、空間を削り取り、爆破魔法を連発する。だが、倒しても倒しても、自分の手で殺したいと願う狂人たちは笑顔で突撃してくる。「フウカ様に殺されるなら本望だが、できれば私が殺したい!」という矛盾した愛の言葉を叫びながら、彼らは死を恐れずに飛びかかってきた。
フウカの魔力が底をつきかける!
ドレスはすでに原形をとどめないほどにズタズタに引き裂かれ、血の重みで鉛のように重くなっていた!
数万人の死体と、さらに押し寄せる数万の暗殺者!
その暴力の波状攻撃の果てに。
ついに、絶対無敵であった絶望の女王、フウカ・ヴェリタスの右膝が、ぐらりと揺れ、血の海と化したアスファルトの上へと崩れ落ちた。
「……」
フウカが片膝をついた!
その光景を見た暗殺者たちの間に、爆発的な歓喜と欲望の渦が巻き起こった。
最前線にいた数十人の超一級暗殺者たちが、目を血走らせ、涎を垂らしながら、無防備になったフウカの首めがけて、ありとあらゆる凶器を一斉に振り下ろそうと跳躍した。
フウカは荒い息を吐きながら、迫り来る無数の刃をぼんやりと見上げた。
(……ああ、まさか。わたくしが、こんな……つまらない俗物どもの数の暴力で……)
絶望ではなく、ただの不快感と虚無感が彼女の心を支配したその瞬間。
フウカの頭上の空間が、物理的に「粉砕」された。
空から降ってきた何者かが、跳躍していた数十人の暗殺者たちを、まるで羽虫でも払うかのように、一撃で、文字通り「赤い霧」に変えてしまったのだ。
「……え?」
フウカが目を見開いた。
血の霧が晴れたアスファルトの上に、凄まじい着地音とともに降り立ったのは、二つの異形だった。
それは、かつてフウカ自身の手によって、希望を徹底的に打ち砕かれ、右半身を食いちぎられ、内臓を貪られ、地獄の業火で焼き尽くされたはずの存在。
「ハンマーコアラ」と「ヤスリウサギ」。
キットとジルであった。
彼らの姿は、かつての人間の面影を辛うじて残しながらも、悍ましい継ぎ接ぎの怪物と化していた。フウカに食いちぎられた右半身は、黒い魔導の糸と無機質な金属のパーツで強引に縫い合わされ、欠損した内臓の代わりには、ドクドクと脈打つ奇妙な動力炉が埋め込まれている。その頭部には、顔の半分を覆い隠すように、血に濡れた「コアラ」と「ウサギ」の不気味な仮面が深く被せられていた。
「お前たち……どうして……?わたくしが、この手で完全に殺したはず……!」
フウカが驚愕の声を上げる。
魂ごと消滅させたはずの彼らが、なぜここにいるのか。
だが、キットとジルはフウカの問いには答えなかった。
彼らの視線は、フウカではなく、周囲を取り囲み、突然の乱入者に怒り狂う暗殺者たちに向けられていた。
激高した暗殺者たちが、一斉にキットとジルに向けて襲いかかった。
その瞬間、コアラの仮面を被ったキットが、身の丈を優に超える巨大な鋼鉄の「ハンマー」を無造作に振り上げた。
そして、襲いかかってきた前衛の暗殺者十数人の群れに向かって、そのハンマーを横薙ぎに振り抜いた。
悲鳴を上げる隙すらなかった。ハンマーの恐るべき質量と速度は、暗殺者たちの展開した防御魔法ごと彼らの上半身を完全に粉砕し、頭蓋骨と肋骨をすり潰し、ただの赤黒い肉のペーストに変えて後方のビル群へと吹き飛ばした。
同時に、ウサギの仮面を被ったジルが、音もなく跳躍した。彼女の両腕には、人間の胴体ほどもある巨大で粗い「ヤスリ」が装着されている。彼女は空中にいた魔導士の背中に張り付くと、そのヤスリで相手の背骨を直接削り始めた。
ジルは一切の感情を交えず、ただ機械的な正確さでヤスリを往復させ、魔導士の肉と骨を数秒で細かい粉末に変えてしまった。
あまりの圧倒的な暴力と、痛覚を極限まで引き出す残虐な殺し方に、暗殺者たちが後ずさった。
だが、ハンマーコアラとヤスリウサギの暴走は止まらない。彼らはフウカを取り囲んでいた魔導士や暗殺者たちを次々と捕らえ、アスファルトの上を高速で引き摺り回した。
キットは男の足を掴んでハンマーで頭を打ち据えながら王都の道路を百メートル以上も引き摺り、顔面が完全に削り取られて無くなるまで走り続けた。
ジルは逃げ惑う女暗殺者の髪を掴み、その顔面をヤスリに押し付けたまま壁を走り抜け、脳髄が露出するまで削り落として惨殺した。
ものの数分であった。
数万とも言われた暗殺者の波は、突如として現れたこの秀才殺人鬼によって、文字通り「掃除」されてしまった。生き残った者たちは恐怖に発狂し、その場から這って逃げ出していった。
静寂が戻った。
辺りには、原型をとどめない肉の絨毯が敷き詰められ、血の池が大きな湖のように広がっている。
その中心で、片膝をついたまま呆然としているフウカの前に、全身を返り血で赤黒く染めたキットとジルが静かに歩み寄ってきた。
フウカは、息を呑んだ。
フウカはサメの牙をギリッと噛み締め、残された最後の魔力を振り絞って立ち上がろうとした。
しかし。
キットとジルは、フウカの目の前まで来ると、手にした巨大なハンマーとヤスリを静かに地面に置いた。
そして、コアラとウサギの仮面を被ったまま、まるで……王族に仕える忠実な騎士のように、フウカに向かって深く、そしてこの上なく「丁重に」一礼をしたのである。
「……ええっ?」
フウカの口から、間抜けな声が漏れた。
キットが、仮面の奥から低く、しかし驚くほど穏やかな声で口を開いた。
「お怪我はありませんか、フウカ様。有象無象が、貴女様の美しいドレスを汚してしまったようで、誠に申し訳ありません」
ジルもまた、丁寧に膝を折り、フウカの靴にこびりついた血の汚れを、自らのハンカチでそっと拭き取り始めた。
「お疲れのようですわね。あのような三流のゴミどもに、貴女様がこれ以上手を煩わせる必要はございません。我々がすべて、綺麗に排除いたしました」
フウカは、混乱していた。
「あ、あなたたち……わたくしを守ったのですか?……まさか、これは……」
キットはゆっくりと首を縦に振り、仮面の奥の瞳でフウカを真っ直ぐに見据えた。
「ええ。……愛です」
キットの声には、ドロドロに煮詰まった純粋な愛と、そして異常なまでの「敬意」が混じり合っていた。
「愛です。ただ……ただそれだけです。俺たちに、究極の絶望と死を与えた、最高にして最強の魔導士である貴女と、誰にも邪魔されない、完璧で、神聖な、一対一の殺し合いがしたかったのです」
ジルがそれに続く。
「ええ。貴女様と死力を尽くして、どちらかの肉片が完全に消え去るまで命を削り合うのは、我々でなければならないのです。ですから……まずは、そのお疲れになったお身体を、十分に癒していただかなくては。我々は、真心を込めた、手作りの殺人をしたいのです」
狂気!
それも、世界中の暗殺者たちが抱いていたような低俗な狂気ではない!
自らを最も残酷に殺した相手に対する、純粋な愛と殺意の結晶!
彼らはフウカを憎んでいるのではない!
フウカという絶対的な不条理を、最高のコンディションで迎え撃ち、そして完璧な「決闘」としてブチ殺したいという、ただそれだけの純然たるエゴイズムのために蘇ったのだ!
フウカは、呆気にとられたあと、腹の底から愉快そうに笑い声を上げた。
「あははははっ!なるほど?なるほど!あなたたちも、立派に狂ってしまいましたのね!ええ、いいですわ。その心意気、わたくしはとても気に入りましたわ!」
キットとジルは、恭しくフウカの両手を取り、彼女をそっと立ち上がらせた。
「参りましょう、フウカ様。本日は、貴女様のために最高の舞台をご用意いたしました。泥と血にまみれたこの路上は、我々の神聖な決闘には相応しくありません」
二人の狂気的な暗殺者に両脇を抱えられるようにして、フウカはゆっくりと歩き出した。
彼らが歩く先では、生き残っていたわずかな暗殺者たちが恐怖で道をあけ、王都の軍隊すらもその異様な雰囲気に呑まれて手出しをすることができなかった。
キットとジルにエスコートされながら、フウカは王都の中心にそびえ立つ、最も豪華絢爛な摩天楼へと向かった。
回転扉を抜け、血の足跡で大理石の床を汚しながら、三人は静寂に包まれたVIP専用のエレベーターへと乗り込む。
エレベーターの階数表示が、ぐんぐんと上昇していく。
そして、彼らは辿り着いた。
王都のすべてを見下ろすことのできる、雲の上の天空の聖域。
豪奢なシャンデリアが輝き、絨毯が敷き詰められた、王都プリンスホテルの最上階へ。
扉が開き、血の匂いと狂気に満ちた三人の怪物が、静かにその豪華な部屋へと足を踏み入れた。窓の外には、夕日か、あるいは血に染まった王都の全景が広がっている。
最高の舞台、最高のコンディション、そして最高の狂気。
そして、三人の怪物は、対峙した。
フウカ・ヴェリタス。
そして、ハンマーコアラとヤスリウサギ。
すでに「魔導」という次元は、この場においては完全に死滅していた。かつて世界を焼き尽くし、空間を切り裂いたあらゆる秘術は、この極限の領域において無意味と化していた。
なぜなら、この世の魔導の理はすでに「先に出した側が、即座に反転魔法を使われてバラバラに粉砕されて負ける」という、真の殺しのプロフェッショナル同士の「極み」に達していたからだ。
呪文を唱えた瞬間にその呪文が逆流し、己の肉体を内側から挽肉にする。
だからこそ、発動系も干渉系も、すべての魔法は封じられた。
残されたのは、ただ、純粋な殺意と、肉体と肉体がぶつかり合う、原始の暴力の音だけだった。
「はぁっ……はぁっ……!」
フウカの小柄な身体が、激しい息を吐き出すたびに微かに震えていた。
その美しい黒髪は血と汗で泥のように固まり、ロングドレスは原形をとどめないほどに引き裂かれ、白い肌のあちこちに青紫色の痛々しい打撲痕と、骨が浮き出た裂傷が刻まれている。
対するハンマーコアラのキットは、巨大なハンマーを重そうに地面に引きずり、右半身の継ぎ接ぎされた金属関節からキイキイと耳障りな金属音を鳴らしていた。ヤスリウサギのジルは、両腕のヤスリの刃を紅く染め上げ、荒い呼吸とともにその仮面の奥の瞳をギラギラと血走らせていた。
一瞬の静寂。
そして、爆発的な踏み込み音とともに、三人の影が衝突した。
音速の肉弾戦。
キットの振るう巨大なハンマーが空間の空気を圧縮し、砲弾のような衝撃波となってフウカを襲う。フウカはそれを紙一重で身をかわし、その巨大なハンマーの柄を足場にして跳躍し、空中で回転しながらジルの頸動脈めがけて鋭い手刀を叩き込んだ。
しかし、ジルは動じない。彼女は腕のヤスリを盾のように合わせ、フウカの手刀を凄まじい摩擦音とともに受け止めた。火花が散り、フウカの指先の皮膚が削れて血が飛び散る。
間髪入れず、キットが巨大なハンマーをブーメランのように回転させてフウカの背後から強襲した。
「があっ……!」
重戦車の衝突に匹敵する打撃がフウカの背骨を直撃した。
フウカの小さな身体は、ペントハウスの厚い大理石の壁へと弾き飛ばされ、激しい衝突音とともに壁面をクレーター状に陥没させた。コンクリートの破片が雨のように降り注ぎ、フウカの口から鮮血の塊がボタボタと床に落ちる。
圧倒的な実力差。
いや、違う。
この凄まじい暴力の嵐の中で、フウカは確かに追い詰められていた。疲弊し、魔力を枯渇させ、ただの肉弾戦の技術と反射神経だけで辛うじて二人の猛攻をいなし続けている状態だった。勝負の趨勢は、誰の目にも明らかだった。ハンマーコアラとヤスリウサギの圧倒的な物量と改造された肉体の強度が、わずかにフウカを上回り始めていた。
しかし。
その決定的な優勢の最中で、突如として信じがたい光景が展開された。
勝利を目前にしたはずのハンマーコアラとヤスリウサギが、崩れ落ちたフウカの足元に歩み寄り、そして────声を上げて……子供のように大泣きし始めたのだ!
「うわぁぁぁぁぁぁんっ……!なんだこれ……ふざけんなよ……!」
キットが巨大なハンマーを投げ捨て、頭を抱えて地団駄を踏んだ。その仮面の下から、とめどない大粒の涙がポロポロとアスファルトならぬペルシャ絨毯の上に零れ落ちる!
「違う……違うだろ、フウカ様……!こんなの、こんなの絶対、違う!」
ジルもまた、両腕のヤスリを床にガチャンと落とし、崩れ落ちるように膝をついた!
彼女は自分の顔を両手で覆い、肩を激しく震わせながら、絞り出すような絶叫と嗚咽をもらした!
「手を!……手を抜いてる……!あんた、今、私たちに完全に手加減した……っ!私たちの全力を、あの死闘の果てのすべての憎しみと愛を込めた拳を、そんな適当にあしらって……手加減して避けたじゃないか……っ!!」
フウカは口から血を流しながら、ぼんやりと二人を見上げた。
「……手を抜いて……?何を、馬鹿なことを……」
「嘘をつくなっ!」
キットが泣きじゃくりながら吠えた!
その声には、怒りよりもむしろ、底知れない絶望と悲しみが満ちていた!
「私たちがどれだけ貴女を求めたか!どれだけこの瞬間を夢見て地獄の底から這い上がってきたか!あんたほどの殺戮の始祖が、今の私たちの攻撃に本当の命を乗せていないわけがない!舐めるな!全力で殺しに来いよ……!本気で私たちを殺そうとしろよ……っ!!」
「ち、違っ……!」
フウカは歯を食いしばり、ふらふらと立ち上がろうとした。その体は悲鳴を上げていた。
「わたくしは……わたくしは、本気で……あなたたちをここで叩き潰すつもりで……っ!」
「嘘つき……!!」
ジルが泣き叫びながら頭を振った!
「本気のフウカ様は、あんなもんじゃない……もっと、もっとすべてを消し去るような、理不尽で、冷酷で、宇宙のすべてを凍りつかせるような、圧倒的な暴力の塊だったはずだ……!なのにあんたは……私たちの攻撃を避けることばかり考えて、私たちを本気で『殺そう』としていない……!そんなの、悲しすぎるだろ……!悔しい!私たちのすべてを捧げたこの決闘が、あんたの手加減で終わるなんて……悔しい……っ!!」
二人の狂気的な暗殺者は、フウカに勝ったことの歓喜など微塵も感じていなかった!
むしろ彼らは、フウカが自分たちに対して「本気を出していない」「手加減をしている」と感じたその事実だけで、世界の終わりが訪れたかのように、この世の終わりのような絶望の表情で咽び泣いていたのだ!
しかし。
ここに、冷酷なまでの事実の相違があった。
フウカは決して、手加減などしていなかった。
彼女は、本当に、心の底から本気だった。蓄積された疲弊、相次ぐ戦闘による肉体の限界、そして二人の異常な執念と強化された肉体の前に、彼女は己の持てるすべての技術と力を絞り出し、本気で応戦していた。
その結果が、この「劣勢」であり、「圧倒されている現実」だったのだ。
フウカ・ヴェリタスは、人生で初めて、純粋な実力勝負の肉弾戦において、敗北の淵に立たされていた。
彼女は本気で戦い、そして本気で負けかけていた。
だが!
ハンマーコアラとヤスリウサギの脳内にある「フウカ・ヴェリタス像」は、あまりにも神格化されすぎていた。
彼らにとって、原始の魔導士であり、世界初のヴェリタスの者であり、地球を爆破した究極の殺人者フウカ・ヴェリタスが、自分たちに苦戦している姿そのものが……「フウカが手加減をしている」という誤った、しかし、彼らにとっては耐え難い屈辱の証明に見えてしまっていたのだ!
「お前たち……」
フウカは全身から血を流しながら、ふっと息を吐き、そして冷たく、しかしどこか切なげに微笑んだ。
「そこまで言いますのなら……殺して差し上げますわよ。……あなたたちの骨の髄まで、今度こそ残さず溶かして差し上げますわ」
そのフウカの目に宿った凄まじい殺意の光を見て、キットとジルはぴたりと泣き止んだ!
そして、その顔に、歪んだ歓喜の笑みを浮かべた!
「そうだ……それだ!その目を待っていたんだ……!」
「さあ、殺し合おう、フウカ様……私たちのすべてを、その胃袋に刻み込め……!」
二人は立ち上がり、再び構えをとった。
「死ねええええええええっ!!」
二人の巨体が同時に弾けた。
ハンマーコアラの重い拳が空間を割り、ヤスリウサギの掌底がフウカの視界を真っ暗に塗り潰す。
フウカの小柄な身体は、その拳の嵐の中で木の葉のように翻弄された。
右の頬に重い裏拳が突き刺さり、骨が砕ける音が響く。左の脇腹にヤスリの刃が浅く食い込み、鮮血の華が咲き誇る。髪は乱れ、彼女の白い肌はもはや元の形が分からないほどの、無残なまでの「血みどろの肉塊」へと変わり果てていった。
痛みが脳髄を焼き、意識が遠のく。
それでもなお、フウカは倒れなかった。彼女の誇りと、絶望の女王としての狂気が、その、完全に死の淵に追いやられた肉体を無理やり立たせ続けていた。
しかし。
攻撃の雨がわずかに止んだその瞬間。
キットとジルは、再び攻撃の手を止め、フウカの目の前で呆然と立ち尽くした。
そして、彼らはまたしても、信じられないことに、大粒の涙をボロボロとこぼしながら泣き叫び始めたのだ!
「なんでだ……!なんでなんだよ、フウカ様……っ!!」
キットが顔をぐしゃぐしゃに歪めながら絶叫した!
「あんた……まだ私たちに気を使ってるのか!? まだ、私たちを格下扱いして、全力を出し惜しみしているのかよ……ッ!!」
「悔しい……悔しいよ……!」
ジルもまた、両手で顔を覆い、子供のように地面を叩いて号泣した!
「なぜ、本当の『あの頃』の狂気を私たちに見せてくれないの……!? なんで本気で向き合ってくれないんだよぉぉぉっ……!!」
この瞬間。
フウカがこれほどの重傷を負い、意識朦朧となり、わずかな隙を晒し、ただ立ち尽くしているこの「絶好の機会」において、もしハンマーコアラとヤスリウサギが感情を捨てて、純粋な殺意のままそのトドメの一撃を叩き込んでいれば、勝負はそこで決まっていたはずだった!
しかし、彼らはそうしなかった!
彼らはトドメを刺すどころか、ただ「もっと本気を出してほしい」と自分勝手に泣き叫び、攻撃の手を止め、無防備に……ひたすらに、涙を流していた!
その瞬間!
彼らが「三流」に堕ちたことがついに確定した!
暗殺者であれ、学者であれ、ゲーマーであれ、アスリートであれ、「仕事」の最中に「相手の姿勢」を疑い、感傷に浸り、しかも、トドメを刺すべき絶好の機会を感情などというわけのわからない自己都合でドブに捨てた者たち……それはもはや、プロではなく、ただの「三流」に過ぎないのだ!
フウカの瞳の奥で、ぼんやりとしていた光が、突如として冷徹な「殺戮者の光」へと切り替わった。
フウカの口元が、弧を描いて歪んだ。
目の前の現実から目を背け、ただ、感傷で涙を流しているこの愚か者たちに、もう、これ以上付き合う義理などどこにもなかった。
「思い上がりですわ。いくらなんでも……」
キットが顔を上げ、ジルが目を見開いた。
しかし、時すでに遅かった。
フウカは、その残されたすべての魔力と、極限まで研ぎ澄ませた肉体の瞬発力を、たった一撃の「純粋な拳」へと凝縮した。魔導の反転すら起きない、ただの物理法則の限界を超えた、純粋無垢な破壊の鉄槌。
「……ナメすぎじゃあ、ありませんこと?」
凄まじい轟音がペントハウスの窓ガラスをすべて粉々に吹き飛ばした。
フウカの右拳が、キットの仮面の中央を正確に捉え、そのまま背後のジルごと貫通した。
衝撃波が王都の夜空へと抜けていく。
ハンマーコアラとヤスリウサギの身体は、その一撃の圧倒的な質量と圧力の前に、内側から粉砕され、数千の破片となって四散した。血肉の霧が夜風に乗り、王都の空へと虚しく溶けていく。
血塗れのペントハウスの真ん中で、フウカ・ヴェリタスはたった一人、立ち尽くしていた。
彼女は荒い息を整え、自らの傷だらけの拳を見つめた。
勝った。
フウカは、勝ったのだ。
この勝利が、この世界の歴史と裏社会にとって、いったい何を意味するのか。
それは、もはや、言葉にするまでもない明白な事実だった。
ハンマーコアラとヤスリウサギ。
新暦の暗殺界において、その名を轟かせ、数々の狂人たちを屠り、一度は死の淵から蘇り、フウカをすら文字通り「死の瀬戸際」まで追い詰めた最強の二人の狂人。その彼らですら、最後にはフウカの純粋な拳の前に粉砕され、敗北した。
この現実が突きつける結論は、残酷なまでにシンプルだった。
もう、この世界には、単独でフウカ・ヴェリタスに勝てる魔導士(暗殺者)は、一人も残っていない。
誰も、彼女を止めることはできない。
「さて……」
フウカは小さく呟くと、誰一人いない静寂のペントハウスで、満足げに、そしてどこまでも残酷に、静かに微笑んだのだった。




