再起動5:【異常が続くと日常になってしまう恐怖の暗喩】
イメージソング:Happy Tree Friends サウンドトラック
https://youtu.be/71VkCfW0pgY?si=QfmO3IJ-TtVBLOL8
血と肉と瓦礫。
すべてが破壊され尽くした静寂の中、ぽつんとひとりの影が歩みを進めていた。
母親である盲目の女性が、引き裂かれた道路の端で、目の見える我が子の腕を必死の形相で掴み、その小さな身体を自分の元へ引き戻そうと悲鳴を上げていた。
「待って……お願いだから行かないで!殺されるわよ……っ!」
しかし、少年の足は止まらなかった。
周囲に転がる血まみれの肉片や、皮膚の下からハトが飛び散った跡、原形をとどめない死体の山を跨ぎ、少年は恐怖に震えながらも、一歩、また一歩と、世界を滅ぼした悪夢の中心へと歩みを進める。
母親の引き留める声は、この異常な空間の前ではあまりにも無力で、少年の耳には届かなかった。
少年がたどり着いたのは、数え切れないほどの命をその胃袋に収めてきた女、フウカ・ヴェリタスの目の前だった。
またいつものように、この無知な小童を生きたまま引き裂き、内臓をむしゃむしゃと喰らい尽くすのだろうか。
誰もが、そう確信した。
だが、少年は怯えながらも、フウカの瞳を見据えた。
そして、震える声で、しかしはっきりとこう告げた。
「もう、やめようよ」
その言葉は、世界を焼き尽くすどの魔法よりも、フウカの心臓を深く貫いた。
「もう……殺さないで。こんなこと、間違ってるんだよ」
少年の純粋な瞳には、恐怖だけでなく、奇妙なまでの慈愛と、傷ついた魂を救おうとする痛切な願いが宿っていた。フウカはその場にガクリと膝をついた。彼女の瞳孔が揺らぎ、これまで世界を嘲笑し、あらゆる理不尽を暴力で塗り替えてきた狂気の仮面が、音を立てて剥ぎ落ちていく。
フウカの目から、大粒の涙がとめどなくあふれ出した。
「あ……あぁ……わたしは……わたしは、いったい……」
これまで自分がしてきたことの数々が、走馬灯のように彼女の脳裏を駆け巡る。
郵便局員の足を破壊し、アスリートの肉を壊死させ、無関係な人々を笑いながら喰らい、エラーラやナラティブを容赦なく引き裂き、街を焼き払い、世界を絶望の淵に叩き落としてきたすべての残虐行為。
その凄まじい業の深さが、今になって一人の少年の優しい言葉によって、彼女自身の胸を鋭く突き刺した。
フウカは両手で顔を覆い、子供のように声を上げて咽び泣いた。
「ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい……っ!」
大地に額をこすりつけ、フウカは泣きじゃくった。
彼女の全身から溢れる涙は、血塗られたアスファルトを濡らし、泥水と混ざり合っていく。彼女は心から恥じ、深く反省し、これまでの罪業のすべてを悔やんでいた。
どうして人間は、こうも愚かに争い合うのだろうか!
どうして世界は、血と暴力でしか結びつくことができないのだろうか!
彼女自身の内にあった狂気も、この世界の不条理も、すべては……愛を知らなかったからではないのか!
フウカは涙に濡れた顔を上げ、震える手で少年の頬にそっと優しく触れた。
「……ありがとう。私に、思い出させてくれて……本当に、ありがとう……」
少年の温もりが、フウカの冷え切った指先に伝わる。フウカの表情は、これまでの冷酷な悪魔のものではなく、救いを求めて涙する、一人の年若い少女のそれに戻っていた。
「私、これからは、今までの過ちをすべて償って……【あなたたちと一緒に生きていく】わ。嘘じゃないわ。誓うわね……ふふっ」
フウカは涙を拭い、ひときわ優しく、そしてどこか切なげな微笑みを少年に向けた。
その瞬間だった。
フウカの背後に広がる虚空が、不気味な紫色の閃光とともに、音もなく割れ目を開いた。
彼女の瞳の奥で、先ほどまでの涙の色が、一瞬にして冷徹な、この世の終わりのような深淵の色へと塗り替わる。
「え……?」
少年は、凍りついた声を漏らす間もなかった。
フウカの背中に広げられた魔導陣から、かつてないほどの超高密度な圧縮エネルギーが膨れ上がる。それは地球の地殻を貫通し、マントルを溶かし、物理法則のすべてを根底から消し去るための、惑星規模の究極の爆撃魔法であった。
「仲良く心中しましょう!さようなら、私の愛おしい愚かな世界っ!」
フウカは涙を流したまま、満面の笑みを浮かべ、その小さな掌を大地へと叩きつけた。
地球の核が一瞬で沸騰した。
マントルがもりもりと逆流し、世界中の大陸が音を立てて裂け、数千メートルの高さのマグマの津波が空を覆う。人類が築き上げた都市も、山も、海も、歴史も、科学も、そしてあの少年も、フウカの流した涙の温もりが冷め切らないうちに、すべてが文字通り分子のレベルへと粉々に分解されていった。
地表は一瞬にして白熱化し、太陽系の片隅で、青く美しかったはずの惑星は、ただの赤黒い死の火球へと変貌した。
地球は完全に崩壊し、宇宙の塵と化した。
しかし。
次の瞬間、まるで質の悪いビデオ・テープの巻き戻し映像のように、唐突に「元の場所」へと帰還した。
いや、修復されたという表現は正確ではない。物理法則も因果律も完全に無視して、宇宙空間に散らばった材料が、パズルを組み立て直すかのように一瞬で元の座標へと強制送還されたのである。沸騰したマントルは瞬時に冷却されて元の地殻を形成し、蒸発した海は虚空からバケツを降り注ぎ戻され、粉々に分解されたはずの王都のビル群は、まるでポップアップ絵本が開くようにニョキニョキと生え揃った。
そして、最もシュールだったのは「眼球の帰還」である。
視覚税の狂乱の中で自ら目を潰し、あるいは他人に目を抉り取られ、最終的に地球崩壊とともに素粒子レベルで消滅したはずの王都国民たちの何百万、何千万という眼球が、突如として成層圏の上空に出現した。
次の瞬間。
王都の至る所で、泥の中に長靴を突っ込んだような湿った音が鳴り響いた。空から降り注いだ眼球たちは、まるで自らの飼い主を探知している子犬のように、路上で呆然と立ち尽くす市民たちを嗅ぎ分けながら、空っぽの眼窩へと次々に飛び込んでいった。
ある者の眼球は勢い余って脳髄の奥までめり込み、ある者の眼球は右と左が入れ替わって焦点を結ばず、ある者の眼球は隣の他人の眼窩に無理やりねじ込まれたが、最終的にはすべての国民が、まあ、なんとか、「視力」を取り戻した。視神経が強引に再接続され、彼らは再び光を見た。
自分たちが、文字通りの意味での宇宙の塵であったという記憶を、脳の奥底にしっかりとこびりつかせたまま。
それから、王都は何事もなかったかのように1年の時が経過した。
これは比喩ではない。
本当に「何事もなかったかのように」人々は日常を再開したのだ。
昨日地球が爆発した記憶があるにもかかわらず、人々は翌朝には魔導列車に揺られ、上司に頭を下げ、スーパーのタイムセールで野菜を奪い合った。
フウカに内臓を食いちぎられた記憶を持つ者も、ハトに体内から爆破された記憶を持つ者も、なぜか五体満足で復活しており、その事実に対して誰もが特に疑問を抱かなかった。
人間の精神防衛本能がついに極限を超え、集団的な異常な認知バイアスが世界を覆い尽くしていたのである。
「地球は昨日バラバラに爆破されたけど、まあ、明日もバイトあるしな……」
……という、極限状態の諦観と狂気が、奇妙な平穏を形作っていた。
だが、1年という冷却期間を経て、世界各国の政府機関と裏社会の住人たちは、ひとつの、あからさまな真実に行き着いた。
「よく考えたらば、フウカ・ヴェリタスは100年前の魔導士の始祖である」
新暦111年の現在において、彼女は新暦1年に死んだはずの存在。
どういう理屈で現代に甦ったのか、その因果律のバグは誰にも解明できなかったが、一つだけ確かなことがあった。
この世界において「魔導士」という単語は、ファンタジーの絵本に出てくるような星降る杖を持つ魔法使いを意味しない。
この世界における魔導士とは、魔導技術を用いた戦闘員……すなわち「暗殺者」の別名である。
魔導とは、人を殺すための最も効率的で、最も残酷で、最も証拠を残さない技術の総称であった。そしてフウカ・ヴェリタスは、現代の暗殺業界においては、文字通り、「殺戮の始祖」であったのだ。
この事実が公に広まった時、世界中の殺人職人、人喰いサイコパス、日曜シリアルキラー、そして職業暗殺者たちの間に、異常な熱狂の渦が巻き起こった。
フウカ・ヴェリタス。
それは世界の殺人鬼たちの憧れの的であり、神であり、超えるべき究極のアイドルであった。
王都政府および世界各国の首脳陣は、フウカによる「気まぐれな地球爆破」という事態を二度と起こさせないため、そして、これ以上世界を理不尽に壊されたくないというなかなか真っ当な理由から、フウカ・ヴェリタスを国際的な最重要指名手配犯に指定した。
懸賞金は「国家予算の100年分」あるいは「指定した大陸をひとつ譲渡する」という、もはや、意味の不明なレベルに達していた。
そして、政府はひとつの特例法を制定した。
「標的がフウカ・ヴェリタスである場合に限り、いかなる手段、いかなる場所での殺人行為、および巻き添えによる器物損壊・大量虐殺を合法とする」
この法律が公布された瞬間、世界の暗黒街で、数え切れないほどの人殺し屋さんが嬉しさのあまり咽び泣いた。
「なんという……なんという素晴らしい世界だ!」
地下室で人間の皮膚を縫い合わせてドレスを作っていた変質者も、神経ガスで村を一つ全滅させたテロリストも、刃物で肉を削ぐことだけを生きがいとする快楽殺人鬼たちも、皆一様に涙を流し、血塗れのナイフを握りしめて歓喜の咆哮を上げた。
フウカを殺すことができる。
伝説の偶像を自分の手で解体することができる。
しかも、フウカ相手であるなら、人前できちんと殺人をしていいのだ。
これまで警察の目を盗み、暗闇の中でコソコソと死体を処理してきた彼らにとって、白昼堂々、カメラの前で、観衆の面前で、堂々と殺戮の芸術を披露できるなど、これほどまでに嬉しいことがあるだろうか?……否、ない。
暗殺者たちは、次々にフウカに挑んだ。
最初の挑戦者は、北都からやってきた通称「パズル大好きモロンちゃん」と呼ばれる男だった。
彼は人間の骨格を瞬時に分解し、別の生き物の形に再構築する特殊な魔導の使い手であった。
王都の目抜き通り、高級カフェでイチゴのクレープを優雅に齧っていたフウカの前に、彼は突如として現れた。
男が両手をかざした瞬間、フウカの周囲の空間に透明なグリッド線が走り、空間ごと彼女の肉体をバラバラの立方体に切断しようとする魔導陣が展開された。
だが、フウカはクレープを咀嚼しながら、「ええっ!?」とだけ呟き、自分の周囲の「空間のグリッド線」そのものをバキバキと食いちぎった。
男が驚愕する間もなく、フウカは食いちぎった空間の欠片を口の中でクチャクチャと咀嚼し、ツバと一緒に男の顔面へ吐き出した。吐き出された空間の破片は男の額に直撃し、その瞬間、男の肉体は目と鼻と口の位置がデタラメに再配置された。男は自分のへその位置に移動した口で悲鳴を上げ、後頭部に移動した目で自分の背中を見つめながら、発狂してその場に倒れ込んだ。フウカは倒れた男の足首を掴むと、そのまま、つま先から齧り始め、五分後には完全に胃袋へと収めてしまった。周囲で見ていた一般市民たちは、コーヒーをすすりながら「まーた始まったよ……」という顔で一応拍手を送った。
次に現れたのは、東都から来た魔導士集団「平和改革連合 婦人部 お・り・お・り・し・て・ネ」だった。彼らは数十人でフォーメーションを組み、人間の肉体を紙のように折りたたむ秘術を持っていた。
「いきますよーっ!ミエコさーん?アシダさんと、ほら、みんな待ってるから、さ!じゃあみんな集まりましたね?……じゃ、いきますよーっ!さん、はい…………千羽鶴ッ!」
彼らが呪文を唱えると、王都のビル群の影が伸び、フウカの身体を二次元の平面へと圧縮しようと襲いかかった。
しかし、フウカは伸びてきた影を両手で掴むと、まるでシーツを畳むようにパンパンと払い、逆に暗殺者たちの方へと勢いよく投げ返した。
間の抜けた音と共に、数十人の暗殺者たちは自らの魔導を反射され、厚さ数ミリの「ペラペラの二次元の肉の紙」へと圧縮されてしまった。地面にへばりついた彼らの平面の顔は、苦痛に歪んでいた。
フウカは地面に張り付いた彼らの「肉の紙」を指先で器用に剥がし、本当に折り紙を折るように、折って、曲げて、重ねていった。骨が砕け、内臓が平面のまま破裂する奇妙な音が響く。数分後、フウカの手元には、数十人の暗殺者の肉体を折りたたんで作られた、赤黒く血が滴る「等身大の肉の折り鶴」が完成していた。フウカはその「平和への祈り」を空へ向けて放り投げると、鶴はバサバサと血の羽を広げて飛び去っていった。
挑戦者の波は止まらない。
次は、王都の地下下水道から這い出してきた「気体の亜人」と呼ばれる変異体暗殺者の群れであった。彼らは自らの体液を気化させ、吸い込んだ者の内臓をドロドロに溶かす猛毒のガスを操る。数百人の彼らは、フウカを取り囲み、一斉に黄色い毒ガスを噴射した。致死量などという次元を超えた、王都全域を滅ぼしかねない濃度の毒ガス。
だが、フウカは深呼吸をするように、その毒ガスを胸いっぱいに吸い込んだ。
肺活量という概念を無視して、数百人が放った毒ガスが、すべてフウカの小さな肺の中へと吸い込まれていく。周囲は一瞬にして真空状態になり、暗殺者たちは酸欠で目を白黒させた。
「ふう……少し、スパイスが足りませんわね」
フウカが息を吐き出すと、毒ガスは彼女の体内で未知の化学変化を起こし、なぜか「大量のガマガエル」となって彼女の口から発射された。ゲコゲコと鳴き叫びながら飛び出してきた何万匹ものカエルは、毒気体の暗殺者たちの顔面や口の中に無理やり飛び込み、彼らの気道を塞ぎ、胃袋の中で暴れ回った。暗殺者たちは自らの毒ではなく、胃袋から食い破ってくるカエルの群れによって内部から食い殺され、全身からカエルを噴射させながら絶命していった。
さらに、最強の武闘派暗殺者と呼ばれる「バルアゴン・ラリロ」が挑んできた。彼は自身の肉体を金属に変化させ、音速で突進してくる巨漢であった。
「てめーは、粉砕してやる!」
重戦車のような突進がフウカを捉えようとした瞬間。
フウカは避けるどころか、彼に向かって両手を広げ、満面の笑みでハグを受け止める姿勢をとった。
衝突の瞬間、轟音は鳴らなかった。
フウカの胸元から腹部にかけての肉体が、まるでスライムかゼリーのように液状化して開き、突進してきた「鋼鉄の牙」の巨体を、その運動エネルギーごと完全に体内に「飲み込んで」しまったのだ。
フウカの小柄な身体の中に、身長2メートルを超える巨漢がすっぽりと収まってしまった。フウカの腹部が不気味にモコモコと動き、中からくぐもった悲鳴が聞こえてくる。フウカは自分のふくらんだお腹をポンポンと優しく撫でた。
「あらあら、胃酸の海でしっかり消化されてくださいな〜」
最強の金属の肉体すら、彼女の理不尽な消化器官の前ではただの栄養素に過ぎなかった。
これほどまでに一方的な暴力を見せつけられてもなお、世界の暗殺者たちの熱狂は冷めるどころか、ますます加熱していった。
彼らは死を恐れていなかった。
むしろ、フウカ・ヴェリタスという絶対者に殺されること自体が、暗殺者としての最高の栄誉であり、究極の自己実現であると錯覚し始めていたのだ。
王都の中央広場には、毎日毎日、世界中から腕に覚えのある変質者たちが巡礼者のように集まってきた。
ある者はチェーンソーと魔導を融合させた武器で挑み、自身のチェーンソーで自らの手足を切り刻むよう精神を操作され、ダルマのように転がりながら笑い死んだ。
ある者は影に潜む暗殺術でフウカの背後をとったが、フウカに「影そのもの」を先に剥がされ、影を丸めてゴミ箱に捨てられた瞬間、本体である肉体がこの世から消滅した。
ある者は音波による脳破壊を試みたが、フウカがその音波をガラス瓶に変換してポリポリと噛み砕き、その破片を吹き矢のように飛ばされて全身をハチの巣にされた。
王都の広場は、理解不能な死体のオブジェで埋め尽くされていった。
内臓を引っぱり出されて編みとられてカーディガンにされた者、骨を抜かれて肉を加工されて風船になって空を飛んでいった者、血液をすべてソフトクリームに変えられてアリの大群に生きたまま食われた者。
それらの愉快な光景は、すべて政府の公認のもと、王都のテレビ局によって全世界へと生中継されていた。
お茶の間の一般市民たちは夕食を食べながらそれを眺めている。
家族団欒の楽しいひととき。
そう!
倫理観は、とっくの昔に地球と共に爆発して消滅し……けして戻ってきてなどいなかったのだ……!




