再起動2:【認知を奪う家庭内暴力の暗喩】
イメージソング:プレデター サウンドトラック
https://youtu.be/_Z4ll94hN_E?si=gm3C4ZQ-Pim1aejH
「一匹残らず殺してきなさいな。場所は、そうね……ま、どこでもよろしくてよ?」
フウカの声は、どこまでも尊大だった。
彼女のその一言は、絶対の勅命だった。
「ふざけんな!誰が……誰がそんな命令に……!」
キットは唾を吐き捨て、地面を殴りつけた。
「無駄ですよ、キット」
隣で膝をつくジルが、雨に濡れた黒髪を揺らし、冷徹な声で呟く。
「彼女の言葉はこの空間の事象そのものを定義する『公理』です。我々に拒否権など……最初から存在しない」
ジルの言葉が終わるよりも早く、異変は起きた。
ふたりの足元に転がっていた鉄屑の中から、『それ』が這い上がってきた。
キットの前には、古びた、鼻先が欠け落ちたコアラのプラスチックお面。
ジルの前には、耳の片方が折れ、表面が黒ずんだウサギのプラスチックお面。
「ひっ!?……わあああああっ!?な……なんだこれ!?離れろよ!!」
キットが悲鳴を上げた時には、すでに遅かった。
コアラのお面が生き物のように跳ね上がり、キットの顔面を覆い尽くした。裏側のプラスチックが、彼の皮膚を溶解させながら顔面の肉へと食い込んでいく。眼球の周囲の骨が軋み、お面の裏側から無数の触手が伸びて、キットの鼻腔と口腔へ侵入した。
「ぽぎ?……!ぶ……ぁぁぁぁっ!?」
「……!?ぷ。……!」
ジルもまた、ウサギのお面に顔面を抱き込まれていた。皮下組織とお面が癒着し、神経細胞が直接結合していく。
同時に、彼らの手元に転がっていた工具、古びたハンマーと、小ぶりなヤスリが、激しい熱を帯び始めた。
キットの右手の指骨が、メキメキと逆方向に折れ曲がる。金槌の柄が彼の掌の肉を破って骨に直接巻き付き、皮膚が木目と金属を包み込んで融合していった。拒絶しようとするキットの意図とは裏腹に、指の筋肉は金槌を握り潰すほどの握力で固着する。
ジルの左手も同様だった。鑢のザラついた金属面が、彼女の掌の皮を削り取りながら肉と同化し、手首から先が一本の「磨くための鈍器」へと変化を遂げていく。
肉体の主導権は完全に奪われた。
お面と凶器に寄生された二人の足は、己の意志を無視して、泥水を跳ね上げながら廃工場を飛び出した。
二人が辿り着いたのは、街灯の薄暗い公園だった。
雨はすでに上がっていたが、空気は重く湿っている。
ブランコには、仕事帰りのサラリーマンが座り、魔導端末を眺めていた。
ベンチでは若いカップルが寄り添い、街灯の下では少女が一人で犬の散歩をしていた。
(ゆ。……ばりもさん?……るうび、でましたま……!)
キットの体躯は、弾丸のような速度で地面を削りながら、ブランコのサラリーマンへ向かって直進した。
「あ?」
サラリーマンが顔を上げた瞬間、キットのハンマーが振り下ろされた。
生々しい破砕音が公園に響き渡った。
人間の頭蓋骨が砕け、脳漿と血液が噴水のように周囲の砂場を濡らす。キットの腕は男の顔面があった場所を何度も、何度も、穴が開いて地面のコンクリートが見えるまで叩きつけ続けた。
一方、ジルもまた少女へと肉迫していた。
ウサギのお面をつけたジルは、少女の細い足首に鑢を突き刺した。少女が倒れ込むと、ジルはその上に馬乗りになり、突き刺した鑢を前後に激しく動かし始めた。
「嫌……あぁぁぁっ!痛い!痛いお母さん!!」
少女の悲鳴が夜の公園に響き渡る。だが、ジルの手元は止まらない。骨が擦れ、肉が細かい微粒子となって飛散していく。完全に足が削り切られ、切断面から白い骨髄が漏れ出すまで、ジルは機械的に鑢を動かし続けた。
だが。
この惨劇のなかで最も恐ろしいのは、二人の殺戮ではなかった。
周囲の人間たちの反応である。
誰も、警察に通報しようとしない。
誰も、二人を止めようとしない。
誰も、被害者に情けの視線すら向けない。
「自分が標的ではない」と理解した瞬間に、人間が露わにする絶対的な無関心と冷酷なエゴイズム。
(じらばてる……!しきなむために……るるじ!……!)
キットはお面の中で嘔吐した。吐瀉物がお面の裏側に溜まり、溶解した自分の顔面の皮膚にしみて激痛を生む。
肉体が勝手に動き、公園にいた七人の人間を全員、叩き潰し、削り殺すまで、その地獄は終わらなかった。
二人が這うようにしてアジトの廃工場へ戻った時、フウカはソファーに深々と腰掛け、高級な魔導ワインを傾けていた。
「あら?随分と時間がかかりましたのね。でも、お疲れ様ですわ!」
フウカがグラスを置いた瞬間、空間の重力が跳ね上がった。
何の予兆もなく、キットの胸骨が内側から破裂した。フウカが一歩も動くことなく放った圧縮魔力の塊が、キットの肉体を吹っ飛ばし、背後の鉄骨に叩きつけたのだ。
「おんぴ……!」
「ゆ……!」
叫ぼうとしたジルの顔面に、フウカの真鍮のヒールが突き刺さった。
鼻骨が砕け、眼球が裏返る。フウカは笑顔のまま、ジルのお面の上から容赦なく足踏みを繰り返した。グシャ、グシャ、グシャ、グシャ、グシャ、グシャ、グシャ、グシャと、人間の肉体を踏みつける音が工場内に虚しく響く。
「遅い。ヘタくそ。美しくない。三拍子揃ったゴミですわね〜〜〜! わたくしがわざわざ与えて差し上げたお面と獲物を、そんな泥臭い殺し方しかできないなんて、生きている価値もございませんわ!」
フウカの手が伸び、キットの腹部に突き刺さった。そのまま肉を掴み、腸を引きずり出す。
半殺し、などという生易しい惨状ではない。
キットの肺は潰れ、ジルの頭蓋は半分に叩き割られ、二人の生命活動は完全に停止した。視界は漆黒に染まり、心臓の鼓動が止まり、完全なる「死」の深淵へと二人は落ちていった。
キットが死の安らぎを感じた、その刹那。
「まだですわ」
フウカの指先から、ドロリとした黒い光が二人の死体へと流れ込んだ。
全身の細胞が急激に分裂し、千切れ飛んだ臓器が逆再生のように引き寄せられ、強制的に接合されていく。骨が繋がり、神経が狂ったように再結合する激痛。
「ゆっ!?……ぽぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
キットとジルは、同時に跳ね起き、肺一杯に汚濁した空気を吸い込んだ。
心臓が破裂しそうなほどの音を立てて脈打ち始める。死んだはずの肉体に、圧倒的な「生の感覚」が強制注入された。
死の絶望から、生の激痛への引き戻し。
「あら?」
その時。
フウカが、廃工場の隅に立っていた一人の男に視線を向けた。
その男は、ヴェリタスの構成員の一人だったが、様子が明らかにおかしかった。男の耳の穴、鼻の穴、そして皮膚の毛穴という毛穴から、ピンク色の太いミミズが大量に噴き出していたのだ。
「ひっ……ひみっ……ふうか様……あたまのなかが……かゆいが……ふよすぎ……」
男が頭を抱えてのたうち回る。彼の頭蓋骨はミミズの繁殖によって薄くなり、皮膚の下で数千匹のミミズが蠕動しているのが透けて見えていた。
「はあ?……気持ち悪いですわ!」
フウカが眉をひそめて手を一振ると、男の頭部が内部から暴走した魔導によって巨大な風船のように膨らんだ。
不快な破裂音とともに、男の首から上が爆散した。
飛び散ったのは血だけではない。何千、何万匹というピンク色のミミズが、豪雨のようにキットとジルの頭上に降り注いだ。顔面に、服の中に、首筋に、生温かいミミズが蠢きながら這い回る。
「ぴーゆっ!!!!ま!!!!ミミズが、ミミズがいるんだび!!!!」
キットが狂ったように自分の顔を掻きむしる。
だが、フウカは爆発した男など歯顧みず、その隣にいた別の男へ歩み寄っていた。
その男は、自らの左足を根元から切断し、その血塗れの切断面に、半ば腐敗した黒牛の頭部を太い針金で直接縫い付けていた。牛の目玉は白く濁り、口からはダラダラと膿のようなよだれが垂れている。男は牛の角を杖代わりにし、不気味な音を立てて這いずっていた。
「素晴らしい芸術ですこと!」
フウカは両手を叩き、幼子のように目を輝かせた。
「自分の肉体と異物を融合させ、混沌を体現する……素晴らしいですわ!あなたには後で、最高品質のドレスの生地を差し上げますわねっ!」
「あ……がとう……ござ……ます……」
牛の頭をつけた男は、嬉しそうに腐臭の漂う息を吐き出した。
(ばるまちか、じぃみ……ですり……)
キットとジルは、激しい目眩を覚えた。
ここには、善悪もない。倫理もない。合理的な理由すら存在しない。
ただフウカ・ヴェリタスという怪物の一時的な感情と、支離滅裂な「美学」だけがすべてを支配している。二人が足を踏み入れたのは、人間的思考が一切通用しない、究極の不条理の深淵だったのだ。
二人がその恐怖に全身を氷つかせていた、その時だった。
「ぽっ……!?」
キットの背後に、気配もなく「何か」が立った。
それは、人間の姿をしているが、顔面のパーツが異常に巨大化した怪異だった。特にその「口」は、顔の半分を占めるほど横に裂け、唇は紫色に腫れ上がり、生温かい湿気を放っていた。
「ゆ?」
抵抗する間もなく、キットとジルの頭部が背後から強い力で固定された。
ズチュウウウウウウウウウッ!!
生々しく、邪悪な吸気音が工場内に響き渡った。
怪異の巨大な唇が、キットの右目と、ジルの左目にぴったりと吸い付いた。
強力な負圧が眼窩を襲う。視神経が引っ張られ、激痛が脳を突き刺す。
「アォォンおおおっ…………ピ!」
肉がちぎれる不快な音とともに、キットの右目の眼球が、根元の神経ごと怪異の口の中へと吸い出された。
続けて、もう片方の眼球にも唇が吸い付く。
「まぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!」
ジルもまた、両目の眼球をその肥大化した口によって豪快に吸い取られていた。
眼窩からダラダラと温かい滑液と血液が溢れ出し、お面の裏側を満たしていく。視界は一瞬にして漆黒へと塗り潰され、光の感覚そのものが二人の世界から永遠に失われた。
「グプッ……ジュル……されども、美味しくなりました……!」
怪異が二人の眼球を口の中で転がし、噛み潰す音が、無光の世界に響く。
盲目となり、激痛に狂乱してのたうち回る二人。
だが、不条理の連鎖はまだ終わらない。
暗闇の中で死の恐怖に震える二人の耳元に、今度はカサカサと百足が這うような足音が近づいてきた。
キットが両手で耳を塞ごうとした。しかし、金槌と融合した右手はうまく動かず、塞ぐ前に「それ」が忍び寄っていた。
そっと寄り添ってきた何者かが、キットとジルの耳たぶを優しく撫でた。
そして、二人の耳の穴に向かって、薄く細い「何か」が挿入された。
それは、人間の舌だった。
だが、その舌はカミソリのように鋭利で、長さが三十センチ以上もある、異常な器官だった。
「おぴっ?わ!……!」
鋭利な舌は、二人の耳孔を押し広げながら、奥へ奥へと突き進んでいく。
鼓膜が破れる破裂音が脳内に直接響いた。
パリンッ、とガラスが割れるような音とともに、三半規管が削り取られ、平衡感覚が完全に消失する。
舌はさらに奥、頭蓋骨の内部にある聴覚神経の束へと到達し、それをヤスリのようにガリガリと削り取り始めた。
「あ……ツァミ……っ!」
激痛とともに、周囲の音が急速に遠のいていく。
フウカの高笑いも、ミミズの這う音も、自分が上げているはずの悲鳴すらも。
世界からすべての音素が引き抜かれ、絶対的な「無音」が二人を包み込んでいった。
視覚を吸い取られ、聴覚を削り削がれ。
残されたのは、お面と凶器が肉体に喰い込む感触と、全身を焼き尽くす激痛、そして皮膚に触れるミミズの蠢きだけ。




