再起動1:【復活のヴェリタス】
イメージソング:タイムクライシス2 サウンドトラック
https://youtu.be/kaPof5cW0y0?si=YqSX3AVbd1lmF3v-
鈍い打撃音が響き渡った!
新暦108年。
王都刑務所、地下最下層に位置する特別独房。
魔導ランプの青白い光だけが頼りの空間で、一人の男が腹を押さえてうずくまっていた。
「どうしたよ、犯罪者!立ってみろよ!コラァ!」
振り下ろされたのは、魔導警棒だった。
「ぐっ……ぁっ……!」
男の名は、キット・クライフォルト。
年齢は30歳。ほんの数ヶ月前まで、彼はこの警棒を振るう側、すなわち王都警察のエリート刑事であった。最高学府である王都ソフィア大学を首席で卒業しながら、あえて現場の泥水をすする道を選び、国家の秩序を守るために命を懸けてきた生粋の愛国者。それが、キットという男のすべてだった。
だが!
今、彼は囚人服に身を包み、かつての同僚たちから虫ケラのように扱われている。
「てめえ!宇宙から石っころ呼び寄せて、王都を潰そうとしたテロリストめ!ほう、いっちょう前に痛がるじゃねえか。おい、お前がいつも言ってた正義ってやつを見せてみろよ!」
看守の一人が、ブーツの先端でキットの顔面を蹴り上げた。鼻血が飛び散り、冷たい石の床を汚す。
看守の瞳に宿っているのは、正義感などではない。かつてエリートとして自分たちを見下ろしていた男が地に落ちたことへの、ひどく卑小な優越感だった。
(なんで……俺がこんな目に……っ!)
口の中に広がる血の味を飲み込みながら、キットは心中で血の涙を流していた。
彼はけして国家を裏切ったわけではない。
王都を脅かす未曾有の魔導事件を追う中で、巨大な陰謀を阻止しようと最前線に飛び込んだ。
だが。
その結果として、宇宙の彼方から王都を完全に消し飛ばすほどの巨大な隕石を引き寄せてしまったのだ。
彼は世界を守ろうとした。
その純粋な愛国心と正義感の果てに、意図せず「世界を滅ぼそうとした極悪人」という十字架を背負わされたのである。
『おい見ろよ!英雄様だ!』
『国家の犬どもに絶望を見せてくれたあんたこそが、俺たちの神だ!』
独房の鉄格子の向こうから、他の階層に収監されている凶悪犯たちの熱狂的な歓声が聞こえてくる。彼らはキットを、腐敗した国家を打ち壊そうとした「革命家」として崇拝していた。
その歓声を聞くたびに、キットの心はズタズタに引き裂かれた!
(ふざけるな……!俺は……お前らみたいなクズどもをこの街から一掃するために警察になったんだ!誰が!誰が英雄だ!誰が神だ!)
キットが歯を食いしばったその瞬間だった。
鼓膜を突き破るような轟音が、刑務所の分厚い壁を内側から吹き飛ばした。
「な、なんだ!?」
看守たちが慌てて腰の魔導銃に手を伸ばすよりも早く、爆炎と粉塵が地下通路を舐め回した。オレンジ色の炎が青白い魔導ランプの光を喰い破り、瓦礫が看守たちの身体を無慈悲に押し潰す。
悲鳴すら上げる暇もなく、キットを痛めつけていた男たちはただの肉塊へと変わった。
立ち込める煙の中から、静かに歩み出てきた影があった。
スーツの上に、真鍮の装甲板を縫い付けた、ロングコートを羽織った武装集団。王都の裏社会を席巻する凶悪な犯罪組織「ヴェリタス」の構成員たちだった。
彼らは血だまりを平然と踏み越え、吹き飛んだ鉄格子の前で一斉に足を止めると、うずくまるキットに向かって恭しく膝をついた。
「お迎えに上がりました、我らが英雄」
「……やめろ!何なんだあんたたちは!俺は……」
「さあ、共に参りましょう。新たな混沌の世界へ」
男たちは、極めて丁重にキットの腕を取った。抵抗する気力すら奪われていたキットは、絶望に濁った瞳のまま、彼らに引きずられるようにして瓦礫の山を歩き出した。
崩れ落ちた刑務所の外壁から外に出ると、冷たい雨が降っていた。サイレンが鳴り響く中、野次馬の市民たちが遠巻きにスマートフォン型の魔導通信機を向けている。
彼らの顔に恐怖はない。ただ、「刑務所が爆発した」という非日常のエンターテイメントを消費する、ひどく無関心で冷酷な好奇心だけがそこにあった。
一人の女が、瓦礫の下敷きになって血を流している看守の手に舌打ちをし、その手を思い切り踏みつけて前列へ割り込み、爆炎の写真を撮っているのが見えた。
(……これが、俺が守りたかった世界か……?こんな連中のために、俺は……?)
雨粒が、キットの頬を伝う涙と血を冷たく洗い流していった。
・・・・・・・・・・
その頃。
王都警察署の正面玄関では、降りしきる冷たい雨を切り裂くように、無数のフラッシュが焚かれていた。
「こちらを!ジル様、こちらに目線をいただけますか!」
「救国の英雄として、現在の心境を一言お願いします!」
報道陣の怒号のような質問が飛び交う中、厳重なバリケードと数十人の重武装警察官に守られながら、一人の女がゆっくりと歩みを進めていた。
彼女の名は、ジル・クライフォルト。
年齢は35歳。
義務教育すら修了していない彼女は、かつて王都の転覆を企て、国家権力を激しく憎悪する極左思想のテロリストであった。警察署の周囲には、今も彼女を「裏切り者」「偽善者」と罵るかつての同胞たちが押し寄せ、暴徒と化してシュプレヒコールを上げている。
だが、今や彼女は、王都警察の警視総監をはじめとする国家の最高幹部たちから、文字通り神のように崇め奉られていた。
「ジル様、どうかお足元にお気をつけて。議事堂までの護衛は、我々が命に代えても完遂いたします」
脂汗を浮かべたふくよかな警視総監が、泥水に自分の高級な革靴を突っ込むことも厭わず、ジルの足元に自らのハンカチを敷いて道を譲る。
その滑稽な姿を見下ろし、ジルは細い目をさらに細め、氷のように冷たい声音で呟いた。
「……随分とご立派な忠誠心ですね、総監。ですが、あなたのそのへりくだりは、保身と……支持率への計算が透けて見えてひどく滑稽です。無能を隠すためのパフォーマンスとしては、まったく三流以下ですね」
「い、いえ、そのようなことは……!」
ジルは蔑みの視線を切り、静かにため息をついた。
彼女は、世界を守りたかったわけではない。腐敗したこの国家というシステムそのものを、根底から叩き潰したかった。だが、彼女の兄であるキットが引き起こした「隕石落下」という物理的な滅亡は、彼女の目指す思想的革命とはあまりにもかけ離れた、単なる無機質な終滅であった。
だから彼女は、極めて冷静な計算と哲学に基づき、自らの持つ魔導技術のすべてを注ぎ込んで、その隕石の落下を土壇場で食い止めたのだ。
結果として、彼女は国家を救ってしまった。
世界を壊そうとしたテロリストが、一夜にして「世界を救った正義の象徴」として祭り上げられるという、吐き気を催すほどの皮肉。
(私は、このシステムを構成するすべての歯車を軽蔑している……というのに……彼らは、自分たちの都合の良いように事象を解釈し、私を神輿に担ぎ上げる。本当に、人間というものは救いがたいですね)
ジルは、豪奢な装甲車両に乗り込んだ。真鍮のパイプとネオン管が這う車内は、過剰なほどに保護されている。
車列が動き出した。
だが、車列が巨大な交差点に差し掛かったその瞬間だった。
周囲のビル群の屋上から、無数の魔導光線が降り注いだ。
「敵襲!」
護衛の警察官が絶叫するが遅い。先頭を走っていたパトカーが青白い爆発を起こして宙に舞い、後続の車両が次々と火ダルマになる。
襲撃を仕掛けたのは、王都に潜む犯罪者グループ「ヴェリタス」の別働隊である。彼らは重機関銃と魔導榴弾を惜しげもなく雨あられと撃ち込み、警察の防衛線を紙くずのように引き裂いていく。
そして、この地獄絵図の中で最も異常だったのは、周囲にいた一般市民の反応である。
魔導車が爆発し、警察官が手足を吹き飛ばされて悲鳴を上げているというのに、交差点の歩道にいた群衆はパニックを起こすどころか、足を止めてその光景を眺めていた。
「あそこの警官、足もげてるぜ」
「ウケる。動画撮ろ」
「迷惑な連中だなぁ。もっと死ねばいいのに」
逃げ惑うどころか、彼らは「自分が標的ではない」と理解した瞬間に、この惨劇を完全に安全圏からの娯楽として消費し始めたのだ。
一人の若き警察官が、腹から血を流しながら這いつくばり、近くにいたスーツ姿のサラリーマンに助けを求めて手を伸ばした。
だが、サラリーマンはその血塗れの腕を革靴で冷酷に蹴り飛ばした。
「触んな。血がつく。汚い。死ねよ」
それが、この王都に生きる人間たちの正体だった。極限のエゴイズムと、他者の痛みに対する絶対的な無関心。
(……やはり、この社会は一度、完全に削り落とす必要がありますね)
装甲車の窓からその光景を眺めながら、ジルは薄く笑った。
直後、装甲車の分厚いドアが外側から強引に引き剥がされた。雨風が吹き込む車内に、ヴェリタスの構成員が顔を出す。
彼らはジルの顔を見ると、深く頭を下げた。
「お迎えに上がりました、英雄。我らが主が、お待ちです」
「……ふん。国家の番犬どもも、所詮はこの程度の警備力ですか。良いでしょう、案内しなさい」
ジルは護衛の死体を跨ぎ、雨の降る街へと優雅に降り立った。
・・・・・・・・・・
王都の最下層。
かつて巨大な魔導機関の製造を担っていたが、今は完全に打ち捨てられた廃工場地区。
周囲には赤錆びた巨大な歯車や、断線して明滅を繰り返すネオン管が散乱している。
バケツをひっくり返したような豪雨が、トタン屋根を激しく叩き、耳を聾するような轟音を立てていた。
ヴェリタスのアジトとされる、巨大な廃工場の前。
泥水が川のように流れる広場で、キットとジルは引き合わされた。
二人の間には、ほんの数メートルの距離しかなかった。だが、その空間には、圧倒的に遠く、圧倒的に冷たい断絶が横たわっていた。
雨に打たれ、囚人服を泥にまみれさせたキットは、目の前に立つ妹を睨みつけた。細身のスーツを着こなし、濡れた髪をかき上げるジルは、どこまでも冷静だった。
「……お前のせいだ……」
キットの口から、震える声が漏れた。
「お前が……お前が、あんなふざけた真似をするから! なんでお前が世界を救った英雄になってんだよ!お前は、この国を壊したかったんじゃないのかよ!」
感情を爆発させ、泣き叫ぶように吠える兄に対し、ジルは表情一つ変えずに淡々と答えた。
「感情論でわめくのはやめていただけますか、キット。相変わらず、あなたは物事の因果を正しく認識できていない。私が隕石を止めたのは、私の理想とする『社会構造の再構築』のプロセスにおいてノイズだったからです。国家が勝手に私を英雄視しているのは、彼らの認知の歪みに過ぎません」
「理屈ばっかりこねやがって……!俺は、俺はただ、誰もが安心して暮らせる世界を守りたかっただけなんだ!なのに、なんで俺が極悪人で、クズどもの神様扱いされなきゃなんないんだよ!嫌だ!もう、意味が分かんねえよ!」
頭を抱え、泥水の中に膝をつくキット。
その無様な姿を見下ろしながら、ジルの瞳の奥には、軽蔑ではなく、ひどく歪んだ、しかし熱烈な愛着の炎が揺らめいていた。
「あなたは本当に、救いようのない……馬鹿ですね、キット。……ですが、そこが愛おしい。自らの知能の低さを自覚せず、大衆の作り上げた『正義』という幻想に盲信し、結果としてすべてを破壊してしまうその愚かさ。私は、あなたのその壊れた姿を見るのが、たまらなく好きですよ」
「ふざけんな……俺はお前が恐ろしいよ。昔からずっと、お前のその目が……気持ち悪かったんだよ……!」
相反する正義を抱き、結果として互いの立場が完全に反転してしまった兄弟。
豪雨の中、やりきれない悲しみと孤独、そして狂気だけが、二人の間に重く沈殿していた。
その時だった。
金属の摩擦音が、豪雨の音を掻き消して広場に響き渡った。
廃工場の正面にそびえる巨大な鉄扉が、重々しく、ゆっくりと内側へ開いていく。
キットとジルは、同時に口を閉ざし、その圧倒的な闇の奥へと視線を向けた。
鉄扉の奥は、一切の光が届かない完全な暗黒だった。だが、そこから確かに、足音が聞こえてきた。
水たまりを踏む、硬質なヒールの音。
それは、暴風雨の轟音の中でも、なぜか耳の奥に直接響いてくるような、異常なまでの存在感を放っていた。
やがて、漆黒の闇の中から、一人の女が姿を現した。
彼女は、傘をさしていなかった。
凄まじい土砂降りの真下へと歩み出てきたにもかかわらず、彼女の衣服も、髪も、肌も、一切濡れていなかった。
雨粒は、彼女の身体に触れる数センチ手前で魔導バリアに衝突し、空中に細かな波紋を描いている。
それはまるで、彼女という存在そのものが、世界から完全に拒絶され、と、同時に、世界を完全に拒絶しているかのような、圧倒的な隔絶の証明であった。
彼女の姿は、異様だった。
身長は低く、小柄な体躯。しかしその胸元は豊満で、豪奢な黒系ドレスを身に纏い、肩にはこの雨の中でも毛足一本濡れていない最高級の毛皮を羽織っている。
漆黒の長い髪の下から覗く顔立ちは、息を呑むほどに美しく、愛らしい。
だが、吊り上がった唇の間には、人間のそれとは明らかに異なる、ノコギリのように鋭く尖った「サメの牙」が覗いていた。
サメの獣人。
その姿を見た瞬間、キットも、そして常に冷静沈着なジルでさえも息を呑み、硬直した。
「ば、馬鹿な……」
ジルが、初めてその声音に動揺を滲ませて呟いた。
「100年以上前……新暦1年に、飛龍と共に消滅したはず……。それが……なぜ。なぜ。あなたがここにいる……?」
女は、立ち尽くす二人の兄弟を見下ろした。
「なぜ?……なぜですって?……呼ばれたから、わざわざ出向いただけですわよ。……クライフォルト家の出来損ないども」
鈴を転がすような、それでいて背筋が凍るほど冷酷な声が、雨の広場に響き渡った。
「それにしても、ずいぶんと見苦しい兄妹喧嘩ですこと。天が落ちるの落ちないの……大層な騒ぎを起こしてくれたものですわね。おかげで、わたくしの優雅なお昼寝の時間が台無しになってしまいましたわ。……やはり、クライフォルト家の者は、生真面目で、しかし、そのくせ、成すことの何もかもが間違っていますわね」
フウカ・ヴェリタス。
100年の時を超えて、今もなお過去の姿のままに君臨する、絶望の女王。
「さて、世界を壊した愛国者と、世界を救ったテロリスト。あなたたちのその無様な生き様、わたくしの古い友人にそっくりですわね。……ひどく、気に入りましたわ。これより、あなたたちには『仕事』を与えて差し上げます。……さあ、果てのない混沌のワルツを、始めましょうか」
世界が最も恐れるべき理不尽が、ネオンと雨の王都に、静かに舞い降りた瞬間だった。




