美食16:【サメの私が教えたる!学べ!野蛮の正しさを!】
イメージソング:ショーン・オブ・ザ・デッド サウンドトラック
https://youtu.be/ocXMwqn0m3s?si=2-jUHIJtHTDPs2If
王都に、静かなる、しかし、絶対に防ぎようのない災厄が舞い降りていた。
フウカ・ヴェリタス。
かつてアギト一家の女王であり、最愛の少女マオをその手に抱いて見送ったサメ獣人の女。彼女の身体に宿る特性は、極めて歪で、それゆえに圧倒的だった。
サメ獣人は、体力的には魔力を持たない他の獣人たちと何ら変わりない。泥を這い、刃に傷つき、病に倒れる等身大の肉体だ。しかし、彼女たちの精神の深淵に流れる魔力だけは、不老の支配者であるエルフと同等……すなわち「無限」であった。
無限の魔力と、泥臭い肉体。
この強烈な組み合わせに、マオを失ったことで研ぎ澄まされた凄まじい「殺気」が加わった時、フウカは、地上で最も恐ろしい侵略者となった。
フウカの行った復讐は、凄惨を極めた。
ただし、直接的な殺人を指すのではない。
フウカは裏社会を生きてきたアウトローではあったが、その根底にはどうしても捨てきれない……「善性」が静かに脈打っていたからだ。だからこそ、彼女の復讐は殺戮ではなく……「学」の強奪という形をとった。
「フフフ……動かないでくださる?わたくしの機嫌を損ねたら、この建物の地下水脈ごと、あなた方の脳を沸騰させますわよ」
薄暗い研究室。
魔法物理学の権威たちが、冷や汗を垂らしてガタガタと震えていた。
背後に佇むフウカは、漆黒のドレスの裾を揺らし、ただそこに立っているだけで空間の温度を氷点下にまで叩き落とすような、凄まじい圧力を放っていた。
フウカは一人も人を傷つけなかった。
だが、やっていることは凶悪な強盗やテロリストそのものだった。彼女はサメ獣人たちを率い、片っ端から名だたる大学、国家級の科学研究所、歴史ある学術財団を強襲した。
圧倒的な魔力の威圧と、裏社会で培った緻密な書類工作、脅迫、買収、そして法的な死角を突く「正当な手順」を踏んで、次々とそれらをヴェリタス家の傘下に収め、乗っ取っていったのだ。
なぜ、フウカはそれほどまでに「学」を欲したのか?
それは何よりも、エルフたちが隠蔽し続けてきた「魔力の危険性」を白日の下に晒すためだった。
そして同時に、魔力障害という呪いから解き放たれた未来。
誰しもが、危険なしに力を行使できるバリアフリーの社会。
それらを、創り出すためであった。
乗っ取った無数の研究機関のデータと、マオが遺した「真理」の破片を統合していく中で、フウカは一つの巨大な事実に到達した。
それは、100年後の未来で後継者たちが「新発見」として世に提示することになる真実そのものだった。
魔力は、外付けの触媒とデバイスを用いれば、人工的に、かつ安全に精製・使用できる。
いずれ、外付けデバイスの普及によって、魔力を持たない獣人すらも自在に魔法を操る時代が訪れる。
そうなれば、高位の魔力を独占することで世界の上に君臨してきたエルフたちの絶対的な優位性は、完全に崩壊するのだ。
フウカは、自らその完成を見届けるつもりはなかった。
彼女は、後々の時代に生きる「最も異端なるヴェリタスの後継者」が、ある日突然の天啓としてこの真実に気づくように、乗っ取った研究機関の基礎データベースの奥底へと、不可逆の「呪い」を仕掛けた。
「……これで、よろしいですわね、マオ」
一旦、すべての根回しは終わった。
エルフの支配を揺るがす種は撒かれ、未来のバリアフリーへの道筋は整い、来るべき飛竜の再来への道標も立てた。
だが。
その仕事を終えた瞬間、フウカの胸を襲ったのは、果てしない空虚であった……。
熱気と油の匂いが立ち込め、赤提灯と怪しいネオンが雨の夜に滲む、最果ての場末に、フウカはいた。
屋台からは、野菜の死体や豚の死体を釜茹でにしたスープの蒸気が立ち上り、泥酔した男たちが甲高い声で怒鳴り合っている。そんなごった返した大衆居酒屋の、湿ったカウンターの片隅。
フウカは、掠れた文字でただ「生」とだけ書かれた、中身が何かもわからない、何らかの生ではある謎のジョッキを傾けていた。
心は、完全にすり減っていた。
死にたい。
今すぐにでもこの命を絶ち、マオのいる場所へ行きたい。
だが、死ねない。
生き切らねばならない……という謎の義務感が、彼女をこの生ぬるい現実に繋ぎ止めていた。
「……不味いですわね、これ」
一口飲み、フウカは自嘲気味に呟いた。
そんな彼女のすぐ隣に、ぬっと一人の男が腰を下ろした。
ガタのきた丸椅子を鳴らし、男は店員に短く何かを注文した。運ばれてきた濁った酒を煽り、男は横目でフウカを見た。
「女、てめえ、景気の悪い顔してんな。死人みてえなツラだぜ」
男が話しかけてきた。
普段のフウカなら、気取った言葉で冷たくあしらうところだった。だが……。
「……死人そのものですわよ。ですから、話しかけないでくださる?」
「あ、テメ、死人が酒飲むんかよ、ボケ」
男は鼻で笑った。
それから二人は、言葉を交わした。
他愛もない、意味すらない会話だ。
一軒目をあとにし、二人は二軒目の路地裏の酒場へと流れた。
そこでも何かを飲み、互いに何かを語り合った。
【フウカは、ただの「行き場のない女」としてそこにいようとした。】
そして、三軒目の店を出て、湿った路地裏の曲がり角に差し掛かった時だった。
「てかマジおめ、鬱陶しいんだよ、女が舐めた口きくんじゃねえよ」
突然の衝撃。
男の手のひらが、フウカの美しい頬を力任せに張り飛ばした。
「な……っ!?」
フウカの顔に、激痛と同時に猛烈な怒りが打ち寄せた。
この何の意味もない社会の底辺の馬鹿男に、自分が殴られた?
許しがたい。
この男の全身の骨を粉砕し、肉を抉り取って海に沈めてやるそう思考が跳ね上がった、次の瞬間であった。
(……あ……っ?)
フウカの脳髄を、未知の電流が駆け抜けた。
頭に来たはずだった。不快なはずだった。
しかし!
その激痛と理不尽な暴力の衝撃の奥底から、ゾクゾクとするような強烈な「快楽」が芽生えたのだ!
身体の全細胞が、急激に熱を帯びていく。
否認されること。否定されること。圧倒的な理不尽によって打ちのめされること。
それが、フウカの中に眠っていた何かを、壊した。
なぜ、女は、加害者が、好きなのか?
なぜ、世の女は、自分を殴り、蹴り、傷つける男のもとへと、泣きながらも戻っていってしまうのか?
そこには、理屈や理論を超えた、残酷な野生の真理が存在していた。
他人に危害を加えるという行為、理不尽な暴力を振るうという行動は、原始の、圧倒的な「行動力」の表れであり、行動力とは、生存競争における「有能さ」の証明なのだ。
優しく包み込んでくれる理論や言葉などは、生き物としての肌触りを持たない。
だが、肉体を直接殴打する暴力は、紛れもない生のリアリティであり、男という個体が持つ圧倒的な原始のエネルギーそのものであった。
フウカは、血の混じった唾を吐き出しながら、地面に倒れたまま男を見上げた。
男の名は、ザラキ・アルゴリズムと言った。
その瞬間、フウカは、ザラキを猛烈に愛してしまった!
マオのことなど、完全に頭から吹き飛んでいた!
サメとしての、獣人としての、いや、一匹の「野生の牝」としての本能が、激しく目覚めてしまったのだ!
「けッ、つまんねぇ女だ」
ザラキはフウカを一蹴りすると、路地裏のゴミ捨て場へと彼女を投げ捨て、そのまま去っていった。
生ゴミと腐った果実の匂いが充満するゴミ山の中で、フウカは泥に塗れて天を仰いだ。
上空から、冷たい雨が降ってくる。その雨を全身で受け止めながら、フウカの心は熱く狂っていた。
(……あぁ、ザラキ様……! 会いたい……! もっと、もっと暴力が欲しい……! わたくしを壊してくださらないかしら……!!)
ゴミ山の中で雨を浴びながら、フウカは歓喜に震えていた。
雨がフウカの体温を奪い、意識が泥の中に沈みかけた、その時であった。
「……大丈夫ですか? こんな場所で倒れているなんて」
頭上から、整った声が降ってきた。
フウカが半ば開いた目で視線を向けると、仕立てのいいスーツを着た一人の男が立っていた。
男は雨傘をフウカに差し伸べ、清潔なハンカチで彼女の顔を丁寧に拭った。
男はフウカを抱きかかえると、近くの高級ホテルの最上階にある、洗練されたラウンジバーへと連れて行った。
毛布でフウカの身体を温め、上質な温かいスープを注文し、フウカの身体を心から気遣った。
「私はファイン・ガバナンスと申します。君のような美しい女性が、あのような場所で傷ついているのを見て、放っておけなかった」
ファインは優しく微笑んだ。
彼はフウカに酒を勧めながら、朗々と語り始めた。なんだかこの国の未来をどう改革すべきかという完璧な政治理論だとか、彼が推し進めている、何百億もの金が動く壮大な事業計画だとか、彼が所有する特注の高級外車、スイスの職人が作った限定の機械式時計、王都の上層部や名士たちとの輝かしい人脈……。
ファインは、まあ、どこまでも知的で、どこまでも紳士的だった。
そして、フウカの傷ついた心や、投げやりな態度すらも、すべてを理解したかのように包み込み、深く「肯定」したのだ。
「君がどんな辛い過去を背負っていても関係ない。私は君という存在を、そのまま受け入れよう」
ファインが甘い言葉とともに、フウカの手をそっと握った。
その瞬間!
フウカの胃の奥から、激しい「吐き気」と「猛烈な嫌悪感」が突き上げてきた!
(……は?わたくしを肯定するだと……?肯定するということは、わたくしから、喰われるだけの、弱者……!こいつは、弱者!肯定するから、弱者!弱者から、肯定された!許せない!許せない許せない許せない許せない!許せない!)
フウカの目が、氷のように冷え切った。
何なのだ、この男は……?……?
自分を物理解析するように見つめ、「正解」の態度で包み込み、「正しい答え」として全肯定してくる。
私を……肯定するだと?
わたくしの、あの……あのですね……あなたは、あんたは、……テメーは、わたくしの、何を、知って、いると、いうのだ?
わたしの胸の奥で渦巻く泥のような不快感も、血への渇望も、サメとしての凶暴性も、何一つ見ようとせず、ただ「可哀想な傷ついた女を救う紳士な自分」という完璧な物語に酔いしれているだけではないかよ!
というか……「キミが選んだ回答も、まあ、正しいね」と、肯定しているようで……上から目線で、肯定という名の論破をしているだけじゃあないか!
(ククク!……だったら……貴様のような男は、徹底的に使い潰して絞り尽くして差し上げますわよ!!)
フウカはその日から、独り身であるファインの超高層高級マンションに転がり込むことにした。
ファインはフウカを甘やかした。
「君の好きに使うといい」と、クレジットカードと、見たこともないような額のお小遣いを、惜しげもなく与えてくれた。
フウカはその大金を手に入れると、ファインの部屋を飛び出し、すぐさまあの汚い路地裏へと向かった。
そして、泥臭い酒場で見つけたザラキ・アルゴリズムに、その金を一気に叩きつけた。
「ザラキ様!お金ですわ!」
ザラキはフウカの髪を掴み、容赦なく殴りつけた。
フウカはその痛みにのたうち回りながら、快楽に震えた。
そして、ボロボロになった身体でファインのマンションへ戻る。
ファインは驚愕し、フウカを抱きしめ、医者を呼び、傷を癒やし、再び「なんて酷いことをする奴がいるんだ。君は何も悪くない」とフウカを肯定し、さらに金を渡した。
フウカはその金を受け取り、またザラキの元へ走り、金を貢ぎ、殴られた。
ファインから金をもらい、ザラキに貢ぎ、殴られる。
ファインから金をもらい、ザラキに貢ぎ、殴られる。
【ファインから金や好意を貢がれるたびに、フウカはファインのことが死ぬほど嫌いになった。】
そして、ザラキから殴られ、暴言を吐かれるたびに、フウカはザラキのことが愛しくてたまらなくなった。
このフウカの軌跡を見て、「精神病か何かではないか」と愚痴をこぼす者がいたら、それは、人間の心を何一つ理解していない、愚者の浅知恵である。
ファイン・ガバナンスのような男が口にする言葉。
「ぼくちゃんは人を殴らない。ぼくちゃんは、誰よりも性格が良くて、論理的だよ」
はあ??
彼が見せつけてくる才能、金銭、人脈、事業。
それらはすべて、人間という車の「性能」であり、「結果」に過ぎないのだ。そこに、感情は、いない。
性能と結果。
それは数値であり、記号である。
そんな、正論やスペックという名の記号をどれほど見せつけられたところで、生き物としての心は一向に震えない。
むしろ、完璧にコントロールされた「理論」を見せつけられれば見せつけられるほど、単なる機械(ATM)だとわかり、人間の心は冷め、離れていくのだ。
一方で、ザラキ・アルゴリズムはどうだ。
殴る、蹴る、奪う、暴れる。
そこには何の計算もなく、何の理論もない。あるのは圧倒的な「過程」であり、むき出しの「感情」そのものである。
人は、理屈ではない!
生きているという、過程が大事なのだ!
男性が捏ね繰り回す「理論」など、女性の本能の前にはゴミ同然であった。だからこそ、フウカは迷うことなく、ザラキを選んだのだ!
数ヶ月後。
フウカはファインのマンションのリビングで、ファインに向かって冷たく言い放った。
「手切れ金を出しなさいな。わたくしの全財産となるほどの額を」
ファインは絶句した。
「な……なぜだ、フウカ!? 私は君に何一つ不自由させなかった! 暴力も振るわず、君のすべてを肯定し、愛してきたはずだ!」
「それが嫌だったと言っているのですわ、この大バカ者が!」
フウカは吐き捨てるように言った。
「貴様はわたくしを一度たりとも傷つけなかった。表面上は良いかもしれない!だが、つまり、それは。本心を話さなかった。まともに向き合わなかったということ。それが、わたしの心をどれほど深く傷つけたか! 貴様のその退屈で清潔な正論が、わたくしを吐き気で殺しかけていたのですわ!わたくしを傷つけた慰謝料として、貴様の財産をすべて寄こしなさい!」
ファインは顔を蒼白にし、しかし、言われた通りの莫大な財産を口座に振り込んだ。
最後まで、物分りが良く、理論的に応じたのだ。
フウカはその振込通知の画面を見て、心底底から蔑むような失笑、いや、冷笑を漏らした。
「……最後まで、本当につまらない男でしたわね」
世の中の負け犬たちは、こういう状況を指して「金の切れ目が縁の切れ目」などと知った風な口をきく。
だが、それが、決定的な間違いなのだ。
金がなくなったから捨てられたのではない。
「金しか持っていない豚が、感情を持つ人間に捨てられた」、ただそれだけのことなのだ。
ファインには、金と理論と性能しかなかった。
だから、捨てられた。
ザラキは粗暴で、無一文で、最悪の男だったが、しかし、金以外の「生の感情と過程のすべて」を持っていた。
ファインの部屋を出て行ったフウカは、その莫大な手切れ金を抱えて、下町の路地裏へと戻っていった。
なお。
これらは全て、あますことなく、何もかもがフウカの計画の内であった……。




