美食11:【さらば優しき友よ!崩壊までのカウントダウン!】
イメージソング:さくらびと
https://youtu.be/86fvvooDlMQ?si=4eebJaJC1KDdrUyu
やけに明るいということは、そういうことです
厚い雲が晴れ渡り、西都の空には、突き抜けるような青空が広がっていた。
雨も止み、萬屋の屋根では近所の野良猫たちが気持ちよさそうに喉を鳴らしている。
萬屋の空気は、どこか湿っぽく、そしてほんの少しだけ気まずい。
だが、それは破滅の淵を覗き込んだ者たちが日常に帰還するための、許容範囲の「ぎこちなさ」であった。
魔力による脳の破壊と絶望からどうにか理性を取り戻したリンは、いつものように少しガサツに茶をすすっている。
そして、すべての騎士団を打ち滅ぼし、名実ともに『クライフォルト騎士団長』という虚構の王座に就いたノルンもまた、いつも通りに背筋を伸ばし、威風堂々と座布団の上に正座していた。
その光景を見つめていたマオは、エプロンをきつく締め直し、大きなため息をついた。
そして、彼女は決意に満ちた瞳で、ちゃぶ台の向かい側に座る豪奢な毛皮を羽織った女……サメの半獣人・フウカを真っ直ぐに指差した。
「フウカ!ワタシと結婚するヨ!!」
「…………はあ?」
突然の宣言に、フウカは飲んでいた最高級の紅茶をあやうく吹き出しそうになった。サメの鋭い牙が覗く口をパクパクと開閉させ、信じられないものを見るような目でマオを凝視する。
「な、ななな、何を突然言い出しますの!? 気が狂いましたの!?ついにあなた、脳みそまで発酵しましたの!?」
「何を言うネ!ワタシは本気アル!フウカ、ワタシのお嫁さんになるヨ!」
マオの瞳に一切の迷いはなかった。
フウカは顔を真っ赤にして扇子で口元を隠したが、その瞳からはボロボロと大粒の涙が溢れ出していた。
「……っ、ほんっとうに、貴女という人は……!こんなタイミングで、馬鹿ですの……?嬉しくないわけ、ないじゃありませんの……っ!」
フウカは泣いて喜んだ。
だが、彼女も、そしてマオ自身も分かっていた。
【なぜ、今このタイミングでプロポーズをしたのか。変わらなければならなかったのだ。新しいことを始めて、新しい自分にならなければ、過去の絶望に引きずり込まれ、いずれこの狂った時代に殺されてしまう。】
マオはフウカを好いている。
だが同時に、このままでは破滅へ向かう妹のリンと、親友のノルンを現世に引き留めるための「強烈な光」が必要だったのだ。
フウカはそれを見抜いていた。
見抜いた上で、マオの不器用な愛と、家族を守ろうとする必死の足掻きをすべて包み込むように、何も言わずにただマオを見つめ返した。
その瞬間。
「お!ええやんけマオ!ついに年貢の納め時やな!めでたいでっせー!!」
「うむ!我が親友の門出だな!クライフォルト家当主として、最大級の賛辞を贈ろうではないか!素晴らしい決断だ!」
理性が戻ったリンが、バンバンとちゃぶ台を叩いて明るくはしゃいだ。ノルンもまた、立ち上がって大袈裟な身振りで拍手を送る。
かつての明るいリンと、かつての冷静なノルン。
【だが、マオには分かっていた。二人がいま見せているこの底抜けの明るさは、マオの優しさと覚悟に応えるための、精一杯の「気遣い」なのだということに。】
「……うぅっ……うぁぁぁぁん!」
マオは、顔をくしゃくしゃにして泣き出した。
何の才能もなくて、一番年長で、一番何もできなくて、あの地獄のような日々の中で一番被害を受けていなかったのが、自分だ。
「なんで……なんでみんな、そんなに優しいアルか……!馬鹿野郎アル……っ!」
「な、なんで泣き出しますの!?貴女からプロポーズしておいて情緒がバグってますわよ!?」
「しゃーないなー。マオはほんまに、泣き虫なお姉ちゃんやで」
「ふふ、君のそういう純粋なところ、嫌いではないぞ」
泣きじゃくるマオを、フウカが呆れながらも優しく抱きしめ、リンとノルンが笑いながらその背中を撫でた。
湿った空気は、すっかり吹き飛んでいた。
その日、4人は西都を遊び尽くした。
映画館。
旧世紀の遺物であるフィルムを再生する薄暗い映画館で、アクション映画を観た。
「ほぉー、今の回し蹴り、なかなか理にかなっとるやんけ。ウチならもっとスマートに避けるけどな!」
ポップコーンを口に放り込みながらリンが豪語する。
「ふん、スクリーンの中の動きなど、我がクライフォルトの体術に比べれば児戯に等しいな!」
ノルンが腕を組んで偉そうに頷く。
「ちょっと!映画館では静かにしませんの!?俗物たちがこっちを見てますわよ!」
フウカが小声で怒鳴るが、マオは「フウカ、一口食べるアル!」とフウカの口にチュロスを突っ込んで黙らせた。
続いて、西都の片隅にある美術館へ。
「見てみいノルン、この絵!なんや?抽象的すぎて、アホが描いた落書きにしか見えへんで!」
「前衛的すぎるな。私にはこの絵の素晴らしさが……まったく分からん!」
「美術も解さないとは、本当に教養のない野蛮人ですこと! これは新暦以前の……ええと、なんでもないですわ」
フウカも、実はよく分かっていなかった。
公園では、なぜか4人で本気の鬼ごっこが始まった。
「逃がさないアルー!!」
「ギャー!マオの馬鹿力が迫ってくるでっせー!」
リンが慌てて逃げ惑い、フウカは「なぜわたくしがこんな庶民の遊びを……きゃあっ、ドレスが汚れますわ!」と叫びながら走り回る。
ノルンだけは、飛んできたフリスビーを宙返りで華麗にキャッチし、「ふっ、風を読めば造作もないこと」と無駄にスタイリッシュにポーズを決めていた。
そして夕飯は、もちろん行きつけの『食堂大西館』だ。
「おやっさん、いつもの麻婆豆腐と炒飯、大盛りで頼むヨ!」
「ウチは天津飯と餃子や!腹ペコで死にそうでっせ!」
「我がクライフォルトの胃袋は、今日は酢豚を求めている!」
「ちょっと!なぜわたくしまでこんな油っこい大衆食堂で食事を……あ、この小籠包、美味しいですわ!おかわり!」
客同士の、酔っ払いの喧嘩が始まりそうになったが、マオがお玉一本で乱入し、「店の中で暴れる奴は、ワタシが許さないアル!!」と力ずくで鎮圧した。
笑い声と、皿がぶつかる音。熱気と、料理の匂い。
楽しかった。
本当に、楽しかった。
世界の終わりなんて、本当は来ないんじゃないかと思えるほどに。
・・・・・・・・・・
大西館からの帰り道。
夜風が心地よく吹く中、リンがふと足を止め、満面の笑みで振り返った。
「ウチな。もう、【全部やめる】で!」
それは、あまりにも突然で、しかしこの上なく明るい宣言だった。
「萬屋の仕事も、魔法使いとしての戦いも、【もう】お休みや!ノルンが『クライフォルト公爵』になった恩恵でな、ド田舎にでっかい屋敷が建つんやと!だからウチ、そこで『聖なる命の会』っていうのを作ることにしたんや!」
「聖なる命の会、アル?」
「そや!人間も、動物も、魔獣も、みんなで仲良く暮らすための団体や!まず手始めに、北の山に住んでる超巨大熊『クロウ・オブ・マウンテン』と仲良うなって、一緒に【仕事】でもしようと思っとる!」
「ば、馬鹿ですの!?あんな凶暴な魔獣と共生なんて、食べられて終わりますわよ!」
フウカがツッコミを入れるが、ノルンは自信満々に頷いた。
「リンの決断を、私は全力で支持する!この私、ノルン・クライフォルトの庇護下にあれば、巨大熊の一匹や二匹、どうということはない!」
「ほーんま頼りにしてまっせ、団長様!」
リンの瞳には、かつての狂気は微塵もない。
戦士には、休息が必要なのだ。
魔力で焼き切れそうになった脳と心を休ませるための、【長くて優しい休息】が。
マオは、リンの小さな両手を取って、力強く握りしめた。
「……わかったアル。リン、田舎でいっぱい美味しいもの食べて、ゆっくり休むヨ」
「おおきに、お姉ちゃん。マオもフウカ様と、幸せになりや!」
「ふん、言われるまでもありませんわ。わたくしがこの俗物を、最高に幸せなアギト家の花嫁にして差し上げますわ!」
次の日の朝、リンは本当に小さなトランク一つで萬屋を出て行った。
【涙はなかった。】
「ほな、【さいならー!】」
「気をつけて行くアルよー!」
太陽の光を浴びながら、リンは明るく手を振って西都の喧騒の中へと消えていった。
さらば、リン。
それは、最高に明るくて、前向きな別れに見えた。
・・・・・・・・・・
そして、リンが去ってから数日後のこと。
「マオ、フウカ!お客様が来てるぞ!」
萬屋の入り口で掃き掃除をしていたノルンが、珍しく慌てた声で奥に向かって叫んだ。
「どうしたアル?またジンのおっさんが厄介な依頼を持ってきたヨ?」
「……いや、それが……」
マオとフウカが土間に出ると、そこには一人の少女が立っていた。
ボロボロの衣服。全身についた煤の汚れ。
だが、そんなことよりも目を引いたのは……彼女の背中に生えた「小さな羽」と、スカートから突き出した「極太の尻尾」、そして頭から生えた「二本の角」だった。
「……え?」
「な、なななな、なんなんですの、この生き物は!?」
少女は、おずおずと口を開いた。
「わたし、知らない世界……引き摺り込まれちゃって……おうち、ないの……」
そう言った瞬間、少女がくしゃみをした。
少女の口から、凄まじい業火が放たれ、土間の壁が黒焦げになった。
「火!?火を吹いたアル!?」
「飛龍ですわ!!伝説の飛龍ですわ!!」
マオとフウカがパニックに陥り、抱き合って叫ぶ。
間違いない。異世界から飛龍がやってきたのだ!
だが、それは世界を滅ぼす巨大な飛龍などではなく、ただの小さな、行き場を失った龍人の少女だった。
ついに、この時が来た。飛竜討伐を掲げる魔導規制局に報告すべきか?もし知られれば、この子はどうなる!?
「ノルン!すぐにジンのおっさんに……って、ノルン?」
マオが振り返ると、ノルンは信じられない行動に出ていた。
「……っ」
ノルンは、炎を吹いて自分でも驚いて泣き出しそうになっている龍人の少女を、無言で、力強く抱きしめていたのだ。
「えっ……?お姉ちゃん……?」
「大丈夫だ。もう、怖がらなくていい」
ノルンの瞳は揺れていた。
その名もなき龍人の少女の瞳。それは、居場所をなくして震えていた、かつての『孤児の自分』と全く同じ目をしていたからだ。
ノルンには分かった。
この子もまた、異世界から理不尽に飛ばされ、誰かに庇護を求めているのだと。
少女は、ノルンの温かい腕の中で、ポロポロと涙をこぼした。
そして、寂しそうに、安心したように、小さな声で呟いた。
「……お母、さん……」
「…………!!」
ノルンの顔が、カッと真っ赤に染まった。
「お、おか……!?わたしが、お母さん!?いや、私はまだ25で、独身で、しかもクライフォルト家当主で……!」
威厳などかなぐり捨てて激しく動揺するノルンを見て、マオとフウカは顔を見合わせ、そして同時に吹き出した。
「アハハハハ!ノルンがお母さんアル!!」
「最高に似合ってますわよ、団長様! 新しい家族の誕生ですわね!」
「笑うな!私は騎士団長だぞ!?おい、こら、尻尾を振るな!火を吹くな!!」
焦げ臭い萬屋の中に、久しぶりに心からの大爆笑が響き渡った。




