美食3:【サメはワニを追い喰らう!追撃のお嬢様!】
イメージソング:大都会partⅢ OP
https://youtu.be/Y5uiE28rpdU?si=Pxe-aGkxc67Mh94a
西都のど真ん中に位置する大衆食堂『大西館』。
油と香辛料が焦げる匂いが充満する喧騒の中で、マオ・チェンリーは巨大なラーメン鉢を両手で抱え込み、最後の一滴まで豪快にスープを飲み干していた。
「ぷはぁーっ!食ったアル!疲れた後のチャーシュー麺は最高ヨ!」
「ほんまよう食うなぁアンタは。ウチもう、胃袋より脳ミソが限界や……」
マオの向かいの席で、妹のリン・チェンリーは卓上に突っ伏していた。彼女の前には食べかけの炒飯が置かれているが、スプーンを握る手はどこか力無い。彼女の真っ白な髪は心なしかパサついて見え、いつもは鋭い眼光も今日ばかりはとろんと濁っていた。
無理もない。今日の萬屋の仕事は、ハードすぎた。
朝一番で舞い込んだのは、西都の郊外にそびえる岩山に現れた『クロウ・オブ・マウンテン』の討伐依頼だった。旧時代のツキノワグマが魔力の影響で突然変異し、ダンプカーほどの巨体に成長した凶暴な怪物である。
マオが持ち前の馬鹿力と青龍刀で怪物の猛攻を正面から受け止め、足止めをしている隙に、リンが魔法を練り上げた。掌から放たれた魔力砲撃は、山肌の一部ごと怪物を一撃で吹き飛ばした。そこまでは、良かった。
問題は午後からの依頼だった。西都に住む成金貴族からの「逃げ出した飼い猫を探してほしい」という、いかにも萬屋らしい仕事。
だが、単なる猫探しではなかった。どういうわけか、逃げ出した10匹のペルシャ猫たちはすべて、魔力異常の影響を受けて「空中を闊歩して」いたのだ。
空を優雅に散歩する猫たちを捕まえるため、マオは下から網を振り回し、リンは『魔導跳躍』の魔法を連続発動して、文字通り空を駆け回りながら一匹ずつ確保する羽目になった。
「あんな連続で跳躍魔法なんか使うたら流石に酔うわ。あー、アカン。……店長!水おかわり!氷いっぱいでな!」
リンは乱暴にジョッキを差し出した。
疲れからか、彼女は明らかに気が立っていた。
だが、イライラしながらもどこかコミカルに卓上に突っ伏すリンを見て、マオはカラカラと笑った。
「リンはお疲れアルね!私の肉まん、半分あげるヨ!」
「あーいらんいらん!ウチの胃袋はアンタと違って四次元空間やないねんぞ!」
「えー、美味しいのに。じゃあ私が全部食べるアル」
マオはパクパクと肉まんを平らげると、ドンと胸を叩いた。
「さあて、お腹もいっぱいになったし、もう一仕事してくるヨ!」
二人は会計を済ませ、大西館の外へと出た。
夜の西都は、昼間以上の活気に満ち溢れていた。
赤や青の魔導ランプが怪しくも鮮やかに通りを照らし出し、屋台からは湯気がもうもうと立ち上っている。
行き交う人々は多種多様だ。
人間、獣人、エルフ、そして得体の知れない半獣たち。
かつてこの世界が一度滅びかけたことなど微塵も感じさせないほどのエネルギーが、この街には渦巻いていた。
【過去に何があったとしても、悔やんでいる暇などない。全てを喰らい尽くし、ただ、明日へと向かって力強く生きる。】
そんな西都の荒々しい活気が、マオもリンも大好きだった。
「じゃあ私、漁港へ行ってくるアル!港の倉庫でちょっとした魔力異常の調査依頼が入ってるヨ!」
「こんな夜更けにようやるわ。ウチはもうアカン。萬屋に戻って眠るで。……あんま無理すなよ、マオ」
「リンも早くゆっくり休むネ!おやすみアル!」
マオは元気に手を振り、ネオンの海へと駆け出していった。
その小さな背中を見送ってから、リンはあくびを一つ噛み殺し、萬屋へと続く裏路地へと足を踏み入れた。
リンが家路を急いでいると、繁華街の角でひときわ目を引く豪奢な一団とすれ違った。
黒塗りの高級な魔導車。その周囲を固める屈強なサメの獣人たちの中心で、派手な洋風の黒系ドレスと白い毛皮を纏った小柄な女性が、扇子を優雅に揺らしていた。
西都の闇市と物流を牛耳る新興豪族アギト家の若き当主、フウカ・アギトである。
「おや。こんなところで奇遇ですわね、魔法使いさん。貴女が一人ということは……マオはどうしましたの?」
フウカはリンを見つけるなり、値踏みするような視線を向けた。
リンは頭を掻きながら答える。
「姉貴なら仕事で南の漁港へ行ったで。フウカはこんな夜中に見回りか?ご苦労なこっちゃな」
「わたくしは夜の支配者ですもの。自分の庭を散歩しているだけですわ。……それにしても、マオも相変わらず働き蜂のように……。わたくしの屋敷に来れば、一生働かずに最高級の食事と、あ……愛情を与えて差し上げますのに」
フウカは扇子で口元を隠しながら、どこか不満げにため息をついた。
その様子を見て、リンはニヤリと笑った。
「そりゃ無理な相談や。ウチの姉貴、アホみたいに鈍感やからな。『愛情』って言われても『美味しいご飯のことアルか?』ぐらいにしか変換されへんで」
「…… ほんっっとうに、あの子の鈍感さにはわたくしも頭を抱えていますのよ!この間など、宝石をプレゼントしましたのに、『これで一ヶ月は美味しいお肉が食べられるヨ!』と質屋に持っていこうとしましたのよ!?」
「あー。姉貴らしいわ!アンタも苦労するなぁ」
「笑い事ではありませんわ!だいたい貴女も、妹なら少しはマオに言い聞かせなさいな!」
「まあ、あの鈍感でアホなところが、マオのええトコでもあるんやけどな」
「……ええ。あの飾らない笑顔には、わたくしもつい絆されてしまいますわ」
二人が奇妙な連帯感を感じていた、まさにその時だった。
『臨時ニュースをお伝えします』
街頭に設置された巨大な魔導端末の画面が切り替わり、緊迫した声が響き渡った。
リンとフウカが同時にビジョンを見上げる。
『南地区、第4区画にて、ワニ獣人による立てこもり事件が発生しました。犯人は人質を取り、警察の包囲網に対して徹底抗戦の構えを見せています』
「なんや南地区って……まさか……!」
映し出された映像には、赤色灯が点滅する漁港の倉庫前が映っていた。
鱗に覆われた巨躯を持つワニ獣人が、血走った目で周囲を威嚇している。そして、その極太の腕にガッチリと首を絞められ、人質として捕らえられているのは……。
「……は?」
「……マオ!?」
どうやら、調査中に不運にも事件に巻き込まれ、逃げ遅れた一般人を庇って捕まってしまったらしい。
リンの顔から一瞬で血の気が引いた。
「いやいやいやいや、なんであいつが捕まっとんねん!!」
「な、なんて手荒な真似を……!わたくしの愛しいマオの肌に傷でもついたら、あのワニ、ミンチにしてサメの餌にしてやりますわ!!」
二人は顔を見合わせるや否や、言葉を交わすこともなく同時に地面を蹴った。
向かう先は南地区、漁港。二人の目には、すでに怒りの炎が燃え盛っていた。
潮の香りと重油の匂いが入り混じる南地区の漁港。
パトカーの列が倉庫を半円状に包囲し、武装した警官たちがバリケードの後ろで魔導銃を構えていた。しかし、誰一人として引き金を引くことができないでいた。
「狙撃班、撃てないのか!」
警官の一人が焦燥に駆られた声を上げる。
「無理です!犯人は強力な魔力を持っています!実弾を撃っても魔力障壁で弾かれるだけです!」
この新暦の時代、獣人は「魔力を持たない腕力だけの存在」としてエルフたちから迫害されてきた。
しかし、ごく一部の例外が存在する。水生生物由来の獣人である。
水と親和性の高い彼らの中には、稀に高い魔力適性を持つ者が生まれるのだ。フウカ・アギトがサメの半獣でありながら迫害を免れ、力と財で成り上がれたのも、彼女が圧倒的な腕力に加えて強大な魔力を有していたからに他ならない。
立てこもっているワニ獣人もまた、未熟ながらも魔力を持っていた。
人質のマオを無傷で救い出すには、障壁を正確に貫通し、なおかつマオに当たらないピンポイントの「魔力砲撃」を撃ち込むしかない。
だが、そんな離れ業ができる魔法使いなど、この西都の警察機構には存在しなかった。
「退きやッ!!」
怒声とともに、警官たちの頭上を飛び越えて最前線に降り立ったのは、白い髪を振り乱したリンだった。その後ろから、豪奢なドレスを翻したフウカも悠然と歩み出てくる。
「おおっ、リン!来てくれたか!」
警官たちが希望の光を見たように道を開ける。
リンは息を切らしながらも、鋭い視線で数十メートル先のワニ獣人と、彼に捕らえられているマオを睨みつけた。
「姉貴……!今助けたるから……な!」
リンは深く息を吸い込んだ。
頭脳の計算領域をフル回転させ、魔力粒子を収束させていく。指先に、高密度の魔力弾が形成されていく。
だが、リンの手は微かに震えていた。
疲労だった。昼間のクロウ・オブ・マウンテン討伐と、10連続の魔導跳躍。リンの脳波はすでにレッドゾーンに達しており、極限の集中を要する精密射撃を行うには、あまりにもコンディションが悪すぎたのだ。
それでも、撃つしかない。
「いっけえぇぇッ!!」
リンが放った一条の光線が、夜の闇を切り裂いてワニ獣人へと飛ぶ。
しかし!
(アカン……姉貴に当たる……!)
引き金を引く瞬間、マオの顔が脳裏をよぎったリンは、無意識のうちに魔力の出力を弱め、軌道をズラしてしまったのだ。
魔力弾はワニ獣人の顔の横を数センチの差で通り過ぎ、背後の倉庫の壁を大きく抉り飛ばしただけだった。
「……な、なんだお前は!」
ワニ獣人がパニックに陥り、マオの首を絞める腕にさらに力が入る。
「ぐぇっ……リン、手元狂ってるアル……!」
「クソッ……手加減しすぎた……!」
リンは歯を食いしばり、再び構えた。だが、焦りと疲労が彼女の精神を蝕んでいく。
「次や……次で絶対に決める……邪魔する奴は全部、ウチが更地にしたる……!」
「そこまでになさい」
不意に、横から伸びてきた華奢な腕が、リンの杖をガシッと掴んで押し下げた。
リンが驚いて横を向くと、そこには冷ややかな視線を下ろすフウカが立っていた。
「な、何すんねん!離せやサメ女!ウチが撃たな、姉貴が……!」
「そんな、【無為な魔法に頼る】なら、貴女はそこで休んでいなさい。見ていられませんわ」
フウカの言葉は冷酷だった。
リンはカッと血を上らせた。
「アンタに何がわかる!ウチがやらなアカンねん!離せ言うとるやろが!」
リンが振り解こうと暴れる。
だが、フウカは何も言わなかった。
ただ静かに、一歩前に踏み出し、暴れるリンの小さな身体を、力強く、そして優しく抱きしめたのだ。
「……えっ」
リンの動きがピタリと止まる。
フウカの豊かな胸の温もりと、豪奢な毛皮の感触。
耳元で、フウカの静かな声が囁かれた。
「……姉を想う気持ちは立派ですが、【自らを壊してまで得た結果で、皆が喜ぶとでも思っていますの?】」
その言葉の裏にある「重み」に、リンは息を呑んだ。
抱きしめられた体温から、伝わってくるものがあった。
(……この人、ウチのことを……)
張り詰めていたリンの糸がプツリと切れ、杖が手から滑り落ちて地面に転がった。
「……ごめん」
リンの瞳に、大粒の涙が浮かぶ。悔しさと、そしてフウカの不器用な優しさに対する安堵の涙だった。
「よくってよ。少しの間、そこで見ていなさいな」
フウカはリンの背中をポンと優しく叩くと、抱擁を解き、ゆっくりとワニ獣人に向かって歩き出した。
ヒールの足音が、静まり返った漁港にコツン、コツンと響く。
「なんだお前!?近付くな!近付いたらこの女を殺すぞ!」
ワニ獣人が絶叫し、マオの首筋に鋭い爪を立てようとした。
「マオに触れるなと言っているんですのよ、三下」
フウカが、パチンと優雅に指を鳴らした。
その瞬間。
不可視の「何か」がワニ獣人の四肢を背後から強引に押さえつけた。
「がッ!?な、なんだこれ!動けねぇ……!」
見えない鎖。それは、極めて高度な『念動力』の魔法だった。
リンは目を見開いた。
目に見えない圧倒的な力と、フウカから放たれる捕食者のプレッシャーに、ワニ獣人の精神は完全に崩壊した。
彼はなりふり構わず魔力を爆発させて拘束を無理やり振りほどくと、人質のマオを放り出し、後ろの海へと真っ逆さまに飛び込んだ。
水生生物の獣人にとって、海は最大の逃げ道だった。
しかし。フウカはそれを見て、扇子で口元を覆いながら高らかに笑い声を上げた。
「オーッホッホッホ!わたくしの目の前で、海に逃げ込むなんて……愚の骨頂ですわ!!」
フウカは慌てる様子もなく、解放されて尻餅をついているマオの元へと歩み寄った。
「フウカ!助かったアル!」
「ええ、無事で何よりですわ、マオ」
フウカはしゃがみ込むと、マオの顎を指先でクイッと持ち上げた。
そして、マオが不思議そうな顔をした瞬間。
フウカの赤い唇が、マオの唇に重なった。
一瞬の出来事に、マオはポカンと目を丸くし、遠くで見ていたリンは「はぁ!?」と素っ頓狂な声を上げた。
だが、フウカは全く恥ずかしがる様子もなく、堂々と胸を張ってドヤ顔を見せた。
「命を救ったのですから、これくらい当然の権利ですわ。……では、少々お待ちになって」
言うが早いか、フウカはヒールを蹴り脱ぎ、美しい弧を描いて海へとダイブした。
水飛沫が上がった直後、海面の下を信じられない速度で進む影があった。
サメである。海という彼女の絶対的な狩場において、ワニ獣人の速度など止まっているも同然だった。
「ヒィィィ!?くるなァァァ!!」
海面からワニ獣人の悲鳴が響き渡る。
次の瞬間。
という爆発のような水柱とともに、ワニ獣人の巨体が空中へと高く放り投げられた。
そのすぐ下から、弾丸のように飛び出してきたフウカが、空中でワニ獣人の背中に強烈な踵落としを見舞う。
「ひれ伏しなさいッ!!」
ワニ獣人はコンクリートの地面に隕石のように激突し、白目を剥いて完全に気絶した。
そのすぐ横に、フウカが音もなくふわりと着地する。
驚くべきことに、彼女の豪奢なドレスも毛皮も、魔力の薄い膜でコーティングされていたため、一滴の海水すら染み込んでいなかった。完璧なまでの身のこなしと、圧倒的な力。
「……フウカ、すっごくかっこいいアル!!」
マオが目を輝かせて立ち上がり、拍手喝采を送った。
「わたくしにかかれば、この程度の輩など赤子を捻るようなものですわ」
フウカは得意げに髪をかき上げた。
「さすがサメのお嬢様!やることが大胆やなぁ!」
息を吹き返したリンが、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら近づいてきた。
「さっきのキス、最高にキマっとったで!あのまま押し倒すかと思ったわ!」
「き!?……きす…………。」
リンに茶化された瞬間、フウカの動きがピタリと止まった。
先ほどまでの堂々とした態度はどこへやら、彼女の顔がみるみるうちに沸騰したタコのように真っ赤に染まっていく。
「あ、あれはっ……そのっ、欧米風の挨拶というか……不可抗力というか……っ!」
「不可抗力で唇奪うとか、新手の魔導犯罪やで」
「う、うるさいうるさいッ!俗物が気安く話しかけないでちょうだいッ!」
パニックに陥り、両手で顔を覆ってジタバタと暴れるフウカ。
そこに、マオが無邪気な笑顔で突撃してきた。
「フウカ、助けてくれて本当にありがとアル!」
ガシッ! と、マオは純粋な感謝の気持ちだけで、フウカの胸に思い切り抱きついた。
「ひゃうッ!?」
大好きなマオからの突然のハグ。しかも、先ほどのキスの感触がまだ唇に残っている。
フウカの脳内キャパシティは完全に限界を突破し、そのまま幸せそうに白目を剥いて気絶しそうになっていた。
「おーい!お前ら、無事かァァァ!」
事件が完全に片付き、和やかな空気が流れる漁港に、サイレンの音とともに二つの影が駆け込んできた。
くたびれたコートを翻して息を切らしているジン・ヤザワと、優雅な足取りで紅茶の入った水筒を片手に持つノルン・クライフォルトだった。
「おろっ?応援を連れてきたってのに、もう終わってやがるじゃねえか!」
ジンがワニ獣人とフウカの惨状を見て、声を裏返して叫んだ。
「やれやれ。クライフォルト家当主の出番はなかったようだな。……しかし、皆が無事ならそれでいい」
ノルンがマイペースに微笑み、水筒の紅茶を一口すする。
「おっちゃん、ノルン!遅いアルよ!全部フウカが片付けてくれたヨ!」
マオがフウカを抱きしめたまま手を振る。
「……はぁ。やっぱり、ウチらはお姉ちゃんの世話焼くのが性に合っとるわ」
リンは夜空を見上げ、フウカの不器用な優しさにこっそりと感謝しながら、とびきりの笑顔で笑った。




