屠殺5:【破滅の予感!健常な異常者と異常な健常者!】
イメージソング:食人帝国 サウンドトラック
https://youtu.be/xd6EhkYdmKI?si=C4-xkzQW6MC6yhZc
時が流れた。
ルシアン・ヴァレンタインは特務機関での任務を終え、国を離れた。彼は今、王都の静かな大学で講師として教鞭を執り、若い学生たちに魔法史と論理学を教えている。
彼の論理的で人道的なロジックは学術界でも高く評価され、優雅で平穏な日々を送っている。彼の講義は常に満席だ。
一方、ケイン・ワカバは。
彼は、軍の精神療養施設の最も奥深い閉鎖病棟で、ただ真っ白な壁を見つめて一日を過ごしている。
あの朝日の下で見た光景。
適当に撃ち殺された神の骸。欲望の排泄物として消費された少女。そして何より、そんな凄惨な地獄を前にして「エロい」……と感じた自分自身の、救いようのない浅ましさ。
露悪でも、嫌味でも、本質でもなんでもない、単なる人間の「一般性」という底なしの泥沼を直視してしまった彼の脳髄は、二度と正常な回路を取り戻すことはなかった……。
だが。
いや。
だからこそ。
ケインの退院手続きは、実際、拍子抜けするほどスムーズに完了した。
主治医は満面の笑みで彼を見送り、看護師たちは「社会復帰おめでとうございます」と涙ぐんですらいた。彼らは皆、ケインが過酷なトラウマを見事に乗り越え、驚異的な回復力で人間性を取り戻したと信じて疑わなかった。
【だが、それこそが、完全なエラーだった。】
ケイン・ワカバという人間の魂は、あの朝日の下でルミナリアとシャルロッテの無惨な最期を見た瞬間に、完全に死滅していた。今、この肉体を動かしているのは、かつての彼とは似て非なる「何らか」であった。
彼は、化け物になっていた。
ケインは、かつて助手席で冷徹な持論を語ったルシアン・ヴァレンタインの思想を、そっくりそのままインストールしたかのような、「正常」な思考アルゴリズムを獲得していた。
あまりにも論理的。
極限まで最適化された正しさ。
彼の内面には、もはや一切の感情が存在しない。
怒りも、悲しみも、喜びも、恐怖すらない。
真っ白な虚無の空間に、ただ、計算式だけが並んでいる状態だった。
だが、恐るべきことに、感情が完全に欠落し、究極の論理的思考を手に入れたからこそ、ケインは「その場に最も適した感情」を完璧に外部に出力することができるようになっていた。
悲惨なニュースを見れば、適切なタイミングで眉をひそめ、涙を流す。
同僚が成功すれば、自分のことのように手を叩き、満面の笑みで歓喜する。
不当な扱いを受ければ、誰もが納得するトーンと語彙で、正当な怒りを表明する。
それはすべて、社会の中で、自己の立ち位置を有利にするための「疑似的な感情」であり、他人を操作し、騙すための精巧なインターフェースに過ぎなかった。彼の内側では、感情など動いていない。ただ「ここでこの表情筋を動かし、声帯を震わせれば、相手は自分に好感を抱く」という計算結果に従っているだけだ。
結果として、周囲の人間はケインを「情熱的で、人の痛みがわかる素晴らしい青年」と評価した。誰もが彼を愛し、信頼した。
誰から見ても正常。社会の模範!!!!
ゆえに……彼は、完全なる異常者に成り果てていた!!!!
一方、かつてその非情な論理で事態を解決に導き、世界を救った張本人であるルシアン・ヴァレンタインは、誰の目から見ても明らかなほど精神が破壊されていた。
王都の大学で教鞭を執っていた彼は、突如として、いや、ついに、教授の職を辞した。
当たり前である!!!!
軍人でもなければ、警官としての血の滲むような特殊訓練を受けたわけでもない、ただの頭の回る魔導科学者に過ぎない男が、たった一日のうちに、事件隠蔽、科学的偽装、犯人追跡、逃亡劇、そして、少女に対する凄惨な集団強姦と集団暴行、果ては神の如き女性の集団殺人を指揮したのだ。
それだけの地獄を自らの脳で構築し、実行させておきながら、精神が一切狂わない人間がいるとすれば、そいつこそ生きている資格のない悪魔である!!!!
事態が収束し、平和な日常が戻った後になって、遅効性の猛毒がルシアンの脳髄を溶かし始めた。
夜になれば、シャルロッテの四肢を削り取った空間切断ドリルの駆動音が耳の奥で鳴り響き、朝日の下で老婆のように朽ち果てたルミナリアの姿がフラッシュバックした。論理の壁が崩れ去り、人間としての根源的な罪悪感と恐怖が、彼を苛み続けた。
「いいいいいいいいい!!!!じゃあああああああああああッッッッ!!!!……え?お湯の中に??…………あぁ、回っているね!?犬が。」
ルシアンは重度のPTSDを発症し、アルコールと睡眠薬を手放せない狂人となっていた!
だが!
皮肉なことに、その醜く崩壊した精神状態になれることこそが、ルシアンが血の通った「正常な人間」であることの何よりの証明であった!
学術界を去ったルシアンは、コネと過去の経歴を利用して、王都警察の刑事として中途採用された。
なぜ警察官になったのか。正義感からではない。彼はただ、「死に場所」を求めていたのだ。
ルシアンの捜査手法は、常軌を逸していた。
防弾ベストも着用せず、応援も待たず、単身で武装ギャングのアジトに踏み込む。犯人が発砲してきても、回避行動すら取らない。彼はただ、死んだような瞳で相手を見据えながら、機械のように引き金を引き続けた。
そのやけっぱちで狂気じみた行動は、結果的に犯罪者たちを震え上がらせ、次々と凶悪事件を解決に導いた。警察上層部は彼の異常性を黙認し、むしろその圧倒的な検挙率を高く評価した。
ある日の午後。
王都の郊外にある廃工場で、自動小銃で武装した強盗団が、数人の人質を取って立てこもる事件が発生した。
現場は冷たい雨が降っていた。周囲を包囲した特殊部隊は、犯人側の火力の高さに手を焼き、コンクリートの壁や装甲車の陰に身を潜めたまま、膠着状態に陥っていた。無闇に突入すれば、人質もろとも蜂の巣にされることは明白だった。
そこに、よれよれのトレンチコートを着たルシアンが現れた。
彼は現場指揮官の制止を無視し、雨の中を、ただ一人で廃工場の正面エントランスへと歩き出した。
両手には、支給品の大型拳銃が握られている。防弾ベストは着ていない。足取りはふらついており、二日酔いのようにも見えた。
「はああああ??狂ってんのか!?戻れ、ヴァレンタイン!!」
物陰に隠れた警官たちが怒号を飛ばすが、ルシアンは止まらない。
工場の中から、犯人たちがルシアンに向けて一斉射撃を開始した。
コンクリートの破片が飛び散り、雨粒が銃弾によって空中で弾け飛ぶ。
しかし、ルシアンは歩みを止めなかった。彼は虚無の瞳で正面を見据えたまま、両手の拳銃をデタラメに、乱暴に撃ち放ちながら、弾幕の中を直進した。
「死ねよ……死ぬ気がないなら、さっさと俺を殺せ……殺せって言ったんだよ……だから、死ね……」
乾いた唇から漏れる呟きは、銃声にかき消された。
彼の放った弾丸が工場の薄いトタン壁を貫通し、犯人の一人に命中する。パニックに陥った強盗団の射撃精度が落ちる。
ルシアンはそのまま、弾丸が雨あられと降り注ぐ正面のベニヤ壁に体当たりし、そのままメチャメチャに壁をぶち破って工場内部へと躍り出た。
木端微塵に吹き飛ぶ壁。
ルシアンは驚愕して動きを止めた主犯格の胸ぐらを掴み、そのままの勢いでコンクリートの床に背負い投げで叩きつけた。頭蓋骨が砕ける鈍い音が響き、犯人は即座に意識を刈り取られた。残りの犯人たちも、一切の死の恐怖を感じていないこの狂人の姿に戦意を喪失し、武器を捨てて投降した。
制圧完了。
突入の際、放たれた自動小銃の弾丸がルシアンの右腕を掠め、トレンチコートを赤く染めていた。しかし、ルシアンは自分の腕から流れる血を一瞥すらせず、面倒くさそうにコートのポケットから煙草を取り出して火をつけた。
命など、とうの昔にいらないからだ!
命を捨てる前提の、一切の防御を捨てた無謀な特攻。
しかし、その「死に急ぐ行動」が犯人の意表を突き、結果として人質を無傷で救出し、彼自身の命をも守り抜くという強烈なパラドックスを生み出していた。
だが、この事件で死亡者がいなかったわけではない。
二名の死者が出た。
それは、突入したルシアンでもなければ、人質でもなかった。
工場の外で、装甲車の物陰にしっかりと隠れ、マニュアル通りに安全を確保していたはずの特殊部隊の隊員たちだった。犯人の撃った跳弾が不運な角度で装甲車の隙間を抜け、隠れていた彼らの首と眼球を的確に貫いていたのだ。
命を投げ出した狂人が生き残り、命を惜しんで安全地帯に隠れていた正常な人間が死ぬ。
その日の夜。
王都の中心部にそびえ立つ高級マンションの一室。塵一つ落ちていない、生活感の完全に欠如した無機質な部屋の中で、大型の薄型モニターが青白い光を放っていた。
モニターの画面には、昼間の立てこもり事件のニュース映像が流れていた。
崩れ落ちた壁の中から、血を流しながらも平然と煙草を吸いながら歩き出してくるルシアン・ヴァレンタインの姿が、生中継のカメラに大写しにされている。
革張りのソファに深く腰掛けたケイン・ワカバは、グラスの氷を揺らしながら、その映像をじっと見つめていた。
彼の瞳には、かつての正義感も、狂気への怒りも、悲しみも存在しない。あるのはただ、対象を解析する機械のような冷たい知性だけだ。
「……見事なPTSDだ。そしてネグレクト。美しい。自己破壊衝動に基づく生存バイアス。論理の破綻した、ただの肉の塊だな」
ケインは、一切の抑揚のない声で独り言を呟いた。
退院後、ケインの経歴は完璧だった。彼は表向き「悲劇から立ち直った優秀な人材」として、かつてルシアンが籍を置いていた国家の特務機関にスカウトされ、昼間はそこでエリート分析官として働いていた。
彼はそこで、誰よりも有能に、誰よりも愛想良く、誰からも愛される「正常な青年」を演じ切っていた。同僚たちは彼の笑顔に癒され、上司は彼の的確な判断力に全幅の信頼を置いている。
だが、夜。
この冷え切った部屋に帰ってきた時だけ、ケインは自らの本性を解放する。
ケインの部屋の壁一面には、ルシアン・ヴァレンタインの行動パターン、通勤ルート、交友関係、そして警察内の警備体制に関する膨大なデータが、幾何学的な図形とともにピン留めされていた。
ケインの夜の顔。
それは、ルシアン・ヴァレンタインを確実に、かつ誰にも気づかれずに「殺害」するための完璧な計画を練り上げる、冷酷無比な暗殺者としての顔であった。
なぜ、ルシアンを殺すのか?
復讐のためではない。
正義のためでもない。
理由など、何もないのだ。
強いて言えば、それが「最も論理的に美しい帰結」だからである。
完璧な論理の男が、その論理によって生み出された完璧な自分という後継者の手によって、ただの物理的な事象として完璧に処理され、消去される。
それこそが、この世界において唯一の「整合性」だった。
ケインはグラスに残った琥珀色の液体を一息に飲み干し、モニターの中で死んだ目をしたルシアンに向けて、薄く、完璧な「笑顔」を作った。
「あなたの命は、俺が最も合理的に終わらせてやる」
戦う大義など、どこにもない。
守るべき世界も存在しない。
あるのはただ、正常な人間を装う感情を持たない完全な化け物と、死に場所を求めて暴れ回る心優しき狂人という、それぞれの精神を完全に破壊し尽くされた者同士の、殺し合いの予感だけだった。




