屠殺2:【襲撃される基地!戦慄!殺戮の夜!】
イメージソング:ルチオ・フルチのザ・サイキック サウンドトラック
https://youtu.be/tgoXDRXF6vU?si=i73qBhM9lamKFcPj
「ワカバ。どくんだ」
背後からジャックスの低い声がした。ケインが横に逸れると、ジャックスは部屋の中央に鎮座する太いコンクリートの柱へと歩み寄った。
ジャックスはショットガンのストックで、柱の表面を力強く叩いた。
内側が空洞であることを示す、薄っぺらな反響音が霊安室に響き渡る。
「ダミーだねえ。……この下だ」
ジャックスが柱の継ぎ目にナイフの刃をねじ込み、力任せにこじ開けた。金属が軋む嫌な音と共に、柱の表面が観音開きに展開する。
現れたのは、錆びついた鉄格子の檻。
それは、まるで巨大な鳥籠のような、無骨で原始的なエレベーターだった。操作盤にはボタンすらない。あるのは、ただ重々しい鉄のレバーが一本だけ。
三人はエレベーターに搭乗した。
ジャックスがレバーを引き下ろした。
鎖が激しく擦れ合う不快な音が鳴り響き、エレベーターは落下を始めた。
暗闇への降下。
やがて、強い衝撃と共に鉄格子が停止した。
ケインたちは檻を蹴破るようにして、その空間へと足を踏み入れた。
異様だった。
その空間は異常なほどに暗かった。
光が、壁に吸い込まれているのだ。
ケインは壁に近づき、ライトの照射角を絞った。
「……黒塗り、なのか?」
壁という壁、天井、床に至るまで、一面が煤のように深い漆黒で塗りつぶされている。光を反射しない特殊な塗料か、あるいは材質そのものが黒いのか。
さらにケインを戦慄させたのは、その壁面に張り巡らされた「溝」だった。
幾何学的な模様を描く無数の溝が、まるで血管のように施設全体を覆っている。だが、そこには電線一本、ガス管一つ通っていなかった。配電盤もなければ、照明器具の残骸すらない。
電気が通っていないこの漆黒の空間で、かつての人間たちはどうやって明かりを灯し、研究を行っていたというのか。
答えは、一つしかなかった。
(魔力……)
「……進むぞ。気を抜くな」
ジャックスの声が、漆黒の空間に低く響く。
三人は、ライトの光だけを頼りに、迷宮のような黒い回廊を奥へ奥へと進んでいった。
やがて、回廊が開け、ドーム状の巨大な空間へと出た。
その中央。
ケインは、自らの呼吸が完全に停止するのを感じた。
「なんだ……あれ」
空間の中央に、巨大な円柱状のタンクが鎮座していた。
ライトの光を当てると、表面が油膜のように反射し、空間を歪ませている。
防弾ガラスなどという生易しいものではない。
明らかに、魔力系のコーティングが幾重にも施された、絶対の檻。
そして、その強化ガラスの向こう側。
羊水のように濁った培養液の中に、それは浮かんでいた。
赤子だった。
否、それを赤子と呼んでいいのかすらわからない。
大きさは、おおよそサッカーボール程度。
頭部は異常に肥大化し、その顔面には縦に四つの眼球が並んで閉じられている。
胴体からは、蜘蛛のように細長い腕が六本、不気味な角度で生え揃っており、足は退化したように短い二本だけがぶら下がっていた。
全体がエビのように丸まり、半透明の皮膚の下では、青白い静脈が脈打っている。
こいつは……生きている!
ケインは、己の精神が限界に達しつつあるのを自覚した!
だが。
ケインは、心の中で分厚い鉄の扉を閉めた。
【恐怖を感じれば、狂う。悲しみを感じれば、発狂する。怒りを感じれば、自我が崩壊する。だから、感情を捨てるのだ。目の前の光景を、ただの現象として網膜に焼き付けるだけの機械になる。そうすることで、ようやくこの「異常」に立ち続けることができるのだ。】
ルシアンが、タンクの端末にデバイスを接続し、本部との通信を繋いだ。
『目確認したか、調査官』
無線から漏れ聞こえる本部の高官の声。
「ええ、確認しましたよ。間違いない。記録にあった『VLT』です」
『状態は?』
「バイタル安定。外殻の魔力コーティングも劣化していません。回収フェーズに移行します」
「待てよ!VLTとはなんだ!」
感情を殺したケインの口から、ひび割れたような声が漏れた。
ルシアンは振り返り、薄い笑みを浮かべた。
「Veritas's Last Theorem(ヴェリタスの最終定理)。……この世界を真に支配するために生み出そうとした、究極兵器の片割れさ」
「兵器……?これが?化け物が?」
ケインは、無意識のうちにホルスターから拳銃を引き抜いていた。
銃口を、ガラス越しの赤子へと向ける。
「なら!だったら今すぐ破壊するべきだ!こんなもん……外に出れば、また世界は終わる!これはキングダム・ウイルスの塊だぞ!」
引き金に指をかけた瞬間。
ジャックスの太い腕が、ケインの拳銃を上へと弾き上げた。
「やめろ、ワカバ!」
「邪魔をしないでくれ!」
「こいつは無害だ!撃つ必要はねえ!」
ジャックスの怒鳴り声が、ドームに響き渡った。
「無害……?」
「そうだ。これは言わば、バッテリーだ。こいつ自身には、人間を襲うような牙も、世界を破壊するような兵器としての出力も備わってねえ。一切の危害はないんだ」
ルシアンも同意するように頷いた。
「彼女はね、ただ在るだけだよ。壊す価値もないガラクタだけれど、『人質』としての価値は計り知れない。だからこそ、本部からの至上命令は『回収』だ」
直感が、本能が、これは絶対に世界に存在してはならないものだと警鐘を鳴らし続けている。
だが、ケインは感情を殺していた。
(……理解しろ。理解するんだ)
ケインは、自分自身に激しく言い聞かせた。
(これは、無害だ。専門家である彼らがそう言っているならば、無害なのだ。俺は新人警官だ。上官の判断に従えばいい。そう、俺は理解した。完全に理解した)
論理のすり合わせを放棄し、ケインは無理やりに「理解したと思い込む」ことを選んだ。
セーフティをかけ、拳銃をホルスターに戻す。
「……了解しました。回収を手伝います」
ケインの声には、一切の起伏がなかった。ジャックスはケインを一瞥したが、何も言わずにタンクのロック解除作業に取り掛かった。
診療所の裏口から外へ出ると、雨は依然として降り続いていた。
ジャックスとルシアンは、装甲車の後部ハッチを開き、VLTのタンクを内部へと押し込んだ。
ケインは、血と泥にまみれた制服のまま、自分が乗ってきたパトカーへと向かおうとした。
『ワカバ巡査』
腰の無線機から、再び本部の高官の声が響いた。
「……はい。何でしょうか」
『パトカーは、そのままそこに残置しろ。君は、ジャックス巡査部長たちの装甲車に同乗せよ。現場の処理は後続の部隊が行う』
冷酷な通信切れのノイズ。
ケインは、雨の中で立ち尽くした。パトカーのフロントガラスには、ケイン自身の幽鬼のような顔が映り込んでいる。
「乗れよ、風邪をひくぜ」
ケインは何も言わず、重い足取りで装甲車の後部ドアを開け、硬いベンチシートに腰を下ろした。
装甲車のエンジンが重々しい咆哮を上げ、タイヤが泥を蹴立てて発進した。
「……一つ、聞いておきたいことがあります」
乾ききった喉を動かし、ケインは口を開いた。感情を殺したはずの声が、少しだけ震えていた。
「俺は、どこへ。いや……どこかで殺されるってこと、ですよね」
愚問だった。
警察署への帰還ルートを外れ、地図にも載っていない旧道を走っている時点で、答えは出ている。
ケインの問いに、ルシアンが、ふっと薄い肩を揺らして笑った。
「聡明だね、新人君。その通りだよ。本来なら、知りすぎた部外者は常にリスクでしかないからね」
ルシアンの瞳が、ケインを射抜く。
「だが君は今、生きている。なぜだかわかるかい?」
「俺の始末よりも、この化け物の回収を急ぐ必要があったからだ」
「ご名答。だがね、それだけじゃない」
運転席でハンドルを握っていたジャックスが、バックミラー越しにケインを睨みつけた。
「お前はたまたま、あの地獄に出くわした。俺はな、貧乏くじを引いた奴を切り捨てるのが大嫌いなんだよ。それにだ。この一件は、単なる機密保持で終わるような安いヤマじゃねえ。この事件さえ解決すれば、全員生きて帰れる。だが、もし解決できずに失敗した時は、お前が口封じで殺されるとか、もう、そういう次元の話じゃなくなる。俺たち全員が死ぬだけでなく、この世界にもう一度、戦乱の地獄が巻き起こされる。全員死ぬか、全員生きるか。もう、その二択しかねえんだ。……ま、お前を『殺している暇がない』といったところだ」
ジャックスの言葉には、凄絶な覚悟が宿っていた。
やがて装甲車は、針葉樹林の中にそびえ立つ、巨大なコンクリートの壁の前に到着した。
偽装されたゲートが重々しい音を立てて開き、車は地下へと続く巨大なスロープを降りていく。そこは、ガリア軍が極秘裏に運用している軍事基地だった。
無機質な蛍光灯に照らされた、地下要塞のブリーフィング・ルーム。
部屋を支配していたのは、完全に葬式のような空気だった。
「なあ、先生方」
たまらず、ジャックスが沈黙を破った。
「VLT、確保したんだ。ならば、これで事態は収拾したんだろう?」
ジャックスの問いに、首席研究員と思われる初老の男が、乾いた唇を震わせながら答えた。
「……事態は何も収拾などしていない。先ほど回収したVLT、あれ自体は問題ではないのだ」
「どういうことだ」
「VLTは、魔力を生み出し、蓄積するための……言ってしまえば、ただの巨大な『バッテリー』に過ぎん。あれ自身に、意味はない」
初老の男は、怯えを必死に抑え込みながら言葉を絞り出した。
「問題なのは、あの遺産を、あんな辺鄙な診療所の地下に隠し持っていた『奴』の存在なのだよ」
ケインは息を呑んだ。
「バッテリーだよ。裏を返せば、あれを運用していた『奴』は、常に莫大な魔力を消費し続けているということ。そして今、バッテリーを我々に奪われた『奴』は、深刻な魔力欠乏に陥っているはずだ」
科学者の声が、絶望に裏返る。
「……来るぞ。敵は必ず、この基地へ襲撃をかけてくる!!」
その言葉が終わるか終わらないかの瞬間だった!
『第1ゲート突破されました!敵襲!敵襲!』
基地全体に、サイレンが鳴り響いた。
赤いライトが明滅し、ブリーフィング・ルームの空気が一瞬にして沸騰する。
「来たかっ……!数は!?敵はどのくらいの……」
ジャックスがインカムを押さえながら怒鳴る。
『ひ、一人です!たった一人!姿は女性!金髪の……ギャアアアアアアッ!!』
通信兵の絶叫と共に、インカムの音声が血の混じったノイズに変わった。
モニターの画面が切り替わり、第1ゲートの監視カメラ映像が映し出された。
そこに、地獄が映っていた。
分厚い防護服とアサルトライフルで武装した軍の警備部隊が、まるで子供のおもちゃのように宙を舞い、壁に叩きつけられてミンチに変わっていく。
その中心を、ゆっくりと歩いてくる一つの影があった。
純白のフリルが幾重にも重なる、豪奢なドレス。
泥と血にまみれながらも、陽光を反射して輝くような金髪の縦ロール。
透き通るような白磁の肌を持つ、美しき女。
「ヒッ……!!」
モニターを見た科学者の一人が、腰を抜かして床に崩れ落ちた。
「彼女だ……!なぜ生きて……いや、まさか、この10年間、ずっと潜んでいたというのか……!」
ケインもまた、警察学校の近代史の授業で見た一枚の写真を思い出し、全身の血が凍りつくのを感じた。
ルミナリア・フォン・ラプラス!
かつて、魔力という技術が栄華を極めた時代。
王都の特権階級の頂点に立ち、天才的な頭脳と絶大な魔力をもって、自らを「神」あるいは「女神」であると公言した狂気の科学者。
彼女は、単なる傲慢な貴族ではなかった。
本当に、神と呼ぶにふさわしい恐るべき力の片鱗を世界に見せつけたのだ。天候を操り、地形を変え、数万の軍勢を指先一つで灰燼に帰すその絶対的な力は、世界中の人々に「魔法」に対する根源的な恐怖と嫌悪を植え付けた。
【彼女自身は愛と融和を説いていたが、彼女の存在そのものが、魔法を持つ者と持たざる者の間の分断を決定的なものにした。彼女の狂気が人々の反発を呼び覚まし、大脳辺縁系を破壊する「キングダム・ウイルス」のメカニズム解明へと繋がり、人々の傲慢の正体がウイルスによる精神汚染であるという事実を暴き出したのだ。】
結果として、愛を説いた彼女の存在が引き金となり、世界は愛を捨て、王都を物理的に滅却するという最終手段に打って出た。
世界を滅ぼし、自らの故郷を滅ぼした、歴史上最悪の「悪女」!!!!
モニターの中のルミナリアは、かつて歴史書に記されていたような、華やかで超常的な「魔法」を使わなかった。
火炎も放たない。
光線も撃たない。
空間を歪めることもしない。
今の世界は「滅菌」されている。空気中からキングダム・ウイルスは消え去り、外部の魔力を行使する術は極端に制限されているのだ。
だが、それでも。
ルミナリアが細い腕を振るう。
たったそれだけで、防弾シールドが紙屑のように砕け散り、その後ろにいた重武装の兵士の上半身が破裂した。
彼女は、己の体内に残されたわずかな魔力を、すべて「自身の肉体の物理的強化」のみに全振りしていたのだ。
魔法の炎が使えないなら、素手で殴り殺せばいい。
魔法の盾が張れないなら、皮膚で弾き返せばいい。
神の如き魔力を失ってもなお、彼女は絶望の権化であった。
だが、ケインの心には、先ほどまでの麻痺したような虚無感はなかった。
不思議なほどに、視界がクリアだった。
心臓の鼓動が、静かに、力強く全身に血を送り出している。
(……全員死ぬか、全員生き残るか。たったそれだけのことだ)
ジャックスの言葉が、脳裏にこだまする。
ならば、自分が今ここで成すべきことは一つしかない。
ケインは、静かに、ホルスターから拳銃を引き抜いた。
「お!?……ワカバ……お前、手、震えてねえな」
ジャックスが、驚いたようにケインを見た。
「俺は警察官です!もう、ただ、【見過ごすわけにはいきません】から!」
ケインは瞳に鋭い光を宿し、モニターの中の悪女を真っ直ぐに見据えた。




