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ヴェリタスの最終定理6:壊れた世界のやりなおしかた【2位】  作者: LIU
悪魔でも悪にあらがう悪役令嬢

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救済37:【世界の崩壊!生きる意味の喪失!犬死にを見届ける悪女!】

イメージソング:ピラニア3D サウンドトラック

https://youtu.be/pa151-MYfg4?si=QvRWqA-IpEhHXv_2

地獄は、唐突に始まる。


王都・中央公会堂は、今や阿鼻叫喚の地獄へと変貌していた。


「いやだっ!助けて、誰か!私の足が……足が泥にッ!!」


肥満体の貴族の夫人が、純白のドレスを汚泥に染めながら絶叫した。彼女の足首に絡みついているのは、単なる泥ではない。それは、意志を持ち、無数の「人間の顔」のような気泡を浮かべた怪物だった。泥に触れた部分から、彼女の肉体は恐ろしい速度で変質していった。柔らかい脂肪と肉が、錆びついた「鉄の歯車」と「駆動シャフト」に置き換わっていくのだ。


「ギィィィ……ガガガガガッ……!!」


夫人の喉から発せられたのは、もはや悲鳴ではなく、油の切れた機械が軋むような金属音だった。彼女の瞳孔は見開き、完全に自我を喪失したまま、汚泥の中心に向かってズリズリと引きずり込まれていく。そして、他の犠牲者たちと共に、巨大な泥の波の一部となり、無意味な音を永遠に響かせ続ける『部品』へと成り果てた。


「……悪食ですわね」


公会堂の二階バルコニー。

パニックに陥り、出口に殺到して互いを踏みつけ合う群衆を冷ややかに見下ろしながら、ルミナリアは静かに日傘を開いた。屋内でありながら日傘を差すのは、下から跳ね上がってくる泥の飛沫と、見苦しい人間たちの血肉を避けるためである。彼女は、新居の契約手続きの許可を得るために「たまたま」立ち寄っていただけにすぎない。


「ルミナリア、あんな泥遊びの怪物、わたくしが一瞬で蒸発させてさしあげましょうか?」


隣に立つシャルロッテが、狂気を孕んだ笑顔で右手を掲げた。


「無駄ですわ、シャルロッテ。あれはただの魔物ではありません」


ルミナリアは、眼下で膨張を続ける泥の化け物『負債の泥獣』を冷徹な視線で分析していた。


「あの怪物の正体は、この都市の『負債』そのものです。身の丈に合わない浪費、借金による架空の好景気、そして『誰かがなんとかしてくれる』という無責任な先送りの概念。それらが実体化した『概念の泥』。焼いたところで、この街の帳簿から『赤字』が消えない限り、無限に湧き出し続けますわ」


その時である。


「あ!?……ルミナリア様!それに、シャルロッテ様!ああ、我々はやはり運が良かった!」


バルコニーに続く階段を転がるように駆け上がってきたのは、市長と、彼を取り巻く知識人や有力者たちだった。


「あなたたちのような天才がこの街に滞在してくださっていたとは!あっ……じゃあ!……ささ!早く、アンタの……いや、あなたの力で、あの化け物を消し去ってくれ!あるいは、この公会堂の周囲だけでも、強力な結界を張るんだ!ほら、早く!」


市長は、ルミナリアの足元にすがりつくようにして喚き散らした。


「……結界、ですか。先ほども申し上げた通り、あれはただの魔物ではなく、先送りという『負債の概念』の集合体です。あの泥獣をこの場で相殺するためには、明確な因果律の清算が必要ですわ。つまり、あなた方市民全員が『財産を放棄』し、『飢餓状態』の中で……」


その宣告が響き渡った瞬間。

バルコニーに集まっていた有力者たちの顔から血の気が引き、次いで、ドス黒い怒りと自己正当化の炎が点火した。


「ふ、ふざけるなッ!!」


一人の裕福な商人が、顔を真っ赤にして唾を飛ばした。


「なぜ我々が苦しい思いをしなければならない!お前が苦しめ!」


「なぜ我々が責任を取らねばならない!お前が責任を取れ!」


「あなたは、天才だろう!?天才なら、一般人に痛みを押し付けずにタダで解決してみせろ!それが『持てる者』の義務というものだ!」


「そうだ!お前が自分の命を削れば済む話だ!なぜ私たちに犠牲を強要するんだ!この冷酷な、自分勝手な魔女め!」


彼らは、狂乱していた。

彼らは、現実を直視することを徹底的に拒絶した。

そして、目の前にいる「自分たちより力を持つ少女」をスケープゴートにすることで、自身の責任を完全に免除しようとしたのだ。


「ルミナリア。こいつら全員、わたくしが『処理』してよろしいですわね?」


シャルロッテの声は、先ほどまでの明るさを失い、殺意を帯びていた。


「……シャルロッテ。殺す価値すらありませんわ。わたくしたちは、ここを出ます」


ルミナリアは日傘の柄を握り直し、群衆に背を向けた。


「……はるか西。砂漠の中心にある浄化施設【ガリオン・ヘル】。あそこを再起動し、誰かが、大陸全体の因果律の根幹から負債を精算するしか、もはや、道はありませんわ」


「誰か!?なっ……我々に押し付ける気か!!あまりにも酷い!!」


市長が金切り声を上げた。


「自分たちだけ助かろうというのか!恥知らず!お前たちのようなやつがいるから社会が腐るんだ!!」


「だったらもう、自殺しろ!!」


一人の男が、狂乱のあまりルミナリアの背中に向かって重い銀の燭台を投げつけた。

しかし、その燭台がルミナリアに届くことはなかった。

シャルロッテが、目にも留まらぬ速度で男の懐に潜り込み、その腹部に容赦のない蹴りを叩き込んだのだ。


「次、わたくしのルミナリアに指一本でも触れようとした者から、順番に内臓をぶちまけてその泥の餌にしてさしあげますわよ?」


シャルロッテは、ドレスの裾を揺らしながら、暗い悦びに満ちた瞳で群衆を睨みつけた。

その圧倒的な暴力と狂気の前に、先ほどまでルミナリアを口汚く罵っていた市民たちは、一瞬にして沈黙し、恐怖に顔を引き攣らせて道を空けた。


「行くわよ、シャルロッテ」


「はいっ、ルミナリア!」


二人は、バルコニーから崩れゆく公会堂の屋根へと跳躍し、そこから泥に飲み込まれつつある街の屋根伝いに、市壁のゲートを目指して疾走した。

眼下の街路は、すでに地獄の様相を呈していた。


「ルミナリア!前方、市壁のゲート付近にも泥獣の分体が先回りしていますわ!」


風を切って走りながら、シャルロッテが前方を指差した。


「シャルロッテ、道を開けなさい!」


「御意!!」


シャルロッテは空中で身を翻すと、両手に爆発的な魔力の炎を圧縮した。


「吹き飛びなさい、泥人形!!」


放たれた極大の火炎球が、泥のゴーレムの頭部に直撃し、強烈な爆発を引き起こす。高温で熱された泥が陶器のように固まり、ヒビ割れ、次々と崩れ落ちていく。


「今ですわ!」


ルミナリアは、崩れゆくゴーレムの隙間を縫うようにして、華麗な足さばきで市壁のゲートへと飛び込んだ。シャルロッテもそれに続く。

ゲートの外には、荒涼とした荒野が広がっていた。

だが、ゲート付近には、泥獣から逃れるために殺到した数千の市民たちが、パニックを起こして押し合いへし合いの暴動状態となっていた。

彼らはルミナリアたちの姿を認めると、再び狂ったような憎悪の視線を向けてきた。


「見ろ!あの魔女だ!自分たちだけ助かるため、逃げる気なんだ!」


「お前のせいだ!お前が助けてくれないから、俺の家族は泥に飲まれたんだぞ!」


「殺せ!あの魔女を殺して、魔力を奪え!」


狂乱した群衆は、もはや論理も理性も失っていた。自分たちを助けなかったという身勝手な逆恨みだけで、泥獣よりも恐ろしい暴徒と化して、二人に襲いかかってこようとする。


「……本当に、救いようのない連中ですわね」


ルミナリアは、走りながら忌々しげに舌打ちをした。


「ルミナリア、ここはわたくしが……」


シャルロッテが、暴徒の群れに向かって再び魔法を放とうと前に出た、その瞬間だった。

暴徒の群れの中で、一人の小太りの中年男性が、懐から魔導銃を引き抜いた。

彼の瞳には、もはや生存への希望などなく、ただ、何らかの嫉妬と、何らかの道連れの意志だけが宿っていた。


「ぼくにぶつかった時、謝らなかったのなんでよォォォッ!!パパはぼくに謝るのにッッッッ!!ぼくのパパになってッッッッ!!ぼくもう死ぬからッッッッ!!…………え?わ。女だ……やっべ間違えた……」


男が、狂ったような絶叫と共に引き金を引く。


「……は?」


間の抜けた、信じられないものを見たかのような小さな声。

それが、シャルロッテの口から漏れた最期の「言葉らしい言葉」となった。

シャルロッテの細い背中の中心から、赤黒い花が咲き乱れるように血の飛沫が噴出した。

糸の切れた操り人形のように、シャルロッテの身体が前方に崩れ落ちる。ルミナリアは咄嗟に手を伸ばし、血塗れになったメイドの身体をその細い腕で抱きとめた。


「シャルロッテ……!?」


ルミナリアのドレスが、どす黒い血液で急速に染まっていく。

シャルロッテは死んでいなかった。まだ、死んではいなかった。

胸部に空いた致命的な大穴から、ヒューヒューと空気が漏れる音がする。彼女の口からは、血の混じったピンク色の泡が絶え間なく溢れ出している。

焦点の合わない瞳が虚空を彷徨い、痙攣する指先がルミナリアのドレスの裾を弱々しく掻き毟っていた。


「か、回復魔法……!いえ、治癒の術式を……!」


ルミナリアがシャルロッテの傷口に押し当てようとした瞬間。


「あ、ああ……」


銃を撃った小太りの中年男性が、自分のしでかした事に気づき、ガタガタと震えながら銃を地面に取り落とした。

彼は「自分を見捨てた冷酷なやつ」を成敗した英雄になるつもりだったのだ。だが、実際に引き金を引いて目の前に広がったのは、ただの、自らが起こした、惨たらしい殺人現場だった。


数秒の沈黙。


そして、彼らの「善良な市民としてのプライド」、すなわち、自分たちの罪を直視できないという致命的な『メンツ』が、集団心理という名の恐るべき自己防衛機能を起動させた。


「わ!……死体だ!」


誰かが、ポツリと呟いた。

シャルロッテはまだピクピクと動いている。血を吐き、ルミナリアを見つめて息をしようと足掻いている。誰がどう見ても「まだ生きている」人間だった。

しかし。


「そうだ、死体だ!最初から、それは死んでいた!何もしてないのに壊れたんだ!」


「あれは魔女が操っているだけの、ただの人形だ!その人形は、最初から壊れていた!」


「俺たちは悪くない!死体をただ、撃っただけだ!壊したのは、お前だ!」


群衆の口から、次々と狂気に満ちた叫び声が上がり始めた。

もし、彼女が「死にかけている人間」であるならば、彼らは今すぐ救護を手伝わなければならない。あるいは、殺人未遂の罪悪感に向き合わなければならない。

だが、彼らにはそんな責任を負う覚悟も、己の醜さを認める勇気もなかった。だから彼らは、現実を歪曲した。


「シャルロッテは、最初から死体であった」


その集団的な欺瞞が、瞬く間に数千人の暴徒の共通認識として共有されていく。


「おい、死体を置いていけ!」


先ほどまでルミナリアに石を投げていた男が、血走った目で叫んだ。


「お前らが悪くないというのなら、さっさと砂漠へ行け!ガリオン・ヘルを起動して、俺たちの借金をチャラにしろ!そうすれば、許してやる!さもなくば、お前の責任だ!謝れ!謝れ!謝れ!謝れ!」


ルミナリアは、血塗れの手でシャルロッテを抱きしめたまま、ゆっくりと顔を上げた!


彼女の瞳には、もはや怒りすら、宿っていなかった!


あるのは、底知れぬ虚無!


人間という生物に対する、取り返しのつかないほどの完全な「見切り」だった!


彼らを皆殺しにすることは、今のルミナリアにとっては呼吸をするより簡単なことだった。

しかし、殺したところで何になる?この街の連中を焼き尽くしても、隣の街にはまた同じような連中がいて、その隣の国にも同じような連中が群れをなしている。彼らは殺しても殺しても湧いてくる、人間の業そのものだ。


こんな連中のために、シャルロッテは命を投げ出したのか?


こんな連中の借金を清算するために、自分はこれから砂漠へ行き、命を削るのか?


ルミナリアは、何も言わなかった。


反論もしない。


罵倒もしない。


報復もしない。


彼女はただ、無言のままシャルロッテの身体を抱き上げ、暴徒の群れに背を向けた。


「無視するな!死体を置いていけと言っているだろうが!」


「早く砂漠へ行け!俺たちを救え!早くしろ!無責任野郎!」


背後から投げつけられる罵声と小石。

ルミナリアはそれに一切の反応を示すことなく、ただひたすらに、血の滴るメイドを抱えて……荒野へと歩み出した。

彼らの言う通り、目的地へ向かうために。

いや、彼らの言葉に従ったわけではない。


【ただ、この場(よ)に留まる理由が、彼女の世界から、ついに、完全に消滅しただけだった。】


喧騒から遠ざかるにつれ、背後の街は泥獣に飲み込まれていく崩壊の音に包まれていった。

ルミナリアは、赤茶けた荒野を一人、歩き続けていた。

腕の中のシャルロッテは、ひどく軽かった。


「……シャルロッテ」


ルミナリアは、歩きながらポツリと呟いた。

返事はない。ただ、シャルロッテの喉の奥で、血が泡立つ不快な湿った音だけが規則的に鳴っている。

普段のシャルロッテであれば、ここで劇的な愛の言葉を囁くはずだった。

狂気と愛に満ちた、最期の言葉を。ルミナリアもまた、彼女が何かを言い残すのを、心のどこかで待っていた。

だが、現実は物語のように美しくはなかった。


「い……」


シャルロッテの口から、微かな声が漏れた。

ルミナリアは足を止め、耳を近づける。

しかし、それは言葉ではなかった。

ただの、肺から空気が抜ける物理的な摩擦音だった。

それだけだった。

本当に、ただそれだけだった。

気の利いた遺言も、美しい微笑みも、ドラマチックな別れの儀式も何一つなく。

シャルロッテは、ただの「壊れた肉の塊」として、ルミナリアの腕の中で完全に機能を停止した。


犬死に!


人間の醜い自己正当化と、無責任な暴力の前に、一人の少女の命が、道端の石ころのように無価値に消費された瞬間だった!


「…………」


ルミナリアは、死んだシャルロッテを抱えたまま、荒野の真ん中で立ち尽くした。

泣くことすらできなかった。

涙を流すという感情の動きすら、この圧倒的な不条理と虚無の前では、あまりにも空々しく感じられたからだ。

彼女は、静かにシャルロッテの開いたままの目を閉じさせた。

そして、荒野の片隅の、少しだけ土が柔らかい場所を見つけると、魔力を使って穴を掘った。

墓標は立てなかった。こんな場所に目印を残せば、後から逃げてきたあの醜悪な市民どもが、腹いせに死体を掘り起こして冒涜する可能性が高かったからだ。

ルミナリアは、血まみれのメイド服ごと、シャルロッテの亡骸を冷たい土の中へ横たえた。

土をかけ、足で踏み固め、その痕跡を完全に消し去る。

風が吹き抜ける。

何も残らなかった。

最初からシャルロッテという存在など、この世界にいなかったかのような、完璧な寂寥。


「……行きま、しょうか」


ルミナリアは、誰に向けるでもなく呟いた。

心が、完全に死滅した音がした。

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