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ヴェリタスの最終定理6:壊れた世界のやりなおしかた【2位】  作者: LIU
悪魔でも悪にあらがう悪役令嬢

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救済35:異常な正常!偏見が支配する空間!普通の悪に喰われる悪女!

「……息が、詰まりますわね」


夕闇が迫る王都の外れ。石畳の路地を歩きながら、ルミナリアは深く、重い溜息をついた。

隣を歩くシャルロッテが、心配そうにルミナリアの顔を覗き込む。


「ルミナリア。お顔の色が優れませんわ。やはり、先ほどの警察署での出来事が……?」


「……このまま宿に戻っても……あの不可解な狂気が頭を巡って眠れそうにありませんわ」


二人は気分を転換すべく、路地裏にひっそりと佇む大衆酒場『豚小屋』の重い木扉を押し開けた。

中に入ると、香ばしい肉の焼ける匂いと、安酒の饐えた匂い、そして大勢の客たちの熱気とざわめきが押し寄せてきた。

一見すれば、どこにでもある活気に満ちた酒場である。

客層は、仕事帰りの商人、非番の兵士、その日暮らしの労働者、そして近所の主婦たち。まさに「一般人」の縮図のような空間だった。

だが、ルミナリアはこの時まだ気づいていなかった。

ここが、彼女のような「規格外の天才」にとって、己の魂をズタズタに切り刻まれることになる、『屠殺場』であるということに。


一般人とは何か。


それは「平均的」である者たちだ。

そして、さらに「平均的であろう」と互いに監視し合う者たちの群れである。彼らは無意識のうちに、自分たちの枠に収まらない異物を極度に恐れ、排除しようとする習性を持っているのだ。

空いているテーブル席に座った二人は、メニュー表を開いた。

ルミナリアはメニューの一番上に、最も大きな文字で書かれていた飲み物を指差した。


「『ダイノ・コーク』をお願いしますわ」


やがて、ジョッキになみなみと注がれた黒い炭酸飲料が運ばれてきた。

ルミナリアは喉が渇いていたため、グラスに口をつけ、そのままゴクリと飲み干した。


その瞬間である!


「……えっ。ちょっと、見た?」


「わぁ……信じられない」


隣のテーブルに座っていた数人の女たちが、あからさまに顔をしかめ、ヒソヒソと声を潜めてルミナリアを指差した。彼女たちの瞳には、まるで汚物を見るかのような「気持ち悪さ」が宿っていた。

それに呼応するように、背後のテーブルにいた男たちも騒ぎ始めた。


「オエッ……マジかよ」


「あんな飲み方、吐き気がするぜ……」


男たちは、わざとらしく喉を鳴らし、床に向かって吐き気を催す真似をしてみせた。


「は……?何ですの、一体」


ルミナリアはジョッキを持ったまま、完全に当惑した。

自分はただ、メニューにある飲み物を頼み、普通に飲んだだけだ。騒いでもいないし、行儀の悪い飲み方をしたわけでもない。


「何か、わたくしに問題でもありましたでしょうか?」


ルミナリアが近くを通りかかったマスターを呼び止め、冷静に尋ねると、マスターは困ったように頭を掻いた。


「あー……お客さん、つまり、新入りさんだね。この店じゃあね、一杯目は『ビール』を頼むのがマナーなんだよ」


「……マナー?メニューの一番上にダイノ・コークが推奨されているのに、一杯目はビールでなければならない理由は何ですか?」


「理由?……いやまあ、俺もそんなルールは知らないんだけどね。客が勝手に決めたルールでさ。みんなそうしてるから、そうしないと浮くんだよ」


マスターは呆れたように肩をすくめた。店の主でさえ関与していない、客同士の閉鎖的な同調圧力。

隣のテーブルの女が、口を挟んできた。


「あんたさ。この店じゃあ、新入りはストローを使って飲むのが暗黙の了解なのよ。新入りのくせに直飲みするなんて、生意気なのよ」


「は……?」


ルミナリアは、己の頭脳がショートする音を聞いた。


一杯目は必ずビールでなければならない。


新入りはストローを使わねばならず、常連は使わなくてよい。


そして、そのルールを破った者は「気持ち悪い」とみなされる。


……そこに、いかなる論理があるというのか?


栄養学的な理由か?


経済学的な理由か?


否、何一つない!


ただ「古参の客が新参者をマウントするための、どうでもいいローカルルール」に過ぎないのだ!


「いや……馬鹿馬鹿しいにも程がありますわ」


ルミナリアは、呆れ果てて息を吐き捨てた。


「説明されていないルールを初見の客に強要し、それに従わなかったというだけで排斥する。……あなた方は、自分の知性の低さを自ら証明しているようなものですわ」


ルミナリアは、相手が「言葉の通じる人間」であると信じ、論理的に彼らの矛盾を突いた。

しかし、それが最悪の引き金となった。

中間層の人間にとって、「論理的に否定されること」は「自分の属する共同体を否定されること」と同義であり、彼らが最も恐れ、激怒する行為なのだ。


「なん!この!小娘!」


吐く真似をしていた男が、ジョッキをテーブルに叩きつけて立ち上がった。


「常識知らずが口答えしやがって!!」


その男の怒鳴り声を合図に、酒場中の客たちが一斉にルミナリアを敵視し始めた。

そして、信じられない光景が繰り広げられた。


「出て行け、この獣人のおっさん!」


男の一人が叫んだ。


「は?獣人の……おっさん?」


ルミナリアは自分の金髪と白い肌を見下ろした。どこをどう見ても、完全な人間である。


「この、薄汚いエルフのババアが!森に帰れ!!」


別の女が叫ぶ。


「エルフではありませんわ。耳は尖っていませんし……」


「黙れ、目くらのガキ!」


「カタワのオカマが、調子に乗るな!」


ルミナリアの反論など、彼らには全く届いていなかった。

視力は正常であるし、年齢は十代半ばであり「おっさん」でもなければ「ババア」でもない。四肢も健在だ。

だが、罵倒は止まらない。


「これだから金持ち野郎は!」


「貧乏人のくせに見栄を張りやがって!」


「高学歴だからって見下しやがって!」


「低学歴の馬鹿が、知ったような口を利くな!」


「お前はドラゴンの爪先か!」


「ビルゴニア帝国の手先め!」


「この、ポルポウがッ!」


「お前は、さてはルビユーだろ!」


もはや、ルミナリアが何者であるかなど、彼らにとってはどうでもよかったのだ!


彼らにとって重要なのは、「自分たちとは違う異物である」という一点のみ!


異物であると認定された瞬間、ルミナリアは彼らの中で「とりあえず、悪の象徴」となり、ありとあらゆる差別をぶつけても許されるサンドバッグと化したのである!


ルミナリアは、周囲から飛んでくる無茶苦茶な罵倒を浴びながら、冷めた頭で分析していた。

社会の底辺で生きるスラムの悪党や、社会の上層で権力闘争を繰り広げる貴族たちは、実は驚くほど『多様性』を受け入れる。

なぜなら、彼らは常に死線や修羅場を潜り抜けており、「実力があるか」「使えるか」という絶対的な基準で他者を判断するからだ。

目の前に四肢を欠損させた者がいようが、異国の民がいようが、種族や性別が違おうが、そんなことはどうでもいい。強ければ生き残り、弱ければ死ぬ。ただそれだけの合理的な世界に生きているからだ。


しかし、この安全圏にいる『中間層』はどうだ。

彼らは、底辺に落ちることを極端に恐れ、かといって勝ち組になるだけの才能や勇気もない。だから、誰かが勝手に決めた「世論」や「ローカルルール」に縛られ、全員が同じ方向を向くことで安心感を得ている。

彼らにとって最大の恐怖は、「仲間外れにされること」である。


だからこそ、ルミナリアという「ルールに従わない異物」が現れた時、彼らは狂喜したのだ!


「こいつを叩けば、自分は『まともな多数派』の仲間でいられる」と!


その時である!


「いい加減にしろッ、てめえクソボケッ!」


空気を切り裂くような怒声と共に、隣に座っていたシャルロッテが突如として立ち上がった。

そして、あろうことか、シャルロッテはルミナリアの胸倉を乱暴に掴み上げ、その細い腕を大きく振りかぶったのだ。


「え!?……シャルロッテ……!?」


ルミナリアが目を見開いた瞬間。


バシィィィィィィッ!!!


酒場中に、肉と肉がぶつかり合う凄まじい破裂音が響き渡った。

ルミナリアの身体がグラリと揺れ、彼女は為す術もなく床に崩れ落ちた。


「キャアッ!?」


「お、おい!?」


いきなりの身内同士の暴力に、周囲の客たちは一瞬にして静まり返り、息を呑んだ。

だが、ルミナリアは床に倒れ伏しながら、冷静に事態を把握していた。


(……痛くない。打撃音だけを魔力で発生させ、寸前で止めている)


シャルロッテは、ルミナリアを殴る『ふり』をしたのだ。

シャルロッテは、床に倒れたルミナリアを氷のような冷酷な目で見下ろし、唾を吐き捨てるように言い放った。


「てめえいつもいつも言ってるだろうが!マナーも守れないようなクズはなあ!ああそうかい、なら、私がいっそここで灰にしてやろうか!?」


そして、シャルロッテは顔を上げ、呆然としている周囲の客たちに向かって、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべてみせた。


「……お騒がせしてすまないね。こいつは世間知らずの馬鹿でね。こいつの『しつけ』は、あとで私がキッチリやっておくから。ま、あんたたちは気にせず、食事を楽しんでくれよ」


その宣言を聞いた瞬間、酒場の空気が、まるで魔法にかけられたかのように劇的に変化した。


「おお、そうか!あんたの連れか!」


「なんだなんだ、あんた、話がわかる奴じゃないか!」


「いやいや、新入りを教育するのも大変だよなァ!」


先ほどまでルミナリアに無茶苦茶な差別用語を浴びせていた客たちが、一転してシャルロッテに同情的な、温かい言葉をかけ始めたのだ。

ルミナリアは、床に這いつくばったまま、シャルロッテの取った行動の真意を完璧に理解した。

シャルロッテがなぜルミナリアに暴力を振るうふりをしたのか。

そしてなぜ、それを見た客たちの暴言がピタリと止んだのか。

少し考えれば、恐ろしいほど単純な構造だった。

中間層の人間は、「自分たちのルールに従わない異物」を攻撃する。

しかし、シャルロッテはルミナリアを攻撃し、「こいつのしつけは私がする」と宣言した。

これはつまり、シャルロッテが周囲の客たちに対して「私は、あなたたちと同じ『常識ある多数派』の仲間ですよ。異物であるこいつを、あなたたちの代わりにいじめてあげますよ」という同盟のサインを送ったということだ。

中間層は、仲間への攻撃につながる行為は絶対に行わない。

シャルロッテが「自分たちの仲間」になった以上、シャルロッテの連れであるルミナリアをこれ以上攻撃することは、仲間であるシャルロッテの顔を潰すことになる。

だから彼らは、まるでスイッチを切り替えたように怒りを収め、シャルロッテを受け入れたのだ。


彼らにとって重要なのは……正義でも……論理でもない!


「自分たちが、被害者として、他人をいじめる側に回れているか」


……という、ちっぽけな承認欲求が満たされるかどうか、ただそれだけなのだ!

ルミナリアは、この茶番に……付き合うことにした。

これ以上、この愚か者たちとまともに関わる時間は、一秒たりとも無駄だったからだ。


「……申し訳ありませんでした。わたくしが、常識知らずでございました。皆様の素晴らしいルールを乱してしまい、深く……」


ルミナリアは、感情を完全に殺した声で、床に手をついて頭を下げた。

すると、どうだろうか。


「わかればいいんだよ、わかれば!」


先ほど「獣人野郎」と叫んでいた男が、嬉しそうに鼻の下を擦った。


「素直に謝れるならね、アンタ、見どころがあるわよ!」


「カタワのババア」と叫んでいた女が、母親のような慈愛に満ちた笑みを浮かべる。


「おいマスター!こいつらに、俺からソーセージ盛り合わせを一つ出してやってくれ!」


「こっちからはビールを二杯奢るぜ!ちゃんとルールを守れば、ここはな、最高の店だからな!」


彼らは、自分たちの同調圧力に屈服し、頭を下げたルミナリアに対して、今度は底なしの「優しさ」を見せ始めたのだ。

自分たちの優位性が確認できた途端に、寛大な強者を気取り、食べ物や飲み物を奢ることで自己満足に浸る。


いじめっ子が、いじめ抜いた相手が完全に服従した後に、「お前も俺たちのグループに入れてやるよ」と肩を組んでくるような、反吐が出るほどの気持ち悪さ!


「ありがとうございます、皆様。この馬鹿も、これで少しは世間というものを学んだでしょう」


シャルロッテは愛想笑いを浮かべながら、奢られた料理を次々とテーブルに並べさせた。

テーブルの上には、客たちから奢られた見事な肉料理やシチュー、そして大量の酒が並べられていた。

ルミナリアは席につき、無言のまま、ナイフとフォークを手に取った。

周囲の客たちは、ルミナリアたちが嬉しそうに奢られた飯を食う姿を見て、満足げに自分たちのテーブルへと戻っていった。彼らの脳内では、すでに「ルールを知らない若者を正しく導き、飯まで奢ってやった人情味あふれる自分たち」という美しいストーリーが完成しているのだ。


「……ルミナリア。叩くふりをして、申し訳ありませんでしたわ」


シャルロッテが、周囲に聞こえないような小声で、すまなそうに囁いた。


「いいえ。……あなたの機転は見事でしたわ。あのような論理の通じない獣の群れをやり過ごすには、あれが最適解でした」


ルミナリアは、奢られた特上ソーセージを口に運び、ゆっくりと咀嚼した。

二人は、周囲の客たちと心を通わせる気など微塵もなかった。

彼らの施しに感謝する気も、彼らのルールを尊重する気もない。

ただ、「出された美味しい食事を、タダで平らげる」という物理的な利益だけを淡々と享受した。


「いい食べっぷりだな!」


「若いうちはな、たくさん食えよ!」


遠くから飛んでくる客たちの気持ちの悪い声援を完全に無視し、ルミナリアとシャルロッテは、テーブルの上の料理を全て、一滴のスープも残さずに平らげた。


「……行きましょうか、シャルロッテ」


「ええ」


二人は立ち上がり、マスターに一瞥もくれず、そのまま店を出た。

会計は全て周囲の客たちが持っていたため、完全にタダであった。

酒場の外に出ると、夜の冷たい風が二人の頬を撫でた。

胃袋は満たされていた。美味しいものを食べ、一銭も払っていない。状況だけを見れば、得をしたのはルミナリアたちの方だ。


だが……


ルミナリアの胸の奥には、黒く沈殿するような「少々の怒り」と、拭い去れない徒労感が残っていた……。

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