救済32:【美しければそれでいい】
主題歌:美しければそれでいい
https://youtu.be/atsXQotRo_g?si=aaQ3M1lobw8zGowa
そして、アリシア・ヴェリタスは、ルミナリアのもとを去った。
彼女の知性は、一つの結論に、すでに達していたのだ。
このままルミナリアの傍にいれば、自分は彼女の罪を隠蔽し続け、結果として愛する親友を際限なく悪に染め上げてしまう。ルミナリアを救うためには、共犯者として泥に塗れることではない。光の当たる場所から、探偵として、法の守護者として、正面から仮面の死神を論破し、完全なる敗北を与えること。
それこそが、アリシアが導き出した「ルミナリアへの究極の愛の形」であった。
アリシアが去り、ナラティブの予言通り、ルミナリアは最愛の親友を失った。
だが、その喪失感を埋めるように、王都の闇には仮面の死神の狂気が吹き荒れた。ルミナリアは自らの悲しみを怒りに変え、悪党どもを次々と断罪していった。その圧倒的な恐怖の前に、王都の犯罪発生率は劇的に減少を見せた。街には平和が訪れつつあった。
しかし、その平和を誰よりも不満に思っている者がいた。
メイドのシャルロッテである。
「……つまらないですわ」
夜の私室。ルミナリアのドレスの紐を解きながら、シャルロッテは不機嫌そうに唇を尖らせた。
シャルロッテは、悪が増えればいいと本気で思っていた。なぜなら、ルミナリアが悪と戦い、返り血を浴び、その重圧と罪悪感に押し潰されそうになりながら自分の腕の中に逃げ込んでくる……その一連の過程こそが、シャルロッテにとって至高の娯楽であり、愛の証明だったからだ。
平和になれば、ルミナリアが死神として活動する理由がなくなる。自分が彼女を慰め、支配する理由がなくなる。
かつて、ルミナリアは「アリシアが望む綺麗な世界」を作るために悪を倒していた。
だが、今は違う。
ルミナリアは血眼になって、些細な悪党の痕跡すらも見逃さず、夜の街を徘徊していた。それはもはや、正義のためではない。夜の闇から帰還した後に与えられる、シャルロッテからの『濃厚な寵愛』を得るためであった。
「シャルロッテ……。今日も、三人の密売人を始末したわ……。だから、私を……」
「ふふっ。よくできましたわ、わたくしの可愛い死神様」
シャルロッテは、ルミナリアの震える身体を抱きしめ、その首筋に深く歯を立てた。
側から見れば、ラプラス家の絶対的な当主と、それに仕える従順なメイド。だが、その主従関係は、夜の闇の中において完全に逆転していた。
ルミナリアは、もはやシャルロッテの匂いと、吸い付くような肌の感触なしでは生きていけない身体になっていた。
シャルロッテの放つ圧倒的な魔力と、獣のような独占欲。それが、知性だけで生きてきたルミナリアの理性をドロドロに溶かし、狂わせていく。
ルミナリアは、本質的には殺人鬼ではない。人の命を奪うたびに、彼女の気高い魂は悲鳴を上げていた。だが、「こうしなければシャルロッテに愛されない」「シャルロッテのためなら、狂王になっても仕方がない」という麻薬のような依存が、彼女を後戻りできない深淵へと引きずり込んでいた。
(ここで引き返せば、まだ間に合う。アリシアのところへ行けば……)
ルミナリアの頭の片隅で、冷静な知性が警鐘を鳴らす。
だが、シャルロッテの舌が這うたびに、その警鐘は甘い吐息へと変わって消え去っていくのだった。
そんな狂気に満ちた日々の中、ルミナリアにある変化が起きていた。
彼女の長年の悩みであった「虚弱体質」が、劇的に改善されつつあったのだ。
ルミナリアは悟っていた。
知性だけでも、権力だけでも、そして悪を断罪する理論だけでも、真の悪は倒せない。
ナラティブ・ヴェリタスのような理外の怪物を目の当たりにし、さらには夜な夜な街を駆ける死神としての活動を通じて、彼女は「圧倒的な暴力の必要性」に目覚めたのである。
朝早くからラプラス邸の敷地を走り込み、高名な武術家を呼んで体術の基礎を叩き込む。魔力を持たない彼女の肉体は、過酷なトレーニングによってみるみるうちに引き締まり、かつての青白い病弱な令嬢から、しなやかな豹のような美しさと覇気を纏うようになった。
体力がつき、血色が良くなったルミナリアの美貌は、王都の社交界で凄まじい嵐を巻き起こした。
知性と権力に加え、凛とした健康的な美しさまで手に入れたラプラス家の若き当主。彼女を好む者は、男性にとどまらず、同性の令嬢たちの間でも爆発的に増え出したのだ。
「まあ、ルミナリア様! 今日も一段とお美しいですわ!」
「ルミナリア様、ぜひ今度の夜会でわたくしとダンスを……」
「ルミナリア様! わ、わたくしと……婚約を前提にお付き合いしていただけませんか!?」
連日、ラプラス邸には名だたる貴族の令嬢たちから、山のような招待状と、熱烈な恋文、果ては同性間の婚約申し込みまでが殺到するようになった。
ルミナリア本人は「面倒なことになったわね」と軽く受け流していたが、これを絶対に許さない者が一人いた。
シャルロッテである。
「……あの雌豚ども。わたくしのルミナリア様に、気安く声をかけて……」
ある晩。
シャルロッテは、ルミナリア宛てに届いた山のような招待状を、魔力の炎でチリ一つ残さず焼き尽くしながら、昏い瞳でそう呟いた。
「シャルロッテ?何を……」
「……ルミナリア様。わたくし、あの令嬢たちを全員、一族郎党もろとも破滅に陥れてやりますわ」
シャルロッテの声は、冗談のように平坦だったが、その瞳は完全に『本気』であった。
彼女のルミナリアへの異常な愛情と独占欲が高まるにつれて、彼女の内に秘められた規格外の魔力もまた、際限なく増大していった。今や彼女の魔力は、邸宅の空間そのものを歪ませ、周囲の空気がパチパチと音を立てて弾けるほどに膨れ上がっている。
「やめなさい、シャルロッテ。彼女たちはただの世間知らずよ。殺す理由なんてないわ」
「理由ならありますわ!ルミナリア様はわたくしのものです!わたくしだけの死神です!誰にも……誰にも触れさせない!!」
シャルロッテの瞳孔が獣のように縦に裂け、黄金の瞳が爛々と輝く。
ルミナリアは背筋に冷たい汗をかいた。このままでは、シャルロッテは本当に無実の令嬢たちを虐殺する本物の「悪」に堕ちてしまう。自分に寵愛を与えるメイドではなく、王都を滅ぼす魔王になってしまう。
ルミナリアの天才的な頭脳は、シャルロッテという絶対的なバグの前に、解決策を見出せずにいた。
そんなある日。
王都を根底から揺るがす、未曾有の大事件が発生した。
王都の魔法技術と治安の要である「王都魔導規制局」の本部ビルが、完全武装したテロリスト集団によって占拠されたのだ。
犯人の名は、バリオ・ル・バレル。
かつて隣国との戦争で名を馳せながらも、残虐すぎる手法で軍を追放された元軍人である。彼とその部下たちは、何らかの高尚な思想や悲しい過去など微塵も持ち合わせていない。「力で他者を蹂躙し、富と権力を奪うこと」だけを目的とした、純度100%の『純粋な悪の軍団』であった。
彼らはクーデターを宣言し、ビル内にいた数百名の職員を人質に取った。
王都警察はもちろんのこと、規制局に所属する精鋭たちも応戦したが、バリオの率いる軍団の前に次々と敗れ去った。
強靭な肉体と魔力を持つ竜人の職員は、対魔導用の重火器で蜂の巣にされた。
天才的な頭脳を持つ狐の魔導士の探偵は、容赦のない毒ガスと物理的な爆圧力の前に血を吐いて倒れた。
そして、あの理外の怪物であるナラティブ・ヴェリタスですら、人質を盾に取られ、さらには軍事用の超高出力の魔導兵器の一斉掃射を浴びて、瓦礫の下敷きとなり沈黙を余儀なくされていた。
「王都の精鋭が聞いて呆れるぜ!我らこそが力!そして、正義だ!」
バリオは規制局の屋上から、拡声魔法を使って王都中に響き渡る声で高笑いした。
警察の包囲網も無力。軍隊の出動には時間がかかる。王都中が絶望に包まれていた。
だが。
ラプラス邸のバルコニーからその黒煙を見つめていたルミナリアの瞳には、恐怖ではなく、鋭い『決意』の炎が宿っていた。
「……見つけたわ!」
ルミナリアは悟った。
今こそが、その時なのだ。
シャルロッテの底知れぬ嫉妬と暴走を止め、彼女を自分だけの世界に縛り付けるための、たった一つの、最高に狂った解決策。
「シャルロッテ。服を持ってきなさい。死神の装束ではないわ。私の一番美しい、ラプラス家の正装を」
王都魔導規制局の周囲は、警察と野次馬、そして報道陣でごった返していた。
そこに、一台の漆黒の馬車が静かに滑り込んできた。ラプラス家の紋章が刻まれたその馬車から降り立ったのは、金髪を風に靡かせ、凛とした軍服風のドレスに身を包んだルミナリアであった。そして彼女の後ろには、常に影のように付き従うメイド、シャルロッテの姿がある。
「ルミナリア様!?危険です、下がってください!」
警官たちが制止するのを無視し、ルミナリアはバリケードの最前線へと歩み出た。
そして、彼女は拡声魔法の込められた魔導マイクを手に取り、屋上のバリオ軍団、いや、王都中のすべての市民に向けて、高らかに叫んだ。
「聞きなさい、悪党ども!! そして王都の愚民ども!!」
その澄んだ、しかし絶対的な王者の覇気を孕んだ声は、一瞬にして周囲の喧騒を凍りつかせた。
「お前たちが恐れ、警察が血眼になって探していた『仮面の死神』は……」
彼女は振り返り、シャルロッテの手を強く、骨が軋むほどに強く握りしめた。
「私『たち』だ!……私と、私の愛するメイド、シャルロッテ!私『たち』こそが、王都の悪を裁く死神である!」
シャルロッテは、息を呑んだ。
『私たち』!
その言葉は、ルミナリアが自らの破滅に、シャルロッテを完全に巻き込んだことを意味していた。
もう、裏でコソコソと令嬢たちに嫉妬して暗躍する必要はない。二人で大罪人として表舞台に立ち、共に地獄へ落ちる。それは、シャルロッテの狂気的な愛に対する、ルミナリアからの最大級の『返答』であった。
ルミナリアは再びマイクを屋上に向けた。
「バリオ・ル・バレル!お前に選択を迫りますわ!一つ! 今すぐ武器を捨て、人質を解放し、自らの足で警察に投降すること!二つ!このまま抵抗を続け、私たち『仮面の死神』の手によって、骨の髄まで解体され、魔犬の餌として王都の泥水に這いつくばって死ぬこと!さあ!あなたの罪に、選択を!」
ルミナリアの声には、魔法など一切込められていなかった。
だが、そこにはこれまで何百という悪党の命を摘み取ってきた、真なる死神の『血の匂い』と、絶対的な知性と暴力を裏付ける覇気が込められていた。
同時に、ルミナリアに手を握られたシャルロッテの中から、主の決意に呼応するように、王都そのものを押し潰すかのような規格外の魔力が、目に見えるほどの黄金のオーラとなって噴出し始めたのだ。
「ひっ……!」
屋上にいたバリオの部下たちが、その圧倒的な死のプレッシャーに耐えきれず、次々と武器を取り落とした。
竜人も、ナラティブも倒した彼らであったが、底なしの狂気と愛で結ばれた『二人の死神』が放つ絶望的な重圧の前には、純粋な悪などただの石ころに過ぎなかった。
「ば、馬鹿な……なんだあの魔力は……なんだあの女たちの目は……ッ!」
バリオは膝から崩れ落ちた。彼らのクーデターは、ルミナリアの一喝とシャルロッテの魔力によって、一瞬にして制圧されたのである。
犯人グループが白旗を上げる中、警察が慌ててビルへと突入していく。
だが、ルミナリアの目的はクーデターの鎮圧などではない。
ルミナリアは、まだ呆然としているシャルロッテに向き直った。
「……ルミナリア様。貴女、自分が何をしたかわかっていますの? これで私たちは、大罪人として追われる身に……」
「フフフ……」
ルミナリアは、シャルロッテの腰を引き寄せた。
そして、王都中の報道陣のカメラが向けられ、無数の人々が見守る中……ルミナリアはシャルロッテの唇を、力強く、そして激しく絡みつくように奪った!
「んっ……!?る、みなりあ、さま……っ」
深い、深いキス。唾液が絡み合い、互いの魂を焼き付けるような官能的な口づけ。
唇を離したルミナリアは、シャルロッテの黄金の瞳を真っ直ぐに見つめ、極上の微笑みを浮かべて言った。
「これでもう、逃げられない。令嬢たちに嫉妬する必要もない。私とお前は、世界を敵に回した共犯者。ゲームオーバー、ですわ。……結婚しよう、シャルロッテ」
シャルロッテは、全身を雷に打たれたように震えた!
ルミナリアの暴露は、自暴自棄などではない。シャルロッテという制御不能の怪物を、自分だけのものとして永遠に繋ぎ止めるための、命を懸けた『求婚』だったのだ!
シャルロッテの目から、大粒の涙が溢れ出した!
「ああ……あああっ……ルミナリア様……!!わたくしの、わたくしだけのルミナリア様!!」
シャルロッテは、ルミナリアの首にすがりつき、獣のように泣きじゃくった。
こうすることでしか、互いの暴走を止めることはできなかった。
知性だけでもなく、暴力だけでもない。これは、ルミナリアが全存在を賭けて証明した、最狂の愛の形であった。




