救済31:正義のために惨殺せよ!友を切り捨てる悪女!
王都中央魔導炉施設。
本来ならば数千の魔力技術者が行き交い、王都の心臓として脈打つその巨大空間は、今や異様な静寂と熱気に支配されていた。
床には、王都の治安を担う精鋭部隊の隊員たちが、魔力を吸い尽くされて幾人も転がっている。彼らを一蹴した捕縛陣の中心で、純白のドレスと仮面を纏った『女神』が、余裕の笑みを浮かべて宙を見上げていた。
背後では、巨大なタービンを抱える魔導炉のコアが、危険な臨界点を迎えようと不気味な赤紫色の脈動を繰り返している。
『臨界点突破まで、残り三分』
無機質な機械の音声が、死へのカウントダウンを冷酷に刻む。凄まじい熱波が室内の空気を歪め、息をするだけで喉が焼け焦げそうだった。そのコアのすぐ真上には、見えない魔力の檻に囚われたシャルロッテとアリシアが、空中に吊るされるようにして監禁されていた。
「死神。お前は……己の命を懸ける覚悟すらないのか?」
女神が嘲笑を漏らした、その時だった。
「……はぁっ、はぁっ……お、お待ちになって……!」
重厚な防爆扉の向こうから、悲痛な声が響いた。
女神が眉をひそめて視線を向ける。そこに立っていたのは、死神などではない。フリル付きの豪奢なドレスを纏い、純白の日傘を杖代わりにしながら、今にも倒れそうな足取りで歩み寄ってくる一人の令嬢だった。
「ルミ……!?ダメよ、来ちゃダメ!」
檻の中から、アリシアが悲鳴のような声を上げた。
ルミナリア・フォン・ラプラス。
「どうか……お願いですわ……。わたくしの、大切な友人たちを……」
「……なんだ、貴様は?」
女神は心底つまらなそうに鼻を鳴らした。
「狂った王都の象徴とも言える、ラプラス家の令嬢か。いいだろう。特等席で見せてやる。まもなくここに、偽善者である死神が現れる。そして死神は、マクロを生かすために、ミクロを無惨に切り捨てるのだ。それこそが、真の救済に至るための、真実の『最終定理』なのだから」
女神は両手を広げ、陶酔したように語る。
『警告。臨界点突破まで、残り二分』
魔導炉の警告音が鼓膜を劈く。炉心の赤紫色の光が、ルミナリアの白い顔を不気味に照らし出した。
ルミナリアは、ガクガクと膝を震わせながら、なおも前へ進んだ。
「お、お願いです……。アリシアは……っ、魔力を持たない、ただの優しいエルフですわ……!シャルロッテも、まだ子供……。命を奪うというのなら、わたくしが……」
「お前は何だ。貴様のような小娘など、何の役にも立たん」
『警告。臨界点突破まで、九十秒』
ルミナリアは、涙を浮かべながら鉄骨の足場へとよろよろと近づいていく。
「来ないで、ルミ!逃げて!」
ルミナリアは、鉄骨の端まで辿り着くと、崩れ落ちるように膝をついた。そして、震える手を伸ばし、アリシアの足首にすがりついた。
「ああ……神様……わたくしは、大切な友を……」
ルミナリアは泣き崩れた。
女神は、その無力で滑稽な令嬢の姿を、絶対的な強者の位置から見下ろして嘲笑った。
それが……ルミナリアの描いた盤面だった!
「……殺すことなど容易いわ!」
震えていたはずのルミナリアの声が、絶対零度の冷酷さに変わった。
「……は?」
女神が何事かと見下ろした時。ルミナリアの瞳からは、涙も、恐怖も、絶望すらも完全に消え失せていた。
そこにあるのは、ただ数式を解き終えただけの、人間性を欠落させた『怪物』の冷たい光だけだった。
ルミナリアは一秒の躊躇すらなく、日傘の柄に仕込んでいた漆黒の短剣を抜いた。
そして、すがりついていたアリシアの身体を引き寄せると、その細い胸の中心、心臓を真上から正確に貫いた。
「……?」
アリシアの瞳が見開かれる。
ゴフッ、と彼女の口から鮮血が吐き出され、ルミナリアの純白のドレスと手袋を赤く染め上げた。
胸を貫く刃の氷のような冷たさと、すぐ下で暴れ狂う魔導炉の灼熱。そしてそこから溢れ出る自身の血の生暖かい感触が、急速にアリシアの感覚を麻痺させていく。
だが、肉体の痛みなどよりも何よりも、アリシアの精神を完全に崩壊させたのは、目の前にある、ルミナリアの表情だった。
愛する親友の心臓を刺し貫いたというのに、ルミナリアの瞳には、悲しみも、苦悩も、葛藤の揺らぎすら、何一つ宿っていなかった。
ただ、勝利のための条件を満たすための、無機質な『作業』。
その冷徹で、人間味の欠片もない人形のような瞳を見た瞬間、アリシアは理解してしまった。
自分たちが庭園で過ごした温かいお茶会の時間は、この怪物にとっては何の枷にもならないのだと。多数を救うためなら、親友を殺すことすら「最適解」として瞬時に処理できる、氷の知能。
その事実が、アリシアの精神をごっそりと削り取った。
「死になさい!アリシア!」
ルミナリアの顔には、一片の感情もなかった。
彼女はそのまま、短剣を突き立てたアリシアの身体を無造作に蹴り飛ばし、魔導炉のコアに向かって容赦なく突き落とした。
「き、貴様…………!?まさか、お前が……!」
女神の仮面の奥の瞳が、恐怖と混乱に見開かれる。
多数を救うために少数を切り捨てる。それは女神自身が掲げた正義だった。しかし、いざそれを目の前で、それも、自分の最も愛するはずの親友に対して、一ミリの迷いもなく実行したルミナリアの異常性に、女神は戦慄していた。
アリシアを落としたルミナリアは、何事もなかったかのように立ち上がり、返り血に染まった懐中時計を開いた。
「シャルロッテ。放ちなさい。」
無感情な、ただの作業報告のような指示。
その直後。アリシアが落とされた直後から、一切の反応を見せずに沈黙していたシャルロッテが獰猛な笑みを浮かべた。
シャルロッテの細い腕から放たれた極大の魔力砲が女神へと直撃する。
「あ、あああああっ!私は、私は正義……っ!!」
絶叫すらも魔力の光に飲み込まれ、女神の身体は文字通り、一欠片の塵も残さずに粉砕された。
すべてが、終わった。
魔導炉は完全に停止し、施設内には非常用の赤いランプだけが点滅している。
「急ぎなさい」
「分かってます!魂が定着している時間は僅かですから!」
シャルロッテは、黒焦げのアリシアの身体を抱え上げた。
「魂の定着……再構築……ッ!!」
シャルロッテの持つ魔力が、アリシアの身体へと滝のように注ぎ込まれる。
失われた血液が逆流し、致命傷だった心臓の傷が塞がっていく。
数秒後。アリシアは大きくむせ返りながら、息を吹き返した。
「アリシア!」
シャルロッテが安堵の声を上げる。
アリシアは、霞む視界の中で、自分の胸を触った。ドレスは血で赤く染まり、布地は破れているが、傷跡はない。
生き返ったのだ。シャルロッテの魔法によって。
戦術としては、完璧だった。ルミナリアがアリシアを刺して炉心を止めなければ、シャルロッテが魔力を消費してしまい、女神を倒すことはできず、全員が死んでいた。
頭では、理解している。
これが、ルミナリアの言う『最終定理』であり、誰も死なせないための究極の奇策だったのだと。
だが。
アリシアは、ゆっくりと視線を上げた。
そこには、純白のドレスを自身の血で真っ赤に染め上げ、冷たい目をしたルミナリアが立っていた。
彼女は、言い訳一つしない。自分が手を下したことに対して、涙一つ流さない。
アリシアの脳裏に、心臓を貫かれた瞬間のルミナリアの無機質な瞳が焼き付いて離れなかった。
(あなたは……あの狂った女神と、まったく同じ目をして、私を殺したのね……)
アリシアの心の中で、何かが決定的に音を立てて砕け散った。
ルミナリアは、正義のために人を平気で切り捨てる『女神』を憎悪していた!
だが、その女神を倒すために、ルミナリア自身が最も冷酷な手段を選んだのだ!
愛では愛を救えない!
ルミナリアのその孤独な合理性を、アリシアはもう、見ていられなかった。
その時だった。
「魔力反応が消えた!突入しろ!!」
施設の外から、無数の重厚な足音が雪崩れ込んできた。
王都警察の主力部隊だ。致命的なまでに遅すぎる到着だった。
「女神は?どうした!?」
部隊長が、惨状を見渡して怒鳴る。
そこには、粉砕された施設の残骸と、血まみれになった公爵令嬢ルミナリア、そしてシャルロッテとアリシアの姿しかなかった。
「ラプラス家の……お嬢様!?ど、どうしてあなたがこんな所に!」
隊長が慌ててルミナリアに駆け寄る。その手やドレスが血に染まっているのを見て、彼は息を呑んだ。
「その血は……まさか、お嬢様が……?」
ルミナリアは、自分の赤く染まった手を見つめた。
己の罪。己の醜さ。
正義を騙る狂信者を倒すために、親友の心臓すらも躊躇なく貫く自分という存在。その本質は、世界を滅ぼす悪魔と何ら変わりはない。
もう、限界だった。
こんな偽りの令嬢を演じ、裏で血まみれの殺戮を続けることに、彼女の脆い精神はとうに耐え切れなくなっていた。裁かれたかった。
誰かに、自分を「悪」だと断罪し、この地獄から引きずり下ろしてほしかった。
ルミナリアは、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、かつてないほどの深い絶望が宿っていた。
「……ええ。そうですわ」
ルミナリアは、乾いた唇を開いた。
すべてを、終わらせるために。
「『死神』は……」
アリシアが、悲鳴を上げるように目を見開いた。
だが、ルミナリアがその名を告げるより早く。
「死神は、私たちを助けて、飛び去りました!!」
弾かれたように前に出たシャルロッテが、鼓膜を劈くような大声で叫んだ。
その声は、ルミナリアの告白を完全に掻き消して、施設内に響き渡った。
「え……?」
警察の隊長が目を丸くする。
「あ、あの女神が私たちを殺そうとした瞬間!そう、黒いローブを着た『死神』が空からドカーンと現れて、女神を跡形もなく吹き飛ばしたんです!その隙に、ルミナリアお嬢様がアタシたちを庇ってくれて……っ、この血は、その時に瓦礫から庇って怪我をした血です!」
シャルロッテは、あどけない少女の顔に嘘八百の涙を浮かべながら、必死にまくしたてた。
「死神は……恐ろしかったけど、助けてくれました!そうして、天井の穴から、闇の中へ消えていったんです!!」
隊長は、施設の吹き飛んだ天井を見上げ、そして完全に消滅した女神の痕跡を見て、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……あの強力な術式を展開していたテロリストを、一撃で粉砕したというのか……。死神、どれほどの化け物だと言うのだ……」
警察たちは、シャルロッテの言葉を完全に信じ込んだ。
いや、信じるしかなかった。魔力ゼロの公爵令嬢が、あれほどのテロリストを単独で倒せるはずがないのだから。
「ルミナリア様。ご無事で何よりです。さあ、早く安全な場所へ」
騎士たちが、丁重にルミナリアを保護しようと歩み寄る。
ルミナリアは、呆然とシャルロッテを見つめた。
シャルロッテは、警察の死角になる位置から、ルミナリアに向かって鋭い視線を送っていた。
(……絶対に、言わせない)
その瞳は、そう雄弁に語っていた。
シャルロッテは分かっていたのだ。ルミナリアがここで自白すれば、彼女は極刑を免れない。そして何より、この歪んだ王都の構造を根底から破壊し、真の平和をもたらすための『最後のピース』を失うわけにはいかなかった。
だからこそ、シャルロッテは共犯者として、泥を被る覚悟を決めたのだ。
ルミナリアは、下唇を強く噛み締めた!




