第七話:ダンジョンを攻略しまして
ダンジョン。それは建築物としての敗北であり、設計者の悪意と無計画さが凝縮された「非効率の極み」である。
行き止まり、無意味に蛇行する通路、そして来訪者のリソースを削るためだけに配置された致死性のトラップ。これらはすべて、論理的な動線を無視した「バグ」に他ならない。
城塞都市バベルでの業務効率化を終えた我々「ねづっち一行」は、次なるステップとして都市の地下に広がる『忘却の地下迷宮』へと足を踏み入れていた。
ここは古代の魔術師が造り上げたと言われる、全五十階層に及ぶ超巨大ダンジョンだ。未だ最深部へ到達した者はいないという、冒険者たちのロマンと絶望が入り交じる場所である。
「ううっ、やっぱりダンジョンって空気が重いわね……。それにこの湿気、髪がまとまらなくて最悪」
入り口の薄暗い階段を下りながら、魔法使いのリリアが自身の銀髪を弄りながらぼやいた。
「気を引き締めろよ、リリア! ここは低層でも強力な魔物が出るって噂だ。ねづっちの旦那、陣形はどうする!?」
大剣を構えたガルドが、暗闇を睨みつけながら鼻息を荒くする。
「索敵はあたしに任せて! 罠の解除なら誰にも負けないからね!」
「わ、私もいつでも最高効率のバフとヒールを飛ばせるよう、魔力経路をスタンバイしております……っ!」
ミラがダガーを弄り、セレナが短い祈り(一・五秒で完了する最適化版)を捧げる。
皆、初の本格的なダンジョン探索ということで、適度な緊張感を保っている。パーティーの士気としては理想的だ。
しかし、私は迷宮の入り口に立つなり、深くため息をついた。
「どうしたの、リーダーさん。いきなりため息なんて」
「いえ……あまりにも入り口のアーチの装飾が非対称すぎて、私の神経を逆撫でするのです。右の柱のレリーフが、左に比べて三センチほど上にズレています」
「そこ!? この緊迫した空気で気にするの、そこなの!?」
リリアのツッコミをスルーし、私は冷たい石壁に手を触れた。
ダンジョン攻略における一般常識とは、「マッピング(地図作成)」を行いながら、罠を避け、魔物を倒し、少しずつ進んでいくことだ。
だが、そんなアジャイル開発のような手探りの進め方は、時間と体力の無駄でしかない。
「ダンジョンとは要するに、複雑に絡み合った『情報と物理の迷路』です。であれば、全体像をあらかじめ整理し、不要なものを省けばいいだけのこと」
私は眼鏡のブリッジを中指で押し上げ、静かに宣言した。
「固有スキル、【整える力】を発動。対象:この地下迷宮の第一階層から第五階層までの構造およびオブジェクト。
実行コマンド:正解ルートの抽出、行き止まりの閉鎖、致死性トラップの無力化、並びに最適動線の構築!」
私の手から放たれた淡いブルーの光が、網の目のようにダンジョンの奥深くへと走っていく。
ゴゴゴゴゴ……!という低い地鳴りが迷宮全体を揺らした。
「な、なんだ!? 地震か!?」
ガルドが身構え、ミラがとっさにセレナを庇う。
だが、揺れは数秒で収まった。そして彼らが目を開けた時、目の前の光景は一変していた。
「えっ……? うそ……」
リリアが絶句する。
先ほどまで、入り組んだ三叉路や不気味な暗がりがあったはずの通路は、一切の分岐を持たない「一直線の広大な回廊」へと姿を変えていたのだ。
壁には等間隔で松明が灯り(光量のバラツキも修正済みだ)、足元の石畳はミリ単位の狂いもなく平らに敷き詰められている。
不要な行き止まりへの通路は、余った壁材を「整理」して完全に塞いだ。
「ミラ。あなたの腕を疑うわけではありませんが、手作業によるトラップ解除は時間がかかりすぎます。よって、すべて『片付けて』おきました」
私が指さした壁際を見ると、そこには天井から落ちてくるはずだった大量の毒矢、床から飛び出すはずだった槍、そして毒ガスの噴霧器などが、きれいにカテゴリ分けされて「燃えないゴミ」のように積み上げられていた。
「にゃ、にゃはは……。あたしの盗賊としての見せ場、開始一分でなくなっちゃったよ……」
ミラが引きつった笑いを浮かべる。
「さあ、進みましょう。この一直線のルートを歩けば、正確に十五分で第一階層のボスの部屋に到達します。エンカウント(遭遇)する魔物は、素材的価値の高いものだけをルート上に残し、それ以外は壁の向こう側に『隔離』しました」
「ダンジョンの概念を根底から覆してる……! もうこれ、ただの整備された地下道じゃない!」
リリアの嘆きをBGMに、我々は歩き出した。
予測通り、道中に現れるのは上質な魔石を落とすクリスタル・リザードや、高級な肉となるミノタウロスのみ。ガルドとリリアが効率的にそれらを処理し、セレナがバフをかけ、ミラが素材を素早く回収する。
無駄な戦闘、無駄な負傷、無駄な迷いが一切ない。
十五分後、我々は全く汗もかかずに第一階層のボス部屋を覆う重厚な扉の前に到着した。
「スケジュール通りですね。では、扉を開けます」
私が扉を押し開けると、そこにはすり鉢状の巨大な空間が広がっていた。
そして中央には、複数の魔物の死骸や瓦礫、武具などが融合して生まれた異形の怪物——『カオス・アマルガム』が鎮座していた。
『ギロロォォォォォン……!』
無数の目玉が我々をギョロリと睨みつけ、八本の歪な腕が不規則に蠢く。
「あれがボス……! ねづっちの旦那、あいつはヤバいぜ! 動きに全く規則性がねえ!」
ガルドが冷や汗を流しながら大剣を構えた。
「その通りです。あのような『混沌』そのものを体現したようなエネミーは、予測不能な物理演算を引き起こすため、非常に厄介です」
私は手帳を開き、素早く計算式を走らせた。
「しかし、どれほど無秩序に見えようと、質量を持った物体である以上、物理法則からは逃れられません」
カオス・アマルガムが咆哮を上げ、八本の腕をめちゃくちゃに振り回しながら突進してきた。
軌道が読めない攻撃。まともに受ければ、いくらガルドでもただでは済まない。
「ねづっち!」
リリアが悲鳴のように私の名を呼ぶ。
私は一歩も引かず、迫り来る巨大な暴力に向かって右手を突き出した。
「対象の『混沌』が強大であれば、それを利用するまでです。——【整える力】、戦闘用フォーマット(出力七〇パーセント)」
私は怪物の「動きそのもの」を整理した。
「対象の各関節の可動域を均一化。八本の腕の駆動タイミングを、四拍子のリズムへと強制的に『ソート(整列)』。及び、重心を常に中央に固定!」
「ギ……ガ……!?」
突進してきていたボスの動きが、突如としてカクカクと不自然に変化した。
でたらめに振り回されていた八本の腕が、まるで機械仕掛けの時計のように、「イチ、ニ、サン、シ」という規則正しい四拍子のリズムでしか動かなくなったのだ。
「ガルド! ボスの攻撃周期は正確に二・五秒間隔になりました! 三拍目と四拍目の間に、コンマ八秒の完璧な隙が生じます。そこへ最大出力の斬撃を!」
「おうっ! そういうことなら、目をつぶってでも当てられるぜ!」
ガルドが地を蹴った。
イチ、ニ、サン——。
カオス・アマルガムの巨腕が空を切り、ガルドの頭上を通過する。
その直後、計算通りに怪物のコア(複数の魔石が癒着した心臓部)が無防備に露出した。
「——シッ! これで終わりだぁぁっ!」
ガルドの大剣が、無防備なコアに正確に吸い込まれた。
パァァァァンッ!という甲高い音と共に、コアが粉々に砕け散る。
制御を失ったカオス・アマルガムの巨体が、パラパラと崩れ落ち、ただの瓦礫の山へと「還元」された。
戦闘時間、わずか四十秒。
誰も傷を負うことなく、ダンジョンの第一階層ボスは消滅した。
「……整いました」
私が淡々と宣言すると、静まり返ったボス部屋に、仲間たちの深い、深い感嘆のため息が漏れた。
「信じられません……。あんなに恐ろしい魔物だったのに、ねづっち様のタクト一つで、まるで操り人形のように……」
セレナが祈るように両手を組んで私を見つめる。
「にゃはは! マジで最高! ねづっちがいれば、どんなダンジョンもピクニックみたいなもんじゃん!」
ミラが歓喜の声を上げながら、崩れ落ちた瓦礫の中からドロップアイテム(宝箱)を素早く見つけ出した。
ガルドも大剣を背に収め、豪快に笑う。
「いやぁ、恐れ入ったぜ。最初は『整理』だの『効率』だの、冒険者らしからぬ言葉ばっかりでどうなるかと思ったが……あんたのその力、紛れもなく俺たちを守るための『最強の盾』であり『矛』だ。俺は、本気であんたを信頼してるぜ、リーダー」
ガルドの言葉に、ミラとセレナも深く頷いた。
彼らの瞳には、私に対する絶対的な信頼と、敬意が宿っていた。
私はいつものように無表情のまま、「過大評価です。私はただ、タスクを処理したに過ぎません」と返すつもりだった。
だが。
「ねえ、ねづっち」
ふいに、リリアが私の隣に並び、そっと私の袖口を引いた。
彼女は、ボスの残骸と、見事に整備された一直線のダンジョンを見渡し、そして、柔らかく微笑んだ。
「あなたはいつも『効率』とか『無駄を省く』とか言うけれど。本当は、私たちが怪我をしないように、怖い思いをしないように、一番安全な道を作ってくれてるんでしょ?」
「……それは、論理の飛躍です。安全マージンを確保するのは、プロジェクトマネージャーとして当然の……」
「ふふっ。そういうことにしておいてあげる」
リリアは私の言葉を遮り、私の手から手帳をスッと抜き取った。
「今日はもう十分効率的だったわ。ボスも倒したし、お宝も手に入れた。だから、帰りの道くらいは……少しだけ、寄り道しながら帰らない?」
「寄り道……。それは、スケジュールの遅延を意味しますが」
「たまには『無駄』な時間も悪くないわよ。ね?」
彼女の、呪縛から解放されたように澄み切った笑顔を見て。
私の心拍数が、またしてもほんの少しだけ、計算外の「乱れ」を見せた。
「……仕方ありませんね。本日の業務はここまでとしましょう。宝箱の中身を『整理』したら、帰還します」
私がそう言うと、リリアは嬉しそうに「うん!」と頷いた。
ダンジョンの奥底で見つけた宝箱の中身は、金貨と宝石が無造作に混ざり合っており、非常に腹立たしいほど散らかっていた。
私はそれを種類別、サイズ順に完璧にソートしながら、自身の内部ログに新たな一行を書き加えた。
『パーティーメンバーとの信頼関係の構築:完了。ただし、心臓部の不規則なノイズについては、引き続きモニタリングが必要』
エトスの世界は、まだ救済を待っている。
我々、最も効率的な勇者パーティーのダンジョン攻略は、完全なる成功と共に幕を下ろしたのだった。




