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第二十二話:世界の呪縛を解きます


 泥まみれの拳が、絶対的な混沌を殴り飛ばす。

 一切の論理システムを放棄し、己の感情というエンジンの出力を限界まで引き上げた私たちの突撃は、魔神ハートレスの予測演算を完全に凌駕していた。


「オラァァァッ!!」


 ガルドが抱え上げた巨大な瓦礫の塊が、魔神の無数の腕を粉砕する。


「にゃははっ! 隙だらけだよ、泥んこオバケ!」


 ミラが身一つで魔神の死角に飛び込み、毒針を急所に次々と突き立てる。


「ねづっち様、前へ! 私の祈りは、決して途切れません!」


 セレナが放つ無尽蔵の回復魔法の光が、私たちの背中を温かく押し上げ続ける。


「吹き飛びなさい!!」


 リリアが両手から直接放った超高圧縮の魔力の暴風が、魔神の巨体を大きくよろめかせた。


『バカ、ナ……! タダノ物理法則ニ過ギナイ挙動ガ、ナゼ我ノ混沌ヲ凌駕スル……!?』


 泥の巨体が軋み、無数の顔が苦悶の絶叫を上げる。


「簡単なことです。お前には『熱』がない」


 私は泥まみれになりながら、魔神の眼前に立ち塞がった。


「他人の感情を奪い、圧縮し、ただのデータとして消費してきたお前には、この生々しい命の熱量が理解できない。……バグを恐れて心を閉ざした、かつての私と同じようにな」

『黙レェェェェッ!!』


 魔神が狂乱したように咆哮した。

 その瞬間、魔神の体から溢れ出たドス黒い泥が、上空へと一気に巻き上がり、巨大な「黒い太陽」を形成し始めた。

 空がひび割れ、世界中の大気が悲鳴を上げる。


「……あれは」


 リリアが息を呑んだ。

 黒い太陽の中には、魔神が世界中から奪い取った数千万、数億という人々の「心」が、どす黒い呪縛の鎖に縛られ、絶望のエネルギーとして圧縮されていた。


管理者アドミンヨ、貴様ノ熱ナド無意味ダ! 我ハコノ星ノ全テノ心ヲ起爆フォーマットシ、世界ソノモノヲ完全ナル「無」ヘト還ス!』


 圧倒的な質量。

 それは、一人の人間や、一つのパーティーがどうにかできるレベルのバグではない。世界を構成するOSそのものを破壊する、最悪の自爆コマンドだった。


「……リーダー。さすがにアレは、気合だけじゃ殴り飛ばせねえぜ……」


 ガルドが、空を覆う絶望の塊を見上げて呟く。

 だが、私は一歩も退かなかった。


「ええ。気合むちつじょだけで勝てるほど、世界は単純ではありません」


 私は、血と泥に汚れた両手を見つめた。

 論理の壁を捨て、感情をむき出しにして戦ったことで、私はようやく理解したのだ。

【整える力】の真髄を。

 それは、ノイズを消去デリートして無菌室を作ることではない。バラバラになった人々の感情や思いを、あるべき場所へ繋ぎ合わせ、一つの巨大で美しい「星座ネットワーク」として再構築することなのだと。


「リリア。ガルド、ミラ、セレナ」


 私は仲間たちを振り返り、優しく、しかし確固たる声で告げた。


「私のシステムを、再起動リブートします。……ただし今回は、私一人の力で世界を管理するような、傲慢なOSではありません」


 私は、そっとリリアの手を握った。


「あなたたちの命の熱を、私のシステムに繋いでください。……世界中の呪縛を解き放つための、究極の『整理整頓』を実行します」


 リリアは驚いたように目を丸くした後、最高に美しい笑顔を浮かべ、私の手を両手で力強く握り返した。


「……待ってたわよ、その言葉。私の魔力、全部あんたに預ける!」

「おう! 俺の力も全部持っていきな!」

「あたしも! 好きなだけ使って!」

「私たちの心は、すでに一つです!」


 ガルドが、ミラが、セレナが、次々と私の背中や肩に手を当てる。

 五人の心が、完全に同期シンクロする。

 限界を超えた感情の熱量が、私の空っぽになったシステムに、凄まじい勢いで流れ込んでくる。


「……起動ブート。管理者権限、世界すべての命へ譲渡」


 私は天にそびえる「黒い太陽」へ向けて、両手を高く掲げた。


「固有スキル、【整える力】Ver. Final(最終形態)。

 実行コマンド:『世界調和グローバル・デフラグメンテーション』——!!」


 私の両手から放たれたのは、青でも黄金でもない。

 世界に存在するすべての感情を肯定するような、眩いばかりの「虹色の光」だった。

 光は天を衝き、魔神の展開した黒い太陽へ真っ直ぐに突き刺さる。


『ガァァァァッ!? ナ、ンダコレハ……我ノ呪縛ガ、解析サレテイク……!?』

「解析するだけではありません。解き放ち、元の場所へ帰すのです」


 私の意識は、今や光となって世界中を駆け巡っていた。

 塔の下で戦う大規模同盟の数万の兵士たちの心。

 帝都で震える市民たちの心。

 世界各地で、感情を奪われ人形のように生きる人々の心。

 私は、そのすべてにアクセスした。

 私の脳内に、数億という人々の「思い出」や「愛」、「悲しみ」や「希望」が、膨大なデータとなって流れ込んでくる。

 かつての私なら、一瞬でオーバーフローを起こして発狂していただろう。だが、今の私には、共に重さを支えてくれる五人の仲間クラスターがいる。


「世界中の皆さんに告ぎます。……長らくお待たせしました。あなた方の心は、今から私の手で、完璧に『整頓』させていただきます」


 私は天高く掲げた両手に、仲間たちの力、そして世界中から集まった「生きたい」という願いのすべてを一点に集約させた。


「行けえええええええっ!!」


 リリアたちの叫びと共に、虹色の光の奔流が、一気に臨界点を突破した。

 巨大な光の柱が、魔神の黒い太陽を内側から食い破る。


『バカ、ナ……我ノ、無ガ……満タサレテ、イク……!?』


 魔神の絶叫は、恐怖ではなく、どこか安堵を含んだような響きへと変わっていった。

 ドス黒い泥の塊が、虹色の光に包まれ、次々と美しいガラス細工のように浄化されていく。


「解き放て。すべての『心の呪縛エラー』を、今ここで終了シャットダウンする!」


 パァァァァァァンッ……!!


 世界を揺るがす、澄み切った破裂音。

 黒い太陽が弾け飛び、数億の「心の欠片」が、色鮮やかな流星雨となって、元の持ち主の待つ世界中へと降り注いでいった。

 同時に、魔神ハートレスの本体もまた、光の粒子となってボロボロと崩れ落ちる。


『……見事ダ。管理者、ヨ。……コレホドニ、世界ハ……美シク、整ッテイタノカ……』


 最期に、空っぽだった魔神の心にも「温かい何か」が芽生えたのか。ヤツは微かな笑い声のようなものを残し、朝焼けの空へと完全に溶けて消え去った。

 終わったのだ。

 世界を縛っていた最悪の呪縛は、たった今、完全に消去デリートされた。


「……ミッション、コンプリートです」


 私は両手を下ろし、大きく息を吐き出した。

 限界を超えた魔力行使により、足から力が抜け、その場に崩れ落ちそうになる。


「ねづっち!」


 リリアが素早く私を抱き止め、ガルドたちが駆け寄ってきた。

 私たちが立っていた「無心の塔」の残骸は、魔神の消滅と共に光の粒子となって足元から消え去っていく。私たちは、重力から解放されたように、ゆっくりと朝焼けの空から地上へと舞い降りていった。

 着地した先は、帝国首都の巨大な広場。

 そこには、無数の流星(心の欠片)を受け取り、感情を取り戻して涙を流す反乱軍の兵士たちや、市民たちの姿があった。


「心が……俺の心が、戻ってきた……!」

「母さん……母さん!」


 広場のあちこちで、歓喜の産声が上がっている。彼らは空から降りてきた私たちを見つけると、堰を切ったように怒涛の歓声を上げ始めた。


「勇者様だ! 勇者様たちが、世界を救ってくれたんだ!!」

「ねづっち総司令官、万歳!!」


 地鳴りのような歓声と、降り注ぐ朝の光。

 私は、自分がかつて「効率が悪い」と切り捨てていた感情の渦のど真ん中に立っていることに気づいた。……なんてうるさくて、鬱陶しくて、そして、温かいのだろう。


「にゃははっ! 大喝采だね、リーダー!」

「へっ、俺たちのパーティーが世界一だってことが、これで完全に証明されたな!」

「神様……いえ、ねづっち様。本当に、ありがとうございます」


 ミラが跳ね回り、ガルドが豪快に笑い、セレナが涙ぐみながら私に頭を下げる。

 私は、ぼろぼろになった自分の服を整えようとして……ふと、リリアが私の胸に顔を埋めたまま、肩を震わせていることに気づいた。


「リリア?」

「……ばか」


 彼女は私の胸をポカポカと叩きながら、顔を上げて、大粒の涙をこぼした。


「あんた、無茶しすぎよ……っ。もしあのまま、魔力を持っていかれて戻ってこなかったら、どうするつもりだったのよ……!」

「計算上、あなた方のバックアップがあれば一〇〇パーセント生還できると弾き出されていましたから」

「……またそういう理屈っぽいこと言う!」


 リリアは泣き笑いの表情になり、そのまま私の首に強く腕を回して、抱きついてきた。


「ありがとう……。私たちを、この世界を、見捨てないでくれて。本当に、ありがとう、ねづっち」

「……私の方こそ。空っぽだった私のフォルダを、あなた方が見つけてくれたおかげです」


 私は不器用ながらも、彼女の背中をしっかりと抱きしめ返した。

 風が吹き抜け、青空がどこまでも高く澄み渡っていく。

 世界は救われた。

 だが、人々の心が戻ったこの世界は、これから先、様々な感情がぶつかり合い、きっと以前よりもずっと複雑で、騒がしく、散らかったものになるだろう。

 それでいい。

 バグもノイズも、生きている証だ。

 もしもまた、どうしようもなく散らかってしまった時は。


「さあ、帰りましょうか。私たちの、騒がしい日常へ」

「ええ! どこまでもついていくわよ、私たちの最高のリーダー!」


 その時は私が、この愛すべき仲間たちと共に、何度でも世界を優しく「整え」に行こう。

 完璧なシステムエンジニアの、終わらない日常ランタイムが、今、美しい朝日に包まれて幕を開けた。

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