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第二十話:過去のトラウマを清算しまして


 魔神ハートレスの物理的な外殻ハードウェアが崩壊し、世界を覆っていた漆黒の空に、わずかな光が差し込み始めたその時だった。


『……道連レダ。管理者アドミンノ権限ヲ持ツ者ヨ、貴様ノ根源ルートヲ破壊スル』


 完全に消去デリートされたはずの魔神の最期の残滓が、不可視の悪意のコードとなって、私というシステムの中枢へ一直線に突き刺さった。


「ッ……!!」

「ねづっち!?」


 リリアの悲鳴が遠く聞こえ、私の意識は急激に暗転した。

 強制的なシャットダウン。いや、これは私の精神の深淵、絶対に開けてはならない「過去のアーカイブ」への強制アクセス(ハッキング)だ。

 気がつくと、私はひどく懐かしく、そして息が詰まるほど冷たい場所に立っていた。

 無機質な蛍光灯の光。何台もの巨大なサーバーラックが発する低周波の稼働音。壁掛け時計の針は午前三時を指している。

 そこは、前世の私が人生の大半を過ごし、そして孤独に命を落とした場所――東京の、とあるIT企業の深夜のサーバー室だった。


『見ロ。コレガオ前ノ「真実」ダ』


 魔神のノイズ混じりの声が、スピーカーから響くように脳内を揺らす。

 目の前のデスクには、青白いモニターの光に照らされた「私」が突っ伏していた。

 何日も帰宅せず、誰とも言葉を交わさず、ただひたすらにコードを打ち続けた末の、過労による心不全。

 誰にも看取られることなく、三日後に清掃員に発見されるまで、ただの「壊れた備品」として放置されていた私の亡骸だ。


『お前は元々、空っぽのフォルダだ』


 魔神の囁きが、冷たい泥のように足元から這い上がってくる。


『効率を求め、他者との繋がり(ネットワーク)を自ら切断した。傷つくことを恐れ、孤独という名の安全地帯に逃げ込んだ卑怯者。……そんな欠陥品バグが、誰かを救う? 絆を結ぶ? 笑わせるな』


 心臓を、氷の刃で抉られるような痛みが走った。

 否定できない。私がこの異世界に召喚され、【整える力】というスキルを与えられた時、私はそれを「他者をリソースとして管理し、自分を守るための壁」として使った。

 前世でのトラウマ――誰からも必要とされず、誰にも心を許せなかった「心の欠落」を隠すための、見栄えの良いインターフェースに過ぎなかったのだ。

 足元から這い上がる黒い泥が、私の体を飲み込もうとする。

 このまま過去の絶望に上書きされれば、私は二度と目を覚ますことはないだろう。


「……私の、システムは……」


 言い訳のコードが見つからない。私は、所詮は孤独な――


『勝手に自己完結してんじゃないわよ、このポンコツリーダー!!』


 その時、密閉されたサーバー室の分厚い防音扉が、凄まじい轟音と共に吹き飛んだ。


「な……!?」


 粉々になった扉の向こうから現れたのは、蛍光灯の光には似つかわしくない、巨大な大剣を肩に担いだ巨漢の戦士だった。


「へっ、なんだこの湿っぽくて息苦しい部屋は! 旦那の頭ん中ってのは、随分と窮屈な場所なんだな!」


 ガルドが豪快に笑いながら、私の亡骸が伏すデスクを蹴り飛ばす。


「にゃははっ、ほんとほんと! こんな殺風景なところじゃ、あたしの罠も映えないよ!」


 ミラが天井の配管にワイヤーを引っかけ、軽やかに私の目の前へと着地する。


「ねづっち様……。あなたがこれまで、どれほど冷たい世界で戦ってこられたのか。私には、その痛みが伝わってきます」


 セレナが静かに歩み寄り、祈るように両手を組んで、サーバー室の冷たい空気に温かい光を灯していく。

 そして、最後に歩み入ってきたのは、杖を構え、怒ったような、泣きそうな顔をした銀髪の魔法使いだった。


「リリア……どうして、あなた方がここに」

「あんたの魔力波形が急に乱れたから、五人のパスを繋いで無理やりダイブ(不正アクセス)させてもらったのよ!」


 リリアはツカツカと私に歩み寄り、私の胸ぐらを力強く掴んだ。


「あんたが過去にどんな世界で生きて、どんな風に死んだかなんて知らない! でもね、今あんたが立ってるのはここよ! 私たちと繋がってる、この場所なの!」

『無駄ダ。コノ男ノ本質ハ孤独。他者ヲ信ジラレナイ、欠陥プログラムダ!』


 魔神の残滓が激しく波打ち、サーバー室の機器が暴走を始める。無数のエラーコードが刃となって、私たちに襲い掛かろうとした。


「……いいえ」


 私は、リリアの手をそっと握り、静かに前へ出た。

 私の指先は微かに震えていた。だが、それは恐怖からではない。ついに、自分の最も見苦しい部分を、最も大切な人たちに「開示オープン」する覚悟が決まったからだ。


「魔神の言う通りです。私は欠陥品でした」


 私は眼鏡を外し、仲間たち一人一人の顔を見渡した。


「効率だの、最適化だの、偉そうなことを言っていましたが……本当は、ただ怖かっただけなのです」


 私は、喉の奥につかえていた真実のログを、声に出して読み上げた。


「期待して裏切られるのが怖かった。自分の無能さを暴かれるのが怖かった。だから、最初から誰も自分の心に踏み込ませないよう、完璧なルールを敷いて『他人は単なる変数だ』と自分に言い聞かせていた」


 私の声は、無機質なサーバー室によく響いた。


「私は、一人で死んだんじゃない。一人でいることを『選んで』死んだのです。……そんな卑怯な男が、あなたたちのような眩しい存在を導くリーダーなど、相応しいはずがないと……ずっと、心のどこかで恐れていました」


 すべてを吐き出した。

 私が必死に隠してきた、ファイアウォールの内側の、ひどく惨めで矮小な私の「コア」。

 幻滅されるだろうか。呆れられるだろうか。

 だが。


「……ばぁっかじゃないの」


 リリアが、ふっと吹き出した。


「そんなの、最初から知ってるわよ。あんたが理屈っぽくて、臆病で、不器用で、そのくせ誰よりも私たちのことを見てくれてる過保護なシステムオタクだってことくらい」

「……え?」

「旦那。あんたがどんなに弱くたって構わねえ。あんたが俺たちを『最強』にしてくれたんだ。俺の盾は、あんたのその背中を守るためにあるんだぜ」


 ガルドが大剣を床に突き立て、ニカッと笑う。


「そうそう! リーダーが一人で抱え込むバグは、あたしたちがいくらでもデバッグしてあげるからさ!」

「ねづっち様は、もうお一人ではありません。私たちが、あなたの心の空白をすべて埋めます」

 ミラとセレナも、一点の曇りもない笑顔で私を見つめていた。

「みんな……」


 胸の奥で、カチリ、と。

 私の中で長年放置されていた、巨大で冷たいパズルの最後のピースが、完璧な位置に収まる音がした。

 私は、もう「孤独な歯車」ではない。

 彼らという不可分のモジュールと接続され、共にエラーを乗り越え、共に成長していく、新しいシステムの中枢なのだ。


『バカな……! トラウマが、恐怖が、消えていく……!?』


 魔神の残滓が、慌てふためくように揺らぐ。


「消えるのではありません」


 私は再び眼鏡を掛け、中指でブリッジを押し上げた。その視界は、かつてなく澄み渡っていた。


「恐怖も、過去の孤独も、私という人間を構成するための大切な『基礎データ』です。無かったことにはしない。ただ……散らかっていた感情の置き場所を、正しく『整える』だけのこと」


 私は右手を高く掲げた。


「固有スキル、【整える力】Ver3.0(最終形態)。

 対象:私自身の『過去のトラウマ』を含む、全精神構造マインド・ディレクトリ

 実行コマンド:『マスター・デフラグメンテーション(魂の完全整頓)』!」


 私の手から放たれたのは、眩いブルーの光ではなく、すべてを優しく包み込むような「黄金の光」だった。

 光は深夜のサーバー室を駆け巡り、冷たいデスクを、暴走するモニターを、そして私を蝕もうとしていた黒い泥を、次々と光の粒子へと変換していく。


「私の過去ログよ。お前がいたから、私は効率の重要さを学んだ。

 孤独というエラーよ。お前を知っていたから、私は仲間ネットワークの温かさを知ることができた。

 すべてに意味があった。私の人生に、無駄なコードなど一行も存在しなかった!」


 私は過去の自分自身――デスクで突っ伏していた亡骸の肩に、そっと手を置いた。


「……もう、休んでいいですよ。今の私には、共に明日を計算してくれる、最高のパーティーがいますから」


 過去の私の幻影が、微かに微笑んだように見えた直後、光の粒子となって完全に空へと溶けていった。

 同時に、私のトラウマを利用しようとしていた魔神の残滓も、「整えられた」私の精神の完璧なファイアウォールの前に、アクセス権を完全に喪失し、悲鳴を上げる間もなく消滅デリートされた。


 パリンッ……!


 ガラスが割れるような音と共に、精神世界の幻影が完全に崩壊する。


「……ハッ!」


 私は、現実世界で大きく息を吸い込み、目を覚ました。

 無心の塔の最上階。崩れゆくクリスタルの床の上で、私は大の字になって倒れていた。


「ねづっち!!」


 真っ先に視界に飛び込んできたのは、涙目で私を覗き込むリリアの顔だった。

 その周囲には、ガルド、ミラ、セレナが、安堵の表情で私を囲んでいる。


「……ステータス、オールグリーンです」


 私はゆっくりと身を起こし、衣服の皺を几帳面に手で払った。


「私の内面システムに潜んでいた最後のエラーは、たった今、あなた方のおかげで完全にクリーンアップされました」

「もうっ……! 本当に、寿命が縮むかと思ったんだから!」


 リリアが私の胸に顔を押し付け、ポロポロと涙をこぼす。私はその震える背中にそっと手を回し、不器用ながらも優しく撫でた。


「ご心配をおかけしました。ですが、もう私の心が乱れることは二度とありません」


 私は顔を上げ、崩壊していく塔の天井の向こう――分厚い暗雲が晴れ、世界の初期化がキャンセルされたことで戻ってきた、美しい朝焼けの空を見上げた。

 太陽の光が、新しく生まれ変わった世界を照らし出していく。

 私の心の中にあった「空洞」は、もうどこにもない。そこには、仲間たちと過ごした記憶と、彼らへの絶対的な信頼が、一ミリの隙間もなく完璧に、そして美しく「整頓」されていた。


「さあ、皆さん」


 私は立ち上がり、差し込む朝日に向かって右手を差し出した。


「すべてのバグは排除され、世界は完璧に整いました。……ここからが、我々の本当の『稼働ランタイム』の始まりです。最高の明日へ向けて、共に歩き出しましょう」


 私の言葉に、仲間たちは満面の笑みで頷き、差し出した私の手の上に、次々と自分たちの手を重ねていった。

 過去のトラウマを清算し、完全なる心を手に入れた最強のシステムエンジニアと、その仲間たち。

 彼らの紡ぐ新たな歴史ログは、これから先、どんなバグにも揺るがない、最も美しく効率的な軌跡を描いていくことだろう。


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