第十八話:総力戦を指揮しまして
大規模なプロジェクトが失敗する最大の原因は、個々の技術力不足ではない。リソースの偏り、コミュニケーションの遅延、そして予期せぬトラブルによる「デッドロック(膠着状態)」の発生である。
戦争という名の巨大プロジェクトにおいても、その絶対法則は変わらない。
黒の尖塔の麓に広がる最終防衛ライン。
反乱軍数万と、そこから雪崩を打って出撃してきた魔神教団の親衛隊数万。合計十万近いユニットが激突する戦場は、俯瞰すれば文字通り「情報の暴走」を引き起こしていた。
「……敵の増援、右翼からさらに三千! 呪縛で強化されたキメラ部隊です!」
「前線のポーションが尽きた! 後方の補給部隊は何をやっているんだ!」
私は尖塔前の広場を見下ろす高台に陣取り、戦場の喧騒を鼓膜で処理していた。
視界に広がるのは、血と泥と魔法の閃光が入り乱れる、極めて非効率で無秩序な空間。教団側は個々の戦闘力が異常に高く、反乱軍は士気こそ高いものの、連携の粗さが目立ち始めていた。
「リーダーさん! このままじゃ前線が押し切られるわ!」
私の護衛として横に立つリリアが、焦燥に顔を歪める。
「問題ありません。現状は単なる『処理の遅延』が発生しているだけです。……私のタスクは、この戦場というシステム全体を、一つの完璧な機械として再構築すること」
私は首のネクタイを締め直し、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。
「固有スキル、【整える力】Ver2.0。
対象:我が軍に属する全ユニット、および兵站ルート。
実行コマンド:『大規模並列処理』による、戦場の完全最適化!」
私の足元から展開されたブルーの光の波が、戦場全域を一瞬にして覆い尽くした。
同時に、私の脳髄に数万人の「位置情報」「体力・魔力残量」「装備の耐久値」が、リアルタイムのログデータとして怒涛のように流れ込んでくる。常人なら一秒で発狂する情報量だが、己の感情と論理を完璧に結びつけた今の私にとって、それは心地よいほどのビッグデータだった。
「セレナ。あなたの祈りのネットワークを通じて、全軍の小隊長クラスに私の『指示』を直接送信します。……通信帯域、最大まで開いてください」
「はいっ! ねづっち様の御心、皆様に繋げます!」
後方で祈りを捧げるセレナをハブとして、私の脳内ガントチャートが全軍に共有されていく。
『——全軍に告ぐ。これより、戦場の「整理整頓」を開始する』
私の声が響いた瞬間、混乱していた反乱軍の動きが、劇的に変貌した。
『第一タスク。補給ラインのボトルネックを解消する。後方支援部隊、荷車の配置を北北東へ五度修正。これにより前線への到達時間を十七秒短縮可能。……負傷者はその場に留まらず、私が光で示す「ブルーゾーン」へ後退せよ。そこにはすでに治癒術師を配置済みだ』
戦争において最も重要なのは、剣の鋭さではない。「兵站」の維持である。
私は【整える力】を用いて、物資と人員の「動線」を物理的に誘導した。荷車が交差して渋滞が起きていたルートは、私の力で地面の瓦礫が勝手に除けられ、滑らかな舗装路へと変化する。
ポーションは、兵士の体力が尽きる「三秒前」に正確に手渡され、回復した兵士は無駄なく再び前線へと復帰していく。
「……す、すごい。負傷兵が次々と回復して戻ってくる! 俺たちの陣営だけ、時間が巻き戻ってるみたいだ!」
反乱軍の兵士たちが、信じられないものを見る目で歓声を上げた。
ダウンタイム・ゼロの無限ループ。これが「完璧に整えられた補給線」の力だ。
『第二タスク。前線のロードバランシング(負荷分散)を実行する。ガルド、右翼のヘイト(敵意)が限界値を超えている。遊撃に回れ』
「おうよっ! 待たせたな、バケモノども! 俺の剣の錆にしてやるぜ!」
戦場を駆け抜けるガルドの大剣が、敵の強固なゴーレム部隊を次々と粉砕していく。彼が敵の注意を一点に集めることで生じた「隙」を、私は絶対に見逃さない。
『ミラ。敵の指揮官クラスの配置データから、彼らの通信網のハブを特定した。座標G−7。そこを物理的に切断しろ』
「にゃははっ! お安い御用だよ、リーダー! 暗殺はお手の物さ!」
影に潜んだミラが、敵陣の奥深くに音もなく侵入し、教団の神官たちの喉を次々と刈り取っていく。指揮系統を失った敵部隊は、エラーを起こしたプログラムのように動きを停止した。
「……ねづっち、左翼から敵の超巨大な魔力反応! 広範囲殲滅魔法が来るわ!」
リリアが杖を構えながら叫ぶ。
「予測済みです。リリア、そして全魔術師部隊。私が指定するタイミングで、全く同じ座標に向けて【相殺の風】を放ちなさい。……出力の計算は私が同調させます」
敵の巨大な火球が空を覆い尽くそうとしたその瞬間。
「……エンター(実行)」
リリアを筆頭とする数千の魔術師たちが、私のタイミングに合わせて一斉に魔法を放った。
風と氷の魔法が、敵の火球の熱量を相殺する「完璧な逆位相」となって激突する。轟音と共に、敵の最大魔法は味方に傷一つ負わせることなく、空中で綺麗に霧散した。
「計算通り。敵のリソースはこれで底を突きました。……一気にデリート(掃討)します」
私は手帳を閉じ、天高く右手を掲げた。
『全軍、陣形変更。対象を完全に包囲する「フル・クローズド・マトリクス」。一歩も引く必要はない。あなたたちの背中は、私のシステムが完全に担保している! 全軍、突撃!!』
「「「「うおおおおおおっ!!」」」」
数万の軍勢が、まるで一個の巨大な生き物のように躍動した。
無駄な動きは一つもない。誰もが自分の役割を完璧に理解し、最大の効率で敵を圧倒していく。
教団の親衛隊は、個の力では勝っていても、完璧な「秩序」の前にはただの烏合の衆に過ぎなかった。
一時間後。
黒の尖塔前の広場は、歓喜の咆哮で揺れていた。
敵の主力部隊は完全に沈黙し、教団の旗はことごとく燃え落ちている。味方の被害は、事前のシミュレーションを遥かに下回る軽微なものだった。
「大勝利だ……! 俺たち、帝国の中枢軍を打ち破ったんだ!」
「ねづっち総司令官、万歳! 最強の勇者パーティー、万歳!!」
ガルドが血に濡れた大剣を天に突き上げ、ミラとセレナが兵士たちと抱き合って喜んでいる。
リリアも、興奮冷めやらぬ様子で私の背中を強く叩いた。
「やったわね、ねづっち! これで教団の軍事力はゼロよ! あとはあの黒の尖塔に乗り込んで、魔神の親玉を引っぱたくだけ!」
「ええ。皆さんのパフォーマンスは最高でした。これほどの巨大プロジェクトを、ここまで美しく完了できたのは初めてです。……戦場が、完璧に『整い』ました」
私は眼鏡の奥で目を細め、静かに息を吐いた。
達成感と、仲間たちへの熱い信頼が、胸の奥を満たしている。システム管理者として、これ以上の喜びはない。
――だが。
その時だった。
『……ピーーーーッ……』
私の脳内のシステムに、これまで経験したことのない、鼓膜を劈くような「致命的エラー(フェイタル・アラート)」の警告音が鳴り響いた。
「……ッ!?」
私は思わず頭を押さえ、膝をつきそうになった。
「ねづっち!? どうしたの、急に顔色が悪く……」
リリアが駆け寄ってくるが、私の目にはすでに、周囲の歓喜の光景がノイズまみれの「バグの海」として映り始めていた。
足元が揺れている。
いや、物理的な地震ではない。空間そのものが、何か巨大で圧倒的な「質量を持った悪意」によって歪められているのだ。
『……警告。未定義の巨大データソースが起動。
アクセス権限:不明。
処理能力:計測不能。
世界の根幹を揺るがす、ルート権限(神の領域)の書き換えを検知……』
私は震える手で眼鏡を直し、黒の尖塔の頂上を睨みつけた。
空が、急速に色を失っていく。青い空も、太陽の光も、まるでペンキを拭き取られるように「消去」され、底なしの絶対的な虚無が空を覆い尽くそうとしていた。
「……なんてことだ。これは、ただの魔法や軍事力ではない。……『世界そのものの仕様変更』だ」
「な、なによこれ……! 魔力が、私の体から逃げていくみたい……っ」
リリアが杖を落とし、その場にへたり込んだ。
広場で歓声を上げていた数万の兵士たちも、空の異常な変化に気づき、次々と武器を取り落として恐怖に震え始めた。
魔神教団は、ただの時間稼ぎ(ダミー)だったのだ。
私たちが外で戦況を「整えて」いる間に、黒の尖塔の最深部で、ヤツはついに起動準備を完了してしまった。
人々の心から集めた莫大な感情エネルギーをバッテリーとし、この世界そのものを「絶望」という名のコードで上書きしようとする、最悪のメインプログラム。
『魔神ハートレス』。
その本体が、ついに目を覚ましたのだ。
「……リーダー。これ、冗談きついぜ。あの塔の上から、俺たちの存在そのものを否定するような、バカでかいプレッシャーが降ってきやがる」
いつの間にか私の周囲に戻ってきていたガルドが、大粒の冷や汗を流しながら塔を見上げた。ミラもセレナも、恐怖で青ざめている。
数万の軍隊の力など、システムそのものを書き換える神の前には、何の意味も持たない。
「……ガルド。ミラ、セレナ。そして、リリア」
私は立ち上がり、衣服の皺を丁寧に払った。
どれほどの絶望的なノイズが押し寄せようと、私の心はもはや揺るがない。私が整えた感情のコアは、これしきのバグでクラッシュするほど脆弱ではない。
「反乱軍の指揮は、副官たちに任せます。彼らはここから撤退させなさい」
私は手帳を開き、新しい空白のページを広げた。
「あのバグの親玉の相手は、軍隊の仕事ではありません。……世界最強の『デバッグ・チーム』である、我々五人の仕事です」
私は仲間たちを見回し、不敵に、そして力強く笑った。
「さあ、行きましょうか。この散らかりきった世界に、最後の『整理整頓』を叩き込みに」
仲間たちの顔から恐怖が消え、いつもの頼もしい闘志が宿る。
空が黒く染まりゆく中、私たち五人は、魔神が待つ黒の尖塔の巨大な扉へと、迷うことなく足を踏み入れた。
最後の戦い(ファイナル・タスク)が、今、始まろうとしていた。




