第十二話:戦う意味を説きます
焚き火の熱効率は、今夜も完璧だった。
私が計算し尽くした「並べ方」によって、炎は一定の周期で爆ぜ、周囲に均一な暖かさを提供している。しかし、そのオレンジ色の光が照らす範囲に、かつていた三人の姿はない。
重厚な大剣を研いでいたガルドも。
ダガーを弄りながら軽口を叩いていたミラも。
静かに祈りを捧げていたセレナも。
「……ねづっち」
対面に座るリリアが、震える声で私の名を呼んだ。
彼女は膝を抱え、小さく丸まっている。最強の魔法使いと謳われる彼女も、今はただの、仲間を失い怯える一人の少女に見えた。
「リリア。スープの温度が下がっています。摂取効率が落ちる前に口にしてください」
私は努めて平坦な声を出した。だが、自分でもわかる。眼鏡の奥の視界が、先ほどから微かに、数ピクセルほど揺れている。
「……リーダーさんは、どうしてそんなに冷静でいられるの?」
リリアが顔を上げた。その瞳には、涙が溜まっている。
「ガルドたちが、あんな……あんな風にいなくなっちゃったのに。どうして、まだ『効率』なんて言葉が出てくるの? 悲しくないの? 悔しくないの?」
私は燃え盛る炎を見つめた。
悲しい。悔しい。その単語は、今の私の胸に渦巻く「ノイズ」を表すには、あまりに解像度が低すぎる。
「リリア。私は以前、自分の感情のキャパシティが極端に少ないと言いましたね」
私は静かに語り始めた。
「……前世の話をしましょう。私は、鉄とコンクリートに囲まれた、ひどく記号的な世界で生きていました」
私の脳裏に、かつての記憶——日本の、深夜のオフィスビルが浮かぶ。
「そこでの私は、ただの歯車でした。システムエンジニアとして、〇と一の羅列を整理し、バグを取り除く毎日。人との関わりは非効率なノイズでしかなく、私は自分の周りを『整理整頓』して、誰にも踏み込ませない完璧な城を築いていました」
「孤独……だったの?」
「いいえ。当時の私には、孤独という概念すら理解できませんでした。一人でいることが最も効率的で、最も安全な生存戦略だと思っていた。……ですが、この世界に来て、あなた方に出会ってしまった」
私は焚き火を弄り、薪を少しだけずらした。
「最初は、あなたたちすらも『動くリソース』としてしか見ていませんでした。整理すべき対象。最適化すべき駒。……しかし、共に戦い、食事をし、こうして焚き火を囲むうちに、私の『システム』に異常が発生したのです」
私は胸のあたりを軽く叩いた。
「あなたたちがいないこのキャンプ地を、私は『散らかっている』と感じてしまう。本来、物が減れば整理は容易になるはずなのに、今のこの光景は、私の人生で最も、耐え難いほど乱雑に見える」
「ねづっち……」
「私は、怖かったのかもしれません」
初めて、私は自分の内側の、最も脆弱な部分をさらけ出した。
「誰かに心を許すということは、自分の完璧なシステムの中に、自分では制御できない『変数』を受け入れるということだ。それは効率を下げ、予測不可能性を増大させる。……ですが、リリア。私は今、初めて理解しました」
私は眼鏡を外し、リリアの瞳を真っ直ぐに見つめた。
「『整える』ということの本当の意味は、無駄を排除することではない。大切なものを、一番大切な場所に、あり続けるように守り抜くこと。……私が戦う理由は、正義でも、魔神の討伐でもありません」
私は一度、深く息を吐き、言葉を継いだ。
「私は、私の世界を『整えたい』のです。ガルドが笑い、ミラが跳ね、セレナが祈り……そしてあなたが、こうして隣にいてくれる。その光景こそが、私にとっての『最適解』であり、私の人生で初めて見つけた、守るべき美しさなのです」
「…………っ」
リリアの目から、大粒の涙が溢れ出した。
彼女は声を殺して泣いた。私の、あまりに理屈っぽくて、けれどあまりに必死な告白を受け止めるように。
「非論理的だと、笑ってください。私は今、最高に効率の悪い、無謀な再起動を試みようとしています。敵は魔神。味方は、たった二人。……ですが、この計算式には、まだ希望という変数が残っています」
私はリリアに向かって、右手を差し出した。
「リリア。もう一度、私を助けてくれませんか。私はもう、一人で完璧になろうとは思いません。あなたの力、あなたの心……そのすべてを、私という不完全なシステムに貸してほしい。二人で、あの散らかった仲間たちを連れ戻しに行きましょう」
リリアは泣きながら、けれど力強く、私の手を握り返した。
その手は驚くほど熱く、私の冷え切った指先を溶かしていく。
「……バカね、リーダー。そんなの、最初から分かってるじゃない。私一人になっても、あなたを置いていくわけないでしょ?」
彼女は袖で涙を拭い、鼻をすすりながらも、いつもの不敵な笑みを浮かべて見せた。
「連れ戻しましょう。ガルドも、ミラも、セレナも。みんなの心をめちゃくちゃにした魔神に、特大の魔法を叩き込んでやるんだから!」
「ええ。完璧なデバッグを、実行しましょう」
私たちは立ち上がった。
焚き火の炎は、いつの間にかより一層強く、天に向かって真っ直ぐに伸びていた。
ガルドたちが去った空白は、まだそこにある。
だが、私とリリアの間に結ばれた新しい「プロトコル」は、これまでのどんな信頼よりも強固で、確かなものになっていた。
心を許すこと。それは、傷つく可能性を受け入れること。
そして、それ以上に強くなれる可能性を、信じること。
「整いました」
私は再び眼鏡を掛け、北の帝都を睨みつけた。
冷徹な論理の鎧の下に、初めて灯った「戦う意味」という名の熱源。
それがある限り、私の計算が狂うことは二度とない。
最も効率的な勇者パーティー、逆襲の第二フェーズ。
リソース:二人。
目標:全員奪還。
作戦期間:今、この瞬間から、世界が整うその時まで。
私たちは、朝を待たずに歩き出した。
崩壊したはずのシステムが、これまでで最も美しい和音を奏で始めようとしていた。




