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第十一話:パーティが欠けまして


「……エラー。処理不能」


 私は手帳を閉じることもできず、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 帝都への侵入路である北の関所。そこは、数分前まで我々が「ねづっち商会」の看板を掲げて無事に通過するはずだった場所だ。

 しかし今、そこにあるのは静寂だけではない。

 帝国魔導騎士団の仕掛けた罠——それも、ただの軍事的な罠ではない。広域に展開された『呪縛増幅領域』が、魔神の意志を帯びた霧となって一帯を覆っていた。


「ガルド、ミラ、セレナ。ステータスを開示してください。呪縛の侵食率を確認します」


 私の声には、かつてないほどの硬質さが混じっていた。


「……ねづっち、様」


 最初に崩れたのはセレナだった。

 彼女は、祈るはずの手で自らの胸を強く掻きむしり、その瞳から聖なる光を消失させていた。


「救済など、無意味……。祈りはただの、空虚な音の羅列です。私の中にあった『慈愛』という名のバグを、ようやく修正できました」

「セレナ!?」


 私が手を伸ばすよりも早く、彼女は冷たい笑みを浮かべ、闇の中へとその身を隠した。それは彼女ではない。彼女の中にあったはずの「セレナというシステム」を、何者かが強制終了させたのだ。


「あははっ。ねづっち、整えるとかって、ほんとにおかしいよ」


 次に続いたのはミラだった。

 彼女はダガーを握る手をだらりと下げ、これまで私に向けていた明るい笑みを、まるで粘土細工を壊すかのように剥がし取った。


「あたしの人生は、ずっと散らかったまま。整えるなんて無理なんだよ。ねづっちの言葉に従うのも、飽きた。……一人でどこかへ行くよ。誰も見つけられない場所にね」

「待て、ミラ! 私の計算では、君たちが離脱する確率は——!」


 私の叫びも虚しく、彼女の気配は森の中に溶け込んで消えた。

 そして、最後に残ったのはガルドだった。

 彼は大剣を地面に突き立て、その場に留まっていた。しかし、その瞳にはもはや私を慕う熱はなかった。


「……俺は、ずっとあんたの『壁』になろうとしてた。だがな、ねづっち。壁なんてものは、いずれ壊れるためにある。俺の魂は、この呪縛に食われて消えるわけじゃない。ただ、あんたというシステムの『外部』へ出るだけだ」


 ガルドは重い足取りで背を向けた。


「ガルド、止まれ! それは最適解ではない! お前たちが必要なんだ、このプロジェクトには!」


 私の声が、震えていた。

 あり得ない。論理的ではない。私の計算では、彼らとの信頼関係は、そう簡単に崩れるような柔な構造ではないはずだった。


「……旦那。あんたには無理だ。世界を整えるなんて、そんな傲慢なことは」


 ガルドが最後の一言を残し、森の暗闇へと姿を消した。

 静寂が戻る。

 残されたのは、私とリリアだけだった。

 地面には彼らが置いていった装備が散乱している。これほどまでに、美しくない光景を私は見たことがない。


「……ログ、異常なし。けれど、誰もいない」


 私は自分の震える指先を見つめた。

 今まで、何が起きても「整理」できた。ダンジョンの構造も、敵の魔法も、彼らの心すらも。

 だが、彼らが自らの意志で、私との繋がりを「切断」した。これは、私の固有スキルがどれほど強力であろうと、介入することのできない領域だ。


「ねづっち……」


 リリアが私の袖を引こうとしたが、その手もまた、微かに震えていた。

 彼女の瞳には、かつてない恐怖が宿っている。


「行こう、リリア。追いかける。彼らの動線トラジェクトリーを予測し、回収する」


 私は足を踏み出そうとした。だが、膝が笑い、思考回路がオーバーヒートを起こしているのを感じた。


「……動かない」

「リーダーさん、落ち着いて! あなたの思考が、乱れてる! 呼吸して、論理的に考えて!」

「論理? 論理など、もう役に立たない!」


 私は叫んでいた。自分でも驚くほどの、抑揚のないはずの声が、森に響き渡った。


「彼らは……彼らは、私のデータの一部だったんだ。彼らが私を補い、私が彼らを整える。それが私の、私の世界を定義する唯一のシステムだった! それなのに、なぜ……なぜ、ログを読み込まない! なぜ、私の最適化を拒絶するんだ!」


 私は手帳に書き殴った。

 ガルドの生存確率、ミラの回避率、セレナの浄化能力。

 どれほど計算しても、結果は『NULL(存在せず)』と返ってくる。

 私の世界から、最も重要な変数が、物理的にも心理的にも消滅した。

 これは、私の人生で初めての「完敗」だった。

 私は眼鏡を外し、地面に跪いた。

 これまで頑なに守り続けてきた私の論理、私の計算、私の矜持。それらすべてが、彼らの離脱と共に、無惨に散らばった。


「整えられない……。何も、整えられない……」


 私は自分の無力さに打ち震えていた。

 私のスキルは、散らかった物理的なモノや概念を並べ替えることはできる。だが、他人の心という「生きたデータ」だけは、私の手元では決して整理できない。

 私は、彼らを「勇者パーティー」という一つのシステムに当てはめようとしていただけだった。彼ら一人一人が、血の通った人間として、異なる意志を持って生きていることを、どこかで見落としていたのかもしれない。


「リーダーさん……」


 リリアが私の隣に座り込み、私の冷え切った手を握った。


「ねづっち。あなたの計画が間違っていたんじゃない。彼らは、あなたが自分たちを大切に思っていたこと、ちゃんと知ってたわ。だからこそ、自分の意志で、あなたの重荷にならないように離れたのよ」

「……違う。彼らは奪われたんだ。魔神の呪縛に」

「それも含めて、彼らが選んだ道よ。……今のあなたは、リーダーじゃない。ただの、大事な人を失った一人の人間よ」


 リリアの温もりが、私の思考に突き刺さる。

 今まで、私は「自分は感情が薄い」とうそぶいていた。

 だが、この胸の奥で渦巻く、言語化不能な、どろりとした痛みと憤りは何だ。

 これが、感情? これが、人が言う「悲しみ」と「孤独」というバグなのか?


「……クソ」


 私は地面を強く叩いた。

 手帳が泥に汚れ、大切に整理していた地図が破れた。

 そんなことはどうでもいい。

 彼らがいない。私の、世界を整理するための最強の歯車が、すべて失われた。


「リリア。……私は、これからどうすればいい」


 初めて、私は明確な目的を失ったシステムのように、途方に暮れていた。


「これから? そんなの決まってるじゃない」


 リリアは立ち上がり、私に向かって手を差し出した。

 彼女の瞳は、これまでのどんな時よりも力強く、そして悲しみに耐える強さを湛えていた。


「私たちは、彼らを連れ戻すの。ねづっち、あなたが教えてくれたじゃない。『問題があれば、デバッグすればいい』って」

「……デバッグ」

「ええ。彼らがどこへ行ったのか、なぜこんなことになったのか。すべてを解き明かして、彼らの心からその呪縛というウイルスを削除する。それが、あなたの役割タスクでしょう?」


 その言葉が、私の凍りついた思考に、一筋の明かりを灯した。

 そうか。私は諦めるのか。私の論理を、彼らが選んだ結末を、ただの「エラー」として処理するのか。

 違う。

 私は、彼らが必要だ。

 プロジェクトのためではない。私が私であるために。私の世界を整えるための、最も重要で、最も代わりのきかない仲間を。

 私は震える手で眼鏡を拭い、再び顔に掛けた。

 冷たい視界の中に、リリアの差し伸べた手があった。


「……論理が追いつきません。今の私は、極めて非合理的な衝動で動いています」

「ふふっ。それでいいわ」

「ですが……リリア。彼らを連れ戻す計画を立案します。次は、ただの最適化ではありません。私のすべてのリソースを投入し、魔神のシステムそのものを、根底から覆すための計画です」


 立ち上がった私の足元には、もう迷いはなかった。

 悲しみは消えていない。むしろ、胸の奥のノイズは以前より大きくなっている。

 だが、そのノイズをエネルギーに変換すれば、私はさらに先へ進める。


「行きましょう。帝国領へ。魔神のメインサーバーへ」


 私は手帳を捨て、新たな決意を胸に刻んだ。

 パーティーが欠け、私の世界は大きく歪んだ。

 しかし、その歪みこそが、私がこれから成し遂げる最大のプロジェクト——魔神ハートレスに対する、最初で最後の宣戦布告となる。


「待っていろ、ガルド。ミラ。セレナ。私は必ず、君たちの心に掛かったそのバグを、この手で完全に削除デリートしてやる」


 最も効率的な勇者パーティーは、いま、最小単位の二人となった。

 だが、その決意は、かつての五人分よりも遥かに重く、鋭く尖っていた。

 私の「整える力」は、もはや手段ではない。

 彼らを取り戻し、世界を再定義するための、私という人間のすべてを賭けた武器となったのだ。

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