拳狼
煙と共に火の粉が舞っているのが見えた。
ニッケランとザザンは顔を見合わせうなずく。そして駆けた。
彼らは誰にも見られていないことを確認し、C宅の扉に手を掛ける。
ゆっくりとノブをひねり、中を覗くとランプの光が見えた。少なくとも玄関に誰かが居るようには見えない。
「入るぞ」
先頭を行く彼の声にザザンがうなずいた。静かに扉を開き、息を殺す。
分かれ道だ。目の前には階段。二手に分かれて行動しなければならない。
一階をザザン、二階をニッケランの持ち場に行動を起こす。
ニッケランは階段に手を着きながら上がってゆく。猫のように暗闇に紛れながら。
二階に上がりきると複数の部屋が見えた。どの部屋の扉も閉まっており、何の部屋かさっぱりだ。
すべての部屋を確認することは避けたいところ。扉を開くたびに物音で発見されてしまうかもしれない。
ニッケランは一番近い扉に近づいた。そして耳を優しく当てる。
何の音も聞こえない。聞こえるのは自分の息遣いのみ。
(この部屋は居ないな…たぶん)
一か八かの大博打。音のする部屋があれば侵入することにした。少なくとも人が居れば、何らかの音は
発するはずだ。
次の扉へ近づいてゆく。踏んだ床がきしみ、冷や汗が頬を伝ったが誰かに聞かれたような様子は無い。
息を整え、扉に耳を触れさせる。
パチパチと何かが爆ぜる音。モヤトが起こした火事の音だろうか。いや、確実にこの扉の先でそれは音を発している。
(暖炉か)
暖炉を燃やしている部屋。その部屋を無人で放置するとは考えづらい。
耳に神経を尖らせる。
微かに。ほんの微かな息遣いが聞こえる。それが火の粉の爆ぜる音と相まって中に炎の化け物が巣くっているように思わせる。
どうしてか恐怖心をあおられた。この暗闇と自分の行動の雰囲気からだろうか。
彼はドアノブに手を掛けた。手にはノブのひんやりとした固い感触。タンポポを摘まみ上げるような優
しい手つきでひねった。
留め金が外れる音が響き、彼は体を硬直させた。扉の隙間に耳を澄ます。
先ほどよりも大きな音で息遣いが聞こえる。ニッケランに気が付いたようには聞こえない。
自分の呼吸音すら邪魔に感じる。彼は扉を侵入できるギリギリの大きさで開くと、ゆっくりと息を殺しながら入ってゆく。
ニッケランの背後に配置されたランプの光。その光が彼とは別の誰かの影を作り出している。
ベッドの影の上に寝転がっている誰か。それを確認した彼はハーフソードを抜き去った。
彼の影はどんどんと大きくなり剣先をもう一方の影に向けている。
しかし、彼の動きはここで止まってしまった。
大型のベッドにも関わらず、体が大幅にはみ出ている巨体。モヤトやザザンから聞いた拳狼そのものだ。
その現実離れした姿にニッケランは思わず息をのんだ。ルート将軍も巨体だったが、この男はさらに上を行っている。
握りこぶしを作って寝ているが、拳の大きさがニッケランの顔ほどあり、手の甲には大きな豆が出来ていた。
モヤトが言っていた、素手で人の顔をひしゃげさせたという逸話は嘘ではないかもしれない。そう考えると、途端に悪寒が走り剣を突き刺すことが出来ない。
もし、失敗すれば、確実にここで交戦することになる。この部屋の狭さでこの男の攻撃を避けられるイメージは浮かばなかった。
ニッケランは剣を収めると、同じ要領で部屋の外へと出ようとする。一歩を踏み出したところでそれは起こった。
ザザンがCと交戦に入ってしまったようだ。彼の怒号と聞きなじみのない声が響き、陶器の割れる甲高い音が鳴り響いた。
一階の騒音は一瞬で鳴りやんだが、同時にニッケランの背後で重苦しい床のきしむ音が響いた。
彼は背後をゆっくりと確認する。確認したと同時に冷や汗がどっと流れ出る。
天井にまで届いてしまいそうな巨体がニッケランを見下ろしていた。ランプの光に照らされぬらぬらと光る歯。獲物を見つけた狼のようにほくそ笑む目。顎に無造作に生やした髭を優しくなでる剛腕。
脳内で想像していた拳狼。そんな化け物とニッケランは目を合わせてしまった。
相手は人間。にもかかわらず足がすくんでしまう。
猛獣に睨まれたように本能が死を叫ぶ。
どうにか正気を保つと彼は剣に手を掛けた。戦いたくはないが相手はそれを望んでいる。
「威勢のいいやつだ。俺を知らずに入って来たとは言わせんぞ」
獣の唸りのような低音。目の前の化け物が声を発した。
「拳狼だろ? 当たり前に知ってるさ」
軽口を叩いているが、今すぐ家の外に逃げ出したい。こんな狭い場所で交戦すれば、肉塊にされるのに、そう時間はかからないだろう。
「なら話は早い…」
奴はそう言うと両手を胸元へ引き寄せ、殴る構えを取った。巨体に見合わぬ小さな構え。その見たことのない構えに、ニッケランの恐怖心はさらに膨らんだ。
力をため、彼の命を小火のように吹き消してしまおうとしているのだ。ニッケランは剣を抜くふりをしながら奴の拳に神経を集中させる。
今は攻撃を避けることにのみ集中し、とにかく自分の目と足に全神経を注ぐ。
しかし、一瞬だった。
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