74、毎日がお祝いのようなもの
執務の部屋の小姓部屋には、まだミーシャが一人残って仕事をしていた。沢山ある書類を細かく分類して重ねてまとめていた。明日使うのかな、とリルルは手元を見ていて思った。
「ミーシャ、もう帰るの?」
「リルル様。そうですね、そろそろ帰ります。」
「あのね、これ。」
リルルは、リディアに用意して貰った赤いリボンでくくられたチョコレートの小さな茶色い箱を手渡した。
「お茶会、行けなくてごめんね。代わりに、チョコ、あげたいなと思って。」
「チョコレートが好きなのは、私ではなくてリルル様でしょう?」
「そうだけど、お仕事で大変な時にはチョコって美味しいでしょう?」
無言で受け取ると、ミーシャは近くにおいて、また書類の分類を始める。
「この前、自治州の人達ともめていたと聞きましたが、大丈夫でしたか?」
「もう、聞いたの?」
「はい。夏の一件を誰もが思い出しましたから。」
タッドリーってすごく影響力あるわね…とリルルはちょっと苦笑する。シェーカーがクグロワに拘る理由を言うのは難しいな、とリルルは思う。生まれ変わりは時間を捻じ曲げるって、ロマンチックで素敵だと思うけど、実際にそうなのか説明が付かないだけに、悩ましい。
「同じ国に住んでいても、あんなに考え方って違うのねって考えちゃったの。結婚相手は運命の相手で、何度でも生まれ変わっては、縁をつないで同じ人と結婚するのですって。」
「へえ…、同じ相手と繰り返すのですか。」
リルル様と私はどうなんだろうな、とミーシャは思う。目の前の王女様は婚約者を何人も持っていて、そのうちの誰かと結婚する予定だった。それはすべて何かしら理由のある縁なのだろうか。
「私は、ミーシャときっと縁があると思うわ、」
リルルは胸を張った。
ミーシャを初めて見つけたのは私だもの。
ミーシャに会いたくてお城をあちこち探して、ついでに婚約者を何人も作っちゃったけど、ミーシャと婚約したくて頑張ったもの。
「そうですか? 縁なんてあったって、結婚相手の縁かどうかなんてわからないでしょう?」
ミーシャは書類を片付けると、自分のカバンを取ってきた。リルルに貰ったチョコレートの箱をリボンを解いて開ける。中にはトリュフが4粒入っていた。
ポイっと口の中に一粒放り込むと、甘くてほろ苦い味だった。くどくない甘さに、これなら食べられそうだと思う。あまり甘いのは好きではなかった。
「ね、美味しいから疲れが吹き飛ぶでしょう?」
リルルがにっこりと微笑んでいる。むくむくとちょっとした悪戯心が沸き起こる。
「リルル様、あーんって口を開けてみてください、」
「あーん?」
リルルの顎に手を添えて、ミーシャはリルルの口にトリュフを一粒放り込んだ。
「お礼です。美味しかったですよ、ありがとう、」
そう言って蓋を閉めるとカバンにしまって、ミーシャは赤いリボンをリルルの指に巻いて、さっと蝶々結びにした。
「ごちそうさまでした、」と言って先に部屋を出たミーシャは、自分で解けなくて苦労するだろうなとくすりと笑った。
部屋に残されたリルルは、右手の人差し指に巻かれた赤いリボンの蝶々を見つめて、真っ赤になって照れていた。
どうしよう、誰かに解いてもらったら、自分でやったんじゃないってすぐにバレてしまうわ。
だからってこのままにしておけないし。
口で引っ張ってリボンを解くの?
どうしよう…! と思いながらも、ミーシャに結んでもらえたのが嬉しくて、リルルはにやにやしながら部屋を出た。手をかざして赤い結び目を何度も何度も見つめた。
※ ※ ※
ティンクの家のクリスマス昼食会に招待されている話は、姉のラウラや父にとっては喜ばしいことなようで、リルルが頼みもしないのにドレスの手配をしてくれたりお土産の用意もしてくれた。
24日の朝には、リルルは少しだけうんざりしていて、少しだけ、ドキドキしていた。
ゲームではローズとミカエルが二人のクリスマスを過ごすんだわ。どうしよう、いろんなスチル画が頭の中で再生されていくわ。
自分のことよりもゲームの展開が気になるリルルは、そわそわしていた。
「リルル様。こっちがお土産で、こっちがティンカード様へのプレゼントですからね、」と、クグロワやヨネアたちは朝から興奮していた。大きい紙袋からはすでにトリュフの香りが漂っている。クリスマスプレゼントがトリュフってどうなのかしらね、とリルルはこっそり思った。
「アールキンさんが是非にって届けてくださったんですから、きちんとお渡ししてくださいね。」
「あのね、クグロワ。どうしてアールキンが是非にって持ってくるのかしら。」
「ヨハネス様が、リルル様がオルフェス侯爵家のクリスマス会に招待されているとお話になったからですよ?」
「あのね、どうしてそこからこうなるのかしら。」
「リルル様が思っている以上に、トリュフの日の印象がよかったからでしょう?」
「そうなのかな~?」
リルルは首を傾げたけれど、誰もそれ以上、教えてはくれなかった。
「こっちの小さい袋には、リルル様とおそろいのブックカバーが入っていますからね。」
「もしかして、この前アールキンが『ターニャが作ってくれました』って言って届けてくれたやつ? これのついでがトリュフだったの?」
「どっちも大事な贈り物です。ついでなんてありませんよ?」
「そうね。私のは赤色だったから、ティンクのは?」
「緑色だったと思います。」
日曜にアールキンが父のヨハネスに他の王領地の領官長たちと一緒に、年終わりのあいさつに来た時に、リルルにターニャからと言って贈り物をくれていた。リルルには、小さな包みを渡して、同伴していたクグロワに密封した茶色い袋と、小さなメモ書き付きの袋を渡してくれた。
リディアたちが手配してくれていて、リルルはクグロワと、お土産に人数分以上の箱入りチョコレートを渡した。王都で有名なチョコレート専門店のもので、可愛らしい花の細工の箱入りのチョコレートだった。アールキンはとても喜んでくれて、「子供たちが喜びます」と言って持って帰ってくれたのだった。
リルル様へと書かれた袋を開けると、中に入っていたのは赤い丈夫な布製のブックカバーで、美しい花の刺繍が施してあった。ターニャが着ていたベストの刺繍を思い出して、リルルはほっこりとしたのだった。
そっか、あの時に、トリュフも貰ったんだわ、とリルルは思った。
「…わかった。こっちの小さい袋はティンクに渡せばいいのね、」
「ターニャちゃんからのお手紙も入ってますから。ティンカード様によろしくお伝えください。」
「任せておいて。」
リルルが頷くと、クグロワは嬉しそうにしていた。
サミラだけはいつも通り冷静に支度を整えてくれていて、「こちらは新緑をイメージした香水だそうですよ、」と緑色の蓋で黄色い瓶の香水をつけてくれた。まるでイチジクに似た印象の香りで、吸い込んでいるうちにシトラスやオレンジや桃の香りも感じられてきて、果樹園みたいな香りだわ、とリルルは思った。
香りを間違えたのかなと思ったりもして、もしかしてサミラも動揺しているのかしらと思ったけれど、冷静そうな横顔を見て、思うだけにしておいた。
ヨネアがリルルの髪を丁寧に編み込んでくれて、髪飾りに金細工の鳥の簪を差し込んでくれた。ティンクの瞳の色に合わせたエメラルドグリーンのカクテルドレスは爽やかに鮮やかで、クグロワたちの得意そうな顔を見てしまうと、鏡の前に映る自分の姿に派手だな…と思ってしまったのは内緒だった。
リルルも手持ちの可愛らしいレースの透かし模様の入った便箋と封筒を出し、机に向かった。クリスマスって、おめでとうなのかしら、ありがとうなのかしら、と迷ったリルルは、ティンクに感謝の気持ちを綴ることにした。
王城へとオルフェス侯爵家の馬車が迎えに来てくれて、リルルは父と姉と侍女たちに見送られて馬車に乗った。
リルルは澄ました笑顔でにっこりと微笑んで、手を振って、なんだか結婚して嫁ぐ娘を見守る家族のようだわと思ったけれど、黙っておいた。
周りがやけに盛り上がっているので、リルルは覚めた気分で馬車に揺られていたのだった。
王都のオルフェス侯爵邸に予定時間通りに到着するとリルル以外の招待客は既に揃っていて、みんな気が早いのねとリルルは思った。
出迎えてくれたティンクはタキシード姿で、綺麗に身なりを整えていた。黙ってるとほんとにティンクって綺麗だしかっこいいのよね、と思ったリルルに、ティンクはリルルの格好を見て、優しい瞳で、「よく似合う」と小さく微笑んでくれた。なんだかくすぐったい。
「これ、お土産なの。お母さまにって。」
リルルは間違えずに大きな紙袋を渡し、間違えずに小さな袋の方をティンクへ渡した。
「こっちが、ティンクの分。お招きくださってありがとう。」
「ありがとう、リルル。」
ティンクにエスコートされて屋敷の中に入り、広間に通されると、部屋にはテーブルがセッティングされていて、クリスマスツリーが飾り付けられて窓辺に置かれていた。ツリーの下にはプレゼントの箱がいくつも置いてあった。
ティンクの両親と兄夫婦と次兄と婚約者と私たちの8人の、内輪だけの会なのね、とリルルは思った。
短い髪に真面目そうで精悍な印象の、タキシード姿のディカードが少し気の強そうな女性と何かを話していた。落ち着いた薄紫色のカクテルドレスを着ている知的な印象の女性で、あれがウィーネ伯爵家のカーレ嬢なのだろうなとリルルは思った。リルルがティンクに付き添われて挨拶すると、形式上の挨拶をした後すぐに視線を逸らされてしまった。愛想も何もない『挨拶のような動作』だわ、とリルルは苦笑してしまう。
正装した侯爵夫妻に挨拶をしていると、ティンクに似ているけれどティンクよりも背が高く横幅もある男性が、ほっそりとしているけれどしっかりした印象の女性を連れてやってきた。
「ようこそ、リルル様。お噂はかねがね。」
「改めてお会いするのは初めましてですね、ウィラート様、カシス様。」
リルルは確かそんな名前だったよなあと思いながら挨拶をした。ティンクの長兄と妻の領地を守る若夫婦だったはずだ。
タキシード姿の大柄なウィラートと柔らかいオレンジ色の艶やかなカクテルドレスを着たカシスは、仲良さそうに二人でカクテルを手に、リルルに話しかけてきた。
「リルル様のおかげで、唐辛子の畑や雇用が増えて、大忙しですよ。」
「ほんとに。手袋の工場も出来るんですよ? 近くの農村から女性を集めて、手袋を作らせて売るんです。」
二人は嬉しそうに話をしている。
「あっちは今、いろんなことが始まりだして、とても忙しくて、とても楽しいですよ。」
「へぇ…。手袋もですか?」
リルルが尋ねると、
「唐辛子を素手で触るよりは、手袋をして摘んだ方が手に刺激がないからって、売れるんですよ、手袋が。」
「すごいですね。」
「唐辛子をいろんなものに使って食べてみようって、商人たちも乗り気なんですよ。」
「確か、オリーブオイルに漬け込んだり、お酒に漬け込んだりもしますね。」
姉リルルは友達と出掛けたイタリアンの店で、テーブルに置かれていた唐辛子油をかけて食べていたな、とリルルは思った。
「ほう。それは興味深い。あとで実験してみないと!」
「トリュフのペペロンチーノ、父が気に入ったようですね。私たちも機会があれば食べてみたいなあって話をしていたんです。」
二人は顔を見合わせた。
「兄さん、リルル様がお土産にくれたよ、ほら。」
ティンクが、手にしていた茶色い紙袋を見せた。「母さんにって、貰ったんだ。」
「まあ、嬉しい。ペペロンチーノはベーコンでも食べれるけれど、トリュフはいろいろ試してみたいのよ、」
侯爵夫人が笑うと、オルフェス侯爵は嬉しそうにトリュフの袋を執事に渡した。侯爵夫人はおとなしいけれど芯の強そうな印象の女性で、知的な雰囲気がする綺麗な顔をしていた。ティンクはお母さん似なのね、とリルルは思った。
「これは大事に扱ってくれ。私のペペロンチーノになるんだ。」
喜んでもらえてよかったわ、とリルルは思った。アールキンにはまた今度お礼を考えないといけないわ。
「みんな、よく集まってくれたね。それでは、我が家のクリスマス会をしようとするか。」
オルフェス侯爵が声をかけ、それぞれはテーブルの指定された席に着いた。リルルはティンクの隣で、向かいの席は長兄夫婦だった。ティンクの隣がカーレで、その奥にディカードが座っている。
食事は、メインディッシュが鳥の丸焼きで、あとはテリーヌやサラダ、ポトフだった。メニューは日本と同じなのかしら、と姉リルルの知識でリルルは見ていた。
お城では、クリスマスだからと言って何か特別なことをするわけでもなく、去年は普通の夕食だった。夕食後、母は女王としてミサに出かけて行くので、姉のラウラや弟のクリスと話をする程度だった。クリスマスツリーの下に置かれたカードは母の手書きで、忙しい母が珍しく自分の為だけに時間を割いて考えてくれる文章だと思うと嬉しかった。
初等学校に入った頃、私の家族ってクリスマスをもしかして祝わないのかしらとリルルは思って父に尋ねたことがあった。
「特別なこと、やらないの?」と尋ねたリルルに、父は笑って「リルルはおばあさまと旅行に行ってしまっていない年もあるし、揃っている方が珍しいね」と言った。
「私がいないからやらないの?」と申し訳ない気分で尋ねると、父は優しく微笑んで、「クリスマスではなくても、毎日がお祝いみたいなものだろう? お母さまがいて、家族が揃って食事につけるのだから、お父さまは十分だと思うよ。リルルが生まれた日に祝うのは、とびきり特別だ。それでいいと思うな、」とリルルの頭を撫でてくれた。
食事をしながら主にオルフェス侯爵が話し、ウィラートやカシスが盛り上げ、侯爵夫人が機嫌よく笑っていた。ディカードが優しく微笑む中、カーレは時々眉を顰め、ティンクは澄ました顔で食事をし、リルルは時々頷いて笑った。
この家族にとってはこういう関係が、掛け替えの無い『毎日がお祝いのようなもの』なのかもしれないな、とリルルは思った。
隣に座るティンクを見ると、ティンクはいつも通りに不機嫌そうに「あんまり見るな、」と言った。
ティンクは私が生まれた日には、何をしてくれるだろう。ふと思いついて、ティンクを見つめた。
「リルル、続きはまた今度、だったよな?」
小さな声でティンクが尋ねた。
リルルはティンクとのキスを思い出して、照れて笑った。
デザートになると、ケーキではなく、クリスマスプティングが出てきた。ケーキじゃないのねと、姉リルルの知識でリルルは観察していて驚いた。
「さあ、我が家のクリスマスの伝統のプディングだ。今年はコインと指輪が入っている。財運に恵まれるように、良縁に恵まれるように、楽しみに味わってほしい。」
執事によって切り分けられたクリスマスプディングが、それぞれの前に並べられた。
うわー、すごいアルコールの塊みたいな香りだわ…。フルーツケーキっていうより、ブランデーフルーツケーキだわ、とリルルは思った。加熱してあるだろうから酔っ払いはしないだろうけれど、もしかすると、私、初めてのアルコールになるかもしれないわ…。
「リルル、これはこういう儀式なだけで、無理には食べなくていいんだ。初めてなんだろう?」
「だ、大丈夫よ? たぶんきっと。」
隣の席のティンクが囁くと、リルルはバレてしまう程顔に出ていたのかなと反省する。
リルルがナイフとフォークを入れると、何かがナイフに当たった。
より分けるように探り当てると、中から指輪が出てきた。シンプルな鉄の指輪に、リルルは面食らった。
「指輪だわ…。」
「おめでとう、リルル。」
ティンクが嬉しそうにリルルに告げた。
「素晴らしいね、リルル様と良縁になることが予感できそうだ。」
オルフェス侯爵が微笑んだ。
「私は、コインを見つけました。」
ウィラートが手をあげた。
「素晴らしいわ! 来年も良い年になりそうね!」
侯爵夫人はにこやかに笑った。
「ああ、きっと、いい年になるだろうね。ディカードとカーレ嬢の結婚式も控えているし、いい年に本当になるだろう!」
オルフェス侯爵は機嫌よくプディングを食べ終え、給仕の執事を呼んでお代わりのシャンパンを注がせた。
「今年は面白い一年だった。来年も面白い一年だといいなあ。」
そう言って、夫人と顔を見合わせる。
ティンクと一緒にニコニコしながら、リルルはクリスマスプディングを食べた。ほろ酔いってこういう感じなんだわ、と、香りに頭がぼんやりとし始める。
食事会が終わった頃には、リルルはすっかり眠たくなってしまっていた。
ありがとうございました




