72、囚われて離れられないもの
部屋の中に戻ったクグロワを、心配そうにカロヨンが出迎えた。
室内には廊下での騒ぎは微かにしか聞こえていなかったけれど、クグロワがなかなか戻ってこないので、何かあったのだとは誰にも判った。どこも怪我などしていない様子だけれど、クグロワは不快そうな、興奮したような、気が立っている様子に見えた。
「騒がしかったわね。何かあったの?」
ナイトウェア姿のままのリルルが尋ねた。幾分かは顔色が戻った様子で、ソファアに凭れて座っている。
「リルル様…。」
クグロワは困った表情で、話し始めた。ただ、痣の話はしなかった。口説き文句にしては気味が悪い夜迷い言など、話す必要はないと思えた。
シェーカーを知るリルルはあまり表情を変えなかったけれど、カロヨンとヨネアは顔色を変えた。
「そう。今日はきっと私、ずっと寝ているから、クグロワ、早退しても大丈夫よ?」
顔色が悪いリルル様にそんな心配をさせてしまうなんて! 私はこの方をお守りするためにここにいるのに…! クグロワは表情には出さずに、内心怒っていた。自分の職場でこんな騒動など起こしたくはなかった。巻き込んできたシェーカーに対する印象は最悪で、早く州に帰って欲しいと思った。
「大丈夫です。おまかせ下さい。」
「ねえ、クグロワ。他にも、私に話さなくてはいけないこと、あるよね?」
リルルはとろんとした顔つきで、クグロワを見ていた。眠いけれど頑張って起きているのが丸わかりで、クグロワは申し訳ない気分になる。
カロヨンとヨネアは静かにクグロワを見つめていた。
「どこからお話したらいいのか…、」
「どこからでもいいわ。クグロワの話なら、何だって聞くわ。」
リルルが弱々しく微笑むと、クグロワは泣きそうになった。もしかして、とっくにご存知で、私が話すのをずっと待ってくださっていたのかしら。余計な心配をかけてしまっていたのかしら。
クグロワはカロヨンとヨネアの顔をちらりと見た後、リルルの顔をまっすぐに見つめ、「私、結婚したのです。こんな時に言う話ではないのですが、子供も出来ました、」と微笑んだ。
目を細めたリルルが、「おめでとう」と言った。知らなかったカロヨンは絶句してしまい、驚いた顔をしたヨネアはすかさずクグロワの傍に椅子をもってきて座らせた。
「生まれるのは、来年の夏だろうって話です。リルル様のお傍にいられるのならどんなことだって平気でしたが、今、手首を掴まれて、初めて怖いって思ってしまいました。」
クグロワは廊下で掴まれた手首を擦った。
「私の顔が亡くなられた奥さまに似ているから連れて帰るというのは、ちょっと怖いなと思いました。既婚者だと知っていても、略奪してでも、というのもちょっと理解できません。」
「それは、あの人たちの文化が、勝った・負けたで成り立っていて、おさがりは譲ってもらった戦利品だと考える人たちだからだと思うわ。」
はっと閃いたように、クグロワは眠そうなリルルの顔を見つめた。
「もしかして、お嬢様のルチェニク様が着ていらっしゃるリルル様のお小さい頃のお召し物も、『戦利品』なのですか?」
小さく頷いて、リルルは答えた。
「あれは私から譲ってもらった戦利品だから、私から勝った証拠なんですって。欲しいと言って、もらえたら勝ったってことになるみたい。」
絶句しているカロヨンとヨネアは、「そんな風に考えたことありませんでした、」と声を揃えて言った。
「私たちは年が離れていますから、おさがりがヨネアのところまでいきません。でも、ヨネアのところにもしいっていたら…、私から奪った『勝った証拠』になるのですね。」
「汚してもいい気楽な服とは思うでしょうけれど…、戦利品だとは思えないです。姉の代わりに新しく何かを買って貰えたら、戦利品と思うかもしれませんけど。」
カロヨンとヨネアは顔を見合わせて、くすりと笑った。
「でしょうね。私も同じだわ。同じ国に住んでいてもこれだけ価値観が違うのだから、だから今まで同じ国になれなかったのだと、私は思ったわ。博識なロマニール先生にお帰り頂かないで、一緒にお話がしたかったわね。」
リルルは残念そうに言った。もっといろんなことを知っていそうだなと思う。
「それは、お加減がいい時にしましょう、リルル様のお召し物は夜着ですから。」
カロヨンは冷静に答える。「それにしても、赤ちゃんがいるクグロワをそんな風に扱うなんて…、許せませんね。」
「まだおなかが目立たないから、子供が出来た話をするのはリルル様が、みんなが、初めてです。早くヨハネス殿下にお伝えして、お暇を頂く話もしなくてはいけないのに…。すみません、順番がおかしくなってしまって。」
「いいの、クグロワ。こんなことでもないと、話せなかったんでしょう?」
リルルが微笑むと、クグロワは照れ臭そうに頷いた。
「ロックは送り迎えをしてくれています。夜勤ができなくなるのは申し訳ないのですが、できる限りお仕事に入ります。」
「無理をしないで。チスエルの時だって、みんなで協力してたじゃない。私もわがままは言わないわ。春には留学してしまうし、夏っていう季節も良かったと思うわ。夏休みなら会いに帰ってこれるもの。カロヨンの結婚式にも気になるわ。」
「嬉しいですね。クグロワの赤ちゃんに会えるんですね。」
「クグロワは、結婚式はするの?」
「実は、家族と、ロックとだけで、済ませました。11月22日に、早朝に教会でこっそりと。」
いいふーふの日だわ! とリルルは思い、語呂合わせってこの国ではなかったっけ、と思い出して黙った。数字をそんな風に読むのは、この世界ではないかもしれない。
先月のカレンダーをめくると、金曜日で、都合よく現れたロックにお墓を探して貰う依頼をした日だった。
ああ、だからロックはあの日、ここに来たんだ、とリルルは思い出して、誰かに言いたくてうずうずしてたんだわきっと、とにやりと笑った。
※ ※ ※
リルルの部屋に来て騒動を起こしたシェーカーの一件はすぐに父の耳にも入ったようで、リルルを心配してか、父のヨハネスが珍しくリルルの部屋にまで来てくれた。
「すまなかったね、リルル。クレイジュにも申し訳ないことをした。」
まだナイトウェアのままソファアに深く座ってうとうとしていたリルルは、ぼんやりとした頭を小さく振って、「私は大丈夫です。クグロワを心配してください、」と言った。
「シェーカー様は何の御用だったのですか? クグロワを捕まえに来たわけでもなさそうですし…。」
「ああ、鹿の絵を描いた者を紹介してほしかったそうだ。」
ヨハネスは事も無げに言った。もう話を済ませたのだろう。
「リルルの婚約者がグロケット領の公爵家の者と知って、リルルに頼めば確実に会えると思ったそうだ。先程注意に行った時に、そう話していたよ。」
「お父さまが出向かれたのですか?」
「ああ、間に誰かを挟んでいい話ではないからね。しっかりと、『あなたが軽々しく付き合っていい身分の者ではないから、紹介することは出来ないとリルルも言うだろう。接触は諦めて欲しい、』と伝えておいた。」
確かにリルルは、シェーカーと軽々しく付き合っていい身分ではなかった。いい得て妙だわ、とリルルはくすりと笑った。
「まさかリルルの部屋にやってくるとは想定外で、面会の禁止を近衛の者たちに伝えてはいなかった。私の落ち度だ。すまなかった。」
「クグロワのことは…?」
「それは、きつく注意しておいた。嫌がる女性に触るとは、習慣の差があろうとも無礼だとね。女性には優しく接しなくてはならないし、既婚者が既婚者に手を出すのはこの国の法律では極刑もありうると伝えた。」
何しろ愛人を持てば重い罰金刑があるような国だった。
リルルは父を見つめて、首を傾げた。
「シェーカー様が、亡くなった奥さまに似ているクグロワと縁を強く保たなければ縁が綻びる、と仰っていましたが、あれはどういうことなのかは、お父さまはお聞きになりましたか?」
「ああ、あれは…、」
ヨハネスはちらりとクグロワを見て、言い難そうに言った。
「あちらの習慣で、結婚相手は前世の縁なのだそうだ。生まれ変わっても、縁が強ければまた同じ相手と結婚するらしい。」
「クリスはどうなるのです? チェニーと会うのは初めてなのでしょう?」
「シェーカーは、チェニーの前世の縁の何かだろうと言っていた。クリスはもしかすると前世でもチェニーと結婚していて、その縁が強く保たれていたから、出会ってすぐに判ったのだと。」
単純にひとめぼれではダメなのね、とリルルは思った。
「クリスとチェニーの関係はなんとなくわかりましたが、クグロワはどういうことなのですか?」
「生まれ変わった相手には、時間なんて関係ないのだそうだ。死んだすぐ後の時代に生まれ変わるのではなく、死んだ時よりも前に生まれ変わることもあると言っていた。クグロワは、シェーカーの妻が時代を遡って生まれ変わった相手かもしれないと、言っていたよ?」
そんな都合のいい話…、とリルルは言いそうになって、言われてみれば、自分自身も、ゲーム開始の以前の世界に転生している『お姉ちゃん』がいた。ゲームをプレイしたことのある姉リルルは、本当なら、ゲームが終わった後に生まれていなくては時間がおかしかった。
ゲームが始まる前に生まれていたから、自分が転生していると気が付き、これから起こるゲームのシナリオを知っていたのだった。
「そんなに好きだった相手なら気の毒にとは思いますが、クグロワにはクグロワの人生があります。私は、シェーカー様には諦めて貰いたいです。」
リルルがきっぱり言うと、ヨハネスは大きく頷いた。
「私も同感だ。もしかしたら本当の亡くなった奥方の生まれ変わりは、もうすでに生まれて育っているのかもしれないのだから、そっちを探した方がいいだろう。」
目の前に似た人がいたら、そっちに飛びつきたくなるのも分からなくはない。でも、もう遅いとリルルは思った。
父は壁に控えているカロヨンたちを見て、クグロワを手招きして呼んだ。
「クレイジュ、彼らが南部の自治州へ帰るまで仕事を休んでもいいのだよ? どうする?」
あと数日のことでも、妊娠している女性を刺激するようなことは避けたいと父としてのヨハネスは思う。
「大丈夫です。私は明日はお休みをいただいていますし、明後日は夜勤の予定です。」
カロヨンとヨネアが顔を見合わせた。お腹に赤ちゃんがいると聞いてしまった以上、夜勤はさせたくはなかった。
早くに寝てしまうリルルの夜勤は比較的に楽で、朝も自宅にいるのとあまり変わらなかったけれど、緊張する環境にいることには変わりはなかった。
「お父さま、クグロワは赤ちゃんがいると聞きました。しばらく夜勤から外してほしいのです。」
「そうか。なおのこと、無理はさせたくないね。誰か考えようか。ロックは送り迎えに来るのか? 」
「はい、今日も夕方に迎えに来てくれます。」
「そうか、赤ん坊のことも、知っているのか?」
「すごく喜んでくれて、楽しみにしてくれています。」
「そうか…。前向きに誰か少しの間だけでも、働いてくれる者を探した方が良さそうだな。リルルの侍女は半分が既婚者になってしまったね。」
あとはケイティとサミラとヨネアだけなのね…。そのうちみんな、新しい人になっちゃうのかな。それも寂しいな。リルルは手の指を折って考えた。
「おめでたいですもの。そういう時期なのかもしれないですね。お父さま、手配をよろしくお願いします。」
リルルが父にお願いすると、クグロワが俯いて唇を噛んでいるのが見えた。
「では、リルル、用心はするように、」と言ってヨハネスは部屋を出て行った。
※ ※ ※
翌日、昼食の際に顔を合わせたシェーカーとチェニーは特に何も変わった様子もなくて、リルルはちょっとだけ警戒してちょっとだけ安心していた。謝ったりはしなくてもいいと思うけれど、一言もないのも気持ち悪い。
今日はクグロワもいないし、特に何も起こらないだろうと思った。今朝もゆっくりと起きたので、リルルはまともな顔色になっていたし、風邪と言い訳しなくてもいい状態になっていた。
鼻歌混じりにリルルは散歩がてら、お昼休みのコニールを探しにお城の娯楽室へと向かった。コニールとチェスをして、コニールと他愛のない話をして、リルルは勝たせてもらっていい気分になるつもりだった。ティンクのいる図書室にも近いから、帰りに働いているティンクを冷かしてもいいなと思っていた。
「リルル様、」
廊下の後ろから、チェニーの声が追いかけてきた。
振り返ると、チェニーがシェーカーと手をつないで歩いてやってきた。二人は並んでいると、親子というより兄弟に見えた。若々しい印象のシェーカーに親の風格がないように見えるからだろうか。
「もうお加減はよろしいのですか? こんなところを歩いたりして。」
シェーカーは心配しているのかよくわからない表情でリルルを見つめた。リルルには、どっちかといえば揶揄っている表情に見えた。こういうところが親の風格がない原因なのかなと、こっそりと思う。
「ええ、昨日は沢山寝ましたから。」
リルルの部屋にシェーカーがやってきた時も、リルルは寝ていたことになっている。さりげなく昨日の一件は知らないそぶりで微笑むと、シャーカーは気にならないのか表情を変えなかった。
「これからどちらに?」
リルルのおさがりの紺色のワンピースに水色のボレロを着ているチェニーは、シェーカーの顔を見上げて、怪訝そうな顔になった。
「人に会いに行くのです。シェーカー様は?」
「私は、散歩です。チェニーとこうやって一緒にいる時間も必要なのです。」
親子での語らいの時間ってやつね、とリルルは理解した。
「そうですか、では、お先へどうぞ、」
リルルが窓際によけて道を譲ると、シェーカーたちは立ち止まったまま動こうとしなかった。動かないシェーカーをチェニーが不安そうに見上げている。
「リルル様と一緒に行きます。」
「いえ、私は人に会うので。お散歩の邪魔でしょう?」
暗にリルルが一緒に行きたくないと伝えても伝わらないらしく、シェーカーは「邪魔ではありませんから、一緒に行きます、」と言って譲らなかった。
私が人に会うのに、ついていきたいと思う神経がよくわからないわ。リルルは自分が動かないとダメなのかなと思った。
「では、私は部屋に帰ります。」
イラっとしつつリルルが背を向けて立ち去ろうとすると、シェーカーが、「待って、」とリルルの肩を掴んだ。
「その手を離してください、」
リルルはやんわりと微笑んだまま、シェーカーに向き合った。
「リルル様とお話がしたいのです。手を離しますから、そのまま、いてください。」
笑顔のままのシェーカーに、リルルは回し蹴りをくらわしてやりたい気分だわと思ったけれど、やめておいた。ロードと違って冗談が通じなさそうな雰囲気のシェーカーに、薄気味悪さよりも嫌悪感を感じ始めていた。
「手を離してくださらないなら、大声を出しますわ?」
リルルが微笑んだまま威圧すると、シェーカーも微笑んだままリルルをじーっと見つめていた。
「リルル様もお父さまも、お止めになって。お父さま、手を離してあげて?」
「チェニーは素直でいい子だね、誰かとは大違いだ。リルル様、私にクレイジュをください。」
リルルは目の前の、手を引っ込めたシェーカーが、ますますわからなく思えた。
「意味が分かりません。私の侍女のクレイジュは既婚者ですし、私のものではありません。彼女は王配である父と契約してここで働いています。父がダメと言ったなら、ダメです。本人も嫌と言ったのならなおのこと、無理です。」
「あなたは王女だろう? 自分の侍女の管理ぐらいあなたがすればいい。あなたはこの子に母親が必要だとは思わないのか?」
「クレイジュはクレイジュの子供のお母さんです。チェニーにはチェニーのお母さんがいるでしょう? 誰かのお母さんを略奪していいなんて、そんなおかしな話はありません。」
チェニーは目を見開いて、リルルと自分の父親のやり取りを聞いている。
「生まれてきた子供も、私が面倒を見よう。それでいいではないか。」
リルルには意味が分からなくなってきて、だんだん腹も立ってきた。州長じゃなければもっと厳しく対応できるのに、とさえ思ってしまう。敬意を払いながら拒絶を示すのって難しい。
「クレイジュのもとに生まれてくる子供は、クレイジュとクレイジュの夫の間に生まれる子供です。あなたの子供ではありません。両親揃っている子供から、母親を奪うようなことをするのはお止めください。」
「チェニーには母親が必要なのだ。私にも、妻の生まれ変わりが必要だ。」
「クレイジュが生まれ変わりなんて、何の根拠があって言っているのです? 私はクレイジュはクレイジュだと思います。」
冷静さを装っていても、リルルはこのわからず屋めっ! とイラっとしていて、でも、言わずに我慢した。相手は州長、相手は客人、相手はクリスの婚約者のチェニーの父親…。
「私にはわかる、妻と同じ魂を感じる。」
「無理なものは無理です。あなたの奥さんは別の誰かに既に生まれ変わっているかもしれないでしょう? ろくに探しもせずにそんな言いがかりをつけるのは止めてください。」
「リルル様、」
シャーカーは、リルルの腕を掴もうとした。リルルはきっと睨みつけて、身構えた。国賓を投げ飛ばすと後々面倒だけれど、身を守る。そう決めた。
チェニーがシェーカーの袖を引っ張った。リルルの顔を見つめた後、シャーカーを見て、悲しそうに首を振った。
「お父さま、私はお母さまは亡くなったお母さまだけで十分だわ。誰かのお母さんを欲しいとは思わないわ。」
「チェニー、」
「それに、リルル様が仰るように、もう、お母さまはどこかに生まれ変わっているかもしれないわ。」
「あのクレイジュという女性は、とても美しくて、お前のお母さまがお前を身籠っていた時のように気高いのだよ、」
それ、妊娠してる女性なら誰でも生まれ変わりに見える、って言ってるようなものだよね?
「私は新しいお母さまなんていらない。お父さまが欲しいというのなら、州を私に譲って、一人で勝手にどこかへ探しに行けばいいと思うわ。」
それも極論だと思うけどね、とリルルは思う。
「チェニー、若くて美しいお母さまが欲しくはないのかい?」
「私のお母様は、このお城で働く女の人みたいに美しくなかったって、私は知ってるわ。とっても普通で、とっても素朴な人だったって、今なら思うわ。お父さま、私を理由に、ひとめぼれを誤魔化すのはやめてほしいの。」
目をぱちくりして、リルルはチェニーを見つめた。
ありがとうございました




