68、簡単そうで簡単にはいかないもの
ごく自然に腕を絡めて手をつないできたマックスに、リルルは「近くない?」と見上げた。城を出て街へと続く道を歩くのは、朝が早いからか人気が無かった。朝日に光る道は少し眩しくて、清々しい空気で、少し、息が白い。
「一緒に寝た仲なのに、今更それを言うのか?」
「寝てません。ベッドが一緒だっただけです。」
「それを一緒に寝たというのだ。」
マックスはにやにやとリルルを見て笑っていた。リルルは、何もないなら違うもん、と口を尖らせた。
「私、公務で、ヴァルターと一緒に一日過ごさないといけない日があるけど、そういう日も『一緒に寝た仲』っていうのかしら、」
「なんだと? リルル、今、ヴァルターと一緒に過ごす公務と言ったか?」
「ええ、シャークス公爵の遺品を買ってもらうお礼だって聞いたけど?」
「シャークス公爵…!」
マックスは絶句してしまった。
亡くなってもまだ周りの人間に迷惑をかけ続けるのかと思うと、腹立たしく思えてくる。リルルはアレクセイの婚約者として後始末に関わらされているのだろう。
「なんでも、お正月の1日の始まりから2日になる真夜中までなんだって。変な公務よね。」
遺品と言っても、マックスの知る限り、シャークス公爵の道楽は楽器だった。今やシャークス公爵は、名器と呼ばれる楽器を数多く所有し、領民や領地に金を回さなかった道楽者として認知されていた。
その遺品を買うとなると、遠く東方の国に楽器を買ってもらう見返りなのだろう。
「それは…、リルルの一日に付き合うということなのだろう?」
「ええ。清い関係が条件らしいわ。お父さまがそう念を押したらしいの。」
高い見返りな上、国内外にリルルの将来の伴侶として印象づかせるための布石にしか思えなかった。婚約者でもない男が一年の始まりに一日一緒に過ごすなんて、含みがあるとしか思えない。
「リルル、その日はどこへいてもいいんだな?」
「ええ。私がいるところに一緒にいるだけらしいから。」
きょとんとするリルルに、「わかった、」とマックスは答えた。
これは年末年始、我が城に滞在してもらうのが良さそうだ。帰ってから両親と会議を開く計画を頭の中に思い描いて、マックスは無意識のうちにぎゅっとリルルの手を握った。
※ ※ ※
港町の朝市は日曜日ということもあって大層な賑わいで、どこもかしこも人だらけだった。「あれ、なにかしら、」とリルルが指を差した先には、海鮮団子というのぼりや看板があり、海鮮やの前には『元祖海鮮団子本家』という看板が立っていた。
女将が主人と一緒に店頭に立ち、箱詰めにした海鮮団子を列をなす観光客相手に売っていた。隣の食堂も朝から大層な賑わいだった。
リルルとマックスは観光客の列にお行儀よく並んで、自分たちの番が来るのを待った。
「こんにちわ、」と、やっと自分たちの順番になって女将に声をかけると、主人が「こっちへ来い、いらしたぞ、」と店の厨房の方へ声をかけている。
「!!! いらっしゃって下さったのですね!!」
声にならない悲鳴のような声をあげた女将は、身分が尊すぎて気後れしてリルルの名前を呼ぶわけにもいかず、興奮して歓迎した。
「箱詰めのものを売っているのね。」
「はい、沢山食べたいというお客さんお声が多くて。タコだけに8個入りです。」
「イカだけに10個入りではないのです。箱が大きくなりすぎます。」
主人が照れ臭そうに笑った。店の奥から従業員たちがわらわらと出て集まってきた。
「地元の人には皿の持ち込みで値引きもしてます。それでも追いつかないくらいよく売れてます。」
「そうか。ひと箱、たのむ。」
マックスがリルルに、「いいか?」と言いながら買ってくれた。
「お代はいりません。お気持ちだけで十分です、」と断る女将に、「いいのだ、許せ。今日は新婚夫婦なのだ、」とマックスは笑って答える。
「では、隣の食堂へいらっしゃってくださいませ、お席をご用意いたします。」
嬉しそうな顔の女将や主人が案内してくれて、リルルとマックスはついていった。店頭売りの仕事は店の若い者たちが代わってくれている。
「元祖海鮮団子本家っていうの?」
元祖も本家も使うなんてすごく徹底してるわ、とリルルは思う。
「ええ、作り方を街の商店街の者たちに公開しましたから。真似をしたり改良を加えたりと、いろんな店が作ってくれるようになりました。」
「おかげでお客さんも分散してくれたり、味の食べ比べをしてくれたりで、街をあげての取り組みになってるんです。」
女将も主人も嬉しそうに話している。
食堂へ入り席に着くと、リルルとマックスの前に厨房から集まってきた店の者たちが、カキだの串揚げだの海鮮団子だのといろいろ持ってきてくれた。
店の外から近くの店の店主たちも入ってきて、リルルたちのテーブルに集まってきた。リルルたちの座るテーブルの周りには、港町の市場の関係者で人だかりの輪が出来ていた。
それぞれに名乗ってリルルたちにお辞儀して、リルルとマックスを恭しく見守る店主たちは、本物のお姫様に胸をときめかせていた。海鮮やの女将が譫言のように口にする『リルル様』は本当にいらっしゃったのだと、目の前の光景を、公爵家の若様と一緒にテーブルに座って庶民の味を楽しむ王女様の姿を目に焼き付けていた。
「この前のチーズボールも、街の喫茶店や菓子屋で売っております。味付けがその店その店で工夫されていて、観光客が食べ歩きや買い歩きをしてくれています。」
「素敵なことね。女将さんたちが望んだように、町の名物になって町おこしになっているのね。」
「ええ、ありがたいことです。楽しい競争は夢がありますからね。この町に来ると楽しいと思ってもらうことって、私たち商売人にはやりがいがあることなんです。」
「そうか、それはよかった、」
マックスはリルルの顔を見てにっこりと笑って、「来てよかったな、リルル、」と言った。
チーズボールにシロップをかけたものが小鉢に盛られていて、リルルの前には置かれている。パクパクと食べながら、リルルはクグロワに怒られそうだなと思いながら提案してみた。
「私、お酒を飲まないけど、これにブランデーを塗って、中の具を栗の砕いたのにすると、大人向けのおやつになると思うわ。」
「それは早速伝えます。」
女将が言うと、若い者がメモに書きとった。菓子店の店主たちもうんうんと何度も頷いている。
「この港町はグロケット領の流行の発信地です。ここで売れたものは船に乗って、やがて、いろんな港町に流れていきます。この海鮮団子も、そのうち、船で異国へと渡っていくのです。」
女将は嬉しそうに目を細めた。
「そうやって人の口にグロケット領の名前が上ることが、私たちは嬉しくてなりません。」
感心したようにマックスも頷いていた。なんてったって領主様になる人だもんなあと、リルルはマックスを見つめて思った。
「来月には新年の祝祭が待っています。港町ですから、船から新年の祝いの花火が上がります。とっても楽しい祭りです。」
女将の言葉に、商人たちは顔を輝かせる。
「リルル、一緒に新年を迎えないか? 私たちの領民は、歓迎するぞ?」
マックスはヴァルターとの一日はこうやって阻止していけばいいのだと気が付いた。私の城に、リルルが公務と言ってヴァルターをつれてきても、私もいればリルルと二人きりにさせることはないだろう。
「年末年始は公務じゃないとお城から動けないの。私的な外出は禁じられているの。警護をする者たちの手配が追い付かないから。」
だから父は、お城にいて一日一緒に過ごすだけのヴァルターの公務を入れたのだろうなとリルルは思った。
「なら大丈夫だ。公務として正式に王城には申請しよう。年末から私の城にいて滞在すればいい。」
グロケット公爵家の城に遠く東方の国の王子が滞在するとは奇妙な気がするが、公務なのだからと言えば誰もが致し方ないと納得するだろう。マックスは自信を持ち始めた。
リルルはちょっと顔を顰める。
「そういう調整は、クグロワたちかお父さまじゃないと決められないもの。今、答えられないの。」
炭酸水を飲みながら、リルルはちょっと考える。ティンクの家にクリスマスのお出かけが待っているし、年末にここに来ていては、ますますお城で働くミーシャと会える機会が減っちゃうわ。
海鮮団子をもぐもぐと頬張りながら、マックスは、なんだ、そんなこと、と思った。グロケット領主である公爵の父が万全の警備態勢で臨むと公務を申請すればいいだけの話だった。
「まあ、決まったようなものだな。女将、私たちがリルルを呼ぶから、きっとリルルは来るだろう。安心しろ。」
ヴァルターにリルルと一緒に眠ると言われても、私も一緒のベッドで寝ればいい。新年を祝う祭りは年末から三日間、毎日夜中まで続くのだから、一緒に二人で眠らせる時間など作らせなければいいのだ。
「ありがとうございます。御公務ですか…。」
女将たちは、以前見た正装したリルルの異国の臙脂色のドレス姿を脳裏に思い浮かべた。あんな美しいお姿をされて若様のお傍にお立ちになって微笑んでくださるのだろうかと思うと、気持ちが浮かれてくる。
「これは…、年末年始にかけて、気合を入れて働かんとあかん、」と女将が独り言のように呟くと、主人や若い者たちも頷いた。周りにいた港町の店主たちも頷いて、場所の確保が重要だなと思った。
年始には公爵家の人々が領民を見回るパレードがある。リルル様がご公務でいらっしゃるのならきっと若様とご一緒だろう。正装されているお二人のお姿を一番いい席で見なくてはいけないなと誰もが思った。
※ ※ ※
グロケット公爵の居城へ二人で手をつないで帰ったリルルとマックスを出迎えたのは公爵夫妻で、二人は待ち構えていたかのようにリルルたちを応接室へと通した。
「リルル様。お話があります。」
ソファアに座るなり話し始めた公爵に面食らいながらも、リルルは「なんでしょうか?」と背筋を伸ばした。
上級貴族であるグロケット公爵のお話なんて、ただで済むわけがないと思えていた。隣に座るマックスも怪訝そうに公爵を見つめている。
テーブルの上に置かれた何枚かの紙は、昨日マックスと話をしながら描いていた鹿の絵だった。
「これをお描きになられたとマックスから聞きましたが、それは本当ですかな?」
「ええ、私が描きました。これが何か?」
「この絵を、使わせていただきたいと言ったら、いかがされますかな?」
「どうぞご自由に。コーヒー豆の袋の図案に使われるのですね?」
「そうです。グロケット公爵家の商会で取り扱うことは決定しております。焙煎する道具も、必要なものはゲオルグ商会から融通してもらうことも決まっております。あとは、ヨハネス殿下が仰られた『他の商会との差』を付けるだけなのです。」
公爵はにっこりと笑って、リルルを見つめた。コーヒーの事業は国策なので、参入には事業計画の提出が義務付けられていた。
王女の描いた絵を使うということは、王女の婚約者であるという立場を利用するということね、とリルルは理解した。
「わかりました。茶色い紙袋に黒いインクで絵を刷って、緑色のインクで色を付けるのなら…、リボンは赤い色にしてもらってもいいですか?」
「ええ。そうさせましょう。」
リルルが夢で見た子鹿も、首に赤いリボンをつけていた。
「もちろん、ご協力を頂くのですから、何か私たちにもリルル様の願いを叶えさせていただきたい。トリュフのお礼も兼ねまして、ね。」
公爵と夫人はお互いの顔を見て頷きあっていた。
領地内の港町で商人たちが町おこしをしているのも知っている。領官たちの間で話題になり、そのきっかけがマックスとリルルの朝の買い食いをする食べ歩きだということも知っていた。
美しくて屈託のないリルルが領民たちに受け入れられている以上、これ以上にない宣伝材料になるだろうと踏んでいたのだった。
同じやるなら儲けを出すやり方で事業を進めたい。そう公爵夫妻は考えていた。
リルルは少し考えて、マックスの顔を不安そうに見てから、躊躇いながら言葉にした。
「何もいりません。もし可能なら…、コーヒーを港町の市場で一度、試飲会を開いてほしいのです。」
「ほう、どうしてですか?」
面白そうにリルルを見つめて、公爵は尋ねた。
「マックスと…、マクシミリアン様にご案内いただいて、何度か港町の市場に遊びに行かせてもらっています。いろんなお店があって、いろんな人がいて、皆さん、私にとても優しくしてくださっています。」
マックスを見ると、頷いてくれた。どうやらリルルの意見に賛成してくれるようだった。
「町おこしをしたいと、港の名物を作りたいと言って頑張っている人たちがいます。海を渡ってグロケット領の名を口にしてもらえるようなものを、と、意気込んでいるのです。」
公爵と夫人はぎゅっと手を握り合って、リルルを見つめていた。
「コーヒーは、この先、もっと流通すると思います。各地からこの街に買い出しに来た商人たちは、この港町で美味しいものを食べて、コーヒーを試して、自分の街に帰ってこの港のことを自慢話として話してくれる…。」
「そのために、港町の商人を抱き込むのですな、」
「ええ、新しいものに挑戦してみたい人たちですから、コーヒーに合うパンやお菓子だってすぐに思いついて挑戦してくれると思うのです。きっとチーズボールも合うと思います。」
「わかりました。そのように手配いたしましょう。」
公爵はさっそく執事に紙とペンを持たせて、証文を書いた。
貴族の持つ商会の商品を庶民な商人たちが手にするのは、まずは貴族たちに浸透してから、が常識だった。それをリルルはいきなり庶民たちにも流通させようと提案したのだった。
型破りな提案にグロケット公爵は驚きもしたが、考えてみれば貴族よりも平民の方が絶対数は多いのは当たり前のことだった。
同じ儲けるのなら、人数の少ない貴族に高級品を細々と売っているうちに庶民に悪質な模造品が出回り、『グロケット領のコーヒーは当たりはずれがある』と印象付けるよりも、人数の多い庶民も人数の少ない貴族にも良質なものを売って『グロケット領のコーヒーの品質は常に素晴らしい』と宣伝させる方が、広く好印象を与えるのだと納得した。
公爵はリルルがその対象を、自分の港町の商人たちと指定してきたことにも好感を持った。
「これは絵の権利を私が頂くという証文です。その見返りとして、私はリルル様の御希望通り、港町の、このラテストの商人たちにコーヒーを無償で提供する機会を必ず作るという約束を認めてあります。」
「ええ、私の署名が必要ならそういたしましょう。」
リルルは書類に目を通すと納得し、戸籍にある名前ではなく、通称名のリルル・リュラーと書いた。エカテリーナは先祖の名前なので、普段は略していた。
「お話はこれだけです。リルル様、ありがとうございました。」
「いえいえ、公爵夫妻には、公務とはいえ、宿泊の面倒をかけてしまいました。良い休暇となりました。ありがとうございました。」
「こちらこそ、そこにいる愚息が、夜のお相手までさせていただいたようですな。」
「あら、添い寝をしていただきましたが、私たちは清い関係なままですよ? ご心配なく。」
オホホホと夫人は笑った。
「当方は、このまま嫁いでいらっしゃっても構いませんのに。」
「父上、母上、婚約者は私一人ではありません。また増えてしまうかもしれません。そうならないように新年の祝祭をこの城で一緒に迎えたいのですが、よろしいでしょうか?」
よろしくないわよ、とリルルは思った。ヴァルターと婚約する気はないけど、ヴァルターとマックスと3人でこのお城で新年を迎えたいとも思わない。
「公務としてお越しいただきたいですな。」
「ええ。そのように申請いたしましょう、あなた。」
「父上、母上、ではそのようにお願いします。」
周りは歓迎してくれても私はあまり嬉しくないわ、と眉を顰めたリルルに、マックスは「付き添いが何人来ようと私が面倒を見るから安心しろ、リルル、」とにっこりと笑った。
※ ※ ※
マックスと一緒に帰りの馬車に揺られてお城に帰ってきたリルルは、マックスの乗った馬車がグロケット公爵の王都での屋敷へと帰っていくのを手を振って見送ると、自分の部屋に戻るなり出迎えたケイティたちに機嫌よくお土産の海鮮団子を渡した。ひと箱はチーズボールで、粉糖が掛かったものだった。
「これ、おやつに食べてね。美味しいの、」と言ってリルルはさっさと浴室に行ってしまった。
荷物を片付けに同行したクグロワとサミラに、3人は「何かあったの?」と尋ねた。
「何もないわ。ただ、新年はグロケット領で過ごされることになりそう。」
「リルル様はマクシミリアン様と朝市で食べ歩きで買い食いをされて、お土産を買っていらっしゃいました。海鮮団子、私もいただきましたが、美味しかったですよ?」
「なんだかとっても変わってるのね。今日の夜勤はカロヨンなの。あとでみんなで食堂で食べる?」
「私たちはいったん帰ります。明日の仕事がありますから。」
「お疲れ様、クグロワ、サミラ。ところで、クグロワ、旅の間でリルル様にお伝えしたの?」
ケイティの質問に黙ってしまったクグロワを、サミラはじーっと見つめた。
「その様子だと、まだお話していないのね?」
「クグロワ、子供が生まれてからでは遅いのよ?」
「それまでにはお話する予定です。御心配なく。」
「まったく。まあ、早目にね?」
にっこりと笑ったクグロワと苦笑いするサミラを見送って、リディアたちはリルルの荷物の荷解きを始めた。
ありがとうございました




