69、気がつけば傍にいるもの
帰ってきたテストと順位表を見て沈黙したリルルを、ちゃっかり隣の席に座るティンクはにやにやとしながら見つめた。放課後の教室の中は、週末から始まる冬の長期休暇の話題で持ちきりだった。
帰る支度を済ませて楽しそうに教室を出ていく者たちを見送って、リルルはティンクに話しかけた。
「どうだったって聞かないの?」
「聞いてほしいのか?」
「一応10番台だったけど…、言いたくないから聞かないで。」
一度1番を取ってしまうと、どんな順位でもダメだったと思えてしまうのだろうなとティンクは思った。ティンクはいつもの10番台の成績だったので、いつも通りの仕上がりだと思っていた。
「リルル、正式に公務として招待させて貰った。」
「今朝、お父さまから聞いた。」
婚約者の家にクリスマス会に行くのも、公務だと申請すれば最優先されることになる。公務と申請しなければ、同じ日に公務が入ってしまうと、公務を優先することになり婚約者と過ごせなくなるのだから、王族って不便だとリルルは思う。
「コーヒーの試飲会に出席を申請したぞ。」
「そうなの。ティンクのおうちはどうするの? 扱うの?」
「うちはやらないそうだ。しばらく唐辛子だけで手いっぱいになるから、この状態で新しいことを始めると中途半端になると父が言っていた。」
「ティンクのお父さまは堅実な方なのね。」
「そうでもないさ。この前のお城でのトリュフの日のようなことは、楽しいかったからまたやりたいとは言っていたな。」
「ふふ。またティンクとお仕事するのね、私。」
「それは悪くないな。」
ティンクはリルルの頬に手を触れて、「グロケット領や、リルルの領地の視察はどうだった?」と優しく尋ねた。
「ずっとマックスが一緒だったから疲れたけど、楽しかったわ。それなりに充実した2日間だった。」
「ふうん?」
ティンクはリルルの顔を見つめて、「充実したんだ?」と返した。マックスと一緒に充実したのなら、その疲れは楽しい疲れだろうなあ、と妬ましく思う。
「ティンクにお土産、買ってきた方がよかった?」
「いらない。」
マクシミリアンがにやにやと笑っている様子を想像して、少し腹が立った。
「冬休みの予定を聞いてもいいか?」
またマクシミリアンと過ごすのだろうか?
「特にないわ。昨日グロケット領で年末から年明けの何日かを過ごすと決まったけど、それぐらいかな。」
「休暇と言っても、来週から年明けの一週目までだろう? 長いようで短いのに、リルルは大変だな。」
当てこすりのようなことを言ってしまい、ティンクは少し心が痛む。
「ティンクは?」
「私は、リルルとの公務が終わった後は、お城で司書の仕事が待ってるよ。あとは、家で試験勉強だな。高等学校の入学試験が2月にはあるからな。」
「頑張ってね。私はもう終わっちゃったわ。」
「リルルは中つ国の言葉の仕上げが待ってるんだろう?」
「それは、あなたたちが入学試験を受けるために休む2月の間にするみたいよ? 今朝お父さまがラウラお姉さまとそんな話をしていたから。」
2月の終わりにある入学試験の為に、2月は自由登校になると決まっていた。そのため、冬休みが短めに設定されていた。
今朝リルルは、『リルルの成績次第では、1月から家庭教師を呼ばなくてはならないね』と父に脅されていた。微妙な成績だったから、ちょっと危険な気配だわ。
「そろそろ帰るね、」と言って立ち上がったリルルに、ティンクは「待って」と声をかける。
「クリスマスに会うだろう?」
「ええ。」
「何か、贈り物をしたいんだ。欲しいものはあるか?」
ティンクはまっすぐにリルルを見つめていた。何も欲しくないと言えば嘘になる。リルルは言っても仕方ないと思いながら、願いを口にした。
「…子供。」
「は?」
「売られた子供の居場所。」
「ああ…。」
ティンクには、見つけ出さない方がいいように思えた。見つけ出して彼らを法律の下で自由にしても、この先、彼らはどうやって糧を得て生きていくのだろう。
シャークス公爵領から逃げ出した時点で、流浪の民となり家畑などの財産はない。
父親に売られた時点で、親との縁もない。
自由になって、父親の罪だけ背負わされて根無し草として生きていくのが果たして今の状態よりましなのかなんて、想像はできない。
「リルル。見つけて自由にして、その後、どうするつもりなんだ? 彼らの住む場所も仕事も、リルルは与えられないだろう?」
「そんなの、見つけてみないと判らないじゃない。」
「もし、今いる環境が、案外上質なものだとしたら? 理解のある雇い主の元で衣食住を満たされて働いているのだとしたら?」
「そんなの、そうかどうかなんてわからないじゃない。」
気になるから探したい、なんて勝手な言い訳だってわかっている。でも、もし不幸の中にいるのなら、見つけ出して何か違う方向へ導いてあげたい。リルルは俯いて唇を噛んだ。
「そうだよ、悪いかどうかだって判らない。」
黙ってしまったリルルの頭を抱いて、ティンクは、「憎むべきは犯罪者だ。同情し始めたって全部は救えない。リルルの見ている夢だってそうだろう?」と優しく囁いた。
「悪いのはシャークス公爵だと私は思う。死んでもなお、リルルや周りの者に暗い影を残している。」
「でも、クリスマスなのよ? 奇跡が起きたっていいじゃない?」
何か役に立ちたいと願ってもいいじゃない、とリルルは思う。
「リルルは、自分で探せないだろう? 私だって同じだ。貴族として生まれたからには、割り切っていかなくてはいけないことがある。誰もを全部救えないからこそ、今自分の手の中にいるものを愛おしく思って救ってやりたいと思っている。」
「私の領地の者だったなら、そんな思いをさせなかっただろうに。」
「本当にそう思うか? トリュフのことがあるまで、リルルは自分の領地に行ったことも見たこともなかっただろう?」
ティンクに的確に指摘されて、リルルは唇を噛んだ。驕っていると言われてしまえばそうだ。自分は恵まれていて、売られた経験など無い王族だ。領地のことだって、自分が管理監督しなくても、親が代わりに手配をしてくれる。
「私から見れば、シャークス公爵もリルルもあまり差はない。ただ、そういう者が出たか、出なかったか、なだけだ。」
「うん…。」
悔しいけれど、そういうものなのだろう。リルルは反論できなかった。
「今、手にしている領地の領民を愛せ、リルル。クリスマスに何かを欲しいと思わないなら、領民たちに何かをしてやれ、いいな?」
誰かのために努力すること。それが贈り物になるのだと、ティンクは思う。
「うん。わかった。」
ティンクを抱きしめて、リルルは肩に顔を埋めて、瞳を閉じた。何もできないから、祈るしかないのかな。祈って、無事を、健康を願うしかないのかな…。
「ティンクは何が欲しい?」
目の前のあなたは、何を願うのだろう。私は何がしてあげられるのだろう。
「そうだな…、傍にいてほしい。」
なんだ、そんな簡単なこと…。
「…ずっと傍にいる。」
お互いに、囁いた声が間違って聞こえたのかと、何度も思い返していた。
ずっと傍にいて。ずっと傍にいるから。
二人はお互いを抱きしめあったまま、しばらく、お互いの体温を感じていた。
※ ※ ※
学校から帰ったリルルが着替えを済ませて今学期の成績表を手に父の執務室へと向かっていると、執務室の近くで、ロックに会った。
「お帰りなさいませ、リルル様、今日はペンタトニーク公が入国されていたのですよ?」
「入国されていたって、もしかして帰っちゃったの?」
「ええ、お忙しい方ですから。」
執見室まで、とロックと話をしながら歩く。
ロックが言うには、中つ国での用事が立て込んでいて長居は出来ないと、重要な書類を目を通すためだけに入国して重要な書類の更新だけをして帰っていってしまったそうだった。朝入国されてお昼過ぎには船に乗られていますから、大変ですよ、とロックは笑っていた。私はその書類の手続きの確認作業があるのですよ、とロックは笑う。
「では、リルル様、ごきげんよう。」
執務室の前で別れたロックは上機嫌だった。私には結婚の報告はしないのね、とリルルは思った。あんなに上機嫌なのはきっと、ペンタトニークに結婚の報告を済ませたからだろう。
クグロワを自分の商売相手たちにお披露目しないのかな、とリルルは思い、お披露目してお城で働く侍女だと判ったら後々面倒だからあえてしない、とクグロワならいいそうだわと思い直した。
お城に伝手があるとバレてしまうと変に近寄って来る者がいるのでお城で働いていることは黙っているのです、と以前クグロワたちは笑って話していたことがあった。ケイティはお芝居を見に行くときは家事手伝いと身分を偽るのだと笑っていた。伯爵家の娘と言うと援助を求められるから、それはそれで面倒なのです、とケイティは言っていたっけ。
「お父さま、よろしいですか?」
ノックをして部屋に入ると、父は執務机の前で書類を広げて考え込んでいた。
「ああ、リルル、今日ペンタトニークに会ったのだよ。リルルにお土産をくれた。お詫び、とも笑っていたね。」
そう微笑むと、父は引き出しの中から赤いベルベットの小さな箱を出した。
受け取って中を確かめると、小指の爪ほどの黒真珠の指輪が白い布の上に鎮座していた。
「綺麗ですね。」
「ラウラの土産にリルルが買って帰ってきた物よりは小さいけれど、輝きは勝るとも劣らないね。」
もしかすると気楽に会えるのは最後の機会だったのかもなと思うと、学校に行っていて会えなかったリルルは残念に思った。
ベルベットの赤い箱の中におさめられた黒真珠の指輪を眺めていると、父が優しく頭を撫でてくれた。
「また会えるさ。まだその日がやってきてはいないだろう?」
バレンタインまでまだまだ時間があった。
「はい…。でも、会いたかったです。おじさまに、お世話になったお礼を言いたかったの。」
「ああ、残念がっていたなあ。今度ブルーノも連れてきますからお茶しましょうって笑っていたよ。」
「ブルーノ、来てくれるのかあ…。」
リルルが首を傾げると、父は優しく微笑んだ。
「お別れにくらい、来るだろう。きっと、」
遠く東方の国と縁を結びなおすことがなければ、リルルの住むこの国と遠く東方の国はラウラの婚約以前の冷たい関係に戻る。
かといってヴァルターと婚約するのはなあ…。
黙ったままのリルルを見て、父は「無理はしなくていいよ、リルル」と笑った。
※ ※ ※
冬の長期休暇の話になり、父は朝食をとりながら、ざっくりと予定を話し始めた。
「来週、南部の自治州から、州長とその家族が、公務でコーヒーのお披露目の試飲会も兼ねて訪問する予定がある。実質クリスの品定めだ。リルル、暇でもおとなしくしているんだよ?」
「…自分の部屋に引っ込んでいます。」
「コニールが冬休み中に私の仕事の手伝いに通う手筈になっているから、ラウラもそのつもりで。」
「わかりました。私の公務はどうなっていますか?」
「冬休みの間は、各国の大使が帰国前の挨拶に来ることになっている。自分の各国から我が国の大使も帰ってくる。領地に帰る貴族たちの仕事納めの挨拶もあるだろう。まあそのあたりは例年のことだから、お母さまとご一緒して、顔と名前を把握しなさい。いいね?」
お姉さまは大変ね、とリルルは紅茶を飲みながら思った。女王としての仕事の引継ぎを始めている姉のラウラは、同じく王配としての仕事の引継ぎを始めているコニールと手を取り合って、役目に立ち向かっていた。
テーブルの斜め向かいに座るクリスが、サラダを食べながらじーっとリルルを見ているのに気が付く。
「お姉さまは何かおやりになるのですか? ご公務は?」
「婚約者のところに呼ばれているくらいだと思うけど…。お父さま、どうなっているのかご存知ですか?」
「ああ、リルルはクリスマスにオルフェス侯爵家のお茶会、年末に30日から新年2日までグロケット公爵領へ旅行と決まっている。晩餐会よりも御滞在をと言われてしまったからね。」
お母さまが褒美に晩餐会と仰っていた分が消えたのね、とリルルは思った。晩餐会の方が楽だな〜と思ったけれど、黙っておいた。
「3日にはグロケット公爵と王都に戻ってくると聞いているよ? その間、遠く東方の国からヴァルター殿が同行されると聞いている。」
指を折って数えて、リルルは「4日もですか? ヴァルター様と?」と思わず聞き返してしまった。
「ヴァルター殿は31日に入国されるそうだ。リルルとは1月1日からの1日分だけだ。少しズレているから、安心なさい。」
「私は公務などは他に入っていないのですか?」
「ああ、家庭教師にロマニール先生に来ていただくくらいだね。成績、悪くなかったから、増やさなくてもいいことにしたよ。」
「良かった…。」
リルルはほっと胸を撫で下ろした。家庭教師が来る日が増えると、宿題という課題も増えるのであまり嬉しくはない。
「ダンスの特訓がない分、去年よりは楽だろう? 暇なら今年もやるかい? ダンス、」
無表情になって首を振り沈黙したリルルの顔を見て、ラウラが、「あなたは体力をつけることが第一だもの、たまにはゆっくりした方がいいと思うわ。遥々、州長たちのご家族もいらっしゃるし、おとなしくしていた方がいいわ、」と微笑んだ。
「年内最後のトリュフの日が、今日ある予定だ。リルルはどうする? また手伝いに行くのか?」
「遠慮しておきます。マックスと一緒に利用する予定なので、ややこしくなりますから。」
昨日グロケット公爵家から届けられたマックスからの手紙には、土曜日にお城に伺うと認めてあった。それって今日じゃん、とリルルが慌てたのは無理もなかった。
「あの辺りは雪で街道の行き来が難しくなるから、春まではトリュフを食べられなくなるようだ。そうか…、明日からはしばらく食べられなくなるのか。食べ収めだな。」
王都から北の方角にある港町から王都までの街道沿いにある街や村は、街道までに出る道が雪で閉ざされると、交通の手段がなくなってしまう。
父が残念そうに呟くと、クリスが「お父さま、ベーコンのペペロンチーノは来月には食べられそうですよ? オルフェス侯爵家の領地の唐辛子は越冬できるらしいですから、そろそろ収穫がされているでしょう、」と励ましていた。
そんなに期待されたらトリュフがないと困るよね、とリルルは思い、今晩は神様にお願いしてから寝ようとこっそり思った。どうか神様、キノコがたくさん採れますようにって寝る前に願う王女って、きっとこの世の中で私くらいだわ。
※ ※ ※
いつも以上の食堂の賑わいに、トリュフの日でお城にやってきたマックスとリルルは、列でしばらく並んで待ってから中へ入った。柔らかい藍色のニットワンピースに黒いタイツを履いた普段着な王女様だろうと紺色のスーツ姿でキメた公爵の息子だろうと関係なく、食堂では平等な扱いをされていた。
並んで待つ者たちもリルルの漆黒の髪を見て、王族でも並んでいると理解して、羽目を外したり無理を言って割り込んだりする者はいなかった。
マックスはリルルと向かい合って座り、トリュフのクリームパスタが気に入ったらしく、「前回土産でもらったトリュフは父や母が肉料理に使ってしまったから、こういった味わいもいいな、」とお代わりを頼みながら笑った。
先に食べ終わったリルルがお茶を飲みながらマックスが食べ終わるのを待っていると、アールキンがターニャを連れて、狐の秘書と子供と穴熊の領官と子供たちが一緒に入ってきた。
偶然近くのテーブルにやってきた彼らはリルルたちを見つけると挨拶をしてくれ、「お城のトリュフの日の賑わいを、自分の子供たちに見せてやりたくて連れてきたのです、」と言って照れ笑いしていた。
「リルル様はかっこいいマクシミリアン様とお似合いだと思います、」と頬を赤らめて、リルルを見つめたターニャは、分厚いコートを着ていてもこもこしていた。髪には、リルルがお土産であげたベルベットの赤いリボンを結んでいた。
他の子供たちは男の子ばかりで、彼らはお城で働く騎士や執務官の姿を羨望の眼差しで見つめていた。
「もうじき雪が深くなる前に、子供たちに夢を見させてやりに来たのです、」と、着ぶくれているうえに分厚いコートを着ているアールキンは言った。
「私たちの村は比較的王都に近いですし内陸部ですからあまり積もりませんが、村を囲む街道の街ではもう雪が降り始めています。」
あの辺は小さな山村がいくつもあるって感じだものなあ、と、リルルは頭の中に地図を思い描きながら話を聞いていた。標高の高い村だともう雪の影響もありそうだ。
「私たちの村にはたいして積もりませんが、年に何度か雪が降りますし冷たい風が吹きます。そんな日が続くと、子供たちは夢を語りながら学んだり、夏場にはできない仕事を覚えるのです。このお城で働く夢を語る子供も出てくるでしょう。今までは酪農だけが生活の糧でしたが、トリュフをきっかけにこうやってお城へ来る道もつながりましたから。」
ターニャはリルルを見つめて、照れ笑いをしながら言った。
「私、お父さんの跡を継いで村長さんになる予定なの。今まではそんなの面倒だから嫌だわって思ってたけど、村長さんになるとリルル様とお話しできるでしょう? それってとってもすごいことだわ。」
狸なアールキンは、こう見えてアレナージュ領の領官長でありアレナージュ村の村長だった。言われてみればそうね、とリルルは思う。
「冬の間にもっとお勉強するわ。リルル様はいくつもよその国の言葉をお話になるって聞いたから、私も今までよりもお勉強するの。」
前世持ちのチート能力かもしれないから微妙なのよね、とリルルは思った。幼い頃から確かに学んではいるけれど、王族の嗜みなのだから自慢にならない。
「今日はゆっくりしていってね。冬休みだからいろんな人が登城しているから、食堂にもいろんな人が来ているわ。いい出会いがあるといいわね。」
リルルが微笑むと、ターニャが「はいっ、」と満面の笑みを浮かべて返事をした。
ありがとうございました




