48、甘い夢は泡のように消えるもの
※ 夢、気持ち悪いです。ご注意ください。
ドアを開いたその先に見える赤い空と、暗い山脈と、耳に感じる閉塞感は、リルルはいつか経験したことがあった。
この部屋には、もうつながらないものだと勝手に思い込んでいた。鍵がないのに、どうやってつながるのだろう。リルルは首を傾げた。
踏みしめるとかさかさと音を立てて割れていく枯れ葉や木の枝の続く山道を、リルルは黙って歩いた。今日は位置が違うのね、と思う。森なのか、枯れ木ばかりの木が道を覆っている。
あの時は山の頂上の道で、お母様のような誰かに会ったんだっけ。
リルルは唇を噛みしめながら、この夢から早く出ていきたいと思った。
でも、足は磁石で吸い寄せられるようにどこかに向かって歩いていて、止まろうとも引き返そうと思っても、足は歩み続けた。
山の頂の近くに、建物が見えた。まるで馬車のような形の小さな家だった。変な形ね、あれじゃ馬車として動けないじゃない、とリルルは思った。家にするには狭すぎて、馬車にするには中途半端だ。
あそこへ向かっているんだわ、とリルルは思った。
かさかさと風で木の枝が重なり合って揺れている。風が生温い。
ドアノブに手をかけようとして、中に誰かがいるのが窓から見えた。
あれは、アーリャ? アーリャの家族なの? 夏の音楽会の時に見たことがあるわ。イヴァンや公爵夫妻、妹のルナー、あれ? お城で見たクロルス…、もしかしてクロルスってコンスタンティン…?
外から見るととても小さなその家の中には、たくさんの人がいた。舞踏会でもしているのか、笑顔で着飾った人たちがぎゅうぎゅう詰めに入っている。まるで紙のように薄っぺらい。
どん!と大きな音がして、家の屋根から火柱が上がった。どうやら家の中から火が回っている様子だった。
「火事だわ、逃げて!!」
リルルが叫んでも、中にいるアーリャたちは気が付かない。
「アーリャ! アーリャ!」
どんどんとドアを叩いても気が付かない。リルルは燻り出したドアノブを、掴んだ。熱くて手が溶けていきそうだった。
「アーリャ! アーリャ!」
燃え盛る家はまるでくべられた祭壇のように燃え上がり、中にいる人たちは蝋燭が溶けていくかのように楽しそうな笑顔のまま火の中に消えていった。
熱いわ、私も溶けてしまう…!
赤い空に燃え上がる炎は朱色に輝いて、あまりの熱さにリルルは腕で顔を隠して、「アーリャ!」と叫んだところで目が覚めた。
※ ※ ※
このまま何もなかったことにしてしまうには怖すぎる夢だった。いつか見た時、母が倒れた凶夢はその日のうちに結果になった。
時差を考えると、起こるのは向こうの時間で今日の夜が最短だろう。誰かに伝えるなら早い方がいい。リルルが夢で父や姉のラウラに会うのは、父や姉の一日が終わってからのことだった。
誰かお昼寝してくれないかな。
あ…。
今日は、ティンクに会うんだっけ。
約束通りティンクが会ってくれるなら、向こうの時間で夕方に伝えられることになる。
でも、お誕生日に聞きたい話じゃないわね、とリルルは思った。
もしティンクが伝えてくれたとしても、ティンクとリルルがつながっていることが、父や姉にバレてしまう。
かといって、何もしなくてアーリャやその家族がどうにかなってしまうのは、リルルには耐えられそうになかった。
どうすればいいの…?
リルルは唇を噛んで考え込んだ。
部屋のドアをノックする音がして、「リルル様? リルル様?」とロックの声がする。
「何でもないわ、ちょっと本を落としてしまっただけよ?」
リルルはソファアから立ち上がり、ふらふらとドアに近付いて、誤魔化すための嘘をついた。
それでも叩く音に、溜め息をついて内側からドアを開けると、ロックがリルルの顔を確かめてほっとした顔になり、「案外そそっかしいんですね、」と言った。
「そんな日もあるのよ?」と、青白い顔のリルルが弱々しく笑って肩を竦めると、ロックは「そうですか、」とにやりと笑った。
リルルは「じゃあね、」と微笑んでドアを閉めると、ベッドへと戻った。中つ国からは遠すぎる。でも、そのおかげで少しでも眠ることが出来る。答えを出すのは先送りにして、夕食だとロックが起こしに来るまで夢も見ずにぐっすりと眠った。
前公爵が言っていた通り、素晴らしい味付けの絶妙な味わいの夕食をロックと共に食べた後、リルルは客室に備え付けられていた浴室で身綺麗にし、クグロワがトランクに支度してくれていたナイトウェアを着ると、さっさと眠りについた。部屋の中は散らかっていたけれど、明日片付ければいいと割り切ることにした。
もしかすると、ティンク以外の誰かがお昼寝をしているかもしれないと淡く期待して、夢の世界に向かったのだった。
※ ※ ※
待てども待てども誰かが眠った気配はなく、当初の予定通り、ティンクの部屋の前で待つことにした。
ドアの向こうの世界が存在するのってどうやってわかるんだろう、と思っていると、ドアのカギ穴がぼおっと光り始めた。あ、もしかしてこれが夢の世界がつながった証なのかしら、とリルルは思った。
鍵を開けてドアの中に入ると、見慣れたオルフェス領のティンクの家へつながった。
いつ来ても夕暮れ時のような優しい光の白い壁の家に、リルルはティンクらしくていいなと思うようになっていた。時々聞こえる鳥の鳴き声と風が運ぶ潮の香りに気怠い暑さが和らいで、窓の外の空を見上げる。
廊下の窓から見える港の風景も好きだなと思う。暮れていく夏の終わりが、甘やかな秋の気配を感じさせてくれる。
「ティンク、どこにいるの? 」
リルルが家の中を探して歩くと、ティンクはいつかのベッドの上に上半身裸の状態で腰掛けていた。ズボンを履いていても上半身の細マッチョな肉体美に、リルルは目のやり場に困ってしまう。
リルルは自分の格好もおかしいと思った。自分の着ている服は、ティンクのものなのか男物の白いブラウスで、下着もつけずに無造作に着ているだけだった。心なしか体のあちこちがシャツ越しに透けて見えている気がする。ダボダボの袖を捲くると、リルルはティンクの前に立った。
「リルル、久しぶり、」
リルルを見つめるティンクの瞳は、妖しい光がこもっていた。ドキッとしてリルルは視線を逸らした。
「お誕生日おめでとう、ティンク。ちゃんと今年は会いに来たわ?」
傍に近寄ったリルルの手首を掴むと、ティンクはリルルを引き寄せ自分の股の間に座らせ、背中から羽交い絞めに抱きしめた。
首筋に息が当たる。髪を撫でられて左肩にひとつに流されてしまう。
自分の鼓動がうるさい。ドキドキしすぎてリルルは目を閉じた。自分の手で顔を覆っても、恥ずかしいのは変わらない。
「リルル、私は15歳になった。」
「おめでとう。私よりちょっとだけ年上になったのね。」
顔を見られなくて良かったとリルルは思った。きっと私は耳まで真っ赤だわ。
「束の間だけどな。今年もリルルから花束とお菓子が贈られてきていたよ。いなくても、そういう手配だけはしてくれるんだな。」
それぐらいしかできないもの、とリルルは心の中で呟いた。
ティンクはリルルの首筋を舐めながら、耳元で囁いた。
くすぐったくて、リルルは震えていた。逃げ出したくても、ティンクの腕が自分をしっかりと捕まえている。恥ずかしい。でも、流されてはいけない。今日の私はするべきことがある。
「どうして傍にいてくれないんだ? 社交界デビューだって出来る年になったのに。」
「ごめん、帰ってからちゃんとそういうのには付き合うから、今日はお願いを聞いてほしいの。」
ティンクの吐息に震えながら、リルルはティンクを振り返って見上げた。申し訳ないなと思いながら、伝えるべきことを伝えようと決めた。
「お願い? 私の願いの方が先だろう?」
リルルの顎を掴んで、ティンクは有無も言わさずキスをした。口に割って入ってくる舌に、リルルは溺れそうになる。
ティンクのお願いが何なのか、鈍いリルルにだって見当は付く。でも、今はそれどころじゃない。
こんなことをしている場合じゃないのに。リルルは首を振って体を揺すって、ティンクから逃れようとしても、羽交い絞めに抱きしめられて身動きが取れなかった。
いっそのことまた何かに変身しようかしらと思っているうちに、やっとティンクがキスを止めてくれた。
「ごめん、ティンク。夢を見たの。伝えてほしい人がいるの。」
リルルの言葉に、ティンクは傷ついた表情になった。
「リルル、今日私に会うことを知っていて、私を利用するのか?」
こんな時にそんな事を言い出すなんて、切羽詰まっているのだろうとは思う。でも、あんまりだ。
会えなかった苦しみが解消される喜びも、泡と消える。
ティンクは唇を噛んだ。リルルが手の中にいるのに、リルルはその喜びを手放せと言う。
「こんな時に言うことじゃないことだってわかってるわ。ティンク。急がないと大変なことになるの。でも、それを伝える手段がここにはないの。あなたしか頼めないの。」
リルルはティンクの腕を解いて、立ち上がった。深々と頭を下げて、ティンクに思いを伝える。
「ごめんなさい、ティンク。お誕生日のあなたに頼むことじゃないって判ってるけど、私のお願いを聞いてほしいの。」
俯いて、腕を組み肩を落としたティンクは、黙って床を見つめていた。現実の、王女のリルルは頭を下げない。命令するのが当たり前だからだ。そのリルルが夢の中とはいえ、自分に頭を下げている。
同時に、こんな日でさえ、自分を優先してもらえない絶望を感じてしまう。
なんともいえない優越感と、胸に広がる虚無感に自分を見失いそうになる。
「願いって、何?」
低い酷い声だ。自分の声に驚いて、ティンクは目を伏せた。
「ありがとう、ティンク。」
きっと、怒っているんだろうな。私だって、自分の誕生日に会いに来た人にお願いをされたら嫌だと思う。
でも、ティンクの誕生日になる度に、アーリャが亡くなった日だと思い出す未来になるのは辛かった。
リルルは意を決して、話し始める。
「これからきっと、王都で火事が起こるわ。舞踏会に集まっていた貴族や、大勢の人が亡くなってしまうの。その夢を、お父さまかお姉さまに伝えてほしいの。」
「火事か…、」どうして火事だと言い切れるのだろう。場所も予定も、どうしてわかるのだろう。ティンクはリルルが何を知っているのか知りたくなった。
「お父さまでもお姉さまでもいい。申し訳ないけど伝えてほしい。そうすると…、ティンクは私の特別だとバレてしまうから、迷惑をかけることになってしまう。それでも、伝えてほしいの。」
ティンクはリルルの顔を見て、目を細めて、「特別?」と呟いた。
「あなたは私の特別なの。ティンク。」
じっと考え込んで、ティンクはリルルの瞳を見つめた。
「ああ、こうやって会って話をしていることが、特別なのか。」
「ええ、お姉さまならわかってくれるわ。」
ラウラお姉さまなら、夢の鍵を持つ理由を理解して、察してくれるだろうと思う。お姉さまはコニールの鍵を、手に入れているもの…。
私がティンクが好きなのだと、ティンクも私が好きなのだとバレてしまうけれど、今は人の命を救うことが優先だった。
「…この埋め合わせを本当にしてくれるんだな?」
疑るように、ティンクはリルルを見つめた。
「ええ、何なら今晩、会ってもいいわ。早く寝て貰いたいけれど。」
「分かった。無理はしなくていい。帰国してから会ってくれればいい。」
異国の地で、リルルが自分の為に無理をするのは嫌だった。
「待ってくれるの?」
「ああ、その方が、気兼ねしないだろう?」
無事に帰ってくる約束をしているのだと、リルルは気がついているだろうか。
「ありがとう。じゃあ、伝えてほしいことを言うわね?」
リルルはティンクの前に立つと、いつも父に話すように話し始めた。
「赤い空の、黒い山の、枯れ木の道を歩いていたの。お母さまがお倒れになった日に見たところと同じ山だと思うわ。枯草を踏みながら一本道を歩いて、頂上付近に家を見つけたわ。馬車みたいな小さな家なのに、中に沢山の人が、着飾って入っているのが見えたわ。アーリャやその家族の、シャークス公爵がいて、ボンって音がして、家の中から火柱が上がったわ。私はアーリャって言いながらドアを掴んで叫んだけど、誰も笑ったままで気が付かないで、みんな燃えたの。ドアはとっても熱くて、手が溶けてしまいそうで、アーリャって叫んだところで目が覚めてしまったの。」
やはりリルルは時見の巫女だ。ティンクはこうやって未来を知るのかと納得した。
「…リルル、それはいつ見た夢なんだ?」
「今日の、午後。たぶん、これからそちらで起こることだわ。」
「お母さまがお倒れになった日っていうのは?」
5年程前に女王が体調を崩して公務を減らし始めた頃が、リルルが言う倒れた日の頃だろう。そんな、自分の親の未来まで見るのか…。
「…子供の頃、お母さまがお倒れになる日に見た夢と同じ世界だったの。たぶん、あれは凶夢だわ。」
凶夢はよく見るのだろうか? こんな夢ばかりみていたら、そりゃいくら寝ても寝足りないだろう。リルルが顔色が良くない日にはそんな理由があったのか…。
まさか、私の部屋で見ていた夢は、戦争の夢なのだろうか。時期的にちょうど辻褄が合う。
あんな真っ青な顔をして、今もリルルは異国の地で夢を見ているのだろうか。
「…いつも、こんな夢を見ているのか?」
「いつもじゃないわ、時々よ? 未来を見ているだけの夢の方が多いわね。」
リルルは正直には答えられなかった。夢にもいろいろあるのだとは言えなかった。ティンクの表情は暗くて、本当のことが言える雰囲気には思えなかった。
「お父さまや宰相たちが、いつも謎解きをしてくれるから、私は見た夢を伝えるだけなの。」
「もしかして、そうやって知った未来を今までも変えてきているのか?」
謎解きをして、対策を考えて、実行しているヨハネス殿下は、評判以上に優秀な人物なのだとティンクは評価を改めた。戦争回避は、彼なしではできなかったかもしれない。
「私はどういう対応をするのかは教えてもらわないもの。謎解きをして未来を変えるために最良の方法を考えるのが、お父さまたちの役割だわ。」
「シャークス公爵家…、8大公爵家のひとつが関わっているのなら大ごとだな。」
ア-リャのシャークス公爵家やマックスのグロケット公爵家、アルフレッドのティリニー公爵家や大使のセオドアやゼノンのピフルール公爵家、タッドリーのフォイラート公爵家は、王族に次ぐ権力者たちだった。
リルルたち王族からすれば大なり小なりで30近くいる公爵のうちの誰かという感覚だったけれど、さすがに侯爵家出身の貴族の立場のティンクからすると公爵の中でも格が違うのだろうと、ティンクの顔色からリルルは理解した。
「貴族の屋敷が火災の被害にあうと、周辺の家にも飛び火してしまうわ。だから、お願い、お父さまにお伝えしてほしいの。」
リルルは俯いて、指を組み合わせた。
「あなたは特別なの。だから、本当は頼みたくはないわ。あなたのことは秘密にしておきたい…。」
自分はリルルから特別だと思われている。自分を、リルルは特別だと言った。
ティンクは胸がいっぱいになった。沢山いる婚約者の中でも、私は幸せだ。
何よりの誕生日祝いだと思った。
ティンクは立ち上がり、リルルを抱きしめた。
「リルル…。判った、」
腕の中のリルルは、自分を特別だと言ってくれた。
「すぐにお城に向かって発つよ。私の誕生日に多くの人が死ぬのは、嫌な思い出になるからな。」
「ごめんね、ティンク。」
リルルはティンクを抱きしめて、唇を合わせた。たった2か月会わなくても久しぶりのティンクは遠い誰かのようで、リルルの知らない顔をしているように見えた。
ティンクはリルルの頬を撫でて、名残り惜しそうに囁いた。
「今日はリルルを抱く予定だった。」
「は?」
一瞬にして耳まで真っ赤になって、リルルはティンクを見つめた。なんとなく察していても、言葉にされると恥ずかしい。
「そ、そんな願望、口にしないでよ。」
「私の誕生日なのだから、何をしてもいいだろう?」
現実ではできないことをしたっていいだろう? とティンクは思う。何しろここは、夢の世界だ。
「わ、私はまだ未成年だから、そ、そういうのはまだ早いから。」
「ここは夢の世界だ。年齢なんてあってないようなものだろう?」
ふるふると首を振って、リルルは俯いた。
「現実で体験したことのないことを、先に経験したくないわ。」
「私はそれでもいいのだけれどね。」
そう言って、ティンクはリルルを手放すと、優しく背中を押した。
「リルル。私は起きてやることがある。先に帰ってほしい。」
「ありがとう、ティンク。お誕生日おめでとう。一緒にお祝いできなくてごめんね。」
顔を引き締めてお礼を言うと、リルルは手を振って、廊下の向こうに見えたドアを目指して歩き出した。
「ああ、そんなことは大したことじゃないさ。」
リルルの気配が消えた。また、掴みかけた手の中から、リルルが消えた。
「一緒にいてくれないのは、毎年のことだろう?」
ティンクは小さく呟いて溜め息をついて、自分の頬を叩いた。
起きたくないけれど起きなくてはならない。起きたらリルルからの伝言を伝えにいかなくてはいけない。
惚れた女の頼みを断ることなんてできないだろ、しっかりしろ、ティンカード! 男だろ!
これからすることを思うと気が重い。それでも自分を励まして、目を覚ました。
ありがとうございました




