46、心を縛るもの
「ブルーノ殿には婚約者はおるのか?」
ブルーノの顔を眺めていた国王が尋ねると、ペンタトニークが代わりに答えた。
「リルル様の姉君のラウラ・クリスティーナ様と婚約がありましたが、この前破談となりました。この国で理想の花嫁を見つけたと、私には申しております。」
「ほう、ブルーノ殿はもう見つけたのかね?」
ニヤニヤと国王はブルーノとペンタトニークを見た。国王はブルーノの婚約がどういうものだったのかを知っている。知っていて、お守りの婚約がなくなった後どうするのかを聞いているのだ。
ブルーノは自分の覚悟を試されているとは知らず、嬉しそうに答えた。
「はい、良き姫が見つかりました。叶うことなら我が国に連れて帰りたいと思っています。」
自信に満ちた表情で、ブルーノは不敵に微笑んだ。
良き姫って誰? リルルは内心首を傾げる。
ローズは姫と言える立場じゃないし、私でもない。この国の王太子のミカエルには姉と妹がいるはずだけど、ゲームで彼女たちはブルーノと絡みはなかったと思った。
まさかシャーロットじゃないよね? 彼女なら公爵の娘だから、ペンタトニーク公の息子のブルーノとは爵位が同じだった。つまり、姫ともいえる。まさか、ね?
「ほほう。その姫は手に入りそうか?」
「心を手に入れている最中でございます。」
「我が国とそなたの国の結びつきが深くなることは素晴らしい。予に応援できることがあれば言ってみよ。可能な限り叶えてつかわす。」
「では、シャーロット嬢との婚約を認めていただきたいです。」
「は? はい?」
シャーロットは驚いてブルーノを見た。ブルーノはシャーロットを見て、優雅に微笑んだ。
若さって素敵、とリルルは美丈夫なブルーノを見つめた。
婚約者を横取りしようだなんて、よほど自信がないとできない。しかもその相手はこの国の王太子だ。国同士の喧嘩をしようと言っているようなものだった。
しかもブルーノは分が悪い。ラウラお姉さまという後ろ盾をなくしたばかりだ。本人はそれに気付かず、武装のない状態で戦おうとしている。
リルルの国という後ろ盾があるから、ペンタトニークは海運王と呼ばれているのに。ブルーノの今の自由があるのに。
手を貸す気のないリルルは、じっと黙って様子を伺っていた。
「今シャーロット嬢の婚約しているお相手との婚約破棄を、国王陛下の御力添えを頂いて、勧めていただきたい。」
ペンタトニークが力強く言った。
内情を知っているだけにリルルは愚かだなと思ったけれど、こうなってしまってはペンタトニークのおじさまもブルーノを後押しするしかないのだろうなと思う。
シャーロットはびっくりしているようで震えているように見えた。
巻き込まれてかわいそうに、とリルルは思った。本人の意思と関係ないところで恋の鞘当てって野暮だわ。
シャーロットはゲームの世界だと、本人に非があって婚約破棄になっていた。
「そなたはシャーロット嬢の心を手にしたと言うておるのか。」
国王は面白そうにびっくりした様子で言った。
「まだ手に入れておりません。でも、既に婚約しているという事実が彼女の心を縛っております。その縛る枷が無くなれば、私の元に心を差し出してくれるものと信じております。」
シャーロットは眉を顰めて気丈にも顔を上げている。
ブルーノにそんな風に言われても靡かないなんてシャーロットはミカエルに一途なんだわ、と感心したリルルは、あれ、私ってどっちの味方なんだろうと混乱し始めてしまった。
心を縛るとか枷とか、親に婚約破棄を勧められるとか、ミカエルとシャーロットの婚約って、あんまり周りに歓迎されてないのかしら。
リルルは、ゲームのシナリオ通りになってもつまらないけど、ここまで祝福されない婚約も哀れだわと思えてきてしまう。
ミカエルはちっこいし可愛いし男性として雄々しい感じはしないけれど、そういう男性が好きな子だっているだろうし、少なくともシャーロットはそういう子が好きみたいだもの。ブルーノみたいに美丈夫じゃなければいけないなんて決まりはないだろうし、いいと思うけどなあ…。
リルルが自分がシャーロットの婚約破棄の為に呼ばれているのだという立場を忘れて、シャーロットに同情してしまった。
「なるほどのう。心を縛る枷か。」
国王やブルーノたちのやり取りや表情の探り合いに、シャーロットが気の毒だわ、とリルルは思う。彼女自身はブルーノの愛を聞いてもちっとも嬉しそうには見えなかった。どっちかと言うと困っているようにリルルには見えた。
「そうか。わかった。今度一度、ミカエルにも聞き取りをしてから、婚約を破棄し解消とするかを決める。それまで待たれよ。そなた達の意見も考慮しよう。宰相、書き留めたか?」
「大丈夫でございます、国王陛下。」
誰もローズの名前を口に出さないのね。ローズってみんなに愛されるゲームのヒロインじゃないの?
ローズが絡まなくても普通に婚約破棄の展開って、ますますゲームとはかけ離れているわ。
唇を噛んで床を見つめたミカエルは、シャーロットを見ないままだった。
切なそうにミカエルを見つめるシャーロットの顔を見て、国王は宰相に聞こえる程度の小声で、「ますます哀れよのう、」と呟いた。
リルルもシャーロットが気の毒に思えてきた。ミカエルのこと、好きなんだろうなあ…。
宰相も「いかにも。」と、シャーロットとミカエルの顔を見ながら答えた。
「シャーロット嬢、長々と引き留めて悪かったな。もう下がっても良いぞ。」
国王が詫び、リルルたちには退室を勧めた。
「では皆の者、また良い知らせを持ってまいれ、」
ミカエルがやっと、シャーロットを見て微笑んだ。シャーロットはほっとした表情を浮かべて、部屋を出る列に加わった。
リルルは、祝福されない恋をしているシャーロットがかわいそうで、ブルーノがシャーロットの邪魔をしているように思えた。
ゲームでもシャーロットはミカエルに恋をして、婚約者のミカエルが選んだのが婚約者の自分ではなくローズだったことに心がついていかなくて、嫉妬に狂って嫌がらせをした挙げ句婚約破棄をされて、悪質すぎる嫌がらせが原因で断罪され絞首刑になっていた。
リルルの目の前にいるシャーロットは、普通にいい子で、優しい性格に思えた。
ミカエルは私と婚約しなかったわ。ゲームと違うのかも、と、リルルは口を尖らせる。
婚約できていたら、シャーロットはすんなりブルーノと婚約できたかもしれないけれど、果たして喜んだのかな。
シャーロットはブルーノを選んだのかしら。とてもそんな風に想像できないわ。
ミカエルを一生懸命見つめているシャーロットは、ブルーノを選ばないようにリルルには思えた。
ちらりと国王を見ると、リルルに向かってにやりと微笑みかけてくれた。リルルもにっこりと笑って、声を出さずに、ごきげんようとこの国の言葉で別れを告げた。
公爵が先頭を歩き、エリックとリルルの後に続いて謁見の間を退室しようとしたシャ-ロットの傍にするりとやってきたブルーノが、手慣れた手つきで手を握りエスコートしていた。
本当に心を手に入れている最中なんだわ、とリルルはブルーノに感心してしまった。でもきっと、シャーロットは心を既にミカエルに捧げていそう…。
謁見の間を出て控えの広間へと向かう最中、ゼノンがリルルに「面白かったですな、」と母国語で囁いた。
「本当にこの国の貴族は、命知らずと申しましょうか。大国の王族は教養として多国語を学ぶということも知らないのですな、」
シャーロットが?と言いかけてリルルは、ゼノンの言葉にホッとする。
「ふふ、あなたのあの演技も面白かったわ。もう笑いを堪えるので大変だったわ。」
「あの通訳は割と優秀でしたな、私が面白がって言った言葉も、うまく綺麗にまとめていましたからな。」
「国王陛下も笑いを堪えるので大変なご様子でしたね、面白かったわ。」
リルルたちの会話が理解できないエリックは、ちらりと不快そうにリルルを見た。
「ごめんね、そろそろ黙るわ。この国の人には私たちが面白がっているのが不快みたいだわ。」
リルルはにやりと笑って、ゼノンを見つめた。
※ ※ ※
控えの広間に戻ったリルルたちは、この後の予定を確認する公爵たちの出方を待つことにした。ブルーノはシャーロットの機嫌を直そうと必死なのか、甘い言葉を囁き優しく微笑みかけている。
シャーロットは不機嫌そうではあるけれど、公爵令嬢としてなのか、周囲の者にマイナスの印象を与えるような仕草や表情は見せなかった。育ちのいいきちんとした子なのね、とリルルは感心しながら見ていた。さすが悪役令嬢、彼女が完璧だったからこそ、平民出身でマナー違反を繰り返すローズといがみ合う展開が面白かったのだわ。
でも…、このシャーロットは普通にいい子なのは、どうしてなのだろう。ちっとも高圧的な態度ではないし、ちっとも口うるさい印象もない。どうしてこんなに性格が違うのか、理由に見当がつかない。
ブルーノに対してシャーロットは優しくて、さっき見たちっこいミカエルよりお似合いに見えた。でも、見えるだけで、彼女が望んだ未来と違うのだとしたら…。
お姉ちゃんに聞いていたのより現実のミカエルは残念だった、とリルルは思い返す。いくら綺麗な顔でも、自分よりちっこくて可愛いなんて嫌だなと思った。
出来ればリルルより背が高くて、かっこよくて賢くて優しくて優雅で…。心に思い浮かんだのはミーシャではなかった。父のヨハネスの顔が思い浮かび、あれ? とリルルは何度も目を瞬いた。
「シャーロット、お昼ご飯、まだだろう? 僕の両親と君の家族とで公爵家へ一度帰って会食することになっているんだ。」
ブルーノの提案に、リルルはもしかして私たちもそれに合流するのかしら、と思った。
シャーロットは、公爵夫妻とリルルたちをちらりと見た。
エリックと手を重ねたままのリルルに、大使のゼノンが話しかけた。
「この後、リルル様はどうされるおつもりで?」
「ちょっとかくれんぼが待ってるの。面倒な人に追いかけられているからね。」
念の為、リルルは遠く東方の国の言葉で返事をする。今この場には遠く東方の国の言葉を理解できるものはいないだろうとリルルは思う。何しろ正常な国交がないと、ヴァルターが昨日教えてくれたばかりだった。
ゼノンは大使という仕事柄、母国語以外にもいくつかの言語を話すだろうとリルルは見当をつけていた。
「ああ、」
遠く東方の国の言葉で答え、ゼノンはちらりとあたりを見回した。遠く東方の国絡みの人影は見当たらなかった。
「ラウラ様絡みの逆恨みですかな?」
通訳が二人の様子を伺っていた。少し眉をあげている。リルルたちが母国語ではない言葉で話し始めたのに驚いている様子だった。
「似たようなものね。」
既成事実を作って結婚を迫られている、とは言い難い。
「お気を付け下さいませ。私も出来る限りは足止めをいたしましょう。」
「恩に着るわ。こんな状態だからきちんと言えないかもしれないから、先に言っておくわね。ゼノン様、また会う日まで、ごきげんよう。」
「ええ、リルル様、無事のご帰国をお祈り申し上げます。」
ゼノンは、「いざとなれば私にお任せ下さい、」と優雅に微笑んだ。
公爵夫妻は、リルルと大使の隣に立って不快そうな顔をしているエリックに、リルルにはこのまま公爵家に滞在してもらう約束があるのだと説明していた。王都での宿泊場所の提供を条件に、国王陛下に謁見の同席を頼んだのだと説明している。
エリックは納得がいかない様子で、「断ることは無理なのか?」と聞いていた。
「無理だよ、エリック。この方は一国の王女だ。無理を言って私達に協力して下さったのだから、それ以上の礼を尽くさないと、この先の貿易にもかかわる。」
ひそひそと声を潜めて話していても、私は言葉が理解できるし意味ないんだけどね、とリルルは思いながら聞いていた。
「そんなもの、ペンタトニーク公がいるのでは? お父さま?」
「この方がいらっしゃるから、ペンタトニーク公の船は自由に交易が出来るんだ。」
実際、ラウラとの婚約が解消されてしまったブルーノには、後ろ盾がいない状態になっている。今はリルルがその代わりを一時的にしているだけだった。公爵の方がブルーノより状況を理解しているのね、とリルルは感心した。
「もしかして、もう決まっていることなのですか、お父さま、」
「ああ、お前の婚約は想定外だったけどな、」
そう言った公爵から、エリックは気まずそうに視線を逸らした。
リルルは顔をあげて、他の者の様子を観察した。
何かをシャーロットがブルーノに囁いている。
ブルーノはリルルたちを見て、「ああ、どうやら大使は王女と次の訪問国へ向かいたいようだけれど、リルル王女がもう少しこの国を見学したいと言ってるみたいだね。」と答えていた。
ブルーノがしれっと嘘を教えている。リルルは思わず目を見開いて反応してしまった。ブルーノはリルルとペンタトニークと公爵との間で行われた取引を知っているのだろうに。変なの、と思ってしまう。
「そう。この国で泊まるあてはあるのかしら。」
心配そうなシャーロットの様子に、リルルは、この子、やっぱりいい子かも知れない、と思い始めていた。
「たぶん揉めてるのはそこだよね。」
ブルーノは肩をすくめた。
「大国だから借りを作りたくないけど、貸しを回収したいところなんだろうな。うちの親の持つ別荘がいくつでも他の国に行けばある。この国にもいくつかあるけど、今、王都の別荘は親が泊まって使ってるんだ。」
「だったらうちに泊まればいいわ。私はあの人、好きよ?」
リルルは思わず、私も好きよ、シャーロット、と母国語で呟いた。困っている異国の王女を助ける親切な公爵家の令嬢、が彼女にはぴったりだと思う。決して悪役令嬢には思えなかった。
「シャーロットがそう言っても、エリックがいるからダメなんだろうね。一応婚約が成立した間柄だから。」
ブルーノは不思議なことを言い出した。婚約者の屋敷に泊まってはいけないなんて、リルルは知らない。きょとんとして聞き耳を立てる。ブルーノは何を言っているのだろう。
「いろいろ大変なのね。」
「何しろ海の向こうの国だからね。この国と文化に違いくらいはあるよ。」
ブルーノは何を考えているのだろう。ただ、シャーロットには本当のことを教えないつもりなのだということだけは分かる。
「私も、ブルーノと違う国の人だわ。」
「そうだな。何から教えればいい?」
ブルーノはシャーロットしか眼中にない様子だった。人前だというのに、シャーロットの顔を両手で包み、瞳を見つめた。
ブルーノが甘い、甘すぎる。付き合いが長いだけに、リルルは鳥肌が立つ思いがした。
「愛の言葉がまず先かな?」
「そういうのは恥ずかしいからやめて。」
シャーロットはブルーノの腕をとんとんと叩いた。
こんなところなのに、堂々とブルーノがいちゃいちゃしてるわ。
ブルーノは距離を詰めたままシャーロットを見つめ優しく微笑む。
「ご飯食べに行こう、ブルーノ。一緒に行って、リルル様と一緒にご飯を食べようって誘ってみようよ?」
シャーロットの言葉に、ブルーノは「シャ-ロットは優しいね、」と頷いた。
二人の甘い世界に、これは本当にミカエルよりお似合いかも、とリルルは思ってしまった。
シャーロットって優しくていい子だわ。ほんとに悪役令嬢なのかしら。こんないい子なのに婚約破棄をさんざん親や周囲から囁かれているなんて、ほんと、変なの。
※ ※ ※
リルルたちはブルーノやペンタトニークたちと一緒に、公爵の王都の屋敷へ向かった。ゼノンが連れてきた大使専属の通訳はひょろりとしていていかにも真面目そうだった。
公爵邸では、使用人たちにリルルがあまり歓迎されていない様子なのはなんとなく伝わってくる。公爵はいったいリルルを何と言って使用人たちに紹介しているのだろうかと気になってしまう。
まさか自分が、侍女たちに『お金を出すのがもったいないから、ペンタトニーク公主様の別荘を渡り歩く旅行をされている王女様』と噂され、『あんなに可愛らしい女性なのにとても計算高い』と感心されているとは思ってもいなかった。
昼食会の開かれる広間にはテーブルがすでに用意されていて、人数分の椅子もカトラリーもセッティングが終わっていた。
シャーロットにはリルルがわがままを言っていきなり宿泊するような事態を告げているのに、人数分の昼食の用意や宿泊の準備がされているなんて、どう考えたって、みんなでシャーロットを騙しているようにしか思えなかった。
そうか、シャーロットは婚約破棄を望んでいないけど、周りはそのつもりがあって、リルルは婚約破棄に必要な駒だってことね。公爵家の息女のシャーロットに勝てる身分の未婚の令嬢はそうそういない。
上手くみんな、私を利用するものね、とリルルは感心していた。後腐れなく利用するには、異国の王女のリルルはちょうど都合がいいのだろう。
ゲームでこんな展開はなかったはずだけど、婚約破棄する方向だけは同じなのね、とリルルは納得した。
ありがとうございました




