36、人は見かけによらぬもの
ペンタトニークの船は予定通りに出港した。
船長室に呼ばれて、ペンタトニークと船長と航海士らとともに、海図を眺めた。ペンタトニークがリルルの母国の言葉で指で港を指し示しながら、大まかな予定を話してくれた。
「リルル様の国から、海洋上に飛び石のように存在する皇国の小さい島々を渡り、船は中央の大陸にまず向かいます。一度中つ国に入国し、一週間から10日程滞在する間に、リルル様に面会希望の貴族と会食する予定にしています。」
いよいよゲーム絡みの誰かが接触してくるのね、とリルルは思った。きっと、ミカエルルートの関係者なんだろうな…。何しろ私は、ミカエルルートの最後の悪役だもの。
「その後私の国へ行きしばらく過ごした後、10月には遠く東方の国へ向かい、ヨハネス殿下の指定日の10月5日からの一週間程滞在します。あとは、中つ国を目指していくつかの国や港を寄り道しながら旅を続け、10月末から11月の建国記念日にかけて10日を目安に中つ国で滞在する予定ですね。」
話を聞きながら、父が言っていた通り、リルルの希少性を利用していくつか商談を進めるのだろうなとリルルは思った。だから、途中何度もいろんな港に寄るのだろうなと思う。
ペンタトニークの船には、一時的にリルルの母国の国旗が一緒に掲示されていた。王族のリルルが乗船しているという証だった。それだけで、寄港先での船に対する扱いは変わってくる。巡視船が警備を兼ねて自主的に近い航路を航行し始めるし、持ち込む積荷の確認も緩くなり、自国だけの時より許可される商品が増える。
ただより高いものはないってことね、とリルルは思った。これが自国の船なら、経費はかかってもリルル優先で進むのだろう。
「おじさま、しばらくお世話になります。私に会いたい人がいるのなら、可能な限り会いますわ。」
恩を売るのも、必要なリップサービスなのだろうなとリルルは思った。
ペンタトニークはニヤリと笑った。
ラウラの婚約者が決定することを想定して、今度はリルルの恩恵を使ってしばらくは海の覇権を握るつもりだった。遠く東方の国の影響下にいるよりも、リルルを利用した方が融通が利いたのだった。
どの国でも人気で品薄のトリュフを一手に扱わせてくれると言うのも、価格の調整をペンタトニークが握れて大きな旨味だった。リルルに自分の商会の商品を身に着けてもらって宣伝出来れば、さらに旨味は増すだろう。
リルルは話がわかる子だと思った。欲張ってはいけないと自覚していても、ブルーノの妻にリルルを選べば良かったのにと、今更なことも考える。
「ついでに通訳も頼みたいわ。おじさま、いいかしら。」
「どうしてですか? リルル様は綺麗にお話しされていますよ?」
リルルがそこそこ多言語を話せることを知っているペンタトニークに、リルルは上目遣いにお願いした。
「おじさま、お願い。リルルはお話も出来ないし聞いても理解出来ないってことにしてほしいの。その方が、お父さまからのお仕事がしやすいと思うの。」
「ヨハネス殿下からのご依頼は、書簡を届けることと建国記念日の行事に出席すること、の2点でしたな。」
「ええ、話せると判ると、面倒事を持ち込む人が必ず湧いて出てくるわ。私の裁量で捌ききれる自信はないもの。」
「…わかりました、そのように取り計らいましょう。他に何か、お寄りになりたい場所とか、ご希望はありますか?」
「特にないわ。もう船に乗っちゃったし、お任せするわ。」
ペンタトニークは苦笑いをしている。
「細かいことは私よりもクグロワたちが得意だと思うわ。では、旅の間、よろしくお願いします。」
「心得てございます。リルル様がご同行いただけるだけで、随分と違いますから。」
「クグロワ、調整や細かいことは任せたわ。いいかしら。」
「はい、リルル様、お任せを。」
リルルに付き添ってサミラも船長室を出てしまうと、事前に調べておいたメモを見ながら、クグロワは細かい日程や行程を質問し始めた。
※ ※ ※
リルルが寛ぎサミラが片付けをする船室に、クグロワが帰ってきた。隣には頭のよさそうな青年を連れている。背が高く、鍛えているのか体に厚みがあり、青緑色の瞳は少したれ目で甘い顔立ちをしていて、くせっ毛の長めの金髪で、仕立てのいいスーツを着こなす洒落た印象の青年だった。
「あら、ロック・ファニークじゃない。」
リルルが懐かしそうに名を呼ぶと、クグロワはちっと舌打ちした。今、舌打ちしたよね! サミラは驚いて目を見張った。王女様に舌打ち!
「リルル様、お久しぶりです、今回の旅行は私が護衛兼執事として、ペンタトニーク様との仲介役をさせていただきます。」
ぺこりとお辞儀をしたロックに、リルルはにやにやとクグロワを見た。どうやらリルル様とクグロワとは顔見知りみたいね、とサミラは思う。
「私はクグロワに調整役をお願いしているの。こちらこそお願いね。」
「それはそれは。畏まりましてございます。」
ロックは嬉しそうにクグロワを見つめる。当のクグロワは、視線を逸らして仏頂面をしている。
「クグロワ、今ならサミラと交代してもいいわよ? どうする? お願いしてもいい?」
「大丈夫です。私にお任せください。」
クグロワは不満そうに、でもはっきり答えた。
何かありそうな人間関係に一瞬不安そうな顔をしたサミラに、リルルは「大丈夫よ、サミラ、」と微笑んだ。
ロックはクグロワの手を取り、甲にキスをすると、じっと瞳を見つめて、「よろしく、クグロワ、」と囁いた。二人の距離感はとても知らない仲には見えなかった。
「こちらこそ、よろしく、ファニーク様、」
クグロワが柔らかく微笑むと、ロックは見開いて固まり、ゆっくりと「ああ」と微笑んだ。
部屋を出て行ったロックの気配が廊下からも消えるのを見計らって、クグロワはドアに鍵をかけた。ちっとまた舌打ちしている。
「今の方、リルル様もクグロワもご存知なのですか?」
「ああ、今のは、クグロワの昔の彼だったよね?」
リルルがこともなげに言うと、クグロワもさらりと「ええ、若気の過ちでしたの、」と澄まして答えた。
「若気の過ちなんて言いきっちゃうんですか?」とサミラがつい尋ねてしまうと、気まずそうに一瞬黙った後、クグロワは「子供が出来たら結婚するつもりでしたわ、」と笑った。
「えええええ?」
サミラは、クグロワはそういう行為に縁のない品行方正な貴族の女性だと思っていたので、思いっきり驚いてしまった。良くも悪くも、クグロワはリルルのお母さんのようにサミラには見えていたのだった。
リルルは遠くを見つめ、懐かしむようにクグロワに尋ねた。
「あれは…、最初の旅行のときのガイドをしてくれたんだったっけ?」
「ええ。私、あのあと何度か王都で再会して、運命だと勝手にも思い込んでしまいました。」
クグロワは懐かしそうに笑った。リルルも思い出すものがあるのか、目を細めた。
「すっごい入れ込んでたよね。あの時は、結婚しちゃうのかと思ってた。」
「まさかペンタトニーク公の腹心だったなんて、考えもしないほどのめり込んでいましたわ…。勢いとはいえ、うっかり体を許してしまったくらいですからね。」
「えええええ!」
くすくすとリルルは「サミラ、さっきから顔の色がころころ変わって面白いね、」と笑った。
子供って! クグロワ、あなた女性でしょ、貴族でしょ? 結婚なしにそんなことって!
確かに婚前子は認められてはいるけれど、婚約もしてない相手とそういうことしちゃうの?
思ってはいても声にならないサミラは口をパクパクとさせた。
「子供も出来なかったし、それっきりの御縁でしたから。今、この通り働いてるから。大丈夫よ、サミラ。」
サミラの顔を見てゆっくりと微笑み、クグロワは平然としている。
「クグロワは、未練などなかったのですか?」
「私、ペンタトニーク公の国までついていく根性ないもの。」
「それもそうですね。私も無理かもしれません。」
お城で働く生活は捨てきれないだろうとサミラは思う。リルル様のお傍で、姉や親しい先輩たちに囲まれて働くのは楽しい。仕事自体も自分に合っている。ヨネアも可愛い妹の一人と思っている。
今の環境を捨てて遠い異国の地へ嫁ぐのは、確かに躊躇う。
「ロック・ファニーク様は、今は御結婚されているんですか?」
「ん? してないんじゃないかな。してたら、指輪を嵌めているでしょう? あの国の人は既婚者のしるしを付けなくてはいけないから。」
クグロワが黙ってしまったのでリルルが答えると、サミラはリルル様って博識、と思った。
「ペンタトニーク公の国のしきたりで、結婚している者は、必ず左手のどこかの指に指輪を嵌めなくてはいけなかったと思うわ。全部の指でもいいし、どの指でも本人たちの意思で選ぶことが出来たはずよ?」
クグロワはうんうんと頷いている。
「左手に財産の全部を持って歩く国、とも言われているから。」
リルルの言葉に、サミラは今度ペンタトニーク公の左手を観察してみようと思った。
「案外、クグロワのこと、待ってるんじゃないの?」
にやりと笑うリルルに、クグロワは明るく笑って訂正した。
「大丈夫です。あの人、モテますから。私はいつか、結婚式に呼んでもらっちゃったりするような気がしますよ?」
さすがにそれはないわ~、とサミラは思った。
「体を許すような関係だった女性を、結婚式に呼ぶ男なんて最低です、」とサミラがきっぱり言うと、「若いって素敵ね、」とクグロワは柔らかく笑った。
※ ※ ※
一度、中央の大陸にの港に上陸した後、海沿いに進み、いくつか港を経由して中つ国の隣国の港に入った週末の土曜日は、ちょうど、昼間の青い空に白い満月が浮かんでいるのが見えた。
あ、今日だったのかなとリルルは空を見上げて思いながら、ペンタトニークとこの国の貴族と昼食会をして、また船に乗った。
明日には中つ国の海域に入ると聞いて、リルルはワクワクしながら眠りについた。
瞼を閉じていると、グロケット領の港でマックスが願った、満月に祈る話を思い出した。
そっか、私、鍵を持ってるから会いに行けるんだわ、と悪戯心を起こしたリルルは、会えなかったら帰ってこようと心に決めて、夢の世界へと旅立った。
マックスの赤銅色のしっかりとしたカギを手に握って、部屋へと続く階段の道を駆け上っていくとドアが見えた。時差はどのくらいなんだろう。さっき寝る前に見た時計は10時だったわ…、まさか同じ時間とは思えないし、と思いながらリルルがカギを開けてドアを開くと、そこはどう見ても書斎だった。
マックスって筋肉馬鹿じゃないのかなと失礼なことを考えながら、リルルは窓辺で本を読む人を見つけて近寄った。よく見れば現実よりもほっそりとしたマックスが、ゆったりとしたソファアに深々と座ってとても分厚くて大きな本を読んでいた。高等学校の制服を着ていて、上着をソファアの背に掛けシャツの袖をまくっている。
リルルが現実で触らせてもらった筋肉など感じさせない体形で、細マッチョでもなく、しなやかな印象だった。ああ、細身ですらりとしたマックスのお父さまに似ているんだわ、とリルルは思った。夢の中でのマックスは、体を鍛えることよりも、学ぶことの方が好きなのだろう。
「マックス?」
リルルが声をかけると、現実よりも怜悧で知的な表情を浮かべたマックスが、目を細めてリルルを見つめていた。何かしら?と思って自分の着ている服装を見ると、初等学校の臙脂色の制服を着ていた。
「リルル、どうしたんだ?」
「今日は満月でしょう? 会いに来たのよ?」
リルルがマックスのすぐ傍の大きな机に腰かけて、マックスを見つめると、手にしていた本を伏せて机に置いた。
「おいで、」とマックスはリルルを膝の上に跨らせて、腰を抱きしめる。
リルルが履いているスカートが下着のギリギリまで捲れあがって、リルルは慌てて裾を手で伸ばした。
「私は今日は公務で王都から移動中だ…、もうじき夕刻になるなと思いながら窓の外を眺めていて…、月を探しているうちに馬車の中で、うとうとしていて眠ったようだな…、」
ということは、今夕方くらい? 5時間から6時間の時差があるのかな、とリルルは思った。
「その本は何の本?」
リルルはマックスが表紙を伏せておいた本を指さした。
「ああ、医療の本だ。私は子供の頃、医者になりたかった。」
「なりたかったの? ならないの?」
「リルルが言っただろう? 向こう3年は学ぶための時間だと。私もその時間で学ぼうと思いなおして、士官学校か師範学校へ進学を考えている。」
王都にある士官学校へ進学すると、軍隊の将校への道が開ける。もちろん軍医になる可能性も広がる。
「お医者さんになるの?」
「なれたとしても実際にはならないとは思うが、領主として、知識はあった方がいいだろう?」
「そうね、とっても素敵だと思うわ。」
いつもなら見上げているのに、少し見下ろすような高さで、リルルが尊敬の眼差しでマックスを見つめると、マックスは愛おしそうに目を細め、リルルの顔をゆっくりと撫でた。
「会いたいと願えば、会えるのだな。」
「これは夢だし、願えば叶うこともあるんじゃないかな。」
夢の鍵を使っていることがバレないように、慎重に言葉を選ぶ。
「君の顔は、満月よりも美しいな。」
「ふふ、照れちゃうからやめて?」
照れ笑いをしたリルルに、マックスは頬を寄せて、ゆっくりとキスをした。夢の中でもマックスは熱いんだわ、とリルルは思った。
「君がいれば、暗い夜も明るく暖かくなる。傍にいてほしい、リルル。」
リルルは照れながら、マックスの頬を両手で包み込んだ。現実で見るよりもハンサムなんだね、と手で撫でた。体を鍛えないで勉強ばかりして育っていたら、現実のマックスはこんな風になっていたのかもしれないなと思う。
「マックスはとってもかっこいいね。そうやって愛を囁けるところとか、すごく、かっこいいわ。」
「当たり前だ、愛した女に気持ちを伝えているだけだからな。リルル、君が恋しい。」
リルルは耳まで真っ赤になって、頬を染めて顔を背けた。
夢なのに初々しい反応をするんだな、とマックスはくすりと笑うと、ちゅっちゅとリルルの耳や頬に口づけをした。
現実のリルルに同じように愛の言葉を伝えられたら、何かが変わるだろうか。
またこの前のように、はぐらかされてしまうのだろうか。夢の中だけでも、自分だけのリルルでいてほしい。
「マックス、そろそろ恥ずかしすぎて溶けてしまいそうなんだけど。」
あなたが熱すぎて困ってしまうわ。照れたリルルが熱を感じて制服の上着を脱ごうとのけ反ると、マックスが脱がせてくれ、そのまま上着を机の上に放り投げた。
「まだ私はリルルを溶かしていないはずだが?」
リルルの腰を抱えたまま、白いブラウスのボタンを上から片手でそっと外していく。マックスは、目の前のリルルの胸の谷間に唇を寄せた。
「もう充分です、この手を離して、」
息がくすぐったい、リルルは身を離そうと腰を浮かせた。
「まだだ、」
マックスはリルルを捕まえ深くキスすると、リルルを抱えなおして、膝を広げた。リルルが股の間に落ちてくる。首にしがみつくようにリルルが背を丸めると、耳元で甘く囁く。
「この方が、リルルの顔を真正面から見られるな、」
「は、恥ずかしいよ、マックス。」
男性の股の間に足を広げ跨いで座るなんて、王女のリルルの生活ではありえない体勢だった。
「可愛いよ、リルル。照れた顔も可愛い、」
リルルを抱きしめて、マックスは首元を強く吸った。真っ赤になって照れるリルルは、目を合わせようともしない。
やはり、現実で会う時のような反応だ。
いつも見るような夢のリルルなら、もっと官能的で蠱惑的に反応して挑発してくる気がするのだが…?
「君に会えるなら、毎晩月に願わないといけないな。」
今この手の中にいるのは現実に近いリルルだ。いや、現実のリルルにしか思えない。
「夢だから、ここはあなたの夢の世界だから。」
言い聞かせるような物言いに、マックスは違和感を感じて、意識して二人しか知らない話を始めた。リルルの様子がおかしいなと思えてならない。
「そういえば、港町の海鮮やの女将が、わざわざ王都まで、私に会いに来ていたぞ。」
「わざわざ?」
マックスはリルルにキスをしながら話している。リルルが身を捩ると、きつく抱きしめてくる。
「なんでも、あの海鮮団子がよく売れて、連日大行列で手に負えない程、売れているらしい。いっそのことと、隣の店も買い取って食堂も始めるそうだ。団子と、酒と、炭酸水だけしか売らないそうだがな。」
そんな報告だけに来るわけないだろうな、とリルルは思った。あの女将はそれだけの関係では満足しない気がする。
「次期公爵様と第二王女様の御成婚を領民一同心待ちにしております、と言われた。」
「え?」
「リルルだと、気が付いたようだな。」
ムーっと口を尖らせたリルルの顔を見て、マックスはチュッと口づける。
「…今度から、あの港町で買い食いがしにくくなるじゃない。」
ああ、やっぱり。現実のリルルならこういう反応をするだろう。
「大丈夫だ、歓迎してくれているのだから、堂々と行こう?」
マックスはリルルの目を見つめて言った。
次に会う時、どういう反応をするのか、会話を覚えておかないといけないなと思う。目の前にいるリルルが本物のリルルなら、会った時が楽しみだ。
どういう仕掛けでこんなことになっているのか、調べる必要もありそうだ。
「そろそろ時間だわ、」とリルルはマックスに自分からキスすると、現実ではありえないリルルの行動に油断して手を緩めたマックスの腕を押しやり、「もう帰るね、」とマックスの膝から降りた。
部屋を見回すと、書斎の本棚の陰にドアが見えた。
「リルル、待ってる。また来て欲しい、」
こう言えば、また来てくれるだろうか。マックスはリルルには秘密があると密かに心に留め置いた。
マックスの声にリルルは振り向いて、「また来るね、」と言ってリルルは素早くドアを開けて外へ出た。
ありがとうございました




