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悪役令嬢の歩き方  作者: 高坂千穂
  9月
35/161

35、願いは口に出してみるもの

 マックスが言っていた通り、港は船で混雑していて朝から活気に溢れていた。積み荷の上げ下ろしの人足たちもこの国の人間だけではなかった。いろんな国の言語が飛び交い、そういった者たちに食べ物を売る若い女性たちの華やかな声も聞こえてくる。

 港近くの港町は早朝だというのに人や物が潤っていて、リルルは呆気にとられてしまった。これは朝市ってやつなのかしら。姉リルルの記憶が蘇る。これは、テレビで見た大みそかの横丁並みにすごい混雑だわ…。

「グロケット領って何度か出国に寄ってるけど、私、こういう所へ来るのは初めてだわ。」

「まあな、リルルはいつも前女王陛下たちと一緒だったからな。」

「あなたはそういう時も、道場へ通っていたんだっけ?」

「そうだな、会いに来てくれるものだと勝手に確信していた。」

「面白い人ね、」

 リルルがくすくす笑うと、マックスはつないだ手を引き寄せて、「だから今日は会いに来たんだ、リルル。会いたかった、」と囁いた。

 つば広の帽子を被り綺麗な漆黒の長い髪を肩に流し、すらりとした体に手足が細くて長いリルルを見て、ドレスも似合うがこういうシンプルなワンピースもよく似合うのだなと、マックスは感心していた。美しいリルルのけだるそうな雰囲気も、そそられるものがあっていい。

 リルルはマックスの半袖シャツから出た腕をじっくり見て、「ねえ、今なら力瘤出来る?」と、首を傾げて尋ねた。

「ん? ああ。」

 立ち止まって、マックスはリルルの手を離すと、軽々と力瘤を作って見せた。盛り上がった右腕を見て、リルルはやっぱりクマを倒せそう、と思った。

「触ってもいい?」

「ああ、」

 リルルはマックスが答える前にペタペタと右腕を触った。硬くて張りがあって、私の腕を3本か4本くらい束ねないと再現は無理ね、とリルルは思った。

「ありがとう。もう満足よ。」

 口元を少し上げたリルルに、マックスは腕を下ろして向き合った。女性に体をむやみに触られる経験などないけれど、リルルにならもっと触られてもいいと思えた。

「私の願いも聞いてほしい。」

「なあに?」

 リルルは首を傾げてマックスを見つめている。可愛い表情にマックスは抱きしめたくなってしまう。

「褒美にキスしてほしい、リルル。」

 朝から何を言ってるんだか、とリルルはプイっと横を向いた。そんなお礼はしないから。

「それ以外。」

「じゃあ、手をつないでほしい。恋人のように。」

 婚約者としてではなく、恋人として、束の間だけでも振る舞いたい。

「恋人? どんなの?」

 リルルが揶揄い半分で聞いてみると、マックスはリルルの手を取り、指を絡めた。肉厚の、太くて力強い指が、リルルの細くて小さな指に絡まる。

 恋人の所作をマックスは知っているのかしら。私は、恋人がいないから知らないわ。リルルはこそばゆく感じた。私を恋人扱いするってことよね?

「そうだな…。」

 マックスは腕も絡ませた。体を密着させるのね? とリルルは理解した。確かに恋人でもなければ親密すぎる手の握り方だろう。

「これでいい。」

 満足そうなマックスに、リルルはこれも婚約者孝行の一環…と抵抗するのを諦めた。恋人つなぎで買い食いって、なんだか甘酸っぱい気分になる。

「マックスって暖かいのね、」

 ちょっと暑苦しい気もする。絡んで擦れる肌は筋力で弾力があった。

「そうか? リルルは冷たくてさらさらして気持ちいい。もっと触ってみたい。」

「恥ずかしいからやめてよ、」と真っ赤になったリルルのおでこにチュッとキスをして、「私の可愛いリルル、行こうか、」と市場の奥へと誘った。

 ちらりとリルルを見ると、俯いて可愛らしく頬を染めている。心を鷲掴みにされて、マックスも照れてしまった。恋人として振る舞ってくれるリルルに、このまま本当に自分だけの恋人になってくれるといいのに、とマックスは思った。


 しばらく市場を歩いて、マックスが指さした先にあったのは、『海鮮や』という看板を掲げた魚介類専門の大きな店で、店頭ではカキを焼いて売っていた。海産物の問屋さんなのかな、とリルルは思った。

 売り子役のおばちゃんがまばらにやってくる客と話し、隣に立つ調理人の男性が黙々と焼いたり味付けをしたりしている。あまり繁盛しているようには見えなかった。

「えらいべっぴんさんの奥さんだね、異人さんかい? ご主人、旅行の土産にひとつどうだい?」

 カキを売るおばちゃんは、リルルのことを知らない様子だった。

 異人さんかあ、この国だと黒髪は王族だけだし、こんなところを王族が歩いていると思わないからなんだろうな、とリルルは思った。恋人からいきなり新婚さんに格上げしちゃったわ。

 マックスを見上げるとデレデレと照れていて、社交辞令だろうに、それでも嬉しいのね、とリルルは呆れた。「食べたいの?」とリルルが尋ねると、「ああ、そうだな、」とマックスは気をよくしてカキをふたつ買ってくれた。

 その場で手渡され、リルルが見つめている中、マックスは「こうやって食べるんだ、」とカキの殻をスプーンのように口につけてつるりと口の中に流し込んで食べた。

 わお…!

 この世界でそんな豪快なことまだやったことないわ、と思いながら、真似をして食べてみた。バターに黒コショウが効いていて、おいしいなと思った。すりおろしたにんにくを加えてもおいしそうだ。リルルの食べる様子を、マックスは固唾を飲んで見守っている。

「どうだ? 食べられるか?」

 もぐもぐと口を動かしながら、リルルはうんうんと頷いた。

「可愛い奥さん、お味はどうだい?」

 リルルは頷きながら目を細めて、人差し指と親指で丸を作った。ゆっくり味わって食べるリルルを、嬉しそうに調理人は眺めている。他に客がいないからか、リルルたちに丁寧に話をしてくれる。

「…とってもおいしいわ。」

「だろう、この港は北の海に近いからカキの養殖場があるんだ。山からいい水が海に流れてくるからね。」

「とてもいい港ですよね、あれはどこの国の船ですか?」

 試しにリルルが港を振り返り聞いてみると、おばちゃんは「遠い国から来てるのさ、」とざっくりとしたことを言った。

「言葉が通じる分、値切ってくるから厄介な奴らなんだよ。どこかの国の商船団らしいんだ。なんでもお姫様を迎えに来たって話だけど、この領にはお姫様はいないからねえ。マユツバもんの話だよ。」

 ああ、それ、私のことだから、とリルルは思ったけれど、黙っておいた。

「もうひとつどうだい? 今度はこっちだ。」

 おばちゃんが手元でタレを塗っていた団子の刺さった串をマックスとリルルに手渡した。マックスがお金を手渡すと、「毎度あり、」と笑った。

 小さくて丸いお玉のような道具を使って、調理人は器用に丸いものをいくつも揚げている。

「それは海鮮団子と言ってね、タコやイカや刻んだネギとを生地に入れて丸めて油で揚げてさ…、串で刺してタレをつけてみたんだ。この人と考えてね、新商品で売り出し中なんだよ。感想を聞かせておくれ?」

 おばちゃんは隣に立つ調理人の肩を叩いた。この店の女将さんと大将なんだろうなとリルルは思った。ただのおばちゃんが、新商品を考案する必要が考えられなかった。

「手間暇かかってるわりにイマイチでね、私らはこの港の名物が作りたいんだけどねえ、」

 これってたこ焼きだよね…、とリルルは思いながらかぷっと食べた。ああ、やっぱりたこ焼きだわ。

 リルルは姉リルルの記憶を参照に、足りないものを考えてみた。マックスは今一つといった顔で、でも、文句を言わずに食べている。自分の領地の港の名物を考えてくれている献身的な領民を、無下にはあしらえないのだろう。

「女将さん、これ、生地に山芋をすりおろしたものを少し加えて、具に細かく刻んだしょうがを加えると、メリハリが効いて、もっとおいしくなると思うわ。」

「ほう、奥さん、料理をするのかい? ご主人、いい結婚相手に恵まれたねえ、」

 メモを取りながら、おばちゃんは隣に立つ調理人に、「今の、早速やってみとくれ、」と囁いた。

 リルルが海鮮団子を食べ終わるのを待っている間に、マックスはカキをもう一個買って食べていた。

 おばちゃんは手際よく調理人が作った海鮮団子を早速ひとつずつ、それぞれ串に刺して、リルルとマックスに手渡した。「試作品だよ、一緒に食べてみとくれ、」と、自分もいっこ口に放り込んだ。

「はふはふ、おお、いいじゃないか、生地がふんわりとして生臭さも抜けたね、」

 リルルがマックスを見上げると、うんうんと頷きながら食べている。今度のは口に合ったのだろう。

 リルルもふうふうしながら食べてみた。さっきよりもタコ焼きに近い風味になっていた。

「女将さん、タレの上に削った鰹節を振っても多分おいしいわよ。タレも出来ればお酒とお砂糖を少し足して、甘辛くした方が美味しいと思うわ。ついでに刻んだネギと青のりを散らしてもおいしいと思う。売るなら、このカキの貝殻を綺麗に洗って、使い捨てのお皿にして売るの。回収して再利用ってのもいいでしょうね。」

 リルルが提案すると、店主は女将をちらりと見て頷くと、この国では貴重品である鰹節を奥の厨房から取ってくると手早く削り、綺麗に洗ったカキの貝殻に甘辛いタレのかかった海鮮団子を乗せ、店の若い者に厨房から持ってこさせた刻んだネギと青のりと鰹の削り節を豪快に振りかけていた。

 タレの上で踊る鰹の削り節に、リルルは、それ、絶対おいしいから! と思った。


 鰹節は皇国からの輸入品で、貴重なうえ高級品なので風味を知らない者が多いのに、なぜこの若い女性は知っているのだろうと女将は思った。食べ方も知らなければ使い方もよくわからない鰹節を、この女性はいきなり的確に言い当てた。

 このおばちゃん自身が実はこの店の女将で、隣に立つ調理人がこの店の店主だということも、観光客は知らないはずだった。


「ひとつ味見しとくれよ、」と女将はマックスにまずは勧めた。


 何事も、身分のある男性を一番最初に優先するのは常識だった。女将は、自分と同じ平民とは思えない品の良さがあるマックスを、どこかの貴族の関係者だと思った。まさかリルルが王族で、この場で一番上位の人間だとは女将は気が付いてもいない。同じ女性の気安さで、リルルには接していた。

 店主と二人、パクリと食べて、マックスは歓声をあげた。女将は二人の様子を見て、これはイケるかもしれないと思った。長年の勘で、こういう表情はいいものに決まっている。


「奥さん、これはいいよ、ぜひともこれで売らせておくれ。権利だとか、そういったものはどうする? 今なら奥さんの名前も付けれるよ?」

 リルル焼きなんて嫌だわ、とリルルは思ったので、黙って首を振った。

「そういうのは女将さんにお任せします。このお店で管理をお願いします。それでいいよね?」

 マックスは目をキラキラさせてリルルの顔を見て、静かに頷いていた。無言で店主ともうひとつずつ食べている。残ったひとつは女将の為に残してあるのだろう。

「気前のいい奥さんだね、絶対これは売れるよ。この港の名物にするから、楽しみにしとくれよ。」

「それは素敵ね。おいしかったわ、ごちそうさま。」

 手を振って店を去ったリルルと上機嫌のマックスの後姿を見送って、女将は店の奥にいた若い衆に、「誰か、今の若夫婦の後をついていって、どこの宿にお泊りの誰なのかを確かめてきておくれ。せめてお名前だけでも知りたいもんだ、」と頼みごとをした。

 女将は店主に差し出された海鮮団子を摘まんで食べて、「ウマーい、」と思わず大きな声で言って目を細めた。店主も隣で、うんうんと頷いていた。

 女将の「ウマーい、」の声に、店の前には人だかりが出来始めていた。女将は好奇心に負けて押し寄せてくる客を捌きながら、若い人の考えることは私らが考えるようなことを平気で飛び越えていくねと、しみじみと思ったのだった。


 ※ ※ ※


 市場を抜け、朝から開いていた港沿いのオープンカフェで焼き立てのパンを食べて紅茶を楽しんでいるリルルは、潮の香りがする街でのんびりとした朝のひとときって大人な感じね、と思った。旅立ちの朝って感じがするわ、とわくわくしてしまう。

 ふと、向かいに座るマックスがやけに静かだなと思った。

 すでにマックスは頼んだサンドイッチやクロワッサンを食べ終え、空のカップを前に黙っていた。あら、この人、結構食べるのね、とリルルは思った。

「あのさ、マックス、退屈だったりする?」

 リルルが目の前で食事をする様子を感慨深げに眺めていたマックスは、話始めたリルルの顔に見惚れていて、とっさに頭が切り替わっていかなかった。

「…どうしてだ?」

「さっきから静かだわ。おなか一杯だったりする?」


 君を見ていたとは言えないな、とマックスは思った。結婚したら朝をこうやって迎えるのも悪くないなと思って見ていたとも言えない。

 マックスは、リルルに似た女の子と、リルルに似た茶金髪の男の子を想像して、リルルと四人でテーブルを囲み、朝食をとる幻を見ていたとも言えない。

 リルルに似た女の子の名前を考えていたなんて、とてもじゃないけれど言えなかった。

 無意識で口を動かして黙々とパンを食べていたので、味なんて覚えてもいなかった。いつの間にか紅茶のカップも空になっていて、マックスはウェイターに頼んでお代わりを持ってきてもらう。


「いや、」マックスはリルルを見つめて、「海鮮やの女将に新婚夫婦と言われて嬉しかったからなんだ、」と答えた。

 すっかり新婚夫婦気分でいるマックスは、リルルに優しく微笑みかける。

「リルルを奥さんと言われて、私は嬉しかった。」

「ああ、あれ。」

 クロワッサンを割きながら、リルルはこともなげに言った。

「よくある社交辞令でしょ?」

 マックスは目を見張った。

「私のこと、知らないんだなあって思ったわ? マックスのことも知らないのね。あんまりこの辺、来ないの?」

 まさかの聞き流しなのか、とマックスは一瞬怯む。

「ああ、…買ったことはあっても、道場帰りだから格好がいつもと違うし、時間帯も違う。いつも連れているのは弟や、同じ門弟たちだ。」

「そうなのね。私、ああいうのってお世辞だろうって思ったから、何も思わなかったかな。マックスは婚約者だから、遠からず近からずのお世辞なんだろうなあって思ったわ。」

 なんとも思わないのか、とマックスは絶句し、お世辞と言われてさらに凹んだ。婚約者が多いと、そういう言葉も聴き慣れてしまうのか…!

「私は本当に可愛い奥さんになってほしいなと、思った。お世辞ではなくて、な?」

「そんな風に言われると、恥ずかしいわ、」と照れたリルルに、マックスは優しく手を握った。リルルと結婚するのは自分だとアピールしたくなる。

「また帰りにこの港に寄ってほしい、リルル。帰国する時は手紙で知らせてほしい。」

「手紙よりも先に帰ってきそうじゃない? そうね、今のところ、11月の3週目の土日が有力だわ。」

「決まっているのか? それはどうして?」


 姉のラウラの誕生日が10月10日で、恐らく即位の話がそのあたりで固まるだろう。国内の混乱を避け、諸々の書類の整備が終わり、中つ国の建国記念行事が11月3日なのだから、そこから早くて一週間から10日は船でかかるだろうとリルルは踏んでいた。

 早く帰りたくても、中つ国の王都から港までの移動やペンタトニークの都合もあるだろう。


「なんとなく、かな。中つ(ウルテリオール)(・ガツーラ)の建国記念行事に出る公務があるから、それぐらいかなっと思ったの。」

 リルルの手を握って、マックスは瞳を見つめた。まさか、他国でまた婚約者を作る気なのか? 帰ってこないのか?

「中つ国は軍力があまり期待できない国だ。無事に帰ってきてほしい。なんなら、私が迎えに行こうか?」

 グロケット領は独自に警備船や護衛船といった船団を持っている。リルルを迎えにいくためなら、しばらく公務と申告して休暇をとってもいい。

「それはいらないわ。ちゃんと帰ってくるから、待ってて?」

 リルルがにっこり笑うと、珍しいリルルの笑顔に、マックスは目を細めてやはり今日は公務休みを取って正解だったと思った。リルルが帰ってくるなら、待とう。でも、待つには長い。早く会いたい。

「遠いな…、リルルに会いたい。夢でもし逢えるのだとしたら、遠く離れていても我慢できるのだろうに。」

「あら、夢でも会ってくれるの?」

 リルルは目を光らせた。マックスの夢の鍵を持っているから、会ってもいいかなと思ってしまう。

「ふた月も会えないのは辛いな。会えるものなら、会いたい。」

 婚約者と言っても、学校が違い、毎日会える訳ではない生活をしている。それがさらに会えなくなるなんて。マックスは口説くつもりで囁いた。

「マックスって意外とロマンチストなのね。」

 リルルがくすくす笑うと、マックスはリルルの手を撫でて、微笑んだ。端正な顔立ちに、甘い笑みが浮かんでいる。

「君を欲しいと願ったら、満月は叶えてくれるだろうか?」


 早く成人して、リルルと一緒に暮らしたい、とマックスは願う。


 エリースたちなら卒倒しそうな甘い言葉ね、とリルルは思った。


「マックスの夢が叶うといいわね、」とリルルは笑って受け流した。


 ※ ※ ※


 食べ終わった二人は席を立つと、寄り道をせず港の市場を抜けて、ホテルへと向かった。腕を絡めて指も絡めて手をつないで、マックスはリルルと次に連れていきたい店の話をしていた。リルルはマックスは買い食い常習者とわかって、くすくすと笑いながら聞いていた。

 マックスはホテルのリルルの部屋まで送ってくれた。リルルの帰宅を待っていたクグロワは、一緒に来たマックスの姿を見て、「心配で探しに行くところでしたよ、」と文句を言いかけて、リルルの様子を見て黙った。二人の雰囲気がとても良かったので、充実した時間だったのだろうなと胸を撫で下ろした。


 ホテルのロビーで「さっき部屋へとお帰りになったお二人は誰なんです?」と尋ねた海鮮やの若い者は、リルルの正体とマックスの身分を知って、大慌てで店へと飛んで帰っていった。

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