依頼編 あの山を追え ②
Y県K町。
都心から日帰りも出来る風光明媚な観光地として、春の登山、夏の避暑地、秋のフルーツ狩り、冬のウィンターレジャーや温泉。
四季を通して、観光客が訪れるはずの麓駅が封鎖されて、全町民に避難命令が出されて既に三日が過ぎていた。
火山活動に伴う有害な成分を含むガスと、同時に真冬には珍しい濃霧が発生。
風向きが変われば、いつ盆地となった街中に流れ込むか判らないと、第一級避難警報が発令され、周辺道路、公共交通機関は閉鎖。
マスコミや事件系配信者も完全シャットアウトした厳重な隔離体制がしかれている町中心部駅舎の中。
冬には不釣り合いな森林迷彩服姿の自衛官や、完全装備の機動隊員たちが、駅舎をとりあえずの仮拠点として慌ただしく対策本部を立ち上げている中、不釣り合いにもほどがある可愛らしくも、不機嫌な怒鳴り声が響いていた。
「妾を呼び出しておいて、未だ合議が終わらんなどと巫山戯ているのか! そもそもだ! 迎えにきたのが、本来ならば関係が無いおぬし一柱とはどういうことじゃ! 関係しておる神が雁首そろえ……」
古風な言い回しで怒鳴るのは巫女服風の装束を纏う神『縁』。
人形サイズで空中に浮く縁の前で、正座で平身低頭するのは、厳ついにもほどがある仁王像ほどの巨体の剣神【伽羅護御田命】
伽羅……香木等が納められた宝物殿の守護神として、この地方では古くから祀られている八百万神の一柱にして剣神。
鬼も逃げ出しそうな風貌の武神が人形サイズの愛らしい少女に、返す言葉も無く平謝りなのは、滑稽を通り越して哀れみを感じるほど。
しかしそれも仕方ない。
姿形は変わろうとも、縁の神格に霞無し。
全ての剣神の祖。父神伊邪那岐命の愛刀である【天之尾羽張】
しかも未だ現役かつ最前線に出ているがちがちの武闘派神。
その怒りの前では、名だたる武神であろうとも借りてきた猫のようにおとなしくならざるをえない。
周囲の機動隊員や自衛官はここに動員されているということは、全て”見える”側の人間。
だがあえて見えないふりを、もしくはなるべくそちらを見ないように作業を続けているのは、時に理不尽な上からの命令に従うしかない、神と人の枠を超えた下っ端同士のシンパシー故だろうか。
その下っ端な一人、楠木勇也は情報収集名目で駅の観光パネルに目を向けていた。
いつものスーツの上に冬山用の厚手のコートを羽織った楠木の目が追うのは、駅の正面口からよく晴れた日には荘厳な姿を見せる双子山の神話や歴史だ。
かつては修験者達の修行場や聖地として信奉された二つの山は、手前側を兄、奥側を妹として、二柱の神を祀っている。
江戸時代まではそれぞれ女人禁制、男子禁制の禁足地とされており、その後昭和の半ば頃から手前側の兄山は観光地として徐々に開発されていったが、妹山のほうは険しく山道さえもほとんどなく、手つかずの原生林が残っている珍しさもあり、開発が禁止された自然保護区として指定されている……が表の歴史だ。
かの双子山は日の本の中心部近くに位置した霊山であり、陰陽対極を表し、日の本の霊脈を調整する重要な要の一つであるからだ。
かつては男女、兄妹としての対極を表し、時代の流れと共に変わっていく日の本の実情に合わせて、開発された山、手つかずの山として、さらなる対極を表し、世の平定をなす。
魑魅魍魎の発生や、異界からの無断侵略や召喚を拒む防壁結界を司る重要拠点の一つで起きた大異変となれば、国家の一大事。
日本国第一交差外路所属組織である異界事象対応庁を筆頭に、神も人も一丸となって動くのは当然の帰結。
「わざわざすまんな楠木君……縁様はずいぶんお怒りのご様子だが大丈夫だろうか?」
異界事象対応庁の一部門である情報調査局局長畑中洋介が楠木の姿を見つけ声をかけてから、未だ怒鳴り声を上げている縁の様子をちらりと窺う。
「お疲れ様です畑中局長。大丈夫ですよ。向かう先がちょっと面倒なのでお怒りですが、こちらをお見せしたら、すぐにご機嫌ですよ。同じような物があれば供物としてご用意いただけますか」
楠木は先ほど中身を確認していたパネルの前に置いてあった書き込み自由の観光ノートを手に取る。
「……俺の神様はお優しいので、この【縁】があれば今回の事件もどうにかしてくれます。そんじゃ、神様の会合に御輿の担ぎ手として顔出しにいってきます」
あそこのさらに百倍は神様がいる会合に担ぎ手とはいえ出席かと、楠木は諦めの息と苦笑を浮かべた。
「そもそもじゃ、お前ら現場で手が足りておらぬなら、上の連中を……」
「あー縁様。その辺で。さすがにそこから先の上層部批判は、伽羅護御田命様も下手に同意も返事できないです。これだから現場に出てくるお偉方は、簡単に上の文句を言ってくれると酒の席で愚痴の山です」
激怒している縁の背後からわざとゆるく話しかけた楠木は、御田命へと小さく頭を下げる。
あとはお任せくださいと目線を送ると、頼むという幻聴が聞こえるほどに強いうなずきが返ってきた。
「ちっ……このでくの坊は。誰の為に怒っていると思っておる。会合には妾一人で来い等と巫山戯おって。奪還者たるお主が、あやつらの話を聞かなくてどうする!」
舌打ちをした縁は、怒りの矛先を楠木へと変更。
定席である楠木の右肩に腰掛けて、その耳を引っ張り、説教を始める。
「いや当然でしょ。神様の会合になんぞ、いくら御輿の担ぎ手としても、人が顔出すなんて不遜にもほどがありますっての。姫さんも今回は遠慮しますっておとなしく待機ですよ」
「玖木の娘がその程度で臆するか。あれは寒いのを嫌っただけであろう。甘やかすな」
「まぁまぁ縁様。怒鳴り疲れてそろそろ喉も渇きませんか。新雪を眺めながら新酒も一興でしょ。伽羅護御田命様ももしよろしければいかがですか」
コートの内ポケットから手帳サイズのタブレットケースを取り出し開く。
見た目は単なる小さな小物ケースだがその本質は扉。開けたその先は縁の神域と繋がっている無限の収蔵庫だ。
つい先日買い付けてきたばかりの大吟醸新酒と、それぞれのサイズに合わせた大小の杯を楠木は取り出し、縁の返事も待たずにさっさと栓を開ける。
「ちっ! はぁー……伽羅よ飲め。妾のお気に入りじゃ。無碍に扱うな」
それは酒のことを指すのか、
それとも楠木を指すのか。
あえて何も言わず、縁は小さな杯をぐっと一気にあおり、無言で次をよこせと空になった杯を掲げる。
「はっ、肝に銘じます……頂戴いたします……ほう」
伽羅護御田命は縁に一礼してから、同じようにグッと一呑みであおり、感心の声を漏らす。
美味い。
たしかに美味い。
だがそれよりも感心するのは、その温度管理や量、杯の上等な作り。
それらに込められた信奉心だ。
主の物だけでなく、客神の杯にも手間の掛かった物を用意し、多すぎず、少なすぎず、ぬるすぎず、冷たすぎず、飲みやすい量、温度に保つ。
たとえどれだけ気安い態度で接していようとも、己の神へと捧げる敬意がそこに籠もっていると伝わる。
同じ神であるからこそ伽羅護御田命には伝わる。
「お気に召していただけましたか? もう一杯いかがでしょうか」
「おい! 妾の酒じゃぞ。これ以上、勝手にやるな。今から行く先で、我も我もとなられたら妾の分が無くなるではないか」
「他の御柱への他言無用をお約束します……それと、この一杯で十分です。縁様とその神官殿をお連れするという重要なお役目を預かる身ですゆえ」
「ふん……伽羅その杯はくれてやる。手間賃じゃ」
自分だけは2杯目をちびちびと飲みながら、縁は言葉だけはぶっきらぼうだが快活に笑ってみせる。
「はっ、ありがたく頂戴いたします……では先導いたします。こちらへ」
家宝とするかのように恭しく受け取った伽羅護御田命が立ち上がり、駅の出口へと向かって移動を始める。
縁を肩に乗せたまま楠木はその大きな背を追う。
「まったく……頭の固い奴らが多くて困る。いくら未熟者といえど妾の神官だぞ。楠木お主がもっと精進せんからこのような手間が掛かる。反省せよ」
「まぁまぁ縁様。神様の宴会に紛れ込んだ人間なんて、昔話じゃろくな目に遭わないでしょうに。それより今回の供物ですがこちらなどいかがでしょうか?」
愚痴と説教を耳元で延々とやられてはかなわんと楠木は、先ほど確保していたノートをパラパラとめくってみせる。
そこにはこの駅を訪れた観光客の書き込みが主で、駅前広場から双子山をバックにして写した集合写真が、時折はさんである年季の入った古いものだ。
最近は個人情報を気にしてか、短い文章の書き込みばかりだが、それでも一番古い日付で二年前くらい。
そこそこの頻度で更新されている事が見て取れる。
「この手の物は、記録としてちゃんと残していたりしますから、この一冊もその一部だと思われます……供物としてはいかがですか縁様?」
「ふん。そこで正否を尋ねるからお主は未熟なのじゃ。それくらい自分で判れ」
口調は叱りながらも縁の手は、愛おしげに楠木の頬を優しく撫でる。
その顔に浮かぶのは誇らしげな笑顔だ。
しかし神とその神官がいつものゆるいやりとりをしているのはそれまで。
駅の出口から出て、薄霧の向こう側に目線をやった一柱と一人の表情が引き締まる。
「まったく、神も人も未熟者が多くて困る……家出娘を取り戻しに行くぞ楠木」
「畏まりました縁様」
霧の中でも荘厳と浮かび上がる兄山は、先ほども見た写真通り。
だがその後ろで、いつも控えめに姿を見せているはずの妹山の姿は無し。
見えないのではない。
消えていた。
文字通り現世から……
消えていた。




