依頼編 あの山を追え ③
双峰陽月館ホテル。
修験者たちの宿泊所兼湯治場を起源とし良質な湯と、名の由来ともなった兄土山【陽赤山】妹岩山【月白山】の絶景が全部屋から望めることで、全国規模でも名が知られており、街で最も大きなホテルとなる。
その大宴会場となれば、数百人規模の団体客も収容できる和室大ホールだ。
その大ホールは、異界事象対応庁に所属する神職や、動員された自衛隊員たちによって本日早朝から昼過ぎまで掛かった改装が行われて、普段とは大きく様変わりをしている。
ホール中央入り口から入ってすぐの所には朱塗りの鳥居が建てられ、そこからは玉石を敷き詰めた参道が、真っ直ぐに伸びる。
その終着点には畳を重ねた部屋全体から一段高い上座が作られ、敷布と御膳台が設置されている。
参道脇には、百を超える朱塗りの御膳台が整然と並び、台上に置かれた高坏には山海のつまみや、果物が綺麗に盛りつけられ、大小様々な杯が置かれていた。
よく見れば高坏に盛られたつまみ類は、一つの膳ごとに内容が微妙に違い、ある物は肉だけであったり、ある物は果物、またある物は海の物だったりと、明確な区別がある。
これから風変わりな宴会が始まるかのような準備を終えた空間には、ただ静寂に包まれた澄んだ空間だけが存在している……見えぬ者にはそう映る。
だが見える者には違う。
いや、この室内に一歩でも足を踏みいれれば、見えぬ者も、その瞬間に見える者になるであろう。
今この部屋に百柱を超え集っている神達の神気に当てられるのだから……
「……つっはっ!此度の失態はいかにして取りなすか! それが重要であろう! 人心乱れれば世が乱れる! 他の神を立て、早急に安寧をもたらすべきであろう!」
霊脈の基点の一つである代々受け継がれるご神木を宿りとする老神が、杯をあおり一気に飲み干し、どんと台に叩きつけるようにおいて自分の意見を力強く宣言する。
その後対面する若き水神の杯にこぼれる寸前ギリギリまで酒をつぐ。
「ぐっっ………………はぁっ! すぐ変わりを立てようってのが急ぎすぎるつってんだよ! この頑固爺! 下手にいじくって、他で歪みが出る可能性が高いんだから、まずは今の状況でも何とか霊脈を廻す応急処置で様子見するべきだろうが!」
論戦を受けて立つ若き水神は、とうに20を超えた酒を何とか飲み干して、顔を真っ赤に染めながら、反論する。
酒戦。
神々同士の意見がぶつかったときに行われる討論戦の一つである。
相手が注いだ酒を飲み干して始めて自分の意見を一つ述べ、相手の杯に酒を注ぐ。
これを交互に繰り返して、先に反論出来なくした者の勝ち……つまりは酔い潰した方が勝ちとなるという身も蓋も無い論戦だがそれも致し方ない。
その神の格にもよるが、神々がやり合えば今回のように山が消えるなど序の口。
それこそ天変地異が激しく吹き荒れる事態となる。
神代の世ならともかく、当世では人の子らへの被害が大きくなりすぎると、神々同士が直接ぶつかる事態は避けよという天命が下されているからだ。
もっともその天命の意味をちゃんと理解しておらず、さらにむやみやたらと酒に強い神もいるというのが困り者だが……
「えぇやっちゃん。それ反対。月ちゃんとこの負担を廻すのは大変すぎ。もって数ヶ月だよ。もういっそ陽ちゃんとこに誰かあてがって。うちの夫婦池みたいに夫婦山を作っちゃおうよ。人の子達がまた火の山がどうこう言ってるんだし、いっそどっかーんって! いやーそしたらめでたいめでたい! やっちゃんとあたしの夫婦で仲神にやっちゃうよ!」
「おい! 誰かそこの酔っ払い阿呆神を酔い覚ましに温泉に放り込んでこい! これから縁様がお見えになるのに物騒すぎるだろうが!」
酒戦をやっている二柱よりハイペースで手酌で飲んでいた水女神にたいして、酒戦を見守っていたギャラリーの一柱が指示を出すと、すぐにその配下の神が水女神を抱えて宴会場の外へと運び出していった。
どうするべきか、何を優先すべきか、安定をもたらすに最善の手は……
一部の酔っ払いは別として、どの神も今回の事態に対応する手段を話し合う、もしくは論戦を宴会場のあちらこちらでがやがやと繰り広げている。
静かなのは上座にほど近い席に集まった一団。
霊脈を管理する山神達の集まりだ。
中心にいるのは兄山陽赤山を宿りとする山神【紅土陽峰祇】。
名が表すとおり赤銅色の肌を持つ兄神の顔色は血の気が引き青ざめたまま、ただただ同僚の6柱の山神達に土下座をしていた。
「此度の責はなにとぞ私だけに。白岩月峰比売は……妹は心優しき神なのです。私が妹の心を判ってやれなかったのが全ての原因。なにとぞあの者はお許しください」
「そこまで謝らなくても良い……顔を上げてくれ陽。お前達兄妹がお役目をいかに真面目にこなしてきたかは、共に霊脈を司っていた我らが一番判っている……俺たちは良いんだがな」
「そうね。ただのお役目をしばらくサボっているだけならともかく、月ちゃんが御山ごといなくなるのはさすがにね……おばちゃんに先に相談してくれればよかったんだけど」
一番年かさの山神がどうしたものかと伸ばしたひげをいじりながら周囲に目を向け、妙齢な姿をした女性山神も深く息を吐く。
ただ神が山を空けているだけなら、一月二月ぐらいでもそこまで問題は無い。
それこそ他神が負担したり、分霊神を残しておけば廻る程度の仕組みは幾重にも組んである。
そうで無ければ神無月に、出雲に集まることさえ出来なくなってしまう。
「霊脈の管理は我らでしばらくしのいでいれば心配しなくて良いでしょう。何せ天之尾羽張様……縁様が動かれるのですから。縁様の当代神官は縁紡ぎを行える奪還者との噂です。月姉様を異界より御山と共に連れ戻すのにそこまで時間は掛からないはずです……ただ問題は……」
中性な子供のような容姿をした若い山神は、大丈夫だろうとあえて楽観的に意見を伝えていたが、話しているうちに自分の脳裏に浮かんだ想像に顔を青ざめ徐々に言葉をなくす。
神殺しの剣にして、数多の武神、剣神の母にして祖。
父神伊邪那岐命の愛刀である天之尾羽張その人が、今回の事件解決に乗り出すと聞いて、生きた心地がしないのは、ここに集う山神全員が抱く共通の思いだ。
神代の生まれという最古神の一柱でありながら未だ現場第一主義で、精力的にお役目を果たしている縁が、今回の事態にどう怒りを見せるか判らないのが一番恐ろしい。
「縁様ってかなりの武闘派神だからな……江戸の頃は百鬼夜行を力尽くで叩き返して、龍やら異神も幾度も放逐してきた御方だ。素戔嗚尊様や建御雷神様でさえ怒らせないように気を使っているって……月ちゃんやばいよな」
その言葉に紅土陽峰祇はさらに顔を青ざめさせ、周囲の神はお前それは重々判っているから口にするなよと、無言の抗議の視線を向けて責めていると、入り口近くの方でざわめきが起き、
「縁様とその神官殿をお連れした! 皆の者席へと戻りお迎えするように! なお縁様のご希望により平伏はいらぬとのことだ!」
縁を迎えに行った伽羅護御田命の野太い声が会場全体に響き、早々と平伏しようとしていた神達は慌てて姿勢を正した。
勘弁してくれ……
宴会場に入った途端、一斉に向けられた神々の視線に物理的な圧迫感を感じながら、正直な感想を楠木は胸中で吐き出し鳥居の直前でゆっくりと膝をつく。
鳥居は神域と現世を隔てる門にして神の通り道。
いくら御輿の担ぎ手だとしても、こんな整えられた玉石の参道の中心を神々の視線にさらされながら歩く度胸なんぞあるわけが無い。
「……縁様。どうぞお進みください。真ん中以外でもさすがに通るのはまずいでしょ。両端ともに神様方がいらっしゃるのに」
玉砂利の道の前で跪いた楠木は、肩に座ったまま動こうとしない縁に小声で伝える。
「まったく……妾の神官がこの程度でひるみおって。許してやるから、壁沿いを廻って上座の縁で待機しておれ。呼んだらすぐに来い。よいな」
楠木に腰掛けたまま縁は参道を進むつもりだったが、この配置では楠木の言うことも一理あると認め、説教代わりに耳を一度引っ張ってから肩を蹴り、宙に浮かぶ。
そのまま堂々と参道の中心をゆっくりと前に進んでいく。
神々の視線が縁に向かっているうちに、静かにだがなるべく早足で楠木は縁の指示通り壁際を進む。
縁の方も少し遠回りする楠木に合わせてゆっくりと進んでくれているので、縁が上座に到達する前に余裕を持って到着する。
そのまま膝をつき頭を垂れて待機する。
あとは縁が進める話を聞くだけの役に徹していればいい。
何か用事があって呼ばれたら、上座に上がらないように気をつけつつ必要な資料や酒などを渡せばと安堵していると、
「おい楠木、こちらにこい。ここは些か低い。皆に見下ろされているようで気に食わん。肩を貸せ」
先ほどは許してやったが今度は許さんぞと言わんばかりの物言いで縁は上座に用意されていた敷布を指さし、こちらに来いと命令を出していた。
だがその表情に浮かぶのは、自分の神官を皆にお披露目してやろうという尊大かつ自慢げな笑顔であった。




