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奪還編 奪われた死⑥

 いつから変わってしまわれたのだろうか?


 いつか戻られるのだろうか?


 いつまたあの笑顔を見せてくださるのだろうか?


 愛されている。


 その自覚があるからでも何も言えません。


 いう資格などありません。


 救国の英雄たる勇者が、家畜である奴隷を娶ろうとするなんて許されません。


 国王陛下や王女殿下が、英雄をたぶらかす毒婦として極刑を言い渡すのは当然です。


 なのにただの奴隷であった自分を救い出してくれたあの方は、魔術攻撃から自分をかばって致命的な傷を負われてしまった。


 だが傷ついた英雄を救済することを目的とする異世界【死の無い楽園】にあの方とその従者として導かれたことで、あのお方は一命を取り留めました。


 この楽園であの方の傷を癒やすことが出来ました。


 だが身体の傷は癒えても、あの方が心に負った傷は癒えませんでした。


 失うことを恐れられている。

 

 奪われることを恐れられている。


 何より、幾夜、幾千、幾万の褥を共にしても、この死の無い世界では、新たなる命を授かることは無いことが、あの方に負い目を与えてしまいました。


 それは世界の理。誰にも塗り替えられない世界のルール。


 かつて、何かほしい物が無いのかと尋ねられたとき【また家族がほしいです】と思わず答えてしまったことを今でも後悔しています。


 かつての救国の英雄は、変わってしまわれました。


 この世界で力を強め、思いを同じくする同士の違う世界の英雄様と共に、自分たちを利用した、否定した、廃棄した、国へ、民衆へ、世界への逆侵攻をお考えになっています。


 一騎当千の英雄様はとてもお強いですが、個人の力のみでは国の力には抗えません。


 だけど一騎当千の英雄様のみで結成された軍団に、抗える世界なんて存在しないでしょう。


 あの方が護ろうとした、護った国を、あの方自身が滅ぼそうとする。


 しかも私のために。


 奴隷の自分が抱いた分不相応な願いのために。


 だけどやめてくださいなんて言えません。


 奴隷のために名誉を捨てないでくださいなんて言えません。


 悲しそうな顔をされてしまうから。


 あの日、出会った日に助けられたことで私の心はもう救われています。


 あの方のために食事を作ること出来る。


 あの方を抱きしめてあげることが出来る。


 これ以上を望むことはありません。出来ません。資格などありません。

 

 だって私は奴隷だから。


 不死の英雄同士が信念のぶつかり合いから争う、いつ戻られるかも判らない戦いに赴いている方のために、尽くせるだけで幸せなのです。


 いつ戻られてもいいように食事を作り、お風呂を沸かし、ベットを整える。


 前の戦いは数十年続きました。その前はとても早くてたった数年で終わりました。


 長い期間で幾度も繰り返される戦いの終わりは一人の英雄様の心が尽き折れ、敵対陣営の英雄様に永遠を奪われたときと聞いております。


 それがいつの間にか一時休戦の暗黙のルールとなっているそうです。


 あの方の心が尽きないように、元の世界にいない、この世界にもいない、無量大数世界の全て。どこにもいない完全消失しないために。


 あの方のお心を癒やすため。


 それが私の存在意義であり、唯一の望みです。


 新たに始まった戦いに赴かれてまだ一年も経っていない、まだお戻りになるまでは長くかかるだろう。


 食べていただける可能性はほとんどありません。


 それでもあの方の大好きなシチューを作っていると、玄関扉を静かにノックする音が聞こえました。


 ご近所の従者お友達の誰かでしょうか?


 生まれた世界や、この世界へ来た状況は違えど、命の危機に遭った主を強く心配し思うことが出来るから付き添ってきた方々。


 身分違いで口には出来ませんが、私のお仲間だと心の底では、信頼と共感をしております


 奴隷ですと伝えても、気になさらず、あの方と同じように私の作った料理をおいそうに食べていただけるので、嬉しく思いますが、申し訳なくなります。  


 いつ戻られぬ英雄様達の無事をお祈りして、いつお戻りになってもいいようにお家を整える。


 あの方がいないいつもの日常……ですがその日に訪れたお客様は違いました。


 出迎えた私に向かって、見上げるほどに大きい黒衣の変わった服を身につけた男性は一礼してから古い指輪を見せました。


 それはいつだったかもう思い出せないほどの大昔。それでも心に刻まれていた約束の証しです。


 始めて楽園に訪れたときに、あの方をお救いする助力をしてくださった有翼のクラトリア様からの頼まれごと。


 指輪を持つ者が訪れたら、出来る範囲で良いから協力してあげてほしいと。


 男性は穏やかな口調でいくつか質問をなされていましたが、とても硬い表情を浮かべていたのが印象的でした。


 その質問も難しい物では無く、無学な奴隷である私でも答えられる内容でした。


 どうしてこの世界に訪れたのか?


 楽園での過ごし方。


 他の英雄様や従者さん達のお人柄や、それぞれの帰還を拒む事情。


 判る範囲でお答えします。


 あの方の、主様の不利益になる質問でなければ、人間様からの質問への回答を拒む権利を、家畜たる私達奴隷は有していません。


 いくつかの質問のあとに、最後に今は幸せかと尋ねられました。


 あの方が心配です。お心が壊れてしまわないか怖いです。


 でもあの方のお世話を出来るのなら他に望む物はありません。


 だから私はハイとお答えしました。


 私の回答に複雑そうな表情を浮かべた男性は、『お時間を取らせました。ありがとうございます』と深々と頭を下げてから、お帰りになりました。






 今になって思います。


 あの男性は死神だったのでは無いかと?


 死の無い楽園に、死という言葉を与え、元の世界に連れ戻すために来た死神だったではないかと……



「誰か! あの奴隷を焼き殺しなさい! あの毒婦を!」



 処刑台に縛り付けられ目隠しされた私の耳に、遙か昔に確かに聞いたはずの王女殿下の処刑宣告が再び聞こえてきたのです。


 楽園の記憶は死の前に見る夢だったのでしょうか?


 夢でもありがとうございます。


 あの方の為に過ごせた日々は幸せでした……








 いくつもの拠点を廻り、各地の従者達からの聞き取り、戻ってきた戦場を見渡せる小高い丘の上。


 今も眼下では凄惨な不死の英雄達の激しい戦いが繰り広げられる。



「みえた……深山司の死までの時間を、世界の理につなげている者がいる。この楽園の理を悪用しておるぞ」



 従者達と話、さらに各地を廻ることで、この世界に広がる繋がり【縁】を感じ取った縁は、世界を欺瞞する術式の仕組みを忌々しげに断言する。


 楽園は死を迎える直前の英雄や聖女を召喚によって救い出し、死の無い世界でその傷を癒やして、傷が治り死の危機を乗り越えれば元の世界へと戻す救済システム。


 だがその傷とは肉体的な傷であり、精神まで癒やされるわけでは無い。


 もう絶望的な戦場に立ちたくないと心折れた勇者。


 大切な者達を助けられず、心を喪失した癒やしの聖女。


 国に裏切られ、部下達を惨殺され怒りに狂った英雄将軍。


 帰還を拒んだ英雄やその従者がどれほど望んでも、死の定めから外れたと、傷が癒やされたと世界が判断すれば、強制的に送還する。


 それがこの楽園世界の仕組み…………だがそこに介入した何者かがいる。


    

「死ぬまでの時間をループさせる結界を現世に作りつつ、さらに召喚した分け御魂を英雄達とリンクさせて死の縁であると偽装していると……手が込んでおりますね。並の……いえ術者ではありません。異神ですか。ふふ。何をお考えになってるのか判りませんね」



 縁の説明を吟味した姫桜はクスクスと笑いながら、世界の理に介入した相手を特定する。


 神とは違う生まれでも、神に匹敵する超常の力を持つ異なる神。


 かつてあった世界においてただ一人生き残り、世界となりはてた者【異神】


 世界の理に介入できるほどの力を持つ者となれば、神か異神しか存在しない。


 何を考えて楽園に介入して、英雄達をこの世界に留めようとしているのか。


 それは考えるだけで無駄だ。


 異神の行動原理はその異神にしか理解できない、理解しようが無い理で動く。


 目の前に引きずり出して問いただすしかない。



「縁様……深山さんの分け御魂は全員に分霊として配られていますか?」



「それはない。そこまで分けてしまえば英雄達の魂に飲まれる。異神が直接もっておるはずだ」



 信奉する神からの回答に楠木は深く息を吐く……その脳裏に駆け巡るのは、協力してくれた従者達の言葉だ。


 かばわれて命を助けられました。


 もう戦場で旧友達と戦いたくないと慟哭なさって絶望してしまった。


 二度と仲間を失いたくないと、泣き崩れておりました。


 お優しい人なのに、皆の敵を取ると無理をしていられます。


 彼らが告げたのは感謝と英雄達への親愛。


 そして死の間際に起きた事柄で歪んでしまった事を心配し、それでも尽くそうとする忠誠心。


 彼らは皆が一騎当千の英雄達で、死への恐怖や喪失の怒りで歪んでしまったとはいえ、それだけの信頼を、信奉を寄せられる人格者達。


 だが深山の魂を回収させてほしいと話してどうこうできる状況ではない。


 深山の死を奪えば、彼らはこの世界から去らなければならないからだ。


 話し合いでどうにかできない。


 相手は一騎当千の英雄達の軍団。


 世界を容易に滅ぼせるほどの過剰戦力。


 だが同時に、死の間際に、その死から助けられるために、この楽園に従者と共に”召喚”された者達。


 ならば…………



「くすくす。とても強い方々ばかりですね。もし私どもの世界にあの戦力が来たらどうなってしまいますでしょうか……あぁでも私どもの世界はだい」



 楠木の躊躇を見抜いた姫桜がポンと手を叩いたところで、楠木は手を伸ばして姫桜の口を塞ぐ。



「それは俺が背負う。余計なことはするな…………縁様。【縁切り】を使わせていただきます。姫さん。契約通り、玖木の力を貸してもらう」



 覚悟を決めた楠木は、姫桜が告げようとした手段の使用を宣告し、縁へと願い出て、姫桜へと”命令”を下す。



「……よかろう。ただし楠木は前に絶対に出るな。死ぬぞ。そして玖木の娘。妾の力と妾の神官を貸してやるのだ、遊ぶでないぞ」



「畏まりました縁様。そして我が主様。我ら玖木は我が主の刃となり異界の者達を祓いましょう……では美酒をいただけますか?」



 いつもなら姫桜から主と呼ばれれば否定して上司と部下だと返すお決まりのやりとりを告げず、ただ左手を姫桜に差し出す。  


 見ほれるような喜色に満ちた笑顔を浮かべた姫桜は、楠木が伸ばしていた左手の薬指に軽くかみつき、皮膚を突き破る。


 指から流れた鮮血を舌を出して艶めかしく一なめした、姫桜が恍惚とし、熱い吐息を漏らす。


 楠木勇也はただの人である。


 肉体のみは鍛え上げており上背もあるが、それは異界の英雄達に対抗できる物では無い。


 術を使う才にもかけており、機械補助が無ければ祝詞の一つも満足に効果を発揮できない。


 だが数多の世界に轟く力を持つ神【縁】に仕える唯一の神官であり、その寵愛を一身に受けた器である。


 縁から託された力を、楠木から姫桜が分け与えられることで、その契約は成立する。


 異界から訪れるありとあらゆる怪異を一刀のもとに追い払う現世最強の対魔神刀。


 異能力者であろうが鬼であろうが、龍であろうが、神であろうが、関係ない。


 ”召喚”された存在がこの世の物で無ければ。


 この世にとどまる為の”偽縁”を斬る対異世界存在への切り札。


 それこそが古今無双退魔神刀『縁斬り』にして、八百万の一柱『縁』である

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