第三章③〜「優」のベーシスト・菅ヶ田七星〜
再び場面転換があって、いきなり放課後。先ほどの体育倉庫での一件があり、俺はムラムラしていた……じゃない間違えた。モヤモヤしていた。
一つは、尾藤の心にほんの少し触れただけで痛いほど伝わった、俺に対する激しい憎悪。
エナメルバッグに大量の教材を放り込みながら、俺は考える。尾藤はなぜ、あそこまで露骨に敵意を向けてくるのだろう。
俺に恋愛感情を抱いていないことは理解できる。小説の連載と同時に生まれたばかりの俺たちは、いわば初対面の赤の他人だ。一目惚れでもなければ好意を抱く理由がない。だが逆に言えば、ファーストインプレッションがよっぽど酷くない限り嫌われる理由もないはずだ。
なんでだろう。もしかして鼻毛出てた? あっ、ちなみに初期装備のクソダサトレンチコートとハンチング帽はラブコメになった途端なかったことになっているので、たぶんそれが原因ではないです。
そしてもう一つ気がかりなのがA子。彼女がまだこの学校のどこかにいるという事実は、正直言って嬉しかった。今もこうして下校のために廊下を歩きながら、つい彼女の姿を探している自分がいる。ただし嬉しいばかりでなく、引っかかっている部分もある。むしろそっちが大半だ。
彼女はさっき体育倉庫で俺の顔を見た際「あなたはあのときの」と言った。それは言うまでもなく、浅熊みつ殺害未遂事件の現場での邂逅を指している。つまり作者は意図的に、あのときのモブと同一人物として彼女を再登場させたわけだ。一方で、この世界のありとあらゆる理を知る俺が名前を知らないということは、A子は名有りのメインキャラ(いわゆるネームドキャラ)には昇格していないことになる。
ここには一体どういう狙いがあるのだろう。今後メインキャラに加える構想でもあるのか。今俺がわからないということは、作者自身まだ明確な見通しは立てていないようだけど……
とにかく、A子に再び何かしらの役割が与えられる可能性はゼロではなさそうだ。プロットもろくに組まない、怠惰な底辺作家風情が伏線の真似事とは、小賢しい。
だけどそれ以上に小賢しいのは俺だ。キャラが作者の操り人形であることを免罪符に、心のどこかで彼女が追加ヒロインとしてハーレムに加わってくれたらいいのになどと、虫の良い期待をしている。本当に小賢しくて、あさましい。
どんな理由であれ、さっき彼女に涙を流させたばかりだというのに。
そうこう悩むうちに玄関に着いた。今日も詩帆との下校描写か? 本当に芸がないな、と我が主を半ば八つ当たり気味に蔑んだそのとき。下駄箱のスニーカーの上に、ハート型のシールで封緘されたいかにもな封筒が置いてあるのを見つけた。
開封すると中には便箋が一枚。差出人の名前は無く、女子らしい丸文字でただ一言「思い出の場所で待ってる」とだけ書いてあった。
こっ、これは……もしやラブレター!? 告白イベント!?
あれどうしよう、なんか嬉しいんだけど。ムラム……ドキドキしてきた。男ってほんとバカね。あと作者、芸がないとか言ってごめん。才能あるよ君。
しかしここで浮上する、とある疑問。ラブレターの文面について。作者が「思い出の場所で待ってる」と書いた時点でおそらく場所については明確な見通しを立てていたため、俺はそこがどこか、お得意の推理をするまでもなくわかっている。
わかったうえでその場所――軽音楽部部室――がなぜ思い出の場所になるのか、さっぱり見当が付かないのだ。部室は昨日、犯人候補三人娘の事情聴取の際に使用したが、それ以外に何かした覚えがない。少なくとも「思い出の場所」と書かれてここに思い至るような特別なことは、何も。
思い出、思い出……記憶の引き出しを開け閉めする間もなく、俺はいつのまにか部室のドアの前に立っていた。
「遅かったじゃねぇかよ」
ドアを空けた瞬間、凛と芯の通った声がして俺はびくりと肩を震わす。
菅ヶ田七星は、昨日と同じように机の上に座って足をプラプラし、ぽーっと口を開けていた。わかっていたが、彼女こそがあの手紙の差出人。菅ヶ田はよっと机から飛び降り……た瞬間着地に失敗し、顔面から硬い部室の床にダイブ。そして昨日と同じようにドッタンバッタン、シャチホコのような体勢で悶絶する。たぶん小説本文の描写じゃない。なんかどいつもこいつも、ガワは良いのに中身が残念な感じだな……
やがて菅ヶ田は、死体のようにぐったりと床に転がったまま、クールな声で話し始める。
「覚えてるか? この場所で昨日初めて……アタシがアンタの消しゴムを拾ったこと」
んん?
「あぁ、もちろんさ。あんな運命的な出来事、忘れられるわけないだろ」
いや、忘れてました。どーでもよすぎて。そういえば「消せない思い出が〜」みたいな別に大して上手くもねぇこと言ってたっけ。
……あ。それでここが思い出の場所ってこと? はいはい、なるほどね。理解(ツッコミ放棄)。
「アタシ、あれからおかしくなっちまったみたいでさ。何してても、アンタの憎たらしいニヤケっ面が頭から離れねぇんだよ。ほんと、勘弁しろっつーの」
「お互い様さ。俺もあのときから、菅ヶ田のことを考えなかった時間なんて一秒たりとも無ぇよ」
「……」
「んだよ、照れてんのか? 可愛いとこあんじゃねぇの」
「うっせーよ、バカ」
「! ちょっと待て。お前、もしかして顔赤くなってないか? ほほう、これは捜査の必要があるな。ちょっと手をどけてくれ」
いやいやこの捜査の流れ、ついさっき尾藤のときにもやったんだが。さすがにワンパターン過ぎないか? まさかとは思うが、もう手札尽きたんか?
作者の恋愛デッキ、枚数少なすぎ。極薄にもほどがある。葉栗オリジナル。
「そ、そんなことより! 今日はテメェに用があって、」
「なんだ? ようやく俺への恋心を自首する気になったか?」
「ち、違……っ!」
「ハハッ、冗談だよ。さてと……俺たちにとって特別なこの場所で、今度はどんな思い出を作るつもりか、そろそろ聞かせてもらおうじゃねぇの。セイ・カモン」
俺の口が挑発的に言う。菅ヶ田はゆっくりと立ち上がると、セーラー服の胸元のリボンをほどきながら、ジリジリとこちらににじり寄ってくる。尾藤ほどではないが、十分に蠱惑的な胸がチラリと覗く。白くてツヤッツヤしている。さっきまであほらしい展開に辟易していたくせに、ゴクリと自分の喉から嚥下音が鳴ったことに驚いた。
菅ヶ田はフローラルな香水の匂いを漂わせながら、前屈みになる。そして谷間を強調しつつ上目遣いで、ねだるように言った。
「加入、して?」
……えっと、保険の勧誘か何かだろうか? 俺がこんな色仕掛けに屈するとでも「あぁ、いいぜ」屈してしまった。作者め、せめて内容を確認してから承諾させてほしい。これじゃまるで俺がスケベみたいじゃないか。違うのに。
「で、何に加入すればいいんだ?」
おそらく読者にスケベの烙印を押されたであろう俺は、今さらながら菅ヶ田に尋ねる。
「うちのバンドに加入して、みつの代わりにギターボーカル、務めてくんない? ってか務めろ」
「俺が、ギタボを?」
「そう。うちらのバンド、九月末の文化祭でライブをやる予定だったんだよ。だけどみつがあんなことになっちまったからさ……今回だけ代役を立てようって、皆で話し合って決めたの」
どうせまたエッチな展開かと思えば、予想の斜め上で困惑する。歌はともかく俺、ギターなんて弾けないんだが。
「アンタ、確かギターめっちゃ弾けただろ?」
と思ったら、今急にギターがめっちゃ弾ける設定生えてきました。ギターとか触ったこともないですが、たぶんやろうと思えば何でも弾けます。めっちゃ弾けるので。
とはいえバンドなら暗譜とか合わせ練習とか、詳しくないからよくわからないが、そういうのに結構時間かかるんじゃないだろうか。
二、三曲ぐらいやるとして、適当に見積もっても一ヶ月、二ヶ月……あれ、というか今何月なんだ?
「今が七月後半で夏休みに入る直前、文化祭までは夏休みを含めて丸々二ヶ月もあるから十分な練習時間だな」
うわ、また設定生えてきた。すごく丁寧な説明口調だ。そして急に気温が暑くなり始めたということは、今七月後半に決めたな? 作者、今まで季節すら決めずに書いてたのか。
「ったく、加入しちまったからにはしょうがねぇ。引き受けるよ」
ということで、あっさりと決定。
最初はてっきり告白されると思っていたのだが。そもそも、何を言われるかわかってなかったということは「思い出の場所で待ってる」と書いた時点で、作者はそこで起こるイベントを何も決めていなかったということだ。
で、結果ハーレムバンドの結成。これがほんとの「ライブ感」ってやつ?
その後、なんかいろいろと雑で薄っぺらな説明を受け(作者のバンド知識の不足と、描写の拙さが垣間見える)、俺は正式に浅熊みつ復帰まで代役を務めることとなった。そしてエレキギターは自前ではなく、菅ヶ田の家にちょうどあったという使っていないものを借りることに。
「ベースだけじゃなくてギターも弾くんだな」
「同じようなもんだろ、ベースもギターも。見た目変わんねーじゃん」
作者、無知が過ぎる。絶対コメント欄荒れるぞと思ったそのとき、
「あぁん? 菅ヶ田、こいつはなんだ?」
俺は菅ヶ田に尋ねた。
菅ヶ田に借りたギターが入った、ギターケース。そのファスナー部分に、おそらく何かのキャラグッズと思われる、デフォルメされた女の子のストラップが付いていた。
「あぁ。それはアタシが好きなアニメのキャラだよ」
「へぇ、アニメ観るのか。可愛いな」
「かわ……っ!? べ、別に可愛くなんて……!」
「可愛いじゃん。なんてアニメのキャラ?」
「……なんだ、可愛いってそっちかよ」
「? 他に何があるんだ?」
「なんでもねぇっ! チッ……『ナナイロアイドル』のアイちゃんだよ」
……あれ?
不機嫌そうなセリフに反して間抜けなほどニッコニコ笑顔の菅ヶ田を見ているうちに、俺は今さらながらとある違和感に直面する。
「ふーん。このキャラ、どことなくお前に似てるな。髪色とか、目元とか。本当に可愛い。俺も少し好きになってきたぜ」
「へ、変なこと言うんじゃねぇっ! ……また忘れられねぇ思い出が増えちまったじゃねぇか。これ以上、脳のストレージ圧迫すんな」
まだぼんやりとしかわからないが、菅ヶ田は、詩帆や尾藤と何かが異なる。どこか超然としているというか。中身の性格の問題? いや、彼女だけは文字どおり「役者が違う」のだと、俺の第六感が叫んでいる。それは言うなれば、意識しなくても呼吸の仕方を知っているように。心臓が勝手に脈を打つように。そうだ、生まれた時から当たり前に知っている、理の感覚に近いんだ。
世界の「理」。それは作者が意図して創るものではない。たとえば、
キャラクターそれぞれに意志があるように。
メインキャラの名前や役割、作中の主要な設定を皆当たり前に知っているように。
作者が明確な見通しを持って書けばキャラたちにもその内容が共有され、その場の思いつきで書けば誰にも先がわからないように。
それはそういうものとしか言いようのない、最初からそこに存在する絶対不変の法則。理だけは、想像主たる作者ですら完璧にコントロールすることはできないのだ。そう考えると、ギャルである菅ヶ田から理と似た香りを感じることにも納得できる。
だって、あの童貞(断言)が本物のギャルと話したことあるわけないもん。相手にしてもらえるわけがないし、そもそも視界に入らないから認知もされないだろう。住む世界どころか生まれるときに通ってきた産道の種類が違うと思うし、同じヒト科に分類されていることすらおこがましい。身の程を知れ。
……失礼。ちょっと個人の思想が強めに出てしまったかもしれない。とにかく、ギャルとはそれほどまでに神聖なものであり、我らがザコ作者ごときに御し切れるものではない。ということが言いたかった。
ついでにもっと言うと、菅ヶ田はおそらくただのギャルではない。
俺の推理が正しければ彼女は、着崩したセーラー服から覗く谷間の奥にもう一つ名前を隠し持っている。
それはきっと、世の中の全ての雄が恋焦がれ、血眼になって探し求めた理想郷。虚構の中の虚構だと知りながら、それでも諦めきれなかった愚か者たちの夢の残骸が積み重なりできた、空想上の生き物。
「それにしても意外だな。菅ヶ田がまさかアニメを観てるなんて」
「……悪ぃかよ。アタシがアニメを観ちゃ」
「まさか。ただ、女っていうのはそういうオタク趣味的なもんに厳しいイメージがあったからよ。特にお前みたいなギャルは」
「は? いつの時代の人間だよテメェは。今時アニメも観ねぇギャルなんていねぇよ。むしろ令和のギャルの嗜みだし。つけまみてぇなもんだ」
「じゃあお前、もし好きな男が美少女フィギュアのスカートを下から覗いてデュフデュフ言ってたら、どうする?」
「一緒に覗いてデュフデュフ言うに決まってんだろ。フィギュアの用途ってのはそもそも、普通なら拝めないアニメキャラのパンツを見ることだろうが」
そう……彼女の真の名は。
「フッ。『オタクに優しいギャル』、か。噂には聞いていたが、まさか実在したとはな」
俺のセリフが二人きりの部室にこだました瞬間。頭上の壁にかかった時計の針がカチッと一際大きな音を立て、静止した。同時に俺の身体は動かなくなった。再びこの小説内の時間が止まったのだ。
だけど以前のように作者が筆を折ったわけではない。証拠に、今回俺の目に映る世界は暗転をしていない。
では誰が時を止めたのか。答えはすぐ目の前にあった。彼女は止まった世界の中で、俺の脳内に直接語りかけてきた。
(もしもーし。葉栗、聞こえる? アタシだけど)
(……アタシアタシ詐欺ですか?)
(は? 菅ヶ田だよ。なんだよ、アタシアタシ詐欺って。美味しいのか?)
(いや、あの、ボケだから気にしないで……)




