第二章〜どうして俺がラブコメ小説の主人公に!?〜
コメントが届いた直後。まるで舞台の暗転のごとく、世界は闇に覆われた。そして俺たちはピクリとも動けなくなった。指一本。呼吸一つ。眼球でさえ。それはすなわち、作者が筆を折ったことを意味している。
物語とは他の誰でもない、作者の頭の中だけに存在するもの。だから彼が続きをつづってくれない限り、俺たちの時間が進むことはない。
身体はある。心もある。だけど何もない。あるのは、悠久の無。
それはある意味で、バッドエンドよりも悲惨な結末に違いなかった。
ここにきてようやく、俺は本当の意味で自分が虚構であることを理解した。
俺は小説の主人公。作者が想像し、創造したから俺は生まれてこられた。作者が筆を取ったから、俺は足を未来へと進められた。
だけど作者が筆を折ってしまったことで、俺は自分の無力を思い知った。もう自分の力では生きることも死ぬこともできない。いや、はなから自力で選べる選択肢など何もなかった。
いっそのこと、作品ごと消し去ってくれればいいのに。
虚構でも偽りでも、俺は確かにここにいる。この世界がある限り、俺という存在は消えない。ただ、ネットの海を無為にたゆたうだけ。時の牢獄の中、永遠に。
探偵としてこの世に生まれ出で、事件は未解決のまま、死んでも死にきれない。こんなにむごい生殺しがあるだろうか。
嗚呼。
きっともう、俺たちの物語が道程を卒業することはない……
どれほどの時間が経っただろう。真っ暗な世界の天井が割れ、一筋の光が差し込む。光は次第にその明るさを増し、幾筋にも分岐して舞台を照らしだす。
時が動き出した。どういう風の吹き回しか、作者が再び筆を取ったのだ。俺は眩しさに手をかざし、目を細める。奇跡だと思った。天才高校生探偵・葉栗千博の、物語の続きが始まるのだと。
一面に広がる白光に包まれながら、俺の口は、作者の筆先から溢れた文字を、音に変換する。
「ったく、破廉恥なやつらめ。俺様が本当の恋愛を教えてやるぜ」
……。
…………。
………………え?
言葉の意味を正しく認識するのに数秒を要した。明らかに、今までの探偵としての俺の発言と毛色が違ったからだ。直後、光は無数の粒子となって弾け飛び、消えてゆく。そして拓けた俺の視界に、信じられない光景が飛び込んできた。
最初に見えたのは尾藤の姿。俺は自分の目を疑い、そしてひん剥いた。
「めめめ目が合っちゃいました! 二回も! ど、どうしましょう! 好きだってバレちゃったら……ゴニョゴニョ」
言っていることもおかしいが、それより、見た目の変化が著しい。
爆☆乳!
なんだこれは、一体。ギターの音色だけでなく、身体まで凶暴になっているではないか。というかもはやギターのボディみたいな体型なんだが? ボン!!キュッ!ボーン!!!なんだが? 俺は知らんぞ、こんなレスポール女!
ついでに、顔面のほうも丸ごとアップデートされている。すごく男好きするたぬき顔。イエスポニテ、ノーメガネ。辛気臭い地味女の面影はどこにもない。
続いて、菅ヶ田に視線を移す。短い。異様に。スカートが。それからド派手な金髪はつややかに、とぅるんとぅるんに。さらに平成初期感溢れるケバいメイクは刷新され、元々美しいパーツを程良く引き立てる程度に抑えられている。つまるところ、ゴリゴリのスケバンからエチエチのギャルに転向していた。
驚きのあまり、俺の手からは消しゴムが滑り落ち……って、俺いつから消しゴム持ってた? 菅ヶ田は消しゴムを一瞥した後ゆっくりと拾い上げ、俺の前に差し出す。
意味不明なセリフを添えて。
「お前の消しゴム拾ったの初めてだな……消せない思い出、できちゃったじゃねーか」
何言ってんだこいつ。なんで顔真っ赤なの? なんでモジモジしてんの?
「ったく、別に頼んでないだろ。バーロー」なんで俺も満更でもない感じなの? ちょっとよくわかんない。
そして最後に、詩帆。見た目は……特に変化なし。八重歯が可愛いツインテロリっ子のまま。良かった、お前だけは無事だったか。
「べ、別にアンタが好きだから隣の家に住んでるわけじゃないしっ! 勘違いしないでよねっ! アンタが葉栗家に生まれたからって、わざわざ隣の福豆家を選んで生まれてきたわけじゃないんだからっ!」
前言撤回。無事じゃなかった。
なんかコッテコテのツンデレになってる。けど、ちょっとデレのスケールが大きすぎませんか? 重すぎて受け止めきれませんが? この小説の世界観では通る産道って選択制なんだっけ?
ま、まぁともかく。状況を整理しよう。俺自身もたいがいだが、三人娘の発言はミステリー小説キャラのそれじゃない。さらにガワの見た目や性格が別人のごとく変化している。しかもこれたぶん、全員俺のことを……だよな? じゃあ、この中の誰かと男関係で揉めていたという浅熊も? 痴情のもつれの原因、俺?
もうわけがわからない。わからないが、休載を挟んで俺を取り巻く環境が激変したのは確かだ。
例えるなら、そうだ。一度死んで異世界転移したら、知らぬ間にハーレム築いてました、みたいな?
目の奥がチカチカして立ちくらみがする。動悸がにわかに激しくなり、噴き出した汗が背中を伝い、制服のシャツを濡らす。今、俺の心をさいなむのは不安と動揺。そして雄としてのリビドーが叫ぶほんの少しの――期待感。
「あぁん? 言っておくが、お前ら全員たった今から俺の捜査対象だ」
俺は生まれた瞬間からこの世界のありとあらゆる理を知っていた、はずだ。だけど今、目の前で全く知らない現象が起きている。明らかにミステリー小説という理の外にいる、そんな感覚。カテゴリーエラー? そこに思い至った瞬間、稲妻のごとき衝撃が頭の先から足の先まで駆け抜けた。
そう。気付いてしまった。
この小説は、小説投稿サイト内のジャンル設定で当初「ミステリー」になっていた。それがたった今、作者の手によってシレッと「ラブコメ」に変更されたことに。
俺はもう一度歩き始めたと思った。ミステリー小説の主人公として、事件のトリックを解明してゆく道程を。
それなのに。
「お前らのことすみずみまで調べ尽くして、解き明かしてやるよ。この複雑怪奇な、恋の連立方程式をな!」
どうして俺がラブコメ小説の主人公に!?
心の中で絶叫すると同時に、後ろから声がかけられた。
「俺は部活があるからそろそろ行くよ。捜査の続きは明日でいいか?」
振り返れば月代。忘れていた。存在ごと。親友なのに。
というか、作者の「月代は邪魔だからさっさと退場させたろ」という魂胆が透けて見える。男キャラは排除。これがハーレム系小説の宿命なのか。
「あぁ、すまないな。また明日以降頼む。そうだな……真犯人の正体がわかってアリバイも崩せてあとは崖の上でネチネチするだけってタイミングになったら連絡してくれ。もしあとがきの最後にスペース余ったら、書き下ろし短編にするから」
メタい。そして酷い。あとすでに書籍化前提なのも地味に図々しい。月代は「おう、任せとけ!」という元気な返事とは裏腹に、自身の運命を悟ったような寂しげな表情を置き、走り去って行った。
ジャンルがラブコメに変わってしまった以上、彼の情報収集は全て無駄に終わるのだろう。というより、余白で情報収集を続けているという体でそのままフェードアウトだ。だって犯人候補全員、ハーレム要員なんだもん。捕まえちゃダメだもん。名探偵の助手が再び物語に登場してくれる可能性は、限りなくゼロに近い。
「ねぇ千博。今日、一緒に帰る? べ、別にアンタと二人きりになりたいわけじゃなくて、ただ帰る方向が偶然一緒だからっ」
同情じみた感傷に浸っていたところ、詩帆が声をかけてきた。指をツンツンとくっつけては離す古の照れ動作をしている。うん。ベタにもほどがあるが、可愛い子がやれば男的には十分グッとくるし、目の保養になる。文章だけ読んでいる読者にこの光景が伝わるかどうかははなはだ疑問だが……って、あれ?
視力アップに注力しているとふとあることに気付く。詩帆は可愛いポーズで俺を誘っているようで、目だけはなぜか、月代が出て行ったドアのほうをうつろに見つめているのだ。あ、小指で耳ほじり始めた。キラキラの空気もウンコ色に変わる。
なんだこれは。この感じは一体……
「男女が二人で下校だと? 全く、とんだ淫乱女だぜ……買い食いする覚悟は出来てるんだろうな?」
違和感が形を成す前に、俺の口から承諾の言葉がまろび出る。それにしても作者、たかだか女子と一緒に下校ぐらいで大袈裟すぎではなかろうか? やはり童……いや、これ以上はやめておこう。




