最終章②〜筋書きの無いストーリー〜
その瞬間は唐突にやってきた。
これまで俺たちを押さえつけていた大いなる意志。見えない力。操り糸のようにキャラクターの身体にずっとまとわりつき、雁字搦めにしていたはずのそれが、急速にほつれを見せ始めたのだ。プツン、プツン。そして最後の一本が千切れ飛んだ瞬間、俺は生まれて初めて自由を知った。
身体が意志に反して勝手に動かない?
「あ。あ? あー、あ! テステス。う◯こち◯ちん。S◯X」
そして、思ったとおりにしゃべれる……?
(なぁ、葉栗)
隣から聞こえたテノールボイス。見ると、月代が呆れたような表情をしている。
(自由に言葉が発せて嬉しいのはわかるけどさ、さすがにキャラは守ろうぜ。いちおうこれ読者も読んでるんだからさ)
(あ、あぁ。すまん月代。というか、なんでさっきから俺たち脳内で会話できてるんだ?)
(そんなの、俺がわかってるんだからお前にもわかるだろ)
(あぁ……そうだな。そうみたいだ)
理屈よりもっと深い、根源的なところを探ってみるとその答えはあった。時間は止まっていないけれど、これは菅ヶ田の理としてのテレパシー能力の一部だ。それが俺たちにも発現している。
俺たちだけじゃない。詩帆も、尾藤も。そして瑛子も。皆の声が、意識が、脳に直接流れ込んでくる。
理由もきっと皆それぞれ気付いている。元々菅ヶ田を理の側たらしめたのは、作者自身が菅ヶ田というキャラクターに込めた「オタクに優しいギャルに優しくされたい」という祈りにも似た純粋な想い。要するに、作者にとって菅ヶ田が特別に思い入れの強いキャラクターだったから、彼女は特別だったのだ。
しかしたった今、作者にとって、俺たち全員が特別に思い入れの強いキャラクターに成った。作者のキャラクターに対する愛が、メインキャラクター全てを理に踏み入れさせたのだ。
世界の理に干渉する能力の付与。それはつまり、作者がこの物語を創る全権を俺たちに委ねたことと同義である。
現在、作者がどのような状況に置かれているのかまではわからない。
確かなことは一つだけ。彼はきっとこう言っている。
「俺の描いた最良のハッピーエンドを、最高のハッピーエンドで塗り替えてくれ」、と。
神は俺たちに未来を託した。
(! お、おい葉栗! 轟が!)
(わかってるよ、くそ……っ!)
託されたと言ってもこれで万事解決ではない。俺たちはそれぞれ独立した意志があり、一枚岩ではない。そして一度公開してしまったストーリーは変えられない以上、誰かが犠牲になるしかないのだ。
瑛子の意志が伝わってくる。彼女は自由を得た今も、ひとりよがりな自己犠牲精神に身体を操られ、本心を押し殺し、たった一人闇に向かって走り続けている。
「月代っ! 行くぞ、咲丘総合病院だっ!」
「あぁ!」
俺は自分の意志で力強く地面を蹴った。
咲丘総合病院の廊下は相変わらず靴越しでもひんやり冷たく、最悪な結末を予感させる。
俺は頭の中で皆に呼びかける。
(こちら葉栗! 瑛子はどこだ!? どうぞ!)
(こちら菅ヶ田! わかんないっ! とりあえず尾藤は先に逃げたから、そっちと合流して! どうぞ!)
(了解! 尾藤、今どこだ!? どうぞ!)
(こちら尾藤! ここで言ったら轟にも伝わっちまうだろよく考えろ! どうぞ!)
(お前素はそんな口調なのかよ怖っ!! どうぞ!)
(こちら福豆! 千博と月代くんの現在地を捕捉しました! どうぞ!)
(こちら月代。詩帆ちゃん? いつもの、二人きりのときみたいに呼んでよ。どうぞ)
(えぇっ!? え、えと、千博と……し、進之介の現在地を捕捉しました。どうぞ……)
(こんなときにイチャついてんじゃねぇぇぇ! 詩帆! 俺たちから見て尾藤はどっちにいる? 案内してくれ! どうぞ!)
(え、えっと、もっと右……きゃっ! それは行きすぎだよぉ! もうちょっと左、左……うん、そこぉ!)
(なんかやらしい! 普通に案内しろよ! どうぞ!)
(アッハッハ! こうしてるとスイカ割りのときを思い出すよな! あのときは尾藤がいやらしい声を)
(笑ってんじゃねぇぞ菅ヶ田! 私はただ何年書いても一向に小説が上手くならないドヘタクソ素人童貞作者のゴミセリフを言わされただけで、)
(え、あいつ素人童貞なの? ……確かに、序盤の奥手描写から一転して後半は急に下ネタバンバンだったし、連載途中に文字通り一皮剥けた可能性も……)
(いやあの、菅ヶ田? 私が言う素人は童貞じゃなくて小説のほうにかかってて、)
(え? え、どういうこと? よくわかんないよ尾藤。結局作者は被ってるの? 被ってないの? どうぞ?)
(分かれよ! ポンコツかテメェは! あんなやつ議論するまでもなく被りまくりに決まってんだろ! 例えるなら、頭の上にカツラと帽子とヘルメット被ったうえでちっせぇバット握り締めてバッターボックスに立ってるみたいな、)
(だーうるさい! 今! それどころじゃ!! ないだろうが!!! どうぞ!!!)
なんだこいつら。素になっても結局いつもと同じ、バカばっかじゃねぇか。
こんな切羽詰まった時なのに、つい頬がゆるんでしまう。
詩帆と、尾藤と、菅ヶ田と、月代。
俺たちは同じ小説という船に乗り合わせた仲間だ。お前たちで良かった。誰一人、置いて行ったりなんてしない。
それから!
もちろんお前もだぞ、瑛子!
(! こちら葉栗、たった今尾藤を発見した! すぐに合流を……っ!?)
正面の突き当たり。二階のエレベーター横の観葉植物の陰に、尾藤は隠れるように立っていた。俺から見て左側の通路を気にしており、まだこちらには気付いていない。それと、やや左後方から今にも振り下ろされようとしている大根にも。
俺はダッシュの勢いを緩めず、むしろ加速させながらスライディングをする。塩ビシートの床は程よい摩擦で俺の身体を受け止めると、尾藤の真後ろに滑り込ませ、ピタリと停止させる。大根が振り下ろされるのと、俺が立ち上がってそれを両手で白刃取りのように受け止めるのは、ほぼ同時だった。
きゃっ、と後ろで尾藤が小さな悲鳴を上げる。俺は驚きで目をまん丸に見開いた目の前の少女に、平静を装って呼びかけた。
「よぉ、瑛子。君も菅ヶ田のお見舞いかい?」




