第六章④〜文化祭〜
――たくさんの、それはもうたくさんの人が体育館全面を使ったおしくらまんじゅうを繰り広げている。
ここにいる全員、俺たちのバンドを観に詰め掛けた観客たち。特に女子の割合が多い。七星様ー!という菅ヶ田推しの歓声に入り混じって、たまに葉栗くーん!という声も聞こえる。
男子もそこそこの人数だが、勢力で負けているのは学園のアイドル兼ギターボーカルの浅熊みつが俺に代わった影響だろう。逆に言えば、尾藤と詩帆だけでもこれほどの人数の男子を集客できるのだ。彩丸ちゃーん!詩帆ちゃーん!と野太い声で懸命にエールを送っている。
「シーッ」
菅ヶ田が唇の前で人差し指を立てると、体育館はシーンと静まり返った。行き場を失った熱が空中で渦を巻く。今にも爆発しそうな期待感の中、詩帆がドラムスティックをカン、カン、カンと三回打ち鳴らした。
尾藤のギターソロから曲が始まる。以前からずっと聴いてみたいと思っていたそれは、噂どおり、いや噂以上にギュインギュインと歪んでいて、とてもカッコいいサウンドだ。なんかこう、その、カッコいい。うん。
続いて菅ヶ田のベースと詩帆のドラムが重なる。機械のように正確無比な菅ヶ田のベースは、すごく正確で、一寸のズレも許さない、それでいて単調ではないんだけれど、でもやっぱり、正確だ。うん。
詩帆のほうも、なんか大太鼓と小太鼓みたいなやつ(作者の認識に引っ張られて名前が出てこない。さてはあいつ、調べてすらないな)が良い音を奏でる。なんかとても良い音だ。楽しくなってきた。シンバル的なやつも良い。楽しい。うん。
三人が生み出す音のビッグウェーブ。あとはそこに、俺の声が飛び込んでしまえばいい。
俺は大きく息を吸った――。
――間――
あっという間に三曲の演奏が終わった。びっくりするほど曖昧な意識の中、ピロピロッとギターのネックを撫でて(しかも持ち方が通常の右利き用と左右逆だった)、ポップだかロックだかメタルだかわからないものをゆるふわっと歌ってたら、すーぐ終わった。
解像度が低過ぎる。しょうがないか。どうせうちの作者みたいなクソ陰キャ野郎がライブなんて行ったことあるわけないもんな。それにしても調べるぐらいはしろや、とは思いました。はい。
というわけで、文化祭一日目は幕を閉じた。信じられないけど、閉じてしまった。
「とっても楽しかったですぅ!」
鬼の首領みたいな顔面になった尾藤が言う。言いながら、ストレス発散に俺を踏みつけている。ちょっと汗の染み込んだ靴下がグリグリと鼻先に擦り付けられると、なんだか得体のしれない高揚感が腹の底から込み上がってきて開いてはいけない扉を開きそうな「さぁ、さっさと片付けるぞ。時間が押してるみたいだから」あぁ、今良いところだったのに。というか、まだステージ上なの忘れてた。
尾藤は菅ヶ田に促されてフガフガ言っている俺から離れると、アンプからシールドを乱暴に引き抜いた。それから足元のゴチャッとした黒いガラクタ(まさかエフェクターのつもりか?)を持ってさっさと退場していく。これで尾藤の文化祭は終わりだ。演劇での「木その7」とかいう役は事実上出番ゼロに等しい。ただ背景で立っているだけの、もはやティッシュ以下の端役。
こんなあんまりなことがあるだろうか。仮にも初期メインヒロインの一人の姿か? これが。
かといっておじいさん役、すなわち「主人公」の俺に慰められることほど、彼女にとっての屈辱はないだろう。俺はどうすることもできず、いつもより一回り小さく見えるレスポール・ボディを見送った。
文化祭二日目、俺は久しぶりに一人で登校した。
別に皆で行く約束なんてないけれど、ドアを開けたら当たり前に詩帆がいて、月代がいて、尾藤に菅ヶ田、それから瑛子が合流する。そんな朝が来るもんだとばかり思い込んでいたから、こんな何気ない描写一つにも作者の意図を感じて怖くなる。
それに、今日の午前は我がクラスの出し物「ギャルの恩返し」の演劇もある。何かが起こったって不思議じゃないし、その何かが好ましいものだとも限らない。
あらゆるシナリオが浮かんでは消えてゆく。なぜ、こんなにも嫌な展開ばかり思いつくのだろう。この思考が全部孤独のせいだとすれば、こんなにも恐ろしいもの、俺は他に知らない。
重い足を引きずって教室の前まで辿り着くと、中が妙に騒がしいことに気付く。
どうせあれだろ? ドアを開けたら月代と詩帆が馬鹿な漫才やってて、尾藤が内心キレながらドジやってて、菅ヶ田が内心ボケーッとしながらキレてて、瑛子は内心寂しそうに笑ってんだろ? わかってんだよ。
……そうか、月代と詩帆は違うクラスなんだっけ。
じゃあなんだ、尾藤が一人でドジッて、菅ヶ田がキレて瑛子が笑ってんのか。そうなんだろ? そうであってくれ。
祈りにも似た気持ちでドアを横に引くと、まず期待どおりの光景が目に入る。俺が急に現れたからか「ひょわぁっ!」と間抜けな叫び声を上げ、ドアから飛び退く尾藤の姿。
ほらな。次はどうせ菅ヶ田の怒鳴り声が……聞こえない。待てど暮らせど。焦れて周りを見渡すと、菅ヶ田の姿が、ない……?
瑛子はいる。笑ってはいないが、そこにいる。
どういうことだ? 尾藤に目を向けると、普段は見せない彼女の、心から不安げな瞳とぶつかった。
「葉栗しゃんっ! す、菅ヶ田しゃんから、連絡来てないですか!?」
取り乱したセリフ。彼女の表情とも矛盾はない。
「あぁん? ……来てねぇみてぇだけど、何かあったのかよ?」
アワアワと慌てふためく尾藤から次のセリフを引き取ったのは、普段ほとんど出番のない担任だった。
「さっき親御さんから連絡があってな、昨晩遅くに出て行ったきり、家に帰っていないらしいんだ。電話しても出ないし、何やってんだあいつは」
苛立ちよりも憂いを多く含んだ担任の声が、登校中頭に浮かんだ陰鬱なシナリオたちをフラッシュバックさせる。大丈夫だ、落ち着け。これはラブコメ小説だぞ? どうせくだらないギャグ展開に決まってる……なんて言い聞かせてみても、嫌な動悸は収まらない。
そうか。たぶん、作者の仕業だ。
今もって菅ヶ田の状況がわからないということは作者もまだ次の展開を決めかねているんだろうが、おそらくろくでもない方向であることだけは決まっているのだ。だから不安を煽るような思考の断片ばかりが流れ込んでくる。つまりさっき頭に浮かんだシナリオは全部、作者の考えているこの先の可能性そのもの。
今、ここにいる皆もそれを共有しているはず。だから誰が悪いのかも、菅ヶ田がどうなっているのかも、きっとなんとなく察しがついている。
口火を譲り合うようなしけた沈黙。
破ったのは瑛子だった。
「どうしましょう。劇の時間ももうすぐですし、代役を立てなくては……」
「劇って! それどころじゃ!」
「お、落ち着いてください尾藤さん。そんなつもりでは……」
「じゃあどんなつもりですかぁっ!」
尾藤が激昂して瑛子に詰め寄る。
違うんだ尾藤、瑛子は言わされて……そんなこと、言われなくても尾藤はわかっている。それが証拠に瑛子のセーラー服の袖を掴む尾藤の右手には、ほとんど力が入っていないように見える。きっと描写に限界まで抵抗しているのだろう。
そのはずなのに教室内にはなんとなく、瑛子が悪者みたいな空気が立ち込め始めた気がした。
これは誰の意志のせいだ。作者か、読者か、はたまた瑛子自身か。
なんにしたって、こんな物語ちっとも面白くない。少なくとも俺は。
「落ち着けよ、尾藤」
俺は半分己の意志で、創られたセリフを熱演した。
「今、俺たちにできることは劇を成功させることだけだ。菅ヶ田が無事戻ってきた時、自分を責めねぇで済むようにな」
俺のひと言で、教室の暴走した熱が徐々に落ち着いてゆく。
「わ、私もそれが言いたかっただけで……」
「……そうですね。ごめんなさい、少し取り乱しちゃいました」
「い、いえ。私も空気が読めなくて」
瑛子と尾藤が互いに謝り合うと、
「じゃあ、急いで菅ヶ田さんの代役を決めよう」
「そうね。ギャル役はヒロイン、いえ、おじいさん役と並ぶ言わば『ダブル主人公』だから、負担が大きくなっちゃうけど」
これまで静かだったクラス委員男女が声を上げる。
そしてダブル主人公という言葉の瞬間、尾藤の身体がビクッと震えたのを俺は見逃さなかった。
「誰がやる? もしセリフを暗記していてやってもいいって人がいたら、名乗り出てもらえると」
「私がやります」
クラス委員女子の言葉にすぐさま反応したのは瑛子だった。
再び教室と、そして、俺の心がざわめく。
だっておじいさん役とギャル役は劇中、とても高校生の演劇でやっていいとは思えない反PTA的な行為をするのだ。しかも前張り無しで。大変素晴らし……もとい、瑛子にはまだ早い! だいたいお前、自分で「高校生にキスは早すぎる」とか「ファーストキスは誓いのキスまで取っておくもの」とか言ってたやんけ。
「そりゃ私だってキャラ崩壊なのは重々承知してます。だけど、総合監督やらなんやら嬉々としてやっておきながら、今さらかなって」
……確かに。
「それに脚本を書いたのも私だし、ティッシュ役として一番近くで演技を見てきたからセリフも完璧に頭に入っています。監督として、責任を持って代役を務めるのが筋かと」
瑛子の主張にクラスメイトたちは次々と賛成の意を表明し始める。そりゃそうだ、できる人間がやると言っているのだから、止める必要などどこにもない。
俺だって、どうせお色気シーンを演じるならぶっちゃけ瑛子とが一番嬉しいに決まってる。
けど……俺は尾藤の顔を横目で見やる。
「私も賛成ですぅ!」
どこがだよ、そんな泣きそうなツラして。
やっと自分が主人公になれる番が回ってきたかもしれないと思ったんだろう? なのに全部瑛子のための御膳立てだったとわかって、悔しいよな。悲しいよな。言いたくもないセリフ言わされて、お前それでいいのかよ?
「葉栗しゃんもそれでいいですよね?」
いいわけねぇだろ。本当に言いたくないセリフなんて、俺は絶対に言ってやるもんか。尾藤の問いに対して勝手に零れそうになる返事を、気合いと根性だけで喉の奥に押し留める。そして俺は作者に用意された偽の言葉を、無理やり捻じ曲げた。
「お、れは、ギャル、役は尾、藤がいいと思う」
瞬間、教室は水を打ったように静まり返った。それはたぶん空気が凍ったとかいう類の演出ではなくて、純粋に、俺が勝手に話し出したことで作者による次のセリフの用意が間に合っていないんだ。
俺はそのまま岩のように硬い口をこじ開け、自らの意志で言葉を続ける。
「え、瑛子はたった一人の『ティッシュ役』だ。お前がギャル役をやるなら、今度はティッシュ役の代役を立てなきゃ、ならない。責任を持つと言うなら、最後までティッシュ、役を全うするべきだ。
その点、尾藤は『木その7』。木の中の末席。最弱の木。森のなり損ない。下痢便、ザコ、ゲロ水! 他に六人もいるから、一人抜けたところでさして、問題はない。
それにお前なら……覚えてるだろ? ギャル役のセリ、フ」
俺の問いかけに尾藤はハッとしたような顔になる。そして潤んだ瞳に決意を宿し、口を力ずくでこじ開け始めた。
目も当てられないブス顔で。鬼瓦みたいな形相で。
運命に抗う、強く美しい心で。
「わ、私でよければ、やり、ます! セリフも、全部、覚えてますぅっ!」
尾藤の魂の叫びと同時に、シナリオが変わる音が聞こえた。気がした。
「いいと思う!」
「私もー!」
さっきまで瑛子ギャルを推していたクラスメイトたちが、次々と尾藤ギャル誕生を後押しする声を上げ始めたのだ。
そうなると、肩身が狭いのは瑛子だろう。申し訳ない気持ちでチラリと顔を覗き見るが、目元まで前髪がかかって陰ができており、感情を窺い知ることはできない。
ごめん、ごめん! 全員を幸せにするには、ここは尾藤を優先するしかなかったんだ。次こそはきっと君を幸せにする番だから。だから、今回だけは……
心の中で繰り返す謝罪を、担任の声が掻き消す。
「そろそろ本番のとき間だ。皆、会場に移動するぞ」
どうやらぶっつけ本番になりそうだ。俺は尾藤と一瞬視線を交わし、頷き合う。
今だけは悩んでいてもしょうがない。
さぁいよいよ、俺たちの青春第二幕、開演といこうか。PTAが来る前にな。




