第五章⑥〜「諦」のマネージャー・瑛子〜
初めて向けられた笑顔に不覚にもキュンとしてしまった。ったく……危うく惚れちまうところだったぜ。月代と、そして彼女さえいなければ。
「全く、妬けちゃうねぇ」
茶化すように言う月代に詩帆がポーンと何かを放り投げる。
「作りすぎちゃったから、あげる」
珍しくツンツンすることもなくサラッと渡された小さな袋。その中には、少し歪でところどころ焦げた本命が入っている。
「可愛くねぇ女」
セリフとは裏腹に、月代の頬はだらしなく緩んでいた。はあ。結局こいつは何がしたかったんだろうな。惚れやすいのかな。
「なによー! 貰えただけでも感謝しなさい!」
「はいはい、余り物くれてありがとさん」
「誰が残飯皮だけスイカ女ですってー!?」
「言ってねぇよ! どんな耳してんだオメェ!?」
「皮目が一番栄養たっぷりなんだからぁー!」
「……ふーん。やっぱおもしれー女」
作者の考えたおもしろくねー会話劇はともかく、二人の間にクッキー以上に甘い空気が垂れ込めているのは間違いない。俺は邪魔にならないようそっとベランダに出、二つ並んだウッドチェアの片方に腰掛ける。今作者は詩帆・月代ペアの描写だけにお熱だ。思ったとおり、最低限の制約下で自由に動けるらしい。
「隣、いいですか?」
突然後ろからかけられたハスキーボイス。返事をする間もなく、声の主は俺の隣のチェアに腰を下ろす。物語の最初の最初、浅熊みつ撲殺未遂現場以来の二人きりだ。「瑛子、さん」声が不自然に震えた。
「いきなり下の名前? 別にいいけど」
そっちこそいきなりタメ口? ほんとにもう、キュンどころの騒ぎではない。
というか以前、警察の事情聴取のときは無意識下でなんとなく会話をしたという事実しか残らなかったが、今は間違いなく自分の意志で言葉を選んで発している。
なぜこのようなことができるのか。おそらく、作者のキャラに対する解像度が上がっているんだ。
詩帆たちが会話している間、葉栗と轟なら二人で親睦でも深めているだろう、みたいな。そんな詳細な光景が作者の頭の中に浮かんでいるからこそ、俺たちはその想像の範囲内で意識下の会話ができる。
作品が成熟するほどに理も変容してゆく。
そして作品を育てるのは作者であり、キャラであり、読者だ。童貞臭い作者が書いたこんな下ネタだらけの物語を、いつのまにかたくさんの読者が支えてくれているし、逆に俺たちも、それだけの読者たちに暇潰しのひとときを提供している。
この小説に関わった皆が何かを感じ、考え、変わってゆく。
多くの作家は気付けないけれど、それは本当に尊いことで。だからこそ俺は、自分を含めた全ての人が幸せになれる最高のハッピーエンドを目指したいと、改めて心に誓う。
「瑛子さん」
意を決して呼びかける。一般的に、ハーレムラブコメで追加ヒロインと結ばれるパターンは少ない。だけど詩帆がその想い一つでハーレムモノのお決まりを覆したように。俺もくだらないお約束なんて、ぶっ壊してやる。
「俺は君がす……す……スイカと呼ぶには少々果肉が少なすぎるね。かと言ってまな板や渋柿は言い過ぎだし、どうだろう、ここは一つポンカンあたりで手を打たないか? ヘタの部分がちょっと凸ってるのもポイントが高い」
俺は自分の口から出てきた言葉に驚愕と同時に絶望した。
決してひよったわけではない。確かに「好きだ」と言ったはずだった。だけどそれが勝手にとんでもねぇド下ネタに変換されてしまった。
そこでようやく気付く。なるほど、あくまで物語の設定上俺が言ってもおかしくない言葉でしか会話ができないのだ。確かにここで俺が瑛子に好きだなんて伝えてしまえば、ハーレムモノとして物語が終了、あるいは破綻してしまう。
そう、これは俺たちにキャラクターに課された枷だ。いくらなんでも本気で瑛子のアレをポンカンサイズなどと思っているわけではない。たぶんちょっと小さめのリンゴぐらいは「最っ低」殴られた。痛い。恨むぞ作者。
「違うんだよ。これは、」
「わかってるよ。本当は別のこと言おうとしてたんでしょ?」
「え? わかってたならなんで殴ったの?」
「そこにムカつくツラがあったから?」
理不尽な登山家か。でも、意外とやじゃない。ニヤけていたら「やだ。キモい」とさらに追撃。悪くない。何かが目覚めそうだ。
まぁとにかく。俺たちは直接的なワードを避ければある程度本心を交えて意思疎通できるようだ。これは千載一遇の大チャンスである。
「あの、瑛」
「福豆さん、嬉しそうだったね」
俺の発言に上書きし、瑛子が口を開いた。
「あ、あぁ。そうだな」
「彼女、きっとあなたに感謝してるよ」
「え?」
「あのときあなたはきっと、月代くんが福豆さんを傷付けることだけを心配していた。彼女を守ることで自分に惚れさせようなんて下心は微塵もなかった。だからこそ、この結果を招いたんだと思うから」
ビーチバレーの試合の話だろうか。確かにあのとき、俺は詩帆の前でカッコつけようとか邪な気持ちはなかったと思う。というかそんな余裕なかったし。
「いやぁ、これは詩帆自身が引き寄せた未来さ」
照れ臭くて小さく反論してみる。しかし瑛子は全てわかっていると言わんばかりに、柔らかな微笑みをたたえていた。
「優しいんだね」
心臓が一際速いビートを刻む。勇気を沸き立たせる、力強いミュージックだ。
「瑛子、は、好きな人いるの?」
「……いるよ。けどたぶん、叶わない」
呟いた瑛子は穏やかに、遠くの空を見つめていた。星がよく見える美しい夜に相応しくない達観したような横顔が、俺の胸をギュッと締め付ける。苦しい。
彼女の言う好きな人が作劇上の好きな人か、はたまた本心のほうの好きな人かはわからない。ただどちらにしても、そんな寂しい顔をして欲しくなかった。
「叶うよ!」
無責任な一言だとはわかっていた。だって、彼女が好きなのは本当に月代なのかもしれない。だとしたら確かに絶望的な状況だ。でも勝手に想う権利も諦めない権利も、誰にだってあるはずだ。もしかしたら、自分自身にそう言い聞かせていたのかもしれない。
「無理だよ。絶対に」
「そんなことない。強く想えばきっと、」
「どれだけ強く想っても!」
瑛子は急に声を荒げて俺の言葉を遮った。その先の言葉なんて聞きたくないとでもいうような、強い語気。俺にはわからなかった。彼女はなぜこうも必死に希望を否定するのか。まるで俺が彼女を想う気持ちまで否定されたようで、少し悲しい。だけど目の前の彼女が俺なんかよりもっとずっと悲しそうな顔をしていたから、何も言えなくなってしまった。
「どれだけ想ったって、一度公開してしまったストーリーは変えられないんだよ」




